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学会の教えはブッタとは関係なさそうだ その3

1 :Sb ◆SbSGI7AtEA :04/02/24 09:36 ID:kQSZ779n
日蓮の教えはブッタとは関係あるのか その3
http://society.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1063318601/
http://society.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1067573415/
http://society.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1071111570/
なにげに512超えていたので新スレ
アラシは放置

というわけで、学会は仏教ではないと思う

2 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/24 11:07 ID:???
  |─- 、  
  | : : : : : \ 
  | : : : : : : : ヽ 
  |-…-ミ: : : : :',
  |  '⌒' i: : : : :}
  | ェェ  |: : : : :} 
  |,.、   |:: : : :;! 
  |ニ-┐ | : : :ノ  
  |二゛ノ イゞ‐′  
  |一'´丿 \ 

       

3 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/25 02:55 ID:rymCycAE
緊急出版!自民党・創価学会・公明党―国民不在の連立政権・秘史―
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第1部 創価学会・公明党の黒い軌跡
/1/ 創価学会の系譜
日本仏教の歴史/鎌倉新仏教/日蓮正宗の誕生/牧口常三郎と創価学会の前史/戦中の創価学会/戦後の創価学会 
/2/ 公明党の結党と創価学会の転機
政界進出と池田大作―第一の転機/言論出版妨害問題―第二の転機/日蓮正宗との対立/破門―第三の転機
/3/ 創価学会の組織の実態
創価学会からは脱会できない?/組織の実勢と広告詐術/会員収奪の財政/各界への浸透 
/4/ 公明党の育成と政界での役割
君臨する「池田先生」/反共だけが唯一の存在理由/反共・反民主主義謀略活動の新段階―第四の転機
/5/ 創価学会・公明党と日本の進路
悪政への加担と宗門からの破門/憲法・民主主義の原則とは/むすび

発行:「学習の友」社 03−5842−5645 E-mail: gakusyu@po.jah.ne.jp

4 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/25 14:20 ID:rmb3rIVR
ブッダではなくてイケダの教えなんだけどね。

5 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/25 14:25 ID:???
5げと

6 :母が熱心で困ってます ◆1Cz5bN8eQk :04/02/25 17:50 ID:R26RW4j5
>>1 Sbさん
>というわけで、学会は仏教ではないと思う
確かにね、学会員自ら「私は仏教徒である」と言ったら
やはりちょっと違和感がありますよね、百歩譲っても
せいぜい法華経の行者というのが精一杯でしょうかw

新スレでもよろしくお願いしますm(__)m

7 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/25 22:35 ID:???
ではテーマを。

1.創価学会や池田大作やその信者たちは、とにかく「幸せになる」という
  ことに非常に執着がある。さて、ではここでいう”創価的幸せ”ということと
  仏教とどのような関係にあるか。

2.創価学会や池田大作やその信者たちは、とかく「宇宙の生命の境涯になる」
  と言う。そのことと仏教とはどのような関係にあるか。

3.創価学会は一面キリスト教のように似ている側面がある。それはどのような
  点においてか。

4.人間は「幸せ」にならなければならないのか。それとも「幸せ」でなくても
  「良い」のか、それとも「幸せという状態になること」自体が重要ではなく、
  それに付随する様々な経験が重要なだけではないのか。ならば創価学会的
  「幸せ」至上主義は間違ってはいないか。さてどうだろうか?

5.では伝統的仏教とはそもそも何なのか?仏教は人間に何を与え、また何にさせ、
  どのような到達点を指し示すのか。そしてそれは創価的幸せの人間とはどこが
  異なるのか?

さてさてどうでっしゃろか。

8 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/25 22:50 ID:???
前スレ>730
>>そうではなく、「悉有=仏性」と見性する、見取する悟りを
>説いているが故に、それは「体感」ではないのでした。
>
>ですので、「悉有=仏性」と見性するのではなくて、「まさにしるべし、悉有中
>に衆生快便難逢なり。悉有を会取することかくのごとくなれば、悉有それ透体
>脱落なり」(仏性)というように、坐禅という方法を持って身心脱落するほか
>ないのだと、道元は言っているのではないでしょうか。

道元は只管打坐とし坐禅するにしかずと言ったのは確かにそうだったが
そこで見出したのは公案の一つ「犬に仏性ありやなしや」への解として見出した
のがこの「悉有=仏性」という解だった。その故に「いわゆる世界は悉く仏世界なり」
としたのであった。つまり「自己即仏とのみ見取するのを仏道とするのはいまだ
正しからず」となり「全世界が仏世界の顕現である」と解く「世界の聖化」が
悟りの究極であると説いたのだ。道元的悟りはこのようなものであった。

であるが故に、この悟りは釈迦の説いた説法とも以って異質なものであり、シャカ
ムニ仏を慈父としてまで表現するくだりはまさに道元的仏道の究極かもしれず、
まさしくそこには「世界の聖化」と「仏祖が拡大する意識(解釈)」があった。

9 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/25 23:01 ID:???
「世界の聖化」の意味とは果たして何であろうか。

そこには「世界の分離」がないということである。世界はここもそこも全部
繋がっていて全部が仏の現れであると「見性、見取する受け取り方」に自分が
生まれ変わるということだろう。そのような状態になった人は「仏である世界
に悪を為さない(つまりは「仏教ならば必ず"諸悪莫作"を説く」に通じる)。

従ってそのような場合、その人は他からの悪を受けることも、仏が我にしたる
なりと見性、見取する。従いその人にとって自分に為される悪も仏そのものに
なり、それはそれ自身仏世界の証ともなる。これが禅の究極ではなろうか。
道元も他の禅も結局はそこに到達する。

10 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/25 23:13 ID:???
これは一つの見方ではある。しかしこれはこれまでのいわゆる聖人の道に
通じるものである。世界は神である、世界は仏である、であるが故に世界
を神として扱い仏として扱う悟りとなる。そしてそのような悟りと同時に
そこが仏性の「有」を具足された状態を顕現することとなる。仏性は無で
あったが、悟りとともに有となり、無である(あった)のに有となるという
ことなのだった。

このように道元の悟りは世界の聖化であり、悪を為すこと莫れと説く仏教
である。そこに彼の仏教があったが、そのような悟りの状態は少なからず
「幸せな心」ではあるだろう。

そのような幸せと創価学会の主張する「幸せ」とは、いったいどう違うの
だろうか?お考えあれば幸いに存じます。

11 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/25 23:22 ID:???
>>7
従って、

8.創価学会の説く「幸せ」と、仏教の教える幸せとが違うということで
  あれば、それは何に起因する違いなのだろうか。何故そうした「幸せ」主張
  の違いが生じるのか。それは俗と聖の違いか、それともそれは聖と俗の
  違い以外の要因によっても生じているのか。

を追加します。それではまた。

12 :Sb ◆SbSGI7AtEA :04/02/27 21:43 ID:+ejbr/+j
>>7
1.ただのカタルシス、仏教とはなんら関係ない
オウムのそれと同じだよ、ただ、薬や洗脳まではしてないらしいけどね
マインドコントロールはしている
2.禅で言えば魔境、そんなことは生きていくのに何の関係も無い
3.法華経自体の成立に景教の影響があったのだと思う
4.生きているということは、そもそも幸せなんだと思う
生きているということは、そもそも四苦八苦なんだと思う
5.伝統的仏教は知らないけど、私の仏道は生きていくとこ
生きていくことそのもの、到達点など無い、死ぬまで四苦八苦して生きていく
創価的幸せは、唯一正しい教えだから、絶対に幸せになるという免罪符を持って
現実から目をそむけ、組織にカタルシスを与えられ、それが幸福だと錯覚すること
オウムとなんら変わらない
8じゃなくて6だろう
6.日蓮さんの、乱暴な教えから初する法華経原理主義が起因であると考える
本来、仏教に聖も俗もあらず
生きているものに、聖も俗もあるのか
無し
聖なら四苦八苦しないのか?
俗だから四苦八苦するのか?

聖も俗も死ぬまで四苦八苦し続ける


13 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/27 22:06 ID:???
法華経や日蓮は仏教を騙ったカルト

それの亜流である層化は当然に仏教と関係ない。
議論の段階以前。

14 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/28 09:38 ID:???
>>7
2.は正しくは「宇宙の生命と一体になる」だ。これは以前「も邪魔します氏」が
創価学会の教義の中心として強調していたバラモン教ヨーガの神秘主義とも若干
異なる。ヨーガ神秘主義やイスラム神秘主義(スーフィズム)、さらにはキリスト教
神秘主義などもすべては神との合一、一体化を説き、これらがすべて「神秘主義」と
名づけられていた意味がそれ「神との一体化」であった。

この場合、一体化するべき「相手」すなわち「神」がどういう存在であるのかによって
それが「神秘主義」となるのか、それとも「創価学会」になるのかが決まるだろう。

いわゆるの「神秘主義」における「神」は「宇宙の創造主体」であり世の初めあるいは
存在の原因であるという点において第一の因とも呼ばれているそれであり、哲学的
な思弁が為されてきた。それは現世利益を与える根本原因として認識されていたのでは
なく、あくまでも「神秘主義」にふさわしい「宇宙の創造者」として「至高の存在」
光り輝くアミターバのように想像されるべき存在として人々にイメージされた概念で
あった。しかるに「創価学会になる」ためのそれは、あくまでも現実世界に「利」を
もたらすエネルギーとしての「神」であり、いわば「人間が利用することが可能な
力の源泉」とでも言うべき概念であり、存在の哲学的概念のそれではなかった点が
異なるのである。創価学会における「宇宙の生命」は「ウジが湧くような意味での
生命」であり、「そのウジを生かしている力」が「宇宙を支えており」その力は
「なんみょおほおれんげえきょお」で「汲み出して使う」ことができる、というような
イメージで捕らえられる概念の「神」であった。それが創価学会的にいうところの
「宇宙の生命とリズムがあってくる」ということに表現されている創価的「仏」概念
の絵でありイデアであった。

15 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/28 09:45 ID:???
すなわち、

ヨーガ神秘主義やイスラム神秘主義(スーフィズム)、さらにはキリスト教
神秘主義など、世界に存在した神秘主義と呼ばれてきたすべての神秘主義の「神」
は、人間精神の「上」に存在する神であったが、

創価学会における「宇宙の生命」はあくまでも「人間精神」の「下」に存在して
いる種類の「意志主体のないエネルギー」であり、それは「使われることを待って
待機している石油」のような存在である点が、上記の伝統的神秘主義とは意味を
異にしていたと言うべきであった。

なぜ「創価学会においてはそうなり、伝統的神秘主義においてはそうではなかったのか」
はまた別途考察が必要だろう。

16 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/28 10:10 ID:???
>>12
>1.と5.
>5.伝統的仏教は知らないけど、私の仏道は生きていくとこ
>生きていくことそのもの、到達点など無い、死ぬまで四苦八苦して生きていく
>創価的幸せは、唯一正しい教えだから、絶対に幸せになるという免罪符を持って
>現実から目をそむけ、組織にカタルシスを与えられ、それが幸福だと錯覚すること
>オウムとなんら変わらない

ここでは「カタルシス」とする解釈が示されているが、そうとも言えないだろう。
「なんみょおほおれんげえきょお」はその本質は基本的にはそうだとも言える種類
のマントラであることは前スレでも強調した通りであるが、彼らの求めている「幸せ」
なるものが、その「気を吐き出し」て息を長く保つ行為で得られるとするにはまだ
考察すべき点が必要だろうと思う。

彼らの「幸せ」とはまず間違いなく、「現実の生活上の利得」であることは間違いない。
池田大作は昔から事細かいことにもいちいち口を出すタイプの首領として有名であるが、
かれはたとえば創価学会の私設のドアの開く向きにまでいちいち「こうした方がよい」
と指導していたと言われる(「このほうが豪華に見える」などとである)が、そうした
性質は何ゆえであったのだろう?これは彼らの「幸せ」概念を知るためには重要な点では
ないだろうか。

17 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/28 10:17 ID:???
この本質はおそらく、しばしば言われている通り「貧しい人間があこがれる
成金趣味」という意識が大きく関係していると考えられる。つまりそこにある
ものは伝統的哲学における精神主義ではなく、「成金趣味」という根本が隠され
たところの「幸せ」であった。これが創価的神秘主義であったと理解できる。

だから「創価学会的幸せ」とは、根本においては「池田大作的成金趣味的幸せ」
である。この本質を特徴と解するべきであり、そしてその「成金趣味」的幸せ
にどうして多くの人々が共鳴できたのかが、またもう一つの研究課題となる。

そんなに人々は「成金趣味」にあこがれているのだろうか?果たして日本人の
一千万人がそれほどまでに「成金趣味的幸せ」に「共鳴でき」かつそれが「至上
唯一正当な宗教の趣味なのである」と称揚する精神構造を元々有していたのか
という問題でもあったが、本当に人々はそんなに「成金趣味」に共鳴したのだ
ろうか?ところが本当にそうだとは思えないのであった。

実際には、「池田=成金趣味」であり、彼の説いた主義は「成金趣味」ではあった
のだとしても、「池田大作を首領ならしめ」かつ「その趣味にも共鳴してその
趣味にあった"幸せ"に共感した」かのように見える「幸せ」主張も、実際には
信者個人が元々有していた「成金趣味」に依拠した性質ではなかったと思われる
のであるが、どうだろうか。

18 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/28 11:05 ID:???
>>12
>創価的幸せは、唯一正しい教えだから、絶対に幸せになるという免罪符を持って
>現実から目をそむけ、組織にカタルシスを与えられ

これは部分的には当たっていると思われる。この絶対であるという主張に繋がる
ところを細かく分解すると、こうなる。

人間は「幸せ」にならなければならない→あなたも「幸せ」になりたいだろう?
→成りたくないと思っているのならそれはあなたに「生命力」が足りないから
そう思うのだ(生命の自然に反しており、弱くなっているのである)→生命力が
充実すれば「幸せ」になりたいと思うはずだから、そうなるためには題目を唱えれば
よい→そうするとますます「幸せ」になりたいと思うだろう→それが生命として
正常な状態であり自然である(=「幸せ」になりたいと思うこと、またそうなる
ことが「正しいこと」であると教え、それがすべての前提になった)
 ↓
そうすればあなたも「幸せ」になれる→いやならなければならない→そうなる
ためにはこの題目(マントラム)をたくさん唱えなければならない→こうして
「幸せ」にするところの宗教は唯一創価学会のみであると主張する→そしてその
他の日蓮系でも同様に言うにしても、ウチは(ビダセンセーの指導によって)それを
いっそう強力に推進してきたこと→これを以って現代に伝わる日蓮系の中でも
唯一正統な団体であると言える→であるからあなたも我々とともに「創価学会
に入って」布教活動をして行かなければならない→これは絶対である

これで、「創価学会に入ってそこで言いなりになるべきことの絶対的正当性」が
主張されていくことになるのだった。これは「幸せにする宗教だから絶対であり、
それをますます推進していくために強引にでも強く説得しなければならず、その
絶対性の主張ゆえに、この創価学会のトップである池田大作の命令には絶対的に
従わなければならない」と結論されてしまうのであった。これで会員は「命令通り」
に「悪いことでもなんでもやる」ことが「正義である」と考える根本を形成させ
られることになるのであった。

19 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/28 11:30 ID:???
しかし結局この「幸せにすることを説くから正当であり」そうするための方法論
が唯一であり、それを「強力に推進しているから」この団体は正統でありかつ絶対
的に正義であるという主張の根本であったその「幸せなるもの」の出所は、実は
上記(〜>>17)したような「成金趣味」に基づく「幸せ」であり、「世間に"豪華"に
君臨するための幸せ」がその本質であった。

創価的幸せとは、すなわち「世間に豪華に存在する」「世間にほめそやされるために
偉くなる(「無意味であってもノーヘルワーヘ賞でもとにかく形だけであっても取る」
ため、なども当然そこに含まれる内容となるのは言うまでもないことであったが)、
「世間で〜するために"どんなふうにか"なること」が、彼らの言うところの説く「幸せ」
であり、それは本質として「他人に威張れる名目としての実績」という意味を根本に
持っている種類の幸せであった。これが「成金趣味的幸せ」ということの本質である。

創価学会の言う幸せの本質はこれであり、戸田城聖、池田大作と続く創価学会文化の
本質であった。この本質をあくまでも継続させていくことが、本質としての創価学会
という文化存在である。これが伝統的神秘主義と完全に本質を異にする根源となって
おり、「精神の下にあって利用されるべき宇宙生命」としての神か、「我々を指導して
本質的な善に導く宇宙の創造者である神」かの相異として決定的に現れているのでは
なかっただろうか。そして多くの人がこの前者を選び、そしてその主張する主張を
「正しい」として受け入れた(どんな事情の下にであったか別にして)結果が、現在の
創価学会という日蓮教が君臨することを可能にしたのであった。

さてでは、いわゆる「仏教」から仮に「支持する」としたら、本質論としては、この
前者と後者のどちらを「支持する」だろうか。ここが本質としての「創価学会は仏教
かどうか」の根本的な試金石になるべきである。仮に>>12「仏教に聖も俗もあらず」
とはしても、である。ひとまずここまで。

20 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/28 12:03 ID:???
追記:
>>14
>創価学会における「宇宙の生命」は「ウジが湧くような意味での生命」であり、
>「そのウジを生かしている力」が「宇宙を支えており」その力は「なんみょおほお
>れんげえきょお」で「汲み出して使う」ことができる、というようなイメージで捉え
>られる概念の「神」であった。それが創価学会的にいうところの「宇宙の生命とリズム
>があってくる」ということに表現されている創価的「仏」概念の絵でありイデアであった。

で、このようなイメージが出てきて、それが「仏教」で言われる「仏」と関連づけ
られていく根本がなんであったというと、それが前スレまでにえんえんと続けて
説明してきたところの、「なんみょおほおれんげえきょお」の高速連続称揚行為
によって得られる体感(かれらの言うところの「仏界感覚」)がそれでああった。

この体感が彼らの「仏」イメージを形成し、それが十界論と結びつき、体感としての
「仏」を形成したのだったといえるだろう。それが何故現世ご利益的信仰と結びついた
のかは興味深い点ではある。しかしそれは実は日蓮自身も経験していたであろう呪術
としての利用からであっただろう。それが創価的幸せの実現と絡まって形成されたので
ある。それではまたとします。

21 :Sb ◆SbSGI7AtEA :04/03/01 12:11 ID:bpXeO838
>>17
>「成金趣味」という根本が隠されたところの「幸せ」であった。
求不得苦

>>20
「なんみょおほおれんげえきょお」の高速連続称揚行為によって得られる体感
五蘊盛苦

四苦八苦を悟るのではなく、
与えられることによって解決したかのように勘違いすることも
カタルシスであると思われる

結果的には何の解決もしておらず、所詮魔境

22 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/02 01:18 ID:???
>>21
「カタルシス」ということ自体にはあらゆる意味で価値があると言える。
セックスもカタルシス、運動行為もカタルシス、信仰行為もカタルシス、
題目もカタルシス、念仏もカタルシス、呼吸法もカタルシス、坐禅もカタルシス、
禅もカタルシス、となんでもカタルシスにならないものはないかもしれない。

神経電位の不安定的変動から、なんらかの形での平定へと遷移する過程に関係すれば
すべての肉体的および精神的活動がカタルシスになる。

であれば、釈迦が諦観を唱えたのも、結局は人間が迷いから悟りに達するというカタル
シスであったと言えるから、我々の人生そのものがすべてカタルシスだと言えることに
なる。ならば仏教もカタルシスになる。そしてキリスト教もカタルシスになる。
だから、カタルシスであるから創価的信仰がどうのという概念分けは正しくないだろうと
いうことになりますね。

23 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/02 05:25 ID:???
>>22
少しはカタルシスの原義くらい調べろよ。なんでもかんでもカタルシスか。めでたいな。こうなると、一種の思考停止と同じだ。

24 : :04/03/02 23:47 ID:???
>>13
鬼子母神が、仏の一人なのは言うまでもないが、
八幡大菩薩は、神道の神の一人だ。
八幡の神が、神仏習合の過程で、菩薩と呼ばれるようになったわけ。
で、御本尊(曼荼羅)に、八幡大菩薩を記し、
毎日、拝んでいるのは、どういう立場からなんだろう?
神道を切り捨てる立場でないことは確かで、
本地垂迹説から、とある仏が、八幡の神という仮の姿で
現れることもあるとする以外ないだろう。
だから日蓮系で、神道を完全否定する創価学会の教えは、
日蓮の神仏習合の立場からすれば、日蓮とは無縁である。
したがって日蓮とは無縁である以上、日本仏教でもない。

25 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/03 08:11 ID:???
>>24
八幡もつまり諸天善神なわけだろ。
諸天善神を主体に拝んでもしょうがないというのが、創価学会の主張なんだから、別におかしくなかろう。
第一創価学会の用いる曼荼羅には八幡も天照も省かれずに記されているじゃないか。
神道じゃダメだけど日本の神には諸天善神の地位は与えられているということだ。
日蓮大聖人とて同じ立場ではないかと思うが?

26 :Sb ◆SbSGI7AtEA :04/03/03 10:15 ID:nSX5UV32
>>22
全てはカタルシスだといえるし、そうでないともいえる
そういうことではなくて、自ら、浄化するならいいのだ
だけど、与えられたカタルシスで、本当に浄化が出来るのか

悟りはカタルシスだと思うよ、でも、悟ることは出来ても
悟らせることなんか出来ない、悟るのは自分だからね

与えられることによっては、なしえないんだよ

27 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/03 13:00 ID:???
>>27
創価学会だってカタルシスは与えられているのではなくて、
自ら行動して掴んでいると思うが?

28 :母が熱心で困ってます ◆1Cz5bN8eQk :04/03/03 13:25 ID:I1RWW4Oy
>>27
>創価学会だってカタルシスは与えられているのではなくて、
>自ら行動して掴んでいると思うが?

勤行題目などから得られるカタルシスは直接掴んだモノだと思います。
しかし学会活動で得られるカタルシス(つまり気持ちがスッキリする状態)
とは組織から与えられた(刷り込まれた)偏った世界観が不可欠でしょう、
ニセ薬のんで風邪がなおるプラシーボ効果みたいな感じで、それに疑問
が生じた時点で消えてしまう、非常に限定的で不安定なモノですね。



29 :taitsu™ ◆bnx86/FFP2 :04/03/03 13:33 ID:rTGTowuG
学会が純粋な仏教でないのを語るのは今更って気がするのだが。

まじめに議論展開をしてるようなので、まぁ悪くはないと思うけどね。
学会云々って言うよりむしろ鎌倉仏教自体、中国仏教自体が既に仏教じゃないジャン!
って事になると思うのだが、どうよ?

まぁ、俺は学会員だからあまり同志を下げるつもりはないんだが、諸手を挙げての賛同もできない。
特に池田教は・・・

仏道の入り口を俺に示してくれた恩義は大事だと思うがね。

>>24
神道を完全否定してるんじゃないと思うぞ。
否定してるのは教義的ないようだと思う。
日蓮系の破折の傾向は大概、教義内容を批判する。
宗派自体の存在否定は意外とストレートにはしていないもんだよ。
”日蓮とは無縁である、日本仏教でもない”と言い切ってるあなたに一言!


釈迦も仏教じゃないんだぜ!(w


30 :蓮華 ◆utUwhjJ7Tk :04/03/03 13:43 ID:3ygIV02W
>>779
言葉遊びで逃げてないぜ。
観念論だけと感じるのはあなたがネットという世界にしか
目を向けていないからではないでしょうか?
あなたは未活動なのでしょう。活動家の何を見ていますか?
>他者や社会に対する思いやりや平和思想が発露しなければ
あなたが求めることはわかりますよ。しかし、あなたは他に求めているばかりで
自分からアクションを起こしていますか?
一人一人が幸福になればよりいっそう平和への目も向けられる。
あなたこそ固定観念にとらわれているのではないでしょうか?
スルーしている質問があるそうですが、質問をもう一度お願いします。

31 :蓮華 ◆utUwhjJ7Tk :04/03/03 13:45 ID:3ygIV02W
>>30
スレ違いました。ごめんなさい。

32 :萩 原  碧 ◆AaYSkeba9Q :04/03/03 13:48 ID:???
I am chubo!


33 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/03 20:52 ID:???
>>28
しかし学会活動で得られるカタルシス(つまり気持ちがスッキリする状態)
とは組織から与えられた(刷り込まれた)偏った世界観が不可欠でしょう、

そうね、でも、カタルシスっていうのは多かれ少なかれ何らかの世界観が必要だろ?
創価学会という組織は自らが行動してそれを掴むための舞台みたいなもので、
そこでどう動いていくのかは、やっぱり自分の意志だと思うが?
ノリでやっているだけのやつは続かないし。

34 :母が熱心で困ってます ◆1Cz5bN8eQk :04/03/03 22:42 ID:I1RWW4Oy
>>33
>でも、カタルシスっていうのは多かれ少なかれ何らかの世界観が必要だろ?

そうでしょうか、例えばスポーツやセックスに世界観は必要ない、
勤行題目はその類ですよ、ですから学会員が学会活動(自行化他)
で得られるカタルシスには2種類あると思います。

35 :Sb ◆SbSGI7AtEA :04/03/03 22:48 ID:c3hondTm
>>27
マインドコントロール
自分で選択していると思い込んでいるが
選択させられている
自らの行動だと思っているが
組織により与えられている行動

個人個人で偏っていることが正常であるが
組織内で、同じ方向しか向いていないのは異常

36 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/03 23:25 ID:???
>>34
そうでしょうか、例えばスポーツやセックスに世界観は必要ない、

いや、スポーツには世界観あるよ、ルールが必要だし。
セックスは本能だから必要ないかもしれないけれど、
エロティシズムとかいったらそれは一つの世界観だぜ。

>>35
自分で選択していると思い込んでいるが選択させられている

ものは言いようだよね。

37 :Sb ◆SbSGI7AtEA :04/03/04 10:28 ID:xfbc7u6O
>>36
マインドコントロールと、セルフコントロールは違うよ
マインドコントロールのやばい点は、
あたかもセルフコントロールしているかのように錯覚させることだよ

物は言いようではなくて、マインドコントロールとはそういうものです。

あと、マインドコントロールされてると検証しようとしなくなるのも特徴ですよ
あなたのように

38 :母が熱心で困ってます ◆1Cz5bN8eQk :04/03/04 11:06 ID:MaylnqYv
>>36
>いや、スポーツには世界観あるよ、ルールが必要だし。
>セックスは本能だから必要ないかもしれないけれど、
>エロティシズムとかいったらそれは一つの世界観だぜ。

なんだか話がかみ合わないですね・・・・・

さらなる誤解を避ける為に言っておきますが、私のいうカタルシスとは正確には
カタルシス効果です。

確かに社会生活を送っている場合、世界観はすべての出来事に関わってきます
しかし私が言いたいのはそういう意味ではありません、スポーツやセックスは
本能的な欲求を満足させた結果カタルシスが得られ、学会活動は社会的な欲求を
満足させた結果だということです。

スポーツやセックスに世界観が関わってくる場合はありますが、世界観がなくても
カタルシスは成立します、それからスポーツ(やセックスも)にルールがあるのは、
プレーに相手がいたり観客がいたりして社会性が必要だからでしょう、例えば密室で
ひとり行った場合〜トレーニングやマスタベーションなど〜を考えて下さい、この時
危険回避以外のルール(正確には配慮)は必要ありませんが、一定のカタルシスは得られます。

一方学会活動はどうでしょう、これは世界観(創価学会の説明)が無ければカタルシスを
感じるのは不可能ですよ。

39 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/04 15:06 ID:???
仏法は勝負。
我らは勝った!
さらなる追撃を!

ttp://www.42ch.net//UploaderSmall/cgi-bin/../source/1077700083.dat


40 : :04/03/04 15:53 ID:???
>>29
>学会云々って言うよりむしろ鎌倉仏教自体、
>中国仏教自体が既に仏教じゃないジャン!

この時点でアホ決定だな(w
釈尊から、弟子が脈々と教えを受け継いできたという意味では、
中国仏教も日本仏教も仏教だ。
釈尊原理主義の立場なら、中国仏教も日本仏教も仏教ではないと
切り捨てることはできるが、そんなことしたら、
日蓮も仏教ではなくなる(w

>釈迦も仏教じゃないんだぜ!(w
日蓮主義を唱える創価がそんなことを言うわけだ(w
創価は仏教じゃないんだな?(w

ところで池田創価学会は、神道を否定してるだろ。
鳥居を潜るなと言ってたのは、いったい誰だ?

41 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/04 23:30 ID:???
>>37
それじゃあ、創価学会の活動を選び取るとい行為が、
セルフコントロールによるのかマインドコントロールによるのかって、
どうやって判断するのさ?

>>38
そうだよ。創価学会の活動は強い世界観がなければカタルシスを得られないよ。
宗教というのはとても社会性の強い形態じゃないかな。
それはそんなに悪いことじゃない、っていうか、
より高度なカタルシスを得るには世界観は求められるよ。
マスターベーションよりセックスね。
つーか、マスターベーションだって自分の生きてきた記憶とか総動員したりして、
充分社会的だったりしてな。その人の世界観が問われたりして。
オレはなんの話をしているんだ?

42 :母が熱心で困ってます ◆1Cz5bN8eQk :04/03/04 23:49 ID:MaylnqYv
>>41
>そうだよ。創価学会の活動は強い世界観がなければカタルシスを得られないよ。
>宗教というのはとても社会性の強い形態じゃないかな。
>それはそんなに悪いことじゃない、っていうか、
>より高度なカタルシスを得るには世界観は求められるよ。

なんだか論点がズレているような気がする、ちょっと整理しますよ。
私は学会活動から得られるカタルシスを否定などしていない、2種類あると言って
るんです、それは私の発言>>28、34を読めば明らかでしょう。
あなたは発言>>27でそれを"与えられているのではなく自ら掴んでる"と言った、
だから私は発言>>28で"自分で掴むカタルシスと与えられるカタルシスがある"と
反論したんです。

43 :Sb ◆SbSGI7AtEA :04/03/05 07:37 ID:ZZamkJ37
>>41
そう、そこがマインドコントロールの怖い点じゃないか
その人を見ても判断は出来ない
すべての人がかかるわけではない

ではどうやって判断するのか
それはその組織がどのような教義を持っているかで判断するしかない
組織が意図的にマインドコントロールを行っていなくても
その教義によって、マインドコントロールを信者にかけてしまうこともある

しかも、その教義を捨てることが出来ない
そういう教義があるとそれを利用して、金儲けや権力を手に入れようとするものも現れる

だから、マインドコントロールが現れた現代
宗教は信じきってはいけなくなってしまったともいえるのではないのか

マインドコントロールについては
http://www.google.co.jp/search?q=%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%AB&ie=UTF-8&oe=UTF-8&hl=ja&btnG=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2&lr=
から調べてみてください


44 :母が熱心で困ってます ◆1Cz5bN8eQk :04/03/05 08:30 ID:bBqMGg3m
>>43 Sbさん
>そう、そこがマインドコントロールの怖い点じゃないか
>その人を見ても判断は出来ない
>すべての人がかかるわけではない

同意です。
簡単にセルフコントロールかマインドコントロールかの区別が
つくなら、誰もひっかからない、自分もこんな苦労はしてません。

45 :Sb ◆SbSGI7AtEA :04/03/05 10:18 ID:55D0CmsX
>>44 >母が熱心で困ってますさん
マインドコントロールをかけてしまう教義と
マインドコントロールにかかっている信者
この両方を確認できれば
いくら両者がマインドコントロールをかけている、かかっていることを否定しようとも
それはマインドコントロールであると思うのです

確かに学会の教義はマインドコントロールの定義からすると
ゆるいと思いますが
座談会などがそれを補完しているのだと思います。

46 :母が熱心で困ってます ◆1Cz5bN8eQk :04/03/05 12:22 ID:bBqMGg3m
>>45 Sbさん

確かにソフトですね、それから座談会だけじゃなく本部衛星中継も補完の役割を
果たしてますね、それで思考停止させたところへ家庭訪問で具体的な指示をだし、
聖教新聞で煽る・・・・・・・ソフトだけどこれが一生続くんです、会員達は
一生搾取される被害者であり、しかも新しい被害者を引きずり込む加害者でもある。

あと教義については、非常に上手に管理されています、現在の教義は明文化されてません
(折伏経典は過去のモノ)、だから日蓮と3代会長の思想や言葉をその場その場で都合よく
解釈できる、つまり教義の定義外延が広がったり縮まったり、ハッキリしないのです。
そうゆう状態では、何を、どうゆう目的で、どれ位の強制力をもって修行・指導されるべき
なのか、本当は誰もよく分からない、そして本部が具体的にはどんな指示をしているかも
現場にいない内部末端はこれまたよく分からないのです。
その上言葉によるスリカエ等もありますから、もし疑問を感じても内部の末端では説明の
しようがなくその声は黙殺されてしまう、非常に巧妙なのです。

この教義のあいまいさは、外部に対しても非常に都合がいい、内部では折伏などを
かなり強引に行うよう(幹部から末端に)指導していますが、もし外部者が本部に文句を言えば、
「今は無理やり押し付けるような教義・指導はありません、きっと熱心さのあまり誤解されたの
ではないですか」或いは「一幹部の間違った指導による、末端の行き過ぎでしょう」といくらでも
逃げられる。

困ったモンです・・・・

47 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/05 22:55 ID:???
>>42
整理してくれてサンキュー、仕切直しな。
それで、創価学会が与えているのは世界観であって、
それを使ってカタルシスを得るのは自分だと思うんだが?

>>43
つーことは、マインドコントロールされているのかされていないのかは、
その人をみても、よく分からないってことだな。
でもって宗教組織というのはマインドコントロールに陥りやすいってことか。
しかし、誰もがマインドコントロールに陥るわけではないから、
誰が陥っているのか、陥っていないのかわ、わからんと。
ということは当然マインドコントロールされていない創価学会員もいるわけだな。
誰がそうなのかはわからんけれど。

お、サッカー見なきゃ。

48 :母が熱心で困ってます ◆1Cz5bN8eQk :04/03/05 23:25 ID:bBqMGg3m
>>47
>整理してくれてサンキュー、仕切直しな。
>それで、創価学会が与えているのは世界観であって、
>それを使ってカタルシスを得るのは自分だと思うんだが?

自分は学会活動(自行化他)から得られるカタルシスは2種類あると
言ったね、だからどちらもカタルシスを得ることはできる。
まず勤行唱題などは、その意味など全く知らなくても効果を感じる事が
できるね、しかしもう一方(折伏や新聞啓蒙など)は、学会特有の世界観を
与えられなければその効果はない。
そんな解釈次第の不安定なモノを、果たして自分で掴んだなどと言えるのかな?


49 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/05 23:32 ID:???
つうかSbは禅人だからまあ当然だが、母が熱心で困ってます ◆1Cz5bN8eQk さん
はあまりにもすばらしくてしばし感動もの。創価の家庭に生まれ育ってこんなに
現代的で立派な人ができている。人間というのは決して捨てたものではない。
あまりにも感動した!>>46 乾さん以外にも理性に富んだまとまった意見を述べる
知性がちゃんといる。立派な二世、三世諸氏がたに今まで以上に賛美を捧げたい
のであった。

うんうん、こういう人たちがちゃんといる間は世の中もまだまだ救われる余地があるぞ。

50 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/05 23:44 ID:???
245 名前:母が熱心で困ってます ◆1Cz5bN8eQk 投稿日:2004/02/22(日) 14:41 ID:ChUVvyv6
>▼ 公明党を批判する愚かな学会員
>420 名前: 南条時光・四条金吾・富木常忍@創価学会学生部・公明党@妙法 投稿日: 2004/02/17(火) 23:11
>
>小野さん、私は学生部員という若輩ですが、一緒に誤った会員を叩かさせて頂きます!

この学生部クンは信心というものが全く分っていない、若いだけに
小野氏より重症かもしれないw
もしかしてガイシュツネタかな?

250 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2004/02/22(日) 15:18 ID:???
>>248
>この学生部クンは“信心というものが全く分っていない”、若いだけに
>小野氏より重症かもしれないw

あれあれママが熱心なのでは無くてあんたが熱心だったのね。
若い香具師への手本を示せよソウカの会員さん。

#層化の基地外は自分が辞めてもいないのにお仲間の批判に後執心
 いやはやなんとも、バカな会に入っている自らを恥じればよいのだ。

51 :母が熱心で困ってます ◆1Cz5bN8eQk :04/03/06 00:13 ID:o25F27V5
>>49
どうも恐縮ですm(__)m

>>50
コピペご苦労さんw

52 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/06 00:22 ID:???
創価の基地外教義を理解したつもりに(信心を理解)なると
>51のように自分を映す鏡というものがこの世に存在しなくなります。

このように“厚顔無恥”になることを創価では不退転といいます。

53 :Sb ◆SbSGI7AtEA :04/03/06 00:33 ID:ZPGEQ2Zm
>>47
組織に世界観を与えられてどうするんだよ
世界観なんてものは自分だけのものだろ

そういう状態がマインドコントロールに
かかっているって言うんだと思うぞ

あと、ごめん、マインドコントロールにかかった人間は
かかっていない人から見れば、わかりやすい
自分では解らないって言いたかったんだよ
検証する術をなくされてしまっているんだよ

確かに、マインドコントロールにかかっていない学会員もいるよ
籍だけ入れてるとか、親はバリだけど、子供なりの客観視によってアンチとかね

54 :母が熱心で困ってます ◆1Cz5bN8eQk :04/03/06 00:33 ID:o25F27V5
>>52
ああ、またアナタですか・・・・
せっかくですから対話でもしますか?

55 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/06 00:45 ID:???
>>53
組織に世界観を与えられてどうするんだよ
世界観なんてものは自分だけのものだろ

いや、世界観というものは組織や国家やイデオロギーや書物や、
そういったものによって与えられるもんだよ。
なにもないところから自分だけで世界観を形作ることはできないよ。

まあ、日本は勝ったな。

56 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/06 00:52 ID:???
>>48
例えばさ、ただの筋力トレーニングと、野球やサッカーや格闘技といったスポーツと、
どちらがより強いカタルシスを得ることが出来ると思う?
スポーツにはドラマがあるだろ? それは強いカタルシスを与えてくれる。
勝つか負けるか、不安定だけれど、審判の判定・解釈も不安定だけれどね。
でも選手はそれに挑んでいくわけよ、自分の意志でね。

57 :Sb ◆SbSGI7AtEA :04/03/06 01:03 ID:ZPGEQ2Zm
>>55
そんなものは要素でしかないよ
己の世界観は己しかもてない
組織やら国家やらに世界観の多くを与えられている人は
まさにマインドコントロールにかかっているんだと思うぞ

58 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/06 01:03 ID:???
>>55
>なにもないところから自分だけで世界観を形作ることはできないよ。

キミの言う世界観は実は浅いものであって、それは何か入り口ってか序の口ってな
もんだろ。でも最終的には自分で自分の中に醸成されるもんだよな。それは自分に
しかできない。自分の知性と理性によって検証していく過程で他から植え付けられた
ものではないものになるはず。それがたまたま他人とよく一致するようなことは
あるとしても。

創価がそうではないとはもちろん言わないが、しかしそれは禅で悟るのとは違うこと
だけは言えるよ>創価呪文教さん。

59 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/06 01:14 ID:???
で、文化ってことで「与えられる」といえば、仏教自体もそんなものとも言えた。
日本は仏教ときけば「ありがたい」代名詞になってしまう環境だったから、創価学会
も「仏教」という名称をもらうことがなによりも「欲しい」ところになってきた。
自分らがあくまでもこの「仏教」という名前の範疇にあることがソレ自体で権威として
世間に存在できる基礎だとわかっていたからだ。

だから決してあの立正佼成会みたいな独自の新興宗教としては存在したくなかった
のさ。

そうなっていたら、決して高度成長期にあんなに拡大することはなかったはずだ。
あれは日本人が「仏教」という「名」を権威として感じることを最大限利用した
働きによって実現できたことだった。

このことに深く言及した論説は見たことがないが、これが真実の大部分を構成する
はずだと考えるね。どうだろうか?

60 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/06 01:22 ID:???
あちこちで言ってることで恐縮だが、創価学会教はあくまでも池田世界観に
基づく「元気が出る呪文」を崇めるだけの宗教だったよね。

だから、そうであるのならば、それはもともと仏教とは全然別の世界でも成立
できる宗教であったわけで、別に法華経も関係無ければ、釈迦ももちろん関係
なし教えだったわけだね。

だからたとえば、キリスト教で「ああこの呪文唱えると元気になることを発見
しました」「今日からはこの呪文で行きましょう!」といえばそれだけで創価学会
になってしまったはずでした。その主張を池田大作がやればキリスト教での
創価学会になり、イスラム教でやればイスラム教での創価学会が出来ただけの
ことで、池田大作がイスラム教世界に生まれて世界に拡大する権力への意志を
明確に持てば、それでもイスラム教世界の創価学会が生まれたことでしょう。
(イラク人も結構ゴウつくばりな吹っかけ額を出してくるわけだが・・・)

61 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/06 01:23 ID:???
創価学会の活動のおかげで立正佼成会の主催する献血も怖くて利用できなくなりました。
日蓮系すべてを社会から隔絶する効果を持つ折伏は精神的テロだね。
創価学会員は自分達の行為が日蓮宗全体を貶めてる事に気付かないのかな?

62 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/06 01:33 ID:???
で、日蓮が仏教として利用されることが池田大作にはわかっていたわけだが、
それはその「原理主義」が利用されたわけだね。

1.題目は元気呪文になることを利用した

   元気がでると、現代人はそれが奇跡だとびっくりして、おおお!となって
   いちコロになってしまった。これはスゴイと。だがそれなら初めから経文
   自体は別に重要ではないことになり(論理的帰結)、創価学会のように
   「利用する」だけの対象となるに過ぎなくなった

2.日蓮教は原理主義であること

   原理主義なので「とにかく言うことを聞いて逆らべからず」が言えた。
   それを最後は「おれの言うことに逆らうな」に摩り替えて「おれが本仏だ」
   と宣言して会員を言いなりにさせることに繋げていった。

この2つが相乗効果を持つことを最大限利用できたのは、原理主義が仏教という
名を利用することで可能になったからだったんだね。伝統仏教の一部として
あたかも存在して見せることで、池田創価学会は日本人に植え付けられた文化
を最大限利用したわけだった。

63 :母が熱心で困ってます ◆1Cz5bN8eQk :04/03/06 01:36 ID:o25F27V5
>>56
>例えばさ、ただの筋力トレーニングと、野球やサッカーや格闘技といったスポーツと、
>どちらがより強いカタルシスを得ることが出来ると思う?
>スポーツにはドラマがあるだろ? それは強いカタルシスを与えてくれる。
>勝つか負けるか、不安定だけれど、審判の判定・解釈も不安定だけれどね。
>でも選手はそれに挑んでいくわけよ、自分の意志でね。

強い・弱い、勝ち・負けは関係ないでしょう、自分で掴んだか
どうかって言ってるだろう、なんか話が戻ってないかな?

64 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/06 01:49 ID:hSEExQs1
カルトの定義[日本脱カルト研究会/JDCC提供]
(層化があてはまるものは●印がついてます)
●1.ラブシャワー:入信前後は大歓迎し、持ち上げる。
●2.ティーチイン:頻繁かつ長時間にわたる刷り込み。
●3.真理の独占:他の宗教は皆間違っている、不幸になるという教え。
●4.疑念の禁止:教祖や教義に疑問を持つことは罪。
●5.二元論的世界観:自団体は絶対善。外部は闇(魔)
●6.情報操作:情報遮断、偽情報、教団新聞による情報操作。
●7.迫害意識:他教団やアンチから迫害されている被害者意識。
●8.恐怖・不安・罪悪感による動機付け:仏罰による恐怖。
●9.ビッグブラザー、ビッグシスター:幹部や先輩信者による統制。
●10.絶対的献身:池田会長の指示や教えに絶対的に服従する。
●11.特殊言語:学会員にしか通用しない言語の多さ。
●12.組織内倫理の優越性・絶対性:学会の倫理は、外部の倫理に優越する。
●13.組織離脱への恐怖心の植え込み:脱会すると仏罰が降りる。

65 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/06 01:52 ID:hSEExQs1
新「四箇の格言」=【法華大嘘、日蓮天魔、創価発狂、公明戦争】
◎法華経は、釈迦滅後数百年してできた非仏説の大嘘、大ボラ。仏教とは無縁。女
 性は仏界にいないとか、性転換して男根が生えてきてはじめて成仏(竜女成仏)
 するなどとか、非差別民のチャンダーラとつき合うななどと説くなど、差別主義
 も至るところに見られる。また障害者を口を極めてあしざまに言い、それを法華
 経誹謗の罰とするなど、極めて問題あり。こんなのが宇宙の真理だと?ドアホ!
◎日蓮は、それを最高の仏説と信じた天台智ギの間違った認識を拡大解釈し、拝め
 ば功徳があるなどと、邪教化した天魔。前提からして間違い。しかも、北条時頼
 のところへのこのこ出かけて、権力で他宗を弾圧してくれるよう依頼するほどの
 非常識ぶり。<謗法者は殺すのが道徳>とか、<禅や念仏がはびこるから蒙古に
 攻め滅ぼされる>などと元祖カルトとして危機を煽ったが、禅や念仏がはびこっ
 たままでも、しかも自分が処罰を受けても、蒙古は撃退されてしまった。
◎そのように、前提からして間違っている日蓮の書いたものを拝んでいるアホ臭さ。
 しかも、宗門の外護団体と言っていたものが、宗門からも破門されて、勝手にで
 っち上げた代物を拝むという二重三重のアホぶり。こんなものを拝んでいれば、
 頭がパーになるのは当然。ガンジーだ、マンデラだ、平和だ非暴力だ、などと言
 いながら、いとも簡単に米英の戦争を支持。数の力で押し通せば、そんな嘘が通
 用すると考えているほどのナチスぶり。
◎公明党は戦争党。
 創価の初代牧口も、日本のアジア侵略を、「嚇々たる戦果を挙げ、真に聖戦の目
 的を完遂せんとして老若男女を問わず、第一線に立つ者も、銃後に在る者も、い
 まは恐らくが戦場精神によって一丸となり、只管に目的達成に邁進しつつあるこ
 とはーーー」などと、煽っていたのだ。いまは、大量破壊兵器のでっち上げ脅威
 を煽った米英によるイラク国民大虐殺の手先。しかも完全に破綻して、明日も知
 れない傀儡政権に五〇億ドルもの血税を浪費させるほどの売国奴ぶり。自分たち
 でイラクを破壊しておきながら、「復興支援」などと偽善かまして憲法を破壊し、
 自衛隊の海外派兵を推進。右傾化、戦争国家化の尖兵となり果てる

66 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/06 01:57 ID:???
>>62
つまりただの新興宗教であれば、「元気が出ますこの呪文はよいので唱えましょう」
でやっていれば、おそらくカルトはそれほど強烈にならず、伝統に縛られた日本人の
意識を利用することもできず、仏罰で縛ることもできなかっただろう。

安っぽく見られないために、創価学会は伝統仏教のふりをして、無知な大勢の現代人を
煙に巻くことが出来たことが、創価学会拡大の秘密だった。

こういうことを可能にした日蓮の教説はやはりそこにカルトが宿る欠陥があったから
こそ創価学会を生んだとも言え、元気呪文教としてのカルト教義になりやすいものだった
ことは間違いない。

67 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/06 02:08 ID:hSEExQs1

仏教を悪用した日蓮には仏罰が降ったし、
創価学会信者にも仏罰が降ることは必至、いや必死


68 :外野 ◆xvk8SAbtQc :04/03/06 02:12 ID:???
元々、創価学会も日蓮正宗の講の一つとして発足し、「日蓮正宗=伝統宗教」という、
虎の皮を使えたからこそ折伏大行進の時、あれだけ信者を増やすことができたのかも。
大体、日本人は宗教に免疫が無さすぎたし、疑うこともなかった。
創価がえたいの知れない神を信仰する宗教であったなら、これほどまでに大きく
ならなかっただろうと思う。
そもそも、みんな創価は「バックがしっかりした宗派である。」という大きなトリックに
みんな引っかかったのでは?。正宗もカルトっぽい過激な宗派、教義も災いしたんだろうな。


69 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/06 02:16 ID:hSEExQs1

創価は、単なる呪術信仰(「南無妙法蓮華経を唱えると幸福になれる」)なんです。


70 :Sb ◆SbSGI7AtEA :04/03/06 10:09 ID:Ws8gSgKZ
題目に何らかの効果があるとは思えない

マインドコントロールを使って
題目に何らかの効果がある、と思い込ませたのだと思う

71 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/06 13:21 ID:???
>>70
ところがそうじゃないんだなこれが。題目でも念仏でも全部唱え方次第で創価のいう
ような「生命力が増幅する」あるいは「生命力がドカーンと顕現する」ような効果は
でるんだね。

実はそれは全部、脳下垂体の「王」としての意識、「君臨する」意識の目覚めに
関係しているもの。それを経験すると、自分がこの世で王になった気分、あるいは
「ものすごく強い精神を得て自己が確立した」という意識に立つようになるのだった。
これは脳下垂体のマイナス面(あのスターウオーズで出てくるフォースのダークサイド
の力で、悪魔の現れる根源力でもあった)だった。

これはヨーガでいうチャクラの開花段階の一つとして現れるもので、ヨーガを知っている
者なら常識的な知識だったが、なんにも知らないただの現代人は無知のままにヨーガ行を
やっていたということになる。それが題目の唱え方でそれが導かれたということだ。これが
知らない者が陥し入れられた落とし穴だった。

72 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/06 13:23 ID:???
創価学会員も知らずに、創価式の題目行為でこの脳下垂体経験をしただけで、何か
エライ者になった感覚(=赦せる仏界感覚からさらに進み王になった感覚)を味わって
しまった者も多かっただろう。

その典型例が池田大作だった。かれはその感覚にしたがって世間にその脳下垂体の
マイナス面に依拠した君臨を(自分でも分析できずに、その力に振りまわされて)
実現したということなのだ。これが真実の状況の正しい分析だろう。

73 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/06 13:31 ID:???
そして面白いことは、この感覚はソレ自体は非常に能動的な意識をもたらす
が故に行動主体としての意識を増幅される一方で、実際にはそれ自体が一種の
暗示力に基づく体内感覚の発現であることに気が付かないままでいることで、
その時に同時に他から与えられていた暗示力にもカンタンに支配されてしまう
ことには気がつかなくなってしまうという結果、外部に存在する他のさらに
強く暗示された「脳下垂体の王」が居た場合、その「王」からの暗示や明示に
従うことで「丸く治まる」ことが要求されそれを受け入れてしまい、SMで
いえば、Mの側に納まることで、主人としての外部の「王」意識者の命令に
従うことで「全体としての納まり」=安定を受け入れることを選ばせる効果も
また合わせて持たされたことだろう。

これが一部のチャクラの開発を強引に進めることの根本的な問題となった。
これらが生理学の問題として研究されなければならない本質なのである。

74 :母が熱心で困ってます ◆1Cz5bN8eQk :04/03/06 13:36 ID:o25F27V5
>>70 Sbさん

確かに学会は、マインドコントロールで題目を実際以上に価値の
ある行為だと思い込ませていますね、本当は特別素晴らしいわけでも、
願いが叶うわけでもありません。

しかし何の効果もないわけじゃありませんよ、題目はラジオ体操などの
軽いスポーツやカラオケなどと同様で、気つけ、気分転換、気晴らし
として役には立ちます。

だから、真面目過ぎて生き方の下手な人、または意思が弱くメリハリの
ない無気力な生活をおくっている人が、朝晩の題目を日課として取り入れると、
健康や意欲という面で確かに効果はあります。

ただし、自分なりの趣味やリラックス法をしっかりと持って生活して
いる人は、わさわざ新しく取り入れる必要はありませんね。

(注:言葉の意味はほとんど関係ないので、〜自分は試したことはありま
せんが〜おそらく「南無阿弥陀仏」でも同様の効果があると思いますw)

75 :Sb ◆SbSGI7AtEA :04/03/06 13:40 ID:ZPGEQ2Zm
>>71
あーそういう魔境の話はどうでもいいんですよ
そんなの脳の埒内の話、ほかのマントラでも起こるし
座禅でも起こる、麻薬でだって起こる

でも、そんなの四苦八苦には何の関係も無いでしょ
目をそむけるだけでしょ
何の解決にもならない

76 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/06 13:42 ID:???
坐禅でもこの「王になった感覚」や「ものすごい力を得た感覚」は感じること
があるのは知られている。

ところがこういう感覚は禅では魔境として第一番に一蹴されることを知っている
禅の修行者は多くいて、それが常識となっていただろう。

だから禅者この感覚に騙されないで修行を進める結果、こうしたカルトには
初めから客観的な視点に立てるのである。であるから騙そうとする意識が
近づけばその本質がナンであるのか、ソレに対して「知未触」でわかるように
なるのである。

そこが知性の最高峰である禅があらゆる蒙昧を受けつけず、すべてを知り抜ける
仏の知恵に満ちている本質となっているのであった。道元もこの「未だ触せずして
ソレを知る」力が悟りの本質としてあげているのであった。禅こそが仏教の
最高峰なのである証拠であった。

77 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/06 13:57 ID:???
>>73
実は、読みようによってはこの状況が、大乗経典の話の構造に現れているとも言えた。
そこには「如来」がいて、「菩薩」ら「格下」の修行者に「教えを垂れる」のを「聞か
せる」という形が出来ていたが、これがすでに「王の言うことを聞く家来たち」の
構造であった。だから脳下垂体意識の力関係でこれと同様の関係が主人と家来の間の
関係として結ばれやすいことを、これらの大乗経典は現わしていたとも言える。

大乗経典を「あくまでもそれは当時の人間たちが仮に勝手に連中の流儀で書いてみた
方法」であったという風に理解しないで、それを原理主義としてバカの一つ覚えで
頭から信心しなけりゃならんものとしてアプリオリに信じ始めたり教え始めたりした
ときに、そしてそれが上記した「マントラ行」だけで得られる脳下垂体感覚で受け入れ
るだけに成ってしまったときには、大乗経典がそもそもカルトの温床を構築すること
にさえなるだろう。

78 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/06 14:02 ID:???
なぜ禅がカルトにならず、その根底を始めから排除してしまっているのかの
理由は、上記したように、

1.脳下垂体の王者感覚を一蹴し、それは悟りとは違うことを始めから
   きっちりと教えているから

であったが、同時に、大乗経典ですら>>77のようであり、そもそもが

2.それら経典自体が相対化され、絶対化されないで読まれるべきもの
   であることを説いていた

からであった。大乗経典をすべて”方便品”としてのみ見る行き方、そこを
原理主義にしない行き方だすべて必要な現代人の指針となることをこれは
物語っているだろう。

79 :母が熱心で困ってます ◆1Cz5bN8eQk :04/03/06 14:30 ID:o25F27V5
>>76
>>78
"悟り"とはあの百万遍題目やランニング・ハイで得られる脳内麻薬
ドバドバ状態(それが魔境というのかなあ)ではないようですね・・・・・
ではその後の状態なんですか?

(きっとすごい愚問なんでしょうが、よろしくお願いしますm(__)m)

80 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/06 14:41 ID:???
>>78(続き)
しかし、創価学会らカルトの信者は言うかもしれない。

「危険な王者感覚であっても、元気になればいいじゃない」
「元気になって仕事する気力が出てばいいじゃない」
「強い力で自己が確立する感覚になって何が悪いのか」

しかしそうではない。しばしば日蓮がそうだと言われているように、我々の
精神の悟りや自覚はそもそもが社会的な関係においても存在しているからで
あり、そのもたらす社会への影響が無関係ではないからである。

「王者」意識の魔境は結果として必ずカルトの本質を現わし、「王」意識者の
支配を通じた社会の変革要求を求めることになり、なんら本質的な改良も善も
もたらさずむしろ悪をもたらす場合でも、「王意識者」の都合次第で右にも
左にも進まされ、その王意識者との冥合(ミョウゴウ)感覚においてあらゆる
ことが肯定されていく世界になっていくからである。これが「カルトが社会を
支配する」という構造であった。

悟りが社会への悪影響を考えればあらゆるカルト化の原因はなくさねばならない。
であるからこそ、その要因となるところの本質をすべて摘まねばならない。
悟りを禅的方向で求めなければならない本質はそこにもあると思われるのだが。

81 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/06 14:49 ID:???
>>79
禅はそういう「元気感覚」「王者感覚」「エライ者になった意識」みたいな
ものや、すぐに病気が治るほどの効能なんかを期待する行き方ではありません。
ですから創価さんなんかは、「そんなものなんだ、たいして価値ないね」と
言って蔑まれるわけでしたね。

しかし、禅ではそういう体感、元気感覚、エライ者になった感覚が悟りと
何か関係あるというようなことは一切言いませんよね。

禅はあくまでも「悟り」であり、「気づき」であり、意識における把握それ
自体でした。で「悟り」といわれるわけです。で「わかりにくい」と。それで
「そんなものめ」と創価さんにバカにされるというわけでした。しかしその
方向から入っていくやり方が、本来人を誤まり導かない正統な行き方なのでは
ないでしょうか。精神自体の持ち方、意味論的把握それ自体、そこに本来の
精神活動の在り方が始めからあるべきであり、体から得られる暗示力が仏教なんだ
という行き方は本来的に誤まった方法論だと思われるわけですね。いかがですか?

82 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/06 15:03 ID:???
ようするに悟りは「状態」ではなく、状態というのはあくまでも「生理学的な状態」
ということになるでしょう。悟りが得られた後の状態がたまたま似たようなチャクラの
生理学的状態になっていた(同じではないでしょう)としても、それはただ結果として
そうなっただけのことであり、そういう生理学的状態の獲得が目的ではないからです。
そこが禅の目指すものとマントラ行を行なうとうに言うことで目指すものとの違いで
しょう。

マントラ行 それをするように教えるのは、インスタントな幸福感の獲得が目的
       意味論は無関係、精神のありかた先にありきではない行き方
       経文を頭から「信じろ」という行き方
       ・・・・浄土教、日蓮教的行き方

禅     先に心の持ち方そのものを求めている、希求している行き方
       行の意味はその環境的な助けでしかなく、行為自体は方便である
       経文も参考にするのみで「信じる」対象では全然ない
       大乗といっても狂信する対象にあらずとする立場

なのでこれらは始めから水と油でした。

ただし、前スレでもあったように、念仏主義者が最終的に禅の悟りと統一される
行き方になるのは、念仏自体が発音に依拠する王者感覚の方向に流されず、むしろ
バランスのとれたチャクラの生理学的状態におかれるような基礎がもともとその
思想の中にあったからだと言えるでしょう。題目教だけはどうしても禅に回帰でき
ずにあることが、そこに潜まされている思想に根本要因があるようにも思われる
わけではありましたが。

83 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/06 15:32 ID:???
大乗経典で上根上機の者と下根下機の者というような形容がしばしばありましたが、
禅がわかるのは前者でわからない者が後者、後者には体でわからせるしかないから
経典はしかたなくバラモン教的ヨーガ行を取り入れてだまかしたのだとする考え方も
有力でしょうね。

浄土教なんかは完全にそう書かれてますから、仏教といっても「悟り」自体はほとんど
無関係になり、マントラの称揚だけになってしまった教えだったと言えました。

日蓮の教えも要は観無量寿経の焼き直しと言えます。もともとその浄土教自体がすでに
このように方便的なものがヨーガ的に変更された思想であったとも言えますね。
真言的であるとはヨーガ的であるということであり、それを浄土教自体が取り入れて
臨終間際で人を安心させる方便とした。その結果、その方便がそのうち過大に解釈されて
それが「仏教」だということになってしまった。それで本来の上根上機とされた禅自体が
返ってマントラ信者にバカにされてしまう結果になった。これが仏教の悲しい歴史なので
しょう。「軒下貸して母屋乗っ取る」のことわざは、創価に至らずとも大乗という方便
の出現時点から始まっていたとも言えます。

84 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/06 15:52 ID:???
で、結局もしも「釈迦」が現代に現れて生きていたら、>>82の禅とマントラ行の
そちらを支持したかといえば、答えは自ずから明らかであり、釈迦がその思想を
変えていなければ、マントラ行を支持しないでしょう。

それは蒙昧的であり、迷信を助長する悪影響もあり、結果としてカルト化を促進
事例を生む。実が種の本質を現わす。それを知ればその種を分析してそれを生まない
ように解析するべきでしょう。

合理主義者であり科学的な指向で社会の矛盾や教えの問題を解析した釈迦の精神は
禅の精神に生きているでしょう。禅は釈迦の正伝として恥ずかしくないのです。
しかしマントラ行教となってしまえば、それはあくまでも釈迦の精神からは外れて
いくと思います。マントラ行を科学し、そこに付着した王者意識を除去するという
ことの意味を考察するべきでしょう。そこに宗教統一の鍵があると考えています。
ではどなたか意見、反論をどうぞ。

85 :Sb ◆SbSGI7AtEA :04/03/06 16:24 ID:Ws8gSgKZ
>>79 >母が熱心で困ってます さん
そんなこと聞いたら殴られますよ、(これも何度書いたかなぁ)
私が教えてどうするんです
あなたが悟らないといけないんですよ
私の悟りを語っても、あなたの悟りにはならないんですよ

無門関でも読んでみてください

86 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/06 18:47 ID:???
すでにヨーガという確立された技法があるんだから、題目なんてやる必要はさらさらないな。
ヨーガではチャクラが開いたときの危険性を回避する技術も、暴走を抑える技術も、コントロールして
段階を踏んでチャクラを開いていく技術も確立している。
チャクラを開いて暴走しっぱなしの層化は程度が低すぎるね。どうしようもない。

87 :母が熱心で困ってます ◆1Cz5bN8eQk :04/03/06 22:36 ID:q7M36h+s
>>81-84さん
>>85 Sbさん

丁寧なレスありがとうございます、私のレスは明日書きます。
今日は別スレで飲みすぎてダメなんでw

88 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/06 23:26 ID:???
退会(そつぎょう)

会館の影 芝生の上 すいこまれる空
幻とリアルな気持ち 感じていた
合図の声 会館のいつもの席に座り
何に従い 従うべきか考えていた
ざわめく心 今 俺にあるものは
意味なく思えて とまどっていた

会合後 街ふらつき 俺達は風の中
孤独 瞳にうかべ 寂しく歩いた
プリクラとDOCの飽和した店で
鉄拳のハイスコアー 競いあった
退屈な心 刺激さえあれば
何でも大げさにしゃべり続けた

行儀よく勤行なんて 出来やしなかった
夜の会館 窓ガラス壊してまわった
逆らい続け あがき続けた 早く自由になりたかった

信じられぬ幹部との争いの中で
対話しあい いったい何 解りあえただろう
唱題しながら それでも過ごした
ひとつだけ 解っていたこと
この支配からの 卒業


89 :母が熱心で困ってます ◆1Cz5bN8eQk :04/03/07 11:50 ID:oPAOanBz
>>81-84
(それとも>>81さんは別かな、同じ人ですよね)

なるほど・・・・丁寧な解説でなんとなく分かってきました。

題目などのマントラ行というのはチャクラの開放が目的で、禅の目的はそれ
ではなく、目的はあくまで悟りを得ること、ただ結果的にその状態になるだけ
ということなのですか。
ところで座禅の目的である悟りとは、目覚めることといわれていますね、つまり
座禅などを組んでいると最終的には「ハッ」と真実に目覚めるのでしょうか、
そうなると、今度は目覚めるべき真理とはいったい何なんでしょう・・・・
悩みごとなど、今抱えている問題の本質が見えてくるという意味にとらえて
いいのでしょうか、たしか、人生の苦しみの原因を知ろうとしたお釈迦さまが
目覚めた真理とは、"苦しみの原因は執着だから、それを捨てればいい"という
ことでしたね。

とにかく、禅での修行とは"原因を探り、真理を追究する姿勢"という事になりそう
ですね、無になると真実が見えてくるのしょうか・・・・・

(この辺りは仏教の基本なんでしょうが、学会教学で750年前の日蓮からスタート
した自分には全く意味が分からないのです、スミマセン)

90 :母が熱心で困ってます ◆1Cz5bN8eQk :04/03/07 11:58 ID:oPAOanBz
>>85 Sbさん
>そんなこと聞いたら殴られますよ、(これも何度書いたかなぁ)

アハハ、確か2回目ですよw
聞いてばかりでスミマセン、「無門関」がんばって読んでみます。
しかし例の世尊拈花みたいな話がたくさん書いてあるんですよね、
読めるかな〜

(きっとまたチンプンカンプンなんだろうな・・・・)


91 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/07 13:22 ID:???
>>89
>人生の苦しみの原因を知ろうとしたお釈迦さまが目覚めた真理とは、"苦しみの原因は
>執着だから、それを捨てればいい"ということでしたね。
>とにかく、禅での修行とは"原因を探り、真理を追究する姿勢"という事になりそう
>ですね、無になると真実が見えてくるのしょうか・・・・・

題目行に慣れてしまった人と何も宗教経験もない人とでは、その間には意識に断絶が
必ず起こる。それは体内体感の感覚の経験の差ということになると思います。

同様に、禅も悟り体験の経験者とそれがない人とでも、やはり同様に意識に差がある
わけですが、それは上記の題目体験者とそれの未体験者との差ほど大きくないと思います。
題目体験者とそれの未体験者との差はあくまでも、具体的で強い体内体感(頭内体感と
言い換えてもよい)の有り無しであり、非常に直接的で大きな差になります。それは
主に脳下垂体の変化が大きな割合を占めるからで、その目覚めは非常に強く印象的な
「体感」として現れるからだと思われます。あなたもそうだったのではないでしょうか。

しかし禅において悟り体験をすると、その瞬間に大きく開花するのは、むしろ脳下垂体
ではなく、その少し後ろ上方にあるところの松果体の開花に対応する体内変化をもたら
します。これは禅者にも知られておらず、またヨーガ体系の中でもまだ知られていない
ことですが、これは真実でしょう。これは当方の現実的な実験的体験として確実に言える
ことですね。禅的悟りは対応する体内変化としては脳下垂体ではなく、松果体を活性化
させる働きに対応するのです。この意味するものは非常に深長なものでしょう。

92 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/07 13:27 ID:???
なので、一方は松果体を活性化された人、一方は脳下垂体を刺激された人と
言うふうに、体内体感の大きな差としてそれぞれ違う体感経験をすることに
なるわけで、その人々の間には大きな見解の違いを招来してしまうことになる
わけでした。

一方は、脳下垂体体験で王者意識の活性化だけが体験され、それが最高の状態
なんだと決めつけることになる。王者意識なので、それは自ずからその意識を
もたらし、それをひっくり返すことはほとんど不可能になってしまう。これが
日蓮教マントラ行に目覚めた場合の問題となるでしょう。それらの人は他人の
言うことは聞けなくなり、同類の意識体験者のみの話しか聞けなくなるという
状態になっていくのです。王者意識をもたらす脳下垂体体験はその問題を回避
できないのは最大の問題でした。つまり王を諌める別の意識が存在しなくなる
ということだとも言えました。

93 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/07 13:32 ID:???
一方、禅は脳下垂体の王者意識をまず最初に外部から(禅修行の師匠から)
諌められ、修行が足りない、やりなおしてこいとその時点で一蹴されてしまい
ます。そこで修行者はこれはおかしな魔境なんだとやりなおしすることになる
わけでしたから、その悪霊とも言える状態は一旦通り過ぎることになるわけで
さらに奥に進んで求道していくことなりました。

その過程で禅が気づけと指しているものがだんだん気が付くように仕向けられて
いくわけでした。そこで人は金剛般若経などを示されることになります。それが
禅の一つの意味となります。このわけのわからない金剛般若経を「王者意識」に
やられないうちに透過するときに禅の一つの意味がわかってくることになります。

94 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/07 13:43 ID:???
そしてこの金剛般若経を透過するときに得られる体感が「松果体の開花」でした。
これに対応する感覚は、頭頂部またはそのすぐ下の部位から全面的に広がりぱあーっと
白い光が散布されていくような感覚に対応します。それは脳下垂体の王者感覚とは
全然違うものになります。

これを体験した人々と王者意識だけを体験した人々とでは、心の持ち方は全然
違ったものになるのでした。これが社会においては宗教の違いとして現れてくる
のでした。

この禅体験者はこの意識において生活することを志す結果、禅的悟りにおいて
在ることが重要なこととして自覚していくことになる一方、王者意識だけが開発
されかつそれを組織的に他の王者意識者からの暗示的明示的命令で動かされる
ように教育される宗教に取り込まれた人々との間には、もはや互いを理解でき
ないほどの断絶が生まれていくのでした。前者は社会に狂気カルトとして存在
しないのは正しい悟りの結果であり、一方後者は強い王者意識の外部存在として
まさしく「王」として存在することによる影響で狂気カルトとして走り始める
ことになるのでした。これが創価学会、オウム真理教等の形態で現れた現実だった
のだと理解されるのでした。

95 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/07 13:43 ID:ogX6fHMc
とりあえず、週刊誌の記事スキャン置いときますね。

*週刊新潮 3月11日号 創価学会が竹岡を切れなかった理由
 ・記事スキャンその1 http://ahiru.zive.net/joyful/img/925.jpg (創価幹部Kが竹岡に資金提供していた事実にも言及)
 ・記事スキャンその2 http://ahiru.zive.net/joyful/img/926.jpg (YBB恐喝容疑者竹岡(創価幹部)逮捕に際して、公明党神崎への取材も敢行)
*週刊文春 3月11日号 竹岡(創価幹部)が主催していた団体と、浜四津ら公明議員の関係に言及
 ・記事スキャンその1 http://ahiru.zive.net/joyful/img/923.jpg
 ・記事スキャンその2 http://ahiru.zive.net/joyful/img/924.jpg
(竹岡は、池田大作氏の自宅に呼ばれたこともあるとのこと〜記事より)
*AERA 創価学会とヤフーBBとの接点
 ・記事スキャン http://ahiru.zive.net/joyful/img/927.jpg (ヤフーBB社内に手引きの人物(創価信者)が居て情報漏えいした可能性を示唆)
*週刊ポスト YBB事件と創価学会
 ・記事スキャン http://ahiru.zive.net/joyful/img/914.jpg (選挙活動目的に使えるため、YBBの個人情報が盗まれた可能性を示唆)
*週刊朝日 ヤフーBB事件・有名創価学会幹部の正体
 ・記事スキャン http://ahiru.zive.net/joyful/img/916.jpg (竹岡容疑者が現役の幹部として犯行に及んだ事実に言及)

450万世帯が当事者なんだから、トップ記事にすれば売れると思うよ。


96 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/07 13:53 ID:???
で、この両者を埋める一つの方法として、あなたに以前お勧めしましたのが、
「ひとしきりの高速題目連続称揚行為の後で、その高揚感が残ったままで即刻
しずかに沈黙に入り、静かに呼吸瞑想に入る方法」でした。これにより、題目
のみの体験者が、「王者感覚を諌める天啓としての松果体からの光の散布」を
受ける方法だったのでした。

これによりあなたはどのように体感されたかはわかりませんが、体内はうまく
バランスされて存在しているため、脳下垂体の活性化はその後の呼吸瞑想によって
かならずバランスされるように働く結果、松果体がそれを全体の改善のために
自然に横溢するようになるのです。これによって本当のゆったりした仏の境涯
に移行できるようになるのです。これは多くの題目体験者に行なっていただきたい
方法なのです。これによって仏の心になることを可能になることでしょう。

そしてその後で、金剛般若経等をお読みください。そしてその解説書などを
探してお読みになってみてください。そして禅に興味が出たらそこからご自由に
いろいろと読み漁って見られたらよいと思います。いかがでしょうか。

97 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/07 14:24 ID:C7KYHsI/
ハイルッ ダイサク!

98 :Sb ◆SbSGI7AtEA :04/03/07 15:36 ID:qIv3v/zs
>>91
ちょっと待ってください
悟りを開いたあと松果体が開花したとしても
それも悟りとはなんら関係ないことだと思います。
ただの現象でしかないのです
松果体が開いた状態が悟りになるなら
薬で開けばよくなってしまうのです
それは悟りではない

悟りは脳の現象とはなんら関係ないのです
悟りによって脳の作用が変わることがあるのかもしれませんが
それは悟りではないのです
また、脳の作用によって悟る人もいるのかもしれませんが
悟り自体はその作用とはなんら関係ないのです。

あなたの方法では、薬でも可能となってしまうのです。
それではオウムと同じになってしまうのですよ

99 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/07 16:05 ID:7CLr3BYD
なんかこの一連の書込(中途半端な脳生理学の知識混じり)を読む限り、
学会ではなく某桐山館長んとこのカルト宗教を連想するんだが。。。。
そっちの人かい?>91

100 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/07 18:14 ID:sVaV/kFk
**********************************************************************************
http://groups.msn.com/in4ipor6v0loag9tsem1ask8n7/page50.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=490

出ました! 名誉博士号!!大体、2日に一回ペースで、聖教新聞の表紙を飾る!一体、いくら「お金」を出したのでしょうかね??

日本を守る反創価運動へのカンパなど
http://groups.msn.com/in4ipor6v0loag9tsem1ask8n7/page44.msnw
東京三菱銀行 阿佐ヶ谷支店 普通口座  1375565 口座名義  政治結社向陽社
*************************************************************************************


101 :春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y :04/03/07 19:19 ID:???
>>99さん
……良かった。やっとまともな人が来た。

彼はブツ理氏と言って、ご指摘の通り創価とは別のカルト思想にハマってる人です。
Transcendental Meditation (超越瞑想、TM)と言います。
ヒンドゥー教系のカルトで、教祖はマハリシ・マヘシュ・ヨギ。
禅やヨーガを利用した、ストレス医学を標榜しています。
ですから自分たちは宗教ではない、と主張するのが彼らの特徴で、科学データをひけらかした独善によく陥ります。

102 :春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y :04/03/07 19:23 ID:???
……前に別スレでも指摘したんですけどね。その時も無反応でした。
ここには「俺はカルトやマインドコントロールに詳しいんだ!」ってスタンスの人が
大勢いるのに、いざこの手合いが来ると誰も指摘しない。
指摘しようとすると、「禅はカルトにならない!」とか言う人ばかりです。
スレ自体、もうまともな名無しさんから見捨てられてるのかもしれませんね。

>>99さんみたいな人がもっと世の中に増えれば、カルトの問題は減ると思います。

103 :世界人口を100%とすると学会員は0%です。:04/03/07 19:32 ID:???

すまないね。スルーしていたよ。

統一教会と創価学会の類似は目に付くのだが、

「桐山館長んとこ」はまったく知らないんですよ。。とほほ。


104 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/07 20:03 ID:???
>>98
>悟りは脳の現象とはなんら関係ないのです
>悟りによって脳の作用が変わることがあるのかもしれませんが
>それは悟りではないのです

だからさ、Sbちゃん、ちゃんと読んでよね。ちゃんとそうやって書いてあるのに、
わざとそうやって今更みたいに自分の主張書いちゃウンだから。まあそれには
ちゃんとそうやって書いてあるじゃん。悟りの「結果だよ」ってね。よく読んでよね〜。

>>101-102
やあ、物知り顔の博識念仏さんじゃないですか。どうもどうも。

ただあなたのは博識の割りに実体験がナにもない方のようで話に全然真実味がないんだ
よね、あなたの話って。私は自分で体験して話しているからちゃんと学会員の題目体験者
とも話が通じるでしょ。これは自分で体感している人間だから彼らの心も言いたいことも
わかっているってことなのよね。

ところであなたが指摘したことって、説明不足で全然調べられませんでしたから、
あえて詳しく返答しませんでしたが、言いたいことがあれば確認していただければ
よかったのと違いますか?よろしければいつでもどうぞですがね。どうですかあ?ww

あなたは日蓮教学にくわしい宗教の話ができる人としっかりやってくれれば言いと思うが
その後何もないからどうしたのかなと思っていましたさ。どうでっか?


105 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/07 20:06 ID:???
>>101
あのさ、あんたは自分の念仏が批判されたからって、この言いぐさはないでしょ。
ねえ、

>別のカルト思想にハマってる人

こりゃ全然ひどい誤解でしょ。私がいつ誰をカルトに引き込もうとしたんですかね。
ひどいねえしかし。ナンにも人の書いていることを読んでない。なのに念仏批判されて
もう頭に来て書いていることめちゃくちゃなんじゃないんですかあ?

ひどいねえしかし。どうしてこう物事が読めてないんでしょうか?フシギでなりません
が?創価さんばかりじゃなくて、念仏さんももうお仕舞いかなあ?(プ

106 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/07 20:11 ID:???
>>102
>指摘しようとすると、「禅はカルトにならない!」とか言う人ばかりです。

それにもし、そう私が反論しているってのなら、「いいや禅はカルトになる
元凶です」って(は言ってないか、なら「元凶になることが少しはある、ゴク
まれにだが」てなことでしたかワラ)ことを、もっと根拠を明確に見せて主張
を反論と言う形で言えば良かっただけでしょが。

それをこんな卑怯奇天烈みたいな言い方で突如として言い募るなんてのは、
結局は念仏もたいしたもんじゃないってことを証しているわけじゃないんですか?
どうですか?>蛙ちゃん

107 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/07 20:22 ID:wETmFu5P
>悟りを開いたあと松果体が開花したとしても
>それも悟りとはなんら関係ないことだと思います。
>ただの現象でしかないのです

悟りとは現象だよ。現象であるから、殺人鬼でも体験できる。
よいだろうか、脳にはあらかじめ、DNAにプログラムされた感情や思考しか作り出せない
悟りが、脳のプログラムを超えた。そんなバカなことはあるまい。
91の「松果体が開花」というのは、ヨガで良く知られる、アジナチャクラ、
サハスララチャクラと呼応しているのだろう。彼の言っていることは、
一面の真理を捉えているよ。脳学者ペンフィールドは、脳には自動的な行動をつかさどる
機能がない。何らかのスイッチ機能があり、その機能は間脳にあるとした。
そして魂はその部位に位置するのではないかという仮説を立てた。
松果体と間脳の位置は近い。ヨガや禅の経験者たちが、
魂を感じることで、そこに自我を越えた意識を感じたことは容易に想像できる。
ちなみに俺は、宗教とは科学であり。全ての宗教はペーパーブック化され、
団体など存在すべきではない。という立場だからよろしく。

108 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/07 20:24 ID:???
>>106
わたしは確かに
>「禅はカルトにならない」
と主張しているのは、ちゃんとその根拠を挙げて述べていることにも言及していないですが、
それはどうしてですか。

 ・禅は原理主義でない
 ・体感に騙されて王者意識になることを最初に戒められて一蹴されてしまう
 ・体感ではなく意味論として観念の悟りがすべてだからだ
  (つまりヨーガ論的修行方法、ハーウエア論をアプリオリに主張しないで
   済む体系になっているということですね、これはね)

と根拠を主張していますよ。もし根拠なくというのならば、それはあなたが何も読んで
いない証拠です。これでも私は桐山さんとこの信者だとおっしゃるのはなぜですか?
どうです?

私がここでなぜ体験的な内分泌腺感覚を述べているのかといえば、その理由は本当は
あなたもお分かりのはずだと思うが、本当におわかりにならないのですか?だとしたら
あなたの知性はやはりそれほど高くないと思われますが。

ここで内分泌腺感覚を明かしたのは、題目称揚行為による生命力高揚体感体験をフシギな
現象として認めず、それがただの体内現象に依拠した現象であることを説明する必要が
あるからですよ。それが創価学会の科学になるからです。それがまるでおわかりになら
ないのでしょうか?

109 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/07 20:25 ID:???
>>107
は、私じゃないからね。わかるね。

110 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/07 20:34 ID:wETmFu5P
>ここで内分泌腺感覚を明かしたのは、題目称揚行為による生命力高揚体感体験をフシギな
>現象として認めず、それがただの体内現象に依拠した現象であることを説明する必要が
>あるからですよ。
そうそう。ヨガや宗教での体験とは所詮そんなものだ。
層化の題目は、ハンマーシュラークといって、同じ言葉を唱え続けることで生じるトランス状態だし。
ヨガの場合、は完全な内分泌運動だ。チャクラの開発が人間の優劣を決するなら、
オナニーの快感を感じているスワディスターナ、恋愛でのアナハタチャクラの開花している
状態が人間として優れている状態ということになる。
だが、そんなオナニーする人間など別に優れていない、どこにでもいるだろう。
要するに、知性だよ。
悟りを体験するには、魂を感じ続ければ良い。
上座部のヴィっパサナーでは、日常意識に心を動かされない訓練があるだろう。
あれをやり続けると、日常意識を超えた別次元の意識が出てくる。
禅の悟りなど、内部に存在する自己との出会いだが、これは「それ」をスタート地点に置く。
体験は重要だが、体験ほどバカらしい落とし穴もない。

自我の陥穽を越えるには、ヨガすらも超える知識が必要なんだよ。

111 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/07 20:53 ID:???
>>110
>禅の悟りなど、内部に存在する自己との出会いだが

まこれはすこし違うと思うが・・・。いやだいぶ違う。上座部も禅を勉強する必要
があるかとモモうよん。まあ人の自由だけどな。そこがカルトじゃない自由の意識
だからね。禅は誰をも規制しない。自由だ。人が本当の意味で自由になることが、
禅の意味だと思う。

私は創価学会の人が王者意識の呪縛から解放されて、もっと広い本当の仏の境地、
いやせめてその"感覚"を感じてみてほしいと思った。それだけでここまで書いて
いますよ。そうすれば池田大作の手下になって毎日ばたばたやることだとか、また
日蓮教自体の信仰の意味の反省になる、新しい視野が開けることになるからと考え
たからこうして書いてきただけです。>蛙さん

そうして日本人も早く日蓮を卒業してほしい、"仏教"「から学ん」で知らなかった視点
を見て解放されてほしい、とう思っています。どうですか?>蛙さん、みなさん

112 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/07 21:02 ID:wETmFu5P
>まこれはすこし違うと思うが・・・。いやだいぶ違う。
そこに気が付いていないとすれば、まだまだだね。
禅の考案は何のためにあると思う。矛盾で脳を麻痺させ、心の底に
ある真我(魂)を意識させるためにある。禅の考案にはそういう隠された
意図があり、瞑想とはズバリ真我との出会いのためにある。
日蓮に関して言えば、彼はただの犯罪者で、論じることすら意味がない。
天台の5教判釈の矛盾など、小学生程度の知性でクリアすべきものだし、
それをまんまと信じた日蓮は勉強不足でしかなかった。
禅には、「空観に堕す」という言葉があるが、日蓮系には「意味無く堕す」とでも
いおうか・・・・。


113 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/07 21:05 ID:???
禅はやはり片手間なんかで出来るものじゃないと思うけど・・・
死の無常なることを身体で知らなければだめなんじゃないの

   となふれば仏もわれもなかりけり

    南無阿弥陀仏なむあみだぶつ

114 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/07 22:36 ID:???
>>112
>禅の考案は何のためにあると思う。矛盾で脳を麻痺させ、

ま確かにそうだ。ここで修行者は相当苦しむことになる。公案はその関門を与える
ことになるわけだね。こういう謎解きの苦を与えるところが禅のいいところだね。
これがその人を本当の意味で意識の上で解放させる勘所だよね〜。ただ、

>心の底にある真我(魂)を意識させるためにある。禅の考案にはそういう隠された
>意図があり、瞑想とはズバリ真我との出会いのためにある

この部分は、こう言いきってしまうと、これは真言型の瞑想あるいはニューエイジ教の
瞑想となるわけだ。それはそれで悪いわけじゃなくて、結果がカルトになってしまわな
ければそれでも存在を許されるわけだった。しかし禅はこういうことをアプリオリに
言いきったりしないのが、実によくできているところなんだなあ、、これが。

そこを道元なんかは指摘してるってことを前スレから言ってるわけだけどさ。つまり、
科学になる部分には一切言及しない、つまりハードウエア論は悟り持ち込まないのが
禅の元々のいいところなんだな。これだとユイシキだの真我だの魂だのといったハード
ウエアのフレームワークに手をつけないで済むわけだ。そうすると科学との議論で問題
を全く起こす心配がなく、無駄な論争にも発展しない。じつにうまく出来ているのね。

115 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/07 22:46 ID:???
>>114
で、道元は結局そういうハードウエアの客観議論をし始める(つまり霊知が内にあって
どうのという話をし始める)と、それはその時点ですでに「常住ならず」となってしまい
元々の目的から離れてしまうことを問題にしていたのだったよね。正法眼蔵のハン道話
の項参照ね。これは乾さん透関したはずだけど、どうしたかな。

で、結局、禅はそういう観念の世界だけで話しておいて、しっかり解脱(道元流には
身心脱落(とつらくと読ませるようですが))させるのが真骨頂だったんだよね。
そこまであなたが透観してれば問題なしだよん。

で、先の内分泌腺の話はまだ終っていないんだが、それはナムアミダブツのことです。
ここで規制がかかったら、また今度にするわ。

116 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/07 23:04 ID:???
ナムアミダブツ自体が書かれているのは「観無量寿経」でしたが、その前には無量寿経
があり、そこには無量光如来が出てきます。この記述を読みそれにのめり込みますと、
そこではあたかもこの無量光如来が本当にいるかのように思えてくるのでした。

本当にいらっしゃるのかもしれません。

その無量光如来の存在を知ったときの感覚は、実は先の松果体の開花感覚と繋がるものが
あるのです。それは非常にフシギな感覚です。まるで天から光が本当に降り注いでくるかの
ような感覚です。つまり、無量光如来が実在すると感じた意識は松果体の一段と強い目覚め
の感覚となるのでした。ここは非常に面白いと点だと感じました。無量寿経がそうしたヨーガ
からの方便として書かれたものなのか、それとも誰か本当に無量光如来を見た人が実際に
その体験から書いたものなのかはわかりませんが、その実感として意識するなら、内部に光が
注ぐような感覚を松果体が関係した意識として感じられるということになると考えられるので
した。これはなかなかすばらしい体験でした。

117 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/07 23:16 ID:???
で、ナムアミダブツですが、これを脳下垂体を刺激するように用いることも
可能であることは前にも書きました。これも体感できます。

「ナぁーム、、、、、アーーーーアミダァッブ」

「ナぁーム」はムをはっきり発音してから、一旦そこで止めて、「、、、、」
で呼吸を止める、または一旦吸気していき、再び「アーーーーアミダァッブ」で
吐き出します。この時、「アーーーーア」では小さく入りだんだん大きくしていき
「ア」でかなり大きくし「ダァッ」で最大にします。最後は「ッブ」でしっかり
止めます。「ツ」は言いません。

実はこの称え方をするととんでもないことが起こりました。上記した無量光如来の
記述した感覚がもっと頭の眼前上方にそのまま現れるようになったのです。これは
脳下垂体と松果体が同時に刺激されたのだと思いました。すると阿弥陀仏が突然
「あああ、ありがたい」と感じることができたのです。こんなに強い力で臨在する
阿弥陀仏様がいたのか!と。

118 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/07 23:25 ID:???
これは宇宙の仏の現実的な力がどかーんと現れたかのごときに感じられたのです。
さてわたしはこれをどう解釈すればよいのか迷いました。この回答はまだ明確では
ありません。

もしかしたら、本当に無量光如来がいらっしゃるのかもしれません。それで
その大慈悲力が突然降ってきたのかもしれません。これはもしかたら、本当は
神の力ではないのかとも思いました。それほどに強い感覚でした。これはおそらく
はそうした力を想像させるに足る経験ではあるかもしれません、そしてそうした
感覚を覚えたからこそ昔の人はそうした如来の姿をあからさまに書き記したの
かもしれません。

しかし、これは生理学として理解すると、本当はどうなのかわかりません。
これは脳下垂体と松果体が同時に刺激されるマントラになっているのではないか
ということでした。これが回答なのかもしれません。そして無量光如来を信じる
信仰はその松果体を激しく刺激する効果を持つということなのかもしれません。

今のところ、こんなところですが、それではまた何かありましたら書きます。

119 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/07 23:32 ID:wETmFu5P
116
そういう体験して、間違っても「俺は凄い」などとは思わないようにね。
オナニーでエクスタシーを感じている時は、人間の意識は高いレベルにあるが、
消えればただの人になっちまう。援助交際(売春)をしている女子高生が、ホストに
恋焦がれている。胸のチャクラが開いている。
だからといって、そいつが人間的に高いとはいえないだろう。
>無量光如来が実在すると感じた意識
幻覚の可能性が高いね。ヨガで上達して、本人に奇跡が起こり始める=
狂っていく。こういう図式がある。

「観無量寿経」、ナムアミダブツ、法華経の類は大衆の創作小説のようなものだ。
価値はない。

120 :波木井坊竜尊@日蓮宗葵講@名前だけ仏所 ◆IByKs72gR2 :04/03/07 23:37 ID:ytn7oTvn
すみませんねえ。

法華の信者の唱える題目は「身・口・意」で観法とか瞑想は外道のやること、
と相場は決まっていることになっているんですわ。

だいたいそういう瞑想体験をひけらかす人は自我肥大を起こしていて何を言っても
リクツすら通らないから話にならないよ。

121 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/07 23:49 ID:wETmFu5P
>法華の信者の唱える題目は「身・口・意」で観法とか瞑想は外道のやること、
>と相場は決まっていることになっているんですわ。
仏教的に言えば、観法とか瞑想はやるべきなの。法華信者の間違いは、
「外道」のように断定的に論じるところだ。

122 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/07 23:50 ID:wETmFu5P
間違えた。観法はどうでもいい。

123 :波木井坊竜尊@日蓮宗葵講@名前だけ仏所 ◆IByKs72gR2 :04/03/07 23:51 ID:DOhlsU5A
いいや。それは外道の所作。(ゲラ)

だからこそ禅宗的な瞑想を日蓮宗は禁じてきたし、題目唱えるときはそうならないように、
注意してきた。(藁)

124 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/07 23:56 ID:wETmFu5P
>題目唱えるときはそうならないように、
>注意してきた。(藁)
うそつき。題目を唱える信者たちは恍惚が目的だろう。それは瞑想ともいえる。
ウンコを100回唱えて見れば分かる。題目を何度も唱えることで、
どういう快感を得ようとしているかをな。
題目で得られる恍惚など心理学的なものであり、なーんも価値はない。
そもそも、瞑想をやらないからえばるなんて、知性の足りない証拠ではないか。
瞑想とは、表面的な自己を内省する動作であり、やるべき。つーかやれ。
宗教者を気取るんならな。

125 :波木井坊竜尊@日蓮宗葵講@名前だけ仏所 ◆IByKs72gR2 :04/03/07 23:59 ID:H8Y9q8H5
>>124
いいや。これは日蓮宗も学会も同じだけど、学会は初級クラスの教学試験にも
でてくることじゃないかな。

瞑想はダメ。ま、白隠禅師の観法でちゃんとした師匠の指導の元でやるなら
いいかもしれないがな。

126 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/08 00:04 ID:TwuZ8NKV
125
おい。大音響の元、ライトの点滅を浴びながらパチンコを打つのも瞑想だよ。
瞑想が駄目で、境界線を設けるなんぞ、馬鹿なんじゃないか(笑)。
人生なんて全ては瞑想。瞑想とは内観。自省であり、そんなものを否定してどうなるというんだ。

俺から言わせれば、「題目」なんて、未開の土人が唱える呪文の類であり、
それこそダメ。というか、気印と思うよ。そしてこれが真実であり、
世の中の大半を占める人たちの考えなの。わかった。

127 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/08 09:04 ID:L2SFpmIF
あぁ、TMの人だったんですね。ご教授THX!
んでも、TMの話をしたいんだったら、
http://etc.2ch.net/test/read.cgi/psy/1078311061/
こことか
http://etc.2ch.net/test/read.cgi/psy/1064810911/
こっちでされては如何?>該当者様
ここはそもそも創価板だし、スレも創価の教えと釈尊の教え
との非関連性を確認する趣旨で立てられてるわけですから。
下垂体や松果体を熱く語りたいのでしたら
http://ojyarumaru2001.hp.infoseek.co.jp/rogu03.htm
こういう掲示板だってありますよ。わざわざ板違いスレ違いの
場所でそういう話をされる必要は無いでしょう。


カルトについて時々思うんだけど、中途半端に大脳生理学や
内分泌系内科の知識を取り混ぜて、如何にもそれっぽく教義
(或いは実践項目)を飾りたててる教団が散見されるんだけど、
そこに所属している信者達は与えられた情報の真偽判別はき
ちんと自分で行っているのだろうか?(この真偽判別には教義
の中に虚偽が混じってないか確認する作業も当然含まれる)
確かに手間はかかるだろうけど、本気でそのカルトにのめり
こむのなら、せめてそれぐらいの手間は惜しむべきじゃない
と思うのだが・・・・。


128 :母が熱心で困ってます ◆1Cz5bN8eQk :04/03/08 11:01 ID:Lyq7L7vT
題目や念仏を全く価値が無いというのは、極端な言い方だと思う、
"鰯の頭も信心から"というでしょう。
呪文信仰でも、教義や信仰の問題点を意識して、原理主義に陥らない
やり方をしている人はいる、悪いのは呪文そのものではなく、その
扱い方でしょう。

確かに呪文で快感だけを得ようとする人はいるかもしれないが、題目など
の呪文で心を落ち着けた後、そのままの姿勢で自問自答したり、深く自分を
見つめるという経験は殆どの人が持っている、それは瞑想の果てに悟りに
至った事と同じじゃないかな?

(おそらく日蓮の使う"観心"とは、彼なりの"悟り"ではないかと思う、ただしその
やり方をキチンと確立できずに終わった為、結果的には瞑想途中の快感で止まって
しまう場合が多く、彼の独善的な考え方と共にカルトに利用されているんだと・・・・)

129 :波木井坊竜尊@日蓮宗葵講@名前だけ仏所 ◆IByKs72gR2 :04/03/08 11:05 ID:r5DUYcNI
>>128
いや。それは違うんだよ。法華系では瞑想や観法は禁じている。お題目を唱える時は
「身・口・意」で瞑想しちゃいかんということになっている。

当時瞑想をするものに禅宗があった。しかし当時の禅は不完全で自我の喪失や肥大が
あって場合によっては精神が飛んでしまう危険性があり日蓮宗では「禅天魔」として
排斥したんですよ。

ですから瞑想は禁止です。

130 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/08 11:30 ID:???
波木井さん、主張するのはいいんだけど、できればソースを出して貰えないかな?

>お題目を唱える時は
>「身・口・意」で瞑想しちゃいかんということになっている。
これはどこに書いてあるの?御書からなら御書名と引用した御書全集名も
含めて引用希望。


131 :母が熱心で困ってます ◆1Cz5bN8eQk :04/03/08 11:37 ID:Lyq7L7vT
>>129 波木井さん

日蓮や組織のやり方を言ってるんじゃないんですよ、多くの
日蓮系組織はカルトの要素が強い、私が言いたいのは問題点を意識
した上で題目や念仏を生活に取り入れている方の事を言ってるんです、
その呪文を"悟り"もしくは"目覚め"に至るプロセスの入り口として
使えば、全く問題ないのではとね。

「禅天魔」なんて日蓮さんの勝手な判断ですよ、私は「四箇の格言」
なんて「五重の相対」同様、ナンセンスだと思っています。

132 :波木井坊竜尊@日蓮宗葵講@名前だけ仏所 ◆IByKs72gR2 :04/03/08 11:50 ID:jW130zw1
http://www.nichiren-shu.com/database/sanbukyo/KB018.html
妙法蓮華経随喜功徳品第十八

http://www.hct.zaq.ne.jp/renjouji/kaidan.html
本門の戒壇




133 :波木井坊竜尊@日蓮宗葵講@名前だけ仏所 ◆IByKs72gR2 :04/03/08 11:51 ID:jW130zw1
>>131
現代においては「四箇の格言」 たしかにナンセンスでしょう。700年前の仏教批判を
現代の仏教界に当てはめても当然つうじるものじゃないですから。

お題目を唱えるということは呪文を唱えることとは違うのです。

134 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/08 11:59 ID:???
ズラを被っているから禿げではない、というのは大きな勘違いだぞ>>133

135 :130:04/03/08 12:00 ID:???
波木井さん。>>132は私に対するレス?
ちゃんと該当部分を引用してくれないと困るって。
つか、妙法蓮華経には題目の話なんか出てくるわけないし、
本門の戒壇は正宗系列の話になると思うんだが。。。。
まぁ石山の方でもいいんだけど(それが日蓮上人の意思に
沿っているかどうかは別の話題)、リンク先には題目を唱える
時の注意事項は見当たらなかったよ?


136 :母が熱心で困ってます ◆1Cz5bN8eQk :04/03/08 12:01 ID:Lyq7L7vT
>>133 波木井さん

私は日蓮さんには帰依していないのです、ラジオ体操代わりに
題目はあげてますが、精神的には無宗教の人と大して変わらない、
ですから日蓮仏法を前提に話をされても、受け入れようがないですよ。

137 :130:04/03/08 12:03 ID:???
つか、私の質問もよくないなぁ。論点の>>129
>法華系では瞑想や観法は禁じている。お題目を唱える時は
>「身・口・意」で瞑想しちゃいかんということになっている。
こう書いてあるわけだから、この文中にある『法華系』って
何を指してるの?から聞くべきだったか。
中国の天台以降全部?それとも伝教以降?
なわけないよね。日蓮以降だよね?
そう思ったから御書って書いたんだけど(>>130)。

念の為聞かせて下さいな。「法華系」ってどれのつもりで
発言したの?>波木井さん


138 :春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y :04/03/08 14:55 ID:RYyo0GN9
>>127さん
いや、こっちこそリンク誘導サンクス。
おかげでつまんないレス書かずに済みました。

>確かに手間はかかるだろうけど、本気でそのカルトにのめりこむのなら、
>せめてそれぐらいの手間は惜しむべきじゃないと思うのだが・・・・。

う〜ん。自分の知らない知識をひけらかされたら、
感心するだけで疑ったり検証しないってのは、結構普通にあるんですよ。
だからこそ、マインドコントロールは普通誰でも掛かるんです。
>>127さんみたいな人ばっかりじゃないですからね。

あと、たとえば創価にはひどい目にあったから騙されないけど、
その分創価に対する批判意見には検証能力落ちる場合は多いでしょう。
ここに付け込んで脱会者を勧誘しようとする、学会と敵対してるカルトもある。
批判精神を持ってるつもりでも、それは自分の感情にどうしても左右されますから。

だから、自分を大丈夫だと信じ過ぎないのが、カルトに対するまず第一の予防法でしょうね。

139 :春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y :04/03/08 15:03 ID:RYyo0GN9
>>103
とほほ…と言ってる人に追い討ちは申し訳ないんですが。

あなたがよく持ち出す「マインドコントロールの恐怖」だけでも
読んでいれば、カルトやカルト的な思想の特徴は分かりますよ。
浅見定雄博士を尊敬されてるなら、氏の著作や
翻訳書籍の数冊くらい、『きちんと』読みましょう。

> 世間一般の認識に反して、カルトの指導者たちがみな、
> 金銭や政治権力を貪欲に求めてグループを始めるわけではない。
> ジョーンズタウンで人民寺院の大虐殺を命じたジム・ジョーンズ師でさえ、
> 長いこと貧しい人々を援助した経歴をもつ尊敬すべき正規のキリスト教牧師だった。
> いくつかのグループのリーダーは、「金銭のためにやっている」のではなく…
> 自分の(信者たちへの)影響力に中毒になっている人間たちだった。

↑これも「マインドコントロールの恐怖」からの引用です。
あなたがここをきちんと読んでいれば、別スレで撒き散らしている
『カルトの教祖は太っている』なんて法則は、思い付かずに済んだでしょ?

万一誰かが信じて「桐山靖雄は太ってないから大丈夫」と
阿含宗に入ったら、あなた責任取れますか?

> 多くの破壊的聖書カルトのリーダーは、目立った浪費家でもなく、
> 神と聖書を自分より上の権威としているように見える。
↑ここまでは統一教会や創価学会には当てはまりませんが…

> にもかかわらず、聖書と神意に関する彼らの『解釈』が、
> 人々を操作しコントロールするのに使われているのである。
↑ここは統一教会にも、そして聖書を御書に置き換えれば創価学会にも当てはまります。

破壊的カルトの共通点として、あなたとスティーヴン・ハッサンの
どちらが的確な分析をしてるか、私には明白に思えるのですが。

140 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/08 15:29 ID:EhzE9Vng
乱入失礼します。
御書に「(日蓮上人は)釈尊の弟子」とありましたが、これについて
学会員の皆さんはどうお考えですか?


141 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/08 16:19 ID:???
>>139
世界人口を100%とすると学会員は0%です。さんの別スレでの
『カルトの教祖は太っている』法則は単なる冗談でしょ
心配せんでも誰も引っかかりませんて(w

142 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/08 16:29 ID:???
>>138
>自分の知らない知識をひけらかされたら、
>感心するだけで疑ったり検証しないってのは、結構普通にあるんですよ。
成る程、言われてみたらその通りかもしれません。
あまり自分にとって重要な情報でなければ、それほど“疑わない”
ものかもしれませんね。私は忘れっぽい性格で、どうでも良い話で
あればその場で即「忘却可」のハンコを押してしまうものですから
よく理解できないでいました。

もたらされた情報が自分にとって重要度の高い情報であれば、当然
検証の対象になりますね。もしそれが良く知らない世界の話である
のなら(大体においてそういう情報は重要度は低くなるものなのだが。
重要度とは「その情報」と「自分」との関連性がウェイトを占めるもの
であるから)、慎重の上にも慎重にその情報に相対する必要があるでしょう。

※ちなみにこれは対カルトだけでなく、情報化社会を生き抜く方法論と
して汎用的に使えると思います。これを忘れた人間は与えられた情報
に取り込まれた傀儡になり果てるでしょう。



143 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/08 16:30 ID:???
一つ重要な示唆をなさっているようなので改めて引用させて下さい。

>あと、たとえば創価にはひどい目にあったから騙されないけど、
>その分創価に対する批判意見には検証能力落ちる場合は多いでしょう。
これは十分考えられると思うのです。つまり検証するに当たって、今
までの自分の経験からくる好悪の情が絡んでくる場合ですね。
どうしても自分の感情にとって都合の良い情報ばかりを選択的に
見付けてしまい(この時点で結論まず有りきになってしまっている)、
その反証となる情報はノイズとして処理されてしまう可能性は低く
ないと思います。そうなる事態を防ぐ心構えとして
>だから、自分を大丈夫だと信じ過ぎないのが、カルトに対するまず第一の予防法でしょうね。
こういう事が言えると思います。
春田の蛙さんの意見に補足しつつ賛同致します。


144 :Sb ◆SbSGI7AtEA :04/03/08 17:57 ID:C5Y7V+MV
>>101 >蛙さん
確かに私はまともではないですね(w

145 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/08 18:13 ID:???
でもビンラディンはやせてる。
教祖じゃないけど。


146 :Sb ◆SbSGI7AtEA :04/03/08 18:21 ID:C5Y7V+MV
>>107
確かに、脳の中で起こっていること
でも、そのときの脳波と同じにしても、
悟らないと思うよ
薬を使うなんかもってのほか

チャクラもあるかもね、でも、それは
手に指がついているのと同じようなもの
それがどうということもない、特別凄いことでもない

悟りって、ある意味、全てのマインドコントロールからの開放なのかもしれない
親から、社会から、学校から、環境から、集団から、自分から
で、ありのままの己に戻ること、なのかも知れない

147 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/08 18:23 ID:???
なんかあれこれ言いながら、自分らも勝手に対した根拠もなく都合よく
どんどん決めつけてすでに決まった真理に乗っ取って話ししているかの
ごとき錯覚に陥って悦に入っているところお大変すまんが(わらひ)。
>蛙その他の御仁さん方よ

蛙クンはなんでそんなに大層なご意見をお持ちであるなら、その旨ちゃんと
これまで発言してくりゃ良かっただけだよ。なんで恨みつらみっぽくあんな
腐った言い方したわけ?フシギですなあ実に。

まあ、あんたがたは人の書いたものをよく読んでないよね。それでいて
人を勝手にTM信者だのと決めつけている。ただの決め付けだってことにすら
自分でも気がついていないな。そういうのを「無根拠発言」と確実に言うわけ
だが。まあいいだろ。その程度の奴らさ、喪舞いらは。

ところでな、ぱきいさんさ、あんたが
>>129
>お題目を唱える時は「身・口・意」で(あって)云々
>>133
>お題目を唱えるということは呪文を唱えることとは違うのです

ということの意味はわかるつもりだぜ。そら創価学会風の元気でるです呪文教
じゃねえよ「日蓮宗はよ」ってことを言いてえわけだよな。わかるよそら。
あんたは日蓮の言いてえことを正しくうけとらないかんよと言っておったわけで、
そら法華宗ともオンナジだよな(あそこは本尊が曼荼羅で日蓮宗は本尊釈迦像
なのが違うぐらいだもんな(曼荼羅本尊の日蓮宗もあるかもしらんがま一般的
にそうだよな)。

148 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/08 18:34 ID:???
つまり、日蓮は、釈迦の言いたいことは「法華経に現わされた」、だから
「法華経に帰依すればご本仏釈迦に帰依したことになる」だから「法華経の
タイトルに帰依しろ」って考えた(そうだと法華経自体が言ってるんだぞと
これもそれほど大した根拠もなくだったわけだが、彼は彼なりの当時の思想
背景からそう汲み取ってそう結論したんだろうな)。それでその信念の表れ
はあんたの言う「身・口・意」全部で現わさなきゃならん、それが修行となる
と。

だから法華経の題目を称えるのは「口」の行になるからやるんだとこういう
わけですよね。だから創価学会の呪文教とは違うんだと。わかるよ。それは。
それはそれなりに一つのロジックとして成り立たないわけじゃないからね。

>>129
>ですから瞑想は禁止です

だがこれはそどうだかな?その帰依した法華経自身が瞑想を(禅あるいは定と
いう名ではあるが)勧めているんだがどうなんだろ。これは言い過ぎでしょ。
釈迦自身が菩提樹の切り株の上で瞑想したわけだし。道元が修行として禅を
主張するのも、実は日蓮が釈迦に恋した結果思考した方向とは違うが、彼も
釈迦に恋して「行仏」の行は釈迦のした行である当時の瞑想行(道元がそれを
禅として受け取った)であるとしたわけだ。このロジックはうなずける?

149 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/08 18:45 ID:???
>波木井さん
法華経方便品「精進し瞑想に専念して仏に仕え、・・・悟りに到達するであろう」
同薬草喩品「精進して瞑想に専念する人々が、最高の薬草と言われる」

どうですか?

もっとも、日蓮が末法だから「禅天魔なんだ」と決めつけたんだとすれば、私はそれを
ロジックとして「先のようにこの上なく帰依すべきとした法華経が奨めている瞑想を」
なぜ、どうして、そして法華経に帰依したというその口でどうして否定するべきと
考えることが、矛盾なくできたのかを説明してほしい。わかりやすく丁寧に。

オナガイしまつね。どうでつか。知りたいでつねそれがね。

150 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/08 20:16 ID:???
ちょっと余談だが、日蓮が法華経のタイトルを称えろといい始めた理由として、法然
の念仏のパクリだとかいう意見もあるが、本当はなんだったんだろな。それは経文が
単純にそう書いて示していたからとも受け取れるんだが。

それが先にも示した浄土教の観無量寿経の言い方に起源があるんじゃなかろうかね?
どうでしょか。

観無量寿経は、ゲキ下根の者には南無阿弥陀仏の念仏を称えさせろと最後の方で書いている
が、下機でも下根まで行かない者には、大乗経典のタイトルを称えさせろと書いてあったんだ
が、それが起源じゃないだろうか。詰まり日蓮は実際には浄土教に従って法華経の題目を称え
させることを思いついた、んじゃないだろか。よく「如来は法華経を口述しているときに、
一旦やめて浄土教の経典を口述し始めたんだ」とかも聞くが、これは暗示的に法華経のタイトル
を下機の者に称えさせろと如来が言ってんじゃないかと日蓮が勝手に考えたとしてもフシギじゃ
ないほど、あまりに作為的な大乗の言い伝えになるかもしれんのだが。それにしてもあの念仏
否定の日蓮が結局は浄土教からヒントを得てもの申しておったのかもしれんてことになると、
これはこれで裳も白いことにはなるかもだとモモうがどうかねこら。法華経の文底だのと言うより
も真実味があるかもしれんぞ?(どうだろかね?)>波木井さんどうでっか?

151 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/08 22:14 ID:???
で、あのアミダブツの称え方で起きた体感だけど、これはこの称え方をすれば誰でも
得られる体感だと思う。もしよければやってみて(わらい)ください。これだと創価
と同じになるかな。

でもまあ何ごとも体験するに越したことはない。ただここでちゃんと注意しているように
これが王者意識になる可能性ももちろんあって、そこで意志で頭の上から降ってくる
アミターパの光の放射を拒否すればそうなるという体感も得られたからだ。そうなると
池田大作と同じ「おれはえらんだ王者なんだスゴイんだぞ意識」にすぐに移行するのが
如実にわかった。つまりこれも松果体からの影響力を意志によって疎外すると、すぐに
脳下垂体だけの意識に舞い戻り、合わせて前頭葉の血流促進状態による集中力の増大状態
に移行していくのがすぐにわかる。これは題目を願望を実現するための呪文として唱える
やり方、つまり創価式の題目信心によって移行していく意識と同じものだった。

これは法華宗的信心による題目感覚とは別物だというのは確かにわかる。呪文は用い方
如何でどんな意識にも変貌してしまうものなのだということだろう。創価の願望実現呪文
としての強調された信心というのはこういうものだと思われる次第だった。

152 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/08 22:17 ID:???
ところで、呪文は法華経では「近づくな」とちゃんと述べられているね。

安楽行品「またローカーヤタ派の者たちや呪文の信奉者たち、世事に長けた
人々にも、親しみ近づいてはならない」

ね、呪文経は、法華経自身が否定している。つまり王者意識に留まらせる
であろう創価式願望実現型の呪文唱えの仕業は法華経自身が否定しているわけで、
そこに創価学会員は誰も気がついていないわけだったね。こら問題だよね。

153 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/08 22:26 ID:???
となると、せいぜい「身・口・意」行だから程度までしか題目唱えは赦されない
ことになりますね。そうじゃないとロジックとして矛盾してしまうね。

お題目=「法華経に帰依します」
法華経=「呪文は禁じます、いいですね、わかりましたか、
     しっかり瞑想してくださいね、いいですね!」

はい、わかりました。というのなら、お題目を願望実現呪文として身心麻痺
するまで唱えたりそれに依存症になってしまうこと自体が、法華経に背反する
ことになるわけですから、無意味教としての呪文依存症はやめにしなければ、
そのお題目の意味に反することになってしまいますね。どうでしょ?どうですか
>ソッカーさん

154 :あーる:04/03/08 22:29 ID:???
これだけ教えてください
>>151 アミターパの光
とは何色に感じましたか?
感じるときは暗闇でしたでしょうか?
禅定から離れても(立ち歩いても)継続しましたか?
意識の拡張(説明しません)は有りましたでしょうか?

155 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/08 22:38 ID:???
>>154
それは、色というか、たとえば太陽を間違ってわずかに見てしまったときのような
感覚で、そのときに視覚が得た強い刺激感だけが得られたような感覚です。

そしてこれは禅定でのものではなく、むしろただ立って歩いているときに唱えても、
またどこにいても同じですね。なんならいつでもいまでも同じことが起こります。

それは「無量寿経」(観のつかない方ね)を読みのめってあのアミターパの記述を
本当のように読み進めていたときに感じた刺激と同じものでした。実はこちらの体感
の方がわたしには後から感じたもので、ナムアミダブツの私流の唱え方による経験
での感覚の方が先でしたから、これは経から得た感覚が舞い戻ったというのとは違い
ます。

意識の拡張、というよりも、目の前にまるで本当に神様が現れた、アミダブツ様が
ご臨在する感覚でした。非常に強い感覚ですね。これは唱えればほとんどいつでも
起こります。本当です。

156 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/08 22:43 ID:???
ただこれは、あの唱え方で得られるもので、「ナぁーム」の後で息を止めたり
する方法が非常に関係していると感じます。これがなければこの感覚は生まれ
ません。

つまりこれは止息法とも関係するのではないかと感じるわけです。つまりこれは
体内のプログラムに元々あるものだろうと思われるわけでした。

もし他の方でこうした感覚が得られた方がおられましたら、何か書いてみてください。
似た経験をされるのではないかと思うのですが。ではまた。

157 :あーる:04/03/08 22:44 ID:???
お答えありがとうございます。
本当かどうか、私には実は言えません。
最後の質問以外はよく起こることです。
個人差があるようです。


お気をつけてご修行なさってください。

158 :波木井坊竜尊@日蓮宗葵講@名前だけ仏所 ◆IByKs72gR2 :04/03/08 22:52 ID:jW130zw1
学会員ですら、お題目が呪文でないことは知っているよ。

159 :Sb ◆SbSGI7AtEA :04/03/08 22:58 ID:xA8mx4Xn
>>156
脳が低酸素状態になり、
脳内麻薬が分泌されているだけ
埃を吸い込んで咳が出る
胡椒でくしゃみが出る
玉葱を刻んで涙が出る
のと同じです

それを神秘体験と勘違いするのは
禅で言うなら魔境、受け流すのがよいと思います

低酸素状態以外にも、いろいろとあるようですが、
枚挙に暇がないので自分で調べてください。

160 :波木井坊竜尊@日蓮宗葵講@名前だけ仏所 ◆IByKs72gR2 :04/03/08 22:59 ID:jW130zw1
んな低酸素状態になるまで唱題させないよね。

学会は題目闘争と称してやるみたいだけど。

161 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/08 23:25 ID:CKjvHo7i
とりあえず、週刊誌の記事スキャン置いときますね。

*週刊新潮 3月11日号 創価学会が竹岡を切れなかった理由
 ・記事スキャンその1 http://ahiru.zive.net/joyful/img/925.jpg (創価幹部Kが竹岡に資金提供していた事実にも言及)
 ・記事スキャンその2 http://ahiru.zive.net/joyful/img/926.jpg (YBB恐喝容疑者竹岡(創価幹部)逮捕に際して、公明党神崎への取材も敢行)
*週刊文春 3月11日号 竹岡(創価幹部)が主催していた団体と、浜四津ら公明議員の関係に言及
 ・記事スキャンその1 http://ahiru.zive.net/joyful/img/923.jpg
 ・記事スキャンその2 http://ahiru.zive.net/joyful/img/924.jpg
(竹岡は、池田大作氏の自宅に呼ばれたこともあるとのこと〜記事より)
*AERA 3月8日 創価学会とヤフーBBとの接点
 ・記事スキャン http://ahiru.zive.net/joyful/img/927.jpg (ヤフーBB社内に手引きの人物(創価信者)が居て情報漏えいした可能性を示唆)
*週刊ポスト 3月12日 YBB事件と創価学会
 ・記事スキャン http://ahiru.zive.net/joyful/img/914.jpg (選挙活動目的に使えるため、YBBの個人情報が盗まれた可能性を示唆)
*週刊朝日 3月12日 ヤフーBB事件・有名創価学会幹部の正体
 ・記事スキャン http://ahiru.zive.net/joyful/img/916.jpg (竹岡容疑者が現役の幹部として犯行に及んだ事実に言及)

450万世帯が当事者なんだから、トップ記事にすれば売れると思うよ。

162 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/09 00:12 ID:???
池田大作さんは300億回題目を唱えたそうですが。


163 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/09 00:43 ID:j5XEiigX
>>162
誰が数えたんだYO(藁

164 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/09 00:51 ID:???
>>162
1秒に1回として、休み無く続けても951年かかるんだが?
おっと、前世から続けてるから関係ないか(w

165 :ゆり:04/03/09 00:55 ID:tP1WCz5s
どうしようか迷いましたのですが、私達で話し合ってやはり書いておいた
方がよいでしょうということになりましたので。
アミターパの光とのことですが、私達で言うところの太陽の瞑想における
体験に最も近いように思われます。松果体云々はどうでしょうか?。
大脳辺縁系の興奮により光を見ます。黄金や白色のつい眼をそむける
ほどの既視感があります。通常は立ち上がって10分程でおさまります。
ヨガは有酸素呼吸法ですので、無酸素状態の幻覚ではありえません。
この方の体験も無酸素状態とは関係ないでしょう。
最後の質問(意識の拡張)とは、この世全体が神に見えるという意味です。
この状態に至った人は私達の中ではおりませんが、物の本によりますと
この世に使命のない人は、食欲が無くなります。全身を包む恍惚感の中で
死を迎えることも多いと聞いております。コントロールが効かないでしょうから
危険な状態とは言えるでしょう。もっとも、到達することは夢のまた夢でしょう。
この方のおっしゃることが本当でしたなら、きちんとした指導者におつきに
なった方がよいでしょう。
善行をおつみになり、五悪を避けましょう。このような掲示板は避けましょう。
果たして今後の修行の成果は、いかがなるか興味は尽きませんが
ご報告には及びません。お体を大切に、御自愛なさってください。

166 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/09 04:36 ID:???

「“南無妙法蓮華経”を唱えれば幸福になれる」という

層 化 の 唯 一 の 教 義 は 、 古 代 原 始 呪 術 信 仰 並 み

世界最低レベルの宗教だな。創価学会って!


167 :Sb ◆SbSGI7AtEA :04/03/09 09:39 ID:ITPqCrGj
>>165 >ゆりさん
ヨーガの有酸素呼吸法においても、脳内麻薬は分泌されます。
この世の全てが神に見えるのも、脳内麻薬の作用です。
それを素晴らしいとする事自体、おかしいのです。

くしゃみと同様、凄いシステムです、
が、くしゃみと同様、当たり前のことなのです。

そのようなものを素晴らしいと教える指導者はきちんとした指導者とはいえません
凄いシステムではあるが当たり前のことである、受け流しなさい、
とする、指導者にお付になった方がよいです。

このような掲示板でも、人と人との関わりがあります。
悪もあれば善もあるでしょう、善だけを見るのもまた目を曇らせますよ

私もあなたの修行が成ることを願ってやみません

168 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/09 12:09 ID:???
創価には禅の指導ができる椰子は居ないんだから、もう辞めなよ意味無いじゃん。

これが創価の姿の一つでしょいかがかな。

その姿を涅槃経に説いていわく「律を持つ像に似て。少し経を読誦し、飲食をとんし
してその身を長養し、袈裟を著すと難も猶猟師の細めに視て徐に行くが如く猫の鼠
を伺うが如し、常に是の言を唱えん、我羅漢を得たりと、外には賢善を現し内には
とん嫉を懐く、唖法を受けたる婆羅門の如し。実に沙門に非ずして沙門の像を現じ
邪見し盛にて正法を誹謗せん」と。

169 :母が熱心で困ってます ◆1Cz5bN8eQk :04/03/09 12:28 ID:wBsClXnI
>>159,167 Sbさん

>くしゃみと同様、凄いシステムです、
>が、くしゃみと同様、当たり前のことなのです。

全くその通りですね。
素晴らしいのは、そのような機能を備えた人間の体です。
神秘体験などは、刺激に対する反応に過ぎません、その体験を
組織の正しさの根拠とするような指導者は、まやかしでしょうね。


170 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/09 12:30 ID:???
>168はスルーかな。法華経もろくすっぽ読まない会員さん。

171 :母が熱心で困ってます ◆1Cz5bN8eQk :04/03/09 12:33 ID:wBsClXnI
>>170
何が言いたいのか、意味が分かりませんが?

172 :Sb ◆SbSGI7AtEA :04/03/09 18:04 ID:ITPqCrGj
>>169 >早く短いコテハンに変えておくれ
>素晴らしいのは、そのような機能を備えた人間の体です。
その素晴らしい人体にちょっとお手伝いしてみませんか?

【UDがん研究プロジェクトとは】
コンピュータ使用時の余剰処理能力を使用し、白血病など悪性新生物の治療薬研究解析の目的で分散コンピュー ティングを用いてスクリーニング作業を行うプロジェクトです。
簡単に言うと世界中のPCの余った力でがん治療薬を作る手伝いをやろうというプロジェクトです。
あなたのパソコンもUD Agentというソフトをインストールする事によって分散コンピューティングに参加する事が出来ます。
一度インストールして登録すれば後は何もしないでも解析してくれるのでUD導入ガイドを参考に参加してみてください。
詳しくは↓このページを参考にしてください。大抵の疑問はここで解決するはずです。
http://ud-team2ch.net:8080/index.php?UD-Team2chWiki

【参加方法】
1.UDagentをダウンロードし、PCにインストールする。
http://www.grid.org/download/gold/download.htm
2.インストール時にIDとパスワードを聞かれるので入力。
IDは、(好きな名前)@(板チーム名)とする。
例:taro@anti-soka, jiro@soka
パスワードは任意。
3.Team 2chに参加。
http://www.grid.org/services/teams/team.htm?id=270E60B7-EC7B-4389-BA40-8C473D6C5A5B
↑これをクリック。Join This Teamのボタンをクリックすると、
IDとパスワードを聞かれるので、先に登録したIDとパスワードを入力。

後は、PCを放置していればOK。

詳しくは↓こちらを参考にしてください。
http://ud-team2ch.net:8080/index.php?UD%C6%B3%C6%FE%A5%AC%A5%A4%A5%C9

皆さんの参加をお待ちしております。

173 :てかさ:04/03/09 18:09 ID:???
ぱきりさんさ
あのさ、スルーの理由は?わしもキイテますが。

法華経が瞑想をするよういっていること、
なのに法華経にキエすると言いながら法華経の意味内容を完全に否定

これはロジックが成り立たないでしょ。日蓮は間違っていることになるよ。

174 :それに:04/03/09 18:28 ID:???
ここでの重要なテーマは、母さんも書いてくれてるように、
創価がいつもそう言いわたしはこれで入りまつたと言ってやまない生命力増大体験を科学して相対化する
法華経題目に不当に関連づけられた絶対性を消す
目的でやっているわけです。
ちゃんと答えられたい。

175 :ロシアチョコレート:04/03/09 18:52 ID:???
テキスト屋に、テキストを作らせていたので、
創価の教えと日蓮とは関係ありません(笑)。

問題なのは上智大学のインモース教授に聞いたんですが、
創価学会が大躍進した時、テキストの十分なものが
なかったので、学者にその整備を頼んだということらしい。
そして1962年から67年の間に岩本という学者と坂本と
いう学者がサンスクリット語と中国語からの学問的なテキストを
つくったのを、今度創価学会の根本的なテキストにしたらしい。
(注:坂本 幸男、岩本 裕訳注、『法華経(上・中・下)』、
岩波文庫、岩波書店、1964という本があります。)
『法華経(上・中・下)』
http://www.iwanami.co.jp/search/bunko/author/B5.html
記事
http://snsi-j.org/boards/past.cgi?room=sirogane&mode=find&word=%BE%AE%BC%BC%C4%BE%BC%F9+%CB%A1%B2%DA%B7%D0&cond=AND&view=5

創価思想に“盗作”あり
『月刊 日本』 2004年3月号(第8巻第3号)の30頁から
3巻『労働運動と宗教 仏法と人間性社会主義』(鈴木一弘、
矢野絢也共編)は、大作が「全世界の思想界の最高を行くものである」
としているが、武藤光朗氏(民主社会主義研究会議・議長)の
『社会主義と実存哲学』(創文杜刊)の書物からの無断盗作
http://snsi-j.org/boards/past.cgi?room=ikeda&mode=find&word=%C3%D3%C5%C4%C2%E7%BA%EE+%C5%F0%BA%EE&cond=AND&view=5

176 :あーる:04/03/09 19:02 ID:???
今回、相談したことからさまざま
ゆり女史(本名ではありませんが)と話し合いました。
こっぴどく叱られました。私はラーマのマントラと瞑想に傾倒しすぎであり、
異常に正義感が高揚しているのではないかとのことでした。
現代はラーマの時代ではないので、悪が勝っていて当然とのこと。
「ではシヴァが終わらせるまで耐えて死ねと?(冗談半分)」
今のあなたには耐えられないのでしょう?でもそれは神の恩寵で変われますよ。
「創価学会みたいなことをおっしゃる」
でも真実でしょう。自分を変えずにどうします?人に変われと言っているのが
あなたではありませんか? このネットにはあなたの居る場所は無いのではありませんか?
ラーマの時代は同じ兄弟が争う時代でしたが、現代はまったく異なる思想と
生まれ育ちを持つ人々の時代です。受け入れるための瞑想をすべきです。
「そこは創価とは違いますね」
当たり前でしょう。あなたには別のマントラと修行法を推薦するよう言っておきます。

というわけでひょんなことから、(単なる名無しでしたが)皆さまとはしばらく
お別れです。お元気で、
どうせなら楽しく喧嘩してください。

177 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/09 21:25 ID:???
>>176
ゆり、ってあの「現証論のゆり」かとももったぞ。アハハ、まいっかな(w。
ただも前の言い分って主張にもなんにもなってないのがずいぶんと痛いwww。

>>166
>原始呪文教としての創価学会

まあそうよな。願望実現にはそれを念じて題目を連続唱えするといい、そうすると
それが現実に現れてくる、これが諸法実相の哲学だ、とか抜かしやがるしな。
結局これはニューエイジ教でいえばニューソートってやつで「願望は実現する」法則
マーフィーの法則なんていいかたでも言われるところの教えだったな。これってまあ
創価風に「談じて思った通りに実現させるのです!!」とか般若の面でもかぶったような
顔してぐわぁっと目吊り上げて「呪い!呪い!呪い!!!!」でやる感じになると
ちょっと鬼学会っぽくてまさしくって感じだよな(プッププ。

ま、だからこそ叩き潰す必然性が出てくるわけだが。気違いはホロボさにゃならねえ義務が
我々には在るな。しかもそれで誰か1人の人間だけがずべての栄光を受けるためだけに
数えきれネエ人間が犠牲になって「これでいいんです、わたしは師弟不二ですから」とか
抜かした日にゃこらもうたたころさにゃなんねえべえ(アハハ、な>>>166

178 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/09 21:45 ID:???
>>175
>1962年から67年の間に岩本という学者と坂本という学者がサンスクリット語と
>中国語からの学問的なテキストをつくったのを、今度創価学会の根本的なテキストに
>したらしい。坂本 幸男、岩本 裕訳注、『法華経(上・中・下)』岩波文庫、岩波書店
>1964という本

だよ、もれが引用したのもそこからだぜ>ぱっきりさんよう。>>>158 >>160
いくつかちゃんと書いてんだからちゃんとご返事お願いしまつよ。ねえ。あんた
坊さんなんだろう?ちゃうのん?ねえ。短いのでちょこちょこちょこで済ますのは
悪い癖だよあんたさ。ちゃんと丁寧に回答してよ。ぱきりーさんさ。ねえ。

エチレンが浄土教から法華経題目唱えの仕業を言い出したとしたらこれもどうするわけ
でつかあ?ねえ?

>>147-150>>152-153には3つのテーマがあるんだからさ、スルーしないでよ。
たのむよ。な、パッキリさんはっきりしてよね。
1.法華経は瞑想を推奨している、なのにあんたは日蓮は瞑想を禁じたという、
  ロジックが大矛盾していること、そして日蓮の真意と根拠は何なのかはっきりシル
2.日蓮は浄土教の経典から法華経のタイトルを唱えさせるのが釈迦の真意ではないか
  と受け取った可能性についてはどうか?

179 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/09 21:55 ID:???
3.3つめは明示していないが、、実はこれだ↓
>>148
>つまり、日蓮は、釈迦の言いたいことは「法華経に現わされた」、だから
>「法華経に帰依すればご本仏釈迦に帰依したことになる」だから「法華経の
>タイトルに帰依しろ」って考えた(そうだと法華経自体が言ってるんだぞと
>これもそれほど大した根拠もなくだったわけだが、彼は彼なりの当時の思想
>背景からそう汲み取ってそう結論したんだろうな)。それでその信念の表れ
>はあんたの言う「身・口・意」全部で現わさなきゃならん、それが修行となる
>と。
>だから法華経の題目を称えるのは「口」の行になるからやるんだとこういう
>わけですよね。だから創価学会の呪文教とは違うんだと。わかるよ。それは。
>それはそれなりに一つのロジックとして成り立たないわけじゃないからね。

つまりさ、いくら「身・口・意」だからっつってもさ、それで「何度も何度も
"呪文"のようにして連続してどんどんどんどんどん太鼓ならしてわあわあ
チンドン屋芸でやらかす(またはやらかさにゃならない)理由」って何?

それってホントに法華経に帰依したことになるんですか?そんなの形だけの
ことでさ、別に「釈迦出世の本懐である法華経の深い意味内容を理解してその
"教えそのもの"に帰依します、つまりそのお経の教える精神をそのまま継承
し、その教えを現実に守ることで生活の意味と意義を高めていく」ってこと
とは関係はないですよ。

それではただの「中味はしらんがとにかくその本のカバーだけはしっかり枕の
下に敷いて寝ています、もうすぐ宝くじでも当たるんじゃないでしょうか?
真剣なんですけど、どうでしょうか??ウルウル」とかってちょっとアレな
人のやってることとおんなじでしょ?どうですか??パキーリさんさあ。ねえ?
どう?

180 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/09 22:04 ID:zmhRfMla
>>175
まじ?
岩波文庫の法華経など読んだら正宗系の人からは謗法だと
言われそうな気がするんですが・・・

181 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/09 22:07 ID:???
つまりは、この3.に示したようなことがあるからこそ、1.のようなことにもなる。

だとすると、日蓮の教義の意味は非常に矛盾に満ちた、しかも中身はどうもええって
話に結びつく代物になっちまうぜ、ってことになるわけだよ。

で、現に創価なんつうところの教義はその最たるもんに成っちまってんじゃん?w
ねえ、結局はあの>>166>>177で言ってるみてえにさあ。な、日蓮は中身のある
釈迦への帰依には全然なってないじゃんよ。ねえ、それで功徳だ、なんだ、呪いだ
仏罰だってさわぐだけでさ。これじゃ誰かもいってるように「価値なし」だねって
言われても反論できないじゃねえのよ。どうなのよこれはさ。日蓮信者側のまともな
言い分って全然聞こえてこねえわけだがね実際どうなのよ。結局はあんたらは法華経
のタイトルをこの世で最高の呪文(マントラ)だって真言的に理解して体で功徳感じる
からこれで釈迦の本懐感じているんだ、これでいいだろも舞いわあこらあ!てな感じ
にしか聞こえないわけさ。これって実際アホじゃんよ、ねえ、どうなの、ぱっきりさん?
よかったら何か話てくんないわけ?ねえ?

182 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/09 23:24 ID:???
結局、エチレンはどうしょーもないお馬鹿さんだったってことで日本人全員が了解
していいんでつかぁ?どうですかあ?ねえ。ねえ、どうなの?ねえ?

ぱきーりさんでなくてもいいや、誰でもこれにちゃんと答えられる人がいたら、
少しは意味が通るようにキチントチャント書いといてよ。頼むよ。

もし回答がない場合には、やっぱりエチレンはこの世に存在してはならなかったと
いう結論になるわけだからね。わかったね。いいね。んじゃまたね。まったくな。

183 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/09 23:31 ID:???
>139
ワラタ

184 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/10 00:36 ID:8Qtxqf9i
ああ、法華経を称える呪文など、
欲徳のためのおまじない以上の価値はありはしない。
大体、法華経なんて、釈迦が死んでから600年後にできた偽モノで、
その偽モノを「釈迦唯一の経典」と嘘を付いた天台。それをまんまと
真に受けた超ど級バカが日蓮なわけで。そういう経典の名前を称えたところで、
名もない創作者を喜ばすだけのもんだ。法華経には作者がいる。
紀元後2世紀頃の大衆部の僧侶なんだろう。女にチンコが生えて成仏するだの。
法華経に反するものに危害を加えて良いだの。言っていることはオウムだが。
それでも、大衆にとって刺激的だったのだろうな。
大衆の煩悩と本来の仏教は相容れないから。とんでもないペテンにかけてくれたものだ。
日蓮とやら。

185 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/10 00:42 ID:???

「“南無妙法蓮華経”を唱えれば幸福になれる」という

層 化 の 唯 一 の 教 義 は 、 古 代 原 始 呪 術 信 仰 並 み

世界最低レベルの宗教だな。創価学会って!


186 : :04/03/10 09:28 ID:???
>>102
前スレで、禅が、臨床心理学に利用されていること。
森田療法や内観慮法がそれであること。
そして内観療法が、半畳程のスペースに衝立を立てて、
外部との接触を立って、自問自答をする方法であること。
そのテーマは、家族との関係だけど、
これを別のテーマにすれば洗脳に利用できること。
つまり禅が、心理学的に洗脳に利用できる体系であること。
これらを書いたにも関わらず理解できないし、
理解したくないアホだから(w

内観療法を手法が、オウムとそれと似ていることに気が付けば、
実は禅もまたカルトに利用されうるものだと理解できると思うのだが…

187 : :04/03/10 09:41 ID:???
ま、禅や念仏の擁護も書いておく。
禅が目指すは「無」であるが、「放下無」とも言い、
「無」に囚われることを否定する。
「無」になろうと意識することが、
「無」になることを妨げるというわけだ。
実は、仏教の最大目的である「成仏」も同じであり、
「成仏」しようとする心が、「成仏」を妨げるというのは、
どの仏教宗派でも同じである。
ここまで言えば、只管打坐が意味するところが
座禅に囚われて座禅ををするのではなく、
ただ座禅せよという意味が理解できるだろう。
また、>>113
「となふれば仏もわれもなかりけり 南無阿弥陀仏なむあみだぶつ」
が、仏もわれもない=「無」であり、
ただ念仏を唱えることが、禅のそれと同じであることが理解できるだろう。

188 : :04/03/10 09:55 ID:???
>>149
横からだが、たぶん正しい禅と瞑想の違いかな?
一見すると同じ禅でも、「放下無」というように、
「無」に囚われた禅は、駄目な禅なわけ。
で、日蓮は教条主義的で、法華経に帰依しないなら殺してしまえ、
そうすることが功徳だって言ってるように(秋元御書)、
「無」に囚われた禅は、天魔だって言ったのではないかと。
しかも日蓮にとっては、当時の禅宗にまともな禅僧がいなかったから、
禅全てが天魔だという言い方になったのではないかと。
日蓮の性格的な問題かな?

ま、名僧と言われる禅僧はいたし、またいるのだから、
日蓮の禅天魔は、結果として間違い。

189 :Sb ◆SbSGI7AtEA :04/03/10 10:07 ID:rWetDS+i
>>186
出来るよ、禅の手法はね
でもそれは禅ではない
手法だけでは禅ではないのですよ
悟りと修行をもって禅なのではないでしょうか
修行の手法だけとっても禅足りえませんよ

内観療法などは確かに禅で用います
でもその作用は、前述しているように
くしゃみと同様のものなのです
熱が出るのと同じことなのです。
熱が出るのは、熱で最近

190 : :04/03/10 10:08 ID:???
話を戻して、禅も念仏も同じなら、実は題目も同じでは?
と思うだろうけど、それは正しい。
題目に囚われて、唱題しても意味がないわけ。
だから功徳を積むために題目をあげるのは、否定される。
成仏するための題目もまた同じ。
ただ座禅せよ、ただ念仏せよ、と同じく、ただ題目せよ、なわけ。

あと三論だったかな?
釈尊は、簡単なものから哲学的なものへと説法と進めてて、
法華経は最も哲学的な説法というか、本質だけを述べたもの、
というのが天台教学であり、また日蓮宗の立場。
だから日蓮宗は、法華経は最高の教えと主張するだけで、
他の仏典を否定することはない。
というより法華経をより理解するためには、
他の仏典を読まなければならない。

191 :Sb ◆SbSGI7AtEA :04/03/10 10:10 ID:rWetDS+i
途中で送ってしまいました
細菌などを殺す為です。
でも行き過ぎればその熱で脳を壊してしまう

その作用と、悟りとはなんら関係ないのです。

あなたは分かっていると思いますが、一応書いておきます。

192 : :04/03/10 10:21 ID:???
>>175
仕方がないじゃん(w
創価の教学を作ったのは、現在、創価に裏切り者と言われている原島。
でも原島にしたって、東大卒とは言え、仏教学を学んだわけではない。
創価の教学は、仏教学とは無縁の人間が、作成したのであり、
岩波文庫の『法華経(上・中・下)』を基にするくらいは当然のこと。

ま、教学部でサンスクリット原典の研究がされている理由がわかった。
サンスクリット原典の現代語訳もあるわけだから。

日本仏教の原点は、漢訳仏典であり、サンスクリット原典ではない。
なら、サンスクリット原点を無視し、漢訳仏典から教義を構築するのが、
本来の日本仏教のあり方で、日蓮に習うと言うこと。
サンスクリット原典から教義を構築してしまったら、
日蓮とは無縁のインド仏教になってしまう。
あ、創価は日蓮仏教じゃなくて、インド仏教もどきなのか(w

193 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/10 10:55 ID:u801UhHi
確か法華経(サンダルマブンタリカスートラ)に関して言うなら
現存しているサンスクリット原典よりも漢訳経典の方が古かった
筈だが・・・。漢訳される前の(本当の)原典は見付かってないん
じゃなかったっけ?
最悪、現存しているサンスクリット原典は漢訳経典を逆輸入して
から翻訳した可能性もあるわけで(漢訳とは限らないけどね。そ
れに漢訳だとしたら3存3失のうちどれから翻訳したのか?まぁ
多分正法華経だと思うが・・・これも推測でしかないからね。

以上の事を踏まえた場合、蓮師に習って教学組み立てるのなら
漢訳経典をベースにした方が良いと思われる。
なんだってわざわざサンスクリット経典を使って教義を構築する
必要があんの?

194 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/10 11:21 ID:u801UhHi
ソースキボンヌって言われる前に出しとくね。ネットで見られるようなソースには
大したものは無いんだけど・・・
http://www.chuogakken.org/candana/0198_01.html
この辺とかいいんじゃないかな?わしが調べたのはうちにある仏典解題事典(ち
ょっと古いかな?)だけどね、リンク先が示す「漢訳法華経は現存するどのサン
スクリット原典よりも古い」を裏付けるよ。

で、創価が研究してるサンスクリット原典ってどれだろうね?
まさかと思うけどケルン・南条のテキストじゃないよね・・・・?


195 :波木井坊竜尊@日蓮宗葵講@名前だけ仏所 ◆IByKs72gR2 :04/03/10 11:28 ID:Xnje6lqv
滅茶苦茶なこと言ってんなよ。(苦笑)

デタラメすぎる。たしかにどのサンスクリット原典から漢訳されたのは不明だが、
異本も含めて羅什訳の原型を探る研究は進んでいるよ。

それに漢訳が逆訳出されていたと仮定しても、天台五時教判が正しい証明にはならない。

そして逆訳出の可能性は極めて低い。チベット語訳を見れば一目瞭然。日本にだって
正倉院にあるじゃないか。全然違うぞ。

いい加減なことばっかり言ってんじゃねえ〜〜。

196 :波木井坊竜尊@日蓮宗葵講@名前だけ仏所 ◆IByKs72gR2 :04/03/10 11:34 ID:Xnje6lqv
サンスクリット原典にはおおまか三系統ある。こういう研究はどの宗派でもやっているが、
霊友会や佼成会なんかも学術研究所でやっている。

学会は知らない。やっていても漢訳でないと彼らの教義は崩壊しちゃう。ガッチガチだからだ。
フレキシブルじゃない。だからサンスクリット原典は入れないだろう。


197 :母が熱心で困ってます ◆1Cz5bN8eQk :04/03/10 11:35 ID:oODJj1FS
>>188
>横からだが、たぶん正しい禅と瞑想の違いかな?
>一見すると同じ禅でも、「放下無」というように、
>「無」に囚われた禅は、駄目な禅なわけ。
>で、日蓮は教条主義的で、法華経に帰依しないなら殺してしまえ、
>そうすることが功徳だって言ってるように(秋元御書)、
>「無」に囚われた禅は、天魔だって言ったのではないかと。
>しかも日蓮にとっては、当時の禅宗にまともな禅僧がいなかったから、
>禅全てが天魔だという言い方になったのではないかと。
>日蓮の性格的な問題かな?

なるほど、確か同じ鎌倉時代に道元がいますね、日蓮は
道元についてもマトモではないと考えていたのでしょうか、
彼等に親交はありませんが、面識はあったようですね。
私は道元についてよく知りませんが、自分とは生まれも
(高貴な出身?)、方向性も正反対の道元を、日蓮としては
どうしても認めたくなかった、だからマトモじゃないと
決め付けてしまったのかもしれませんね。
私の勝手な推測ですが・・・

198 :波木井坊竜尊@日蓮宗葵講@名前だけ仏所 ◆IByKs72gR2 :04/03/10 11:38 ID:Xnje6lqv
禅やっても世の中何もかわらんからだ。(藁)

法華系は外に外にと向かっていく性格だからだよ。(ゲラ)

199 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/10 13:49 ID:Wz8xOxby
ぱきり、お前何いってんの?>195
誰にレスしてるんだ?誰が五時八経の話なんかしてるんだ?
頭大丈夫か?

200 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/10 13:56 ID:EHHwtTgS
サンスクリットって、あんなもの景気のいいときなら兎も角
景気悪いときに使うもんじゃない

201 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/10 13:59 ID:???
まあ、教義云々いったところで、
どこかの講頭はあのレベル。(ゲラ)


202 :Sb ◆SbSGI7AtEA :04/03/10 14:11 ID:rWetDS+i
>>188
日蓮さんは経典を軽んじる(軽んじているわけではないけどね)禅宗を
天魔と呼んだんだと思うよ
禅では経典など月をさす指のようなものとたとえますからね
法華経を月そのものとしている日蓮さんにとっては
天魔なんでしょうね
法華経を月そのものとしている点が、原理主義的なんですけどね

203 :母が熱心で困ってます ◆1Cz5bN8eQk :04/03/10 16:55 ID:oODJj1FS
>>198 波木井さん
>禅やっても世の中何もかわらんからだ。(藁)
>
>法華系は外に外にと向かっていく性格だからだよ。(ゲラ)

そうでしょうか?
自分の内面を深く見つめる事は必要ですよ、それで自分の出方や
やり方を変えれば、当然それに反応して相手が変わる場合だって
あるでしょう、その結果世の中が変わるという可能性は充分に
あると思いますが。

204 :母が熱心で困ってます ◆1Cz5bN8eQk :04/03/10 16:58 ID:oODJj1FS
>>172  Sbさん
>その素晴らしい人体にちょっとお手伝いしてみませんか?

UDの件は前にお誘いを受けた時に調べまして、やりたいとは
思ったんですが、ダウンロード(&インストール)が無理なんです。
今ちょっと事情がありまして(2ちゃんではこれ以上個人情報を
晒したくないな)、職場と自宅のPC環境を同じにしなければ
ならないんですよ、だから残念ですが協力は難しいのです。
もう少し先ならなんとかなると思います、スミマセンm(__)m

>>>169 >早く短いコテハンに変えておくれ

えっ、Sbさんまでそーゆーこと言うの?
陽子さんのスレでも同じこと言われてるのにヽ(`Д´)ノウワァァァン!

205 :春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y :04/03/10 18:34 ID:P3204xiD
>>142-143さん
重ねてのレスありがとうございます。
ずいぶん前になりますが、運営してるサイトに
以下のような論孝を載せたことがあります。

http://kibounokaze.hp.infoseek.co.jp/cult1.html

それから>>143で補足頂いた私の考えは、以下のサイトで読ませて頂いた
『対抗神話の罠』という指摘がヒントになっています。

ttp://osi.cool.ne.jp/UL/UrbanLegends.htm

都市伝説を扱った、大変優れたサイトです。
管理者の堅実な論孝が、カルトへの誘い込みや
宗教史を考える上で参考になりました。

件のサイトで指摘されていますが、例えばハンバーガーに
ミミズが使われているという都市伝説がある。
その不安に対し、「ミミズを使うと返ってコスト高になる」
という『対抗神話』が示されると、それへの安心から
「本当にミミズは高いのか?」まで自分で調べてみようとは思わない。
これが対抗神話の罠です。

カルトへの誘い込みの段階では、類似の手法が多く見られます。
まず不安を提示し、解決策としてカルトの教義を説く。
不安に駆られた心の隙を突くわけですが、同種の不安を感じない人には、
何故被害者が荒唐無稽な教義にハマったか分からない。

だから「自分は大丈夫だ」と安心する。
その心の隙をさらにカルトが狙う
――概ねこのようにして、カルトの問題は拡大再生産されています。

206 :春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y :04/03/10 18:34 ID:P3204xiD
大体において、私たちはそう理性的な存在ではないし、
理性的な人でもいつもそうとは限りません。
創価公明板で読まなければ一笑に付すような内容でも、
学会への怒りで頭がいっぱいの時、
学会批判と一緒に読むと何となくもっともらしく見える。

ネットでは、見てる誰かが横やりを入れる事もありますが、
思い余って相談した友人が、飲み屋にでも誘ってくれて
親身に話を聞きながら『こういう考えもあってね…』
と語り出したらどうなるか?
「それも別のカルト思想じゃないか」とは言えませんよ、中々。

マインドコントロールはこのように、
まず客観的で冷静な視点を奪うところから始まります。
結果として信じ込まされる教義のでたらめさに、つい目がいきがちですが、
誰も『客観的で冷静な視点を持っている時』
に騙されたわけではない事には注意が必要です。
信者にとっては、飲み屋で示してくれた友人の親身さ
(むろん喩えであって実際は各人千差万別です)
という体験あっての信仰ですから、
自分でその間違いを検証するのが難しいのだと思います。

207 :春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y :04/03/10 18:49 ID:P3204xiD
>>189 sbさん
sbさんと私の立場を入れ換えると、こういう事です。

「念仏はカルトにならない。」

「じゃあ親鸞会はどうなんだ。」

「あんなの念仏じゃないよ。念仏は功徳も現世利益も説かない。他力が分かってないんだろう。」

「戦国時代の本願寺は?」

「後の法主たちが蓮如の指導と全く違うことやったからね。
あれは戦国という時代のせい。だから戦国が終わったら自然解消した。」

↑言ってる理屈は、まぁ間違ってない。sbさんが禅を語る時、波木井さんが法華を語る時もこれと同じで、
それぞれの宗派の事はちゃんと分かって話してるんです。理屈上も信仰体験上も。

でも私がこんな事言ったら、教えにとらわれて現実が見えてないって思うでしょ?
私がどう理論武装しようが、世間一般から見たら親鸞会は念仏です。

sbさんは、書き込みから考えてもカルトやマインドコントロールをご存じない訳ではないでしょう。
私の>>101にも感情的な反論を返されなかったという事は、もうお気付きなのかもしれない。

なのに>>186のような指摘を受けると、相変わらず脊椎反射なレスを返す。
私も_さんも、本当の禅とは言えないと断った上で指摘してますよ、始めから。

208 :春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y :04/03/10 18:50 ID:P3204xiD
http://www.google.co.jp/search?q=cache:3DipuLStj0UJ:www.forum21.jp/contents/03-3-1.html+%E7%A6%85%E3%80%80%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%88&hl=ja&start=4&ie=UTF-8

禅とカルトで検索しただけで、容易に↑みたいな内容がヒットします。
禅のシステムはカルトに利用され易い。
瞑想については_さんの指摘通りですが、例えば公案は
論理階梯構造を持つダブルバインドとして機能します。
それは悟りへの促しとしても働きますが、同時に思考停止へ誘導し支配するのにも使えます。

http://www.google.co.jp/search?q=cache:Enu3jMUTnXUJ:www.let.osaka-u.ac.jp/~irie/ronbunlist/paper9.htm+%E3%83%80%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%90%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E3%80%80%E5%85%AC%E6%A1%88&hl=ja&start=5&ie=UTF-8
http://www.google.co.jp/search?q=cache:TU9DuXTD0oUJ:www.ii-okinawa.ne.jp/people/apollo/flo/sr_no15/ken_5.htm+%E3%83%80%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%90%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E3%80%80%E5%85%AC%E6%A1%88&hl=ja&start=7&ie=UTF-8
http://www.google.co.jp/search?q=cache:IX7D7W8J2YwJ:www.human.ritsumei.ac.jp/project/archive/series/no3/abe.pdf+%E3%83%80%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%90%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E3%80%80%E6%95%99%E8%82%B2%E3%80%80%E6%94%AF%E9%85%8D&hl=ja&ie=UTF-8

209 :春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y :04/03/10 18:52 ID:P3204xiD
小難しい専門的言い方を避けるなら、以下のようになります。
どう答えても怒鳴られたり殴られたりするから、
その内自己の思考を放棄するようになる。
しかも使われているのは、古来からあまたの禅僧が挑んだ公案で(教えへの権威付け)、
怒鳴られたり殴られたりして否定されるのも古来の修行法通り(目的のすりかえ)。
だからこれは正しい仏法で、従っていればいずれは悟れるんだ(思考停止による服従)。
これでカルトがひとつ出来上がりです。

もちろん、こんなのは本当の禅じゃありません。だから私も野狐禅だと断って指摘した。
禅家のあなたが野狐禅の意味を知らないはずはないでしょう?

なのにどうして、とっさに否定したくなったのか。
その心理が、学会員がアンチの言い分を、検討もせず言下に否定する理由です。

なまじ禅やカルトについて知っていて、「分かっている」という自負があると、
とっさに自分にとって一番快適な情報を取捨選択してしまう。
この感情に、マインドコントロールの問題は根ざしています。
だからカルトの信者も、自分たちとは別のカルトのおかしさだったら、すぐに気付けるんですよ。

『知っている』のと『分かっている,行動に移せる』のは別のことです。
だからこその教外別伝、仏典をそらんじても日常の判断に生きてこなければ、それは朱鞘の木剣です。

210 :春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y :04/03/10 18:56 ID:P3204xiD
>>186 _さん
前スレで適切な指摘をなさってたのは拝見しました。
いささか多忙だった上、拝見した時はスレ容量がいっぱいでしたので、
レスが返せず失礼致しました。

他宗のことばかりあれこれ指摘して
自宗の問題は頑として認めないのでは、日蓮を笑えないと思います。
私が「法華経は釈迦の死後出来た経典」と偉そうに指摘しておいて、
「観無量寿経なんて中国選述の偽経じゃないか」という指摘には
ムキになってたら、どれほどみっともないか。
要はそういうことなんですが。

『南無を避け 四字と五字とで九字となり 一字のことで住持めいわく』
↑一休の歌です。
四字は阿弥陀仏、五字は妙法蓮華経を指します。
同じ後世の大乗仏教の分派同士が、禅だ題目だ念仏だと
本家ぶって競うのは、無宗教の人から見たらバカです。
バカだと言われて、「宗教はそういうものなんだ!」と開き直ればさらに愚の骨頂です。

そんなことになるんだったら、座禅も題目も念仏もやらん方が宜しい。
世間にも迷惑。無宗教が一番です。

『成仏は 異国本朝もろともに 宗にはよらず心にぞよる――一休宗純』

211 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/10 21:50 ID:???
>>207 蛙な
>なのに>>186のような指摘を受けると、相変わらず脊椎反射なレスを返す。
>私も_さんも、本当の禅とは言えないと断った上で指摘してますよ、始めから

何を取り繕って尤もらしく『』つけてんだよ(w。モ舞いだ勘定的な決め付けして
いたのを指摘されてそれでそんな『』つけで返すのはおまえらしいと言っておく
までのことだ。それがどうした。モ舞いラがホントにものを読んでねえで勝手な
決め付けだけで悦に入ってる連中だと再三注意しているんだが頭が固くで物が見えて
ねえだけだろがよ(ww。

まずあんたの書いたことを全部読んでそこでミスリードしている根底はだ、
あんたはおれのいった「禅はカルトになどなりはしない」って発言に以上に固執
してこだわってるってことだぜw。それがどうした?

それでまあこうやってふんどし締めなおしてどっこいさっと書いてくれたのは
在りがたいが、そらちょっと検討はずれだぜ。おれは別に「やこ禅」がないなど
とは言ってない。しかもカルトの種類は元々はジョーンズ集団とかの集団自殺教
だの統一教会あたりから有名になったさえ知ってるさ。だがだからそれがどうした?
ここは創価学会の問題を扱ってんだろ?創価学会がなぜカルトとして日本を蹂躙
できたのかを分析して、その問題の根源がなんだったのかを議論してるんじゃねえ
の?おれはその原因を指摘してその原因を、禅は持っていないぜということを強調
してきたんだが、わからんのかい?なあ、あんたの大げさな学問かじりよりな、
「現実の創価学会員のマインド」がどうなのか、そしてその病理を解読してその
回復を試みるためにこうやってやってんじゃねえの?な、わかるかい?あんたの
杞憂もわからんじゃない、しかしそれはあまりにも腰が引け過ぎてるぜ。おらそう
思うけどねえ、どうそれは?

212 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/10 21:56 ID:???
>>186 _とやらさんさ
>これらを書いたにも関わらず理解できないし、
>理解したくないアホだから(w

アホは余計なお世話だぜ。てめえの心配してろ。「おれが理解していない」とあんたが
「決めつける」根拠は何もないんだぜ。それをちゃんと言ってやろう。よく聞けな。

>前スレで、禅が、臨床心理学に利用されていること。
>森田療法や内観慮法がそれであること。

そんなことは常識の部類。

>そして内観療法が、半畳程のスペースに衝立を立てて、外部との接触を立って、
>自問自答をする方法であること。そのテーマは、家族との関係だけど、これを別の
>テーマにすれば洗脳に利用できること。つまり禅が心理学的に洗脳に利用できる体系
>であること。

Sbも>>189で言っているが、禅の思想がそんなインスタント内観なんかと一致する
という見解自体がおかしい。内観法なんてのが仮に禅に似た方法を取っているから
といって、そして「内観法的」精神療法がカルトに流用されるからといって、
それが禅思想がカルトに流用される心配なぞするには及びませんがねw。

あんたさん、ちょっとどうかしてますぜ。蛙といっしょになって図に乗る
のもいいが、世間の俗説で自分の主張を形成するのはずいぶんと益のない話だな。

213 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/10 22:00 ID:???
>>188
>で、日蓮は教条主義的で、法華経に帰依しないなら殺してしまえ、
>そうすることが功徳だって言ってるように(秋元御書)、
>「無」に囚われた禅は、天魔だって言ったのではないかと。

ま細かいことは言わないが、この文章はなんとも意味のとりにくい文章だな。
よければより深い解説をたのむぜ。よければだがなw。理解できんアホ
呼ばわりする以上はモ舞はどれだけ意味の通る文章書いてんのか聞きたい
もんだがどうだや?フンだぞ。

>>190
>話を戻して、禅も念仏も同じなら、実は題目も同じでは?
>と思うだろうけど、それは正しい。
>題目に囚われて、唱題しても意味がないわけ。
>だから功徳を積むために題目をあげるのは、否定される。
>成仏するための題目もまた同じ。
>ただ座禅せよ、ただ念仏せよ、と同じく、ただ題目せよ、なわけ。

ということは、「題目も一種の瞑想だ」という理解でいいってことか。とすると
日蓮にとっては「題目で瞑想(漢訳経文の「禅・定」ね)しているから」法華経の
中味に逆らってはおらぬぞ、というロジックが組めるんだから、法華経に背反する
ことを主張しているわけじゃない、いくら題目唱えでもな」ってな話として受け取る
べきだと言いたいようにみ見うけるが、これでいいのかい。

214 :乾闥婆:04/03/10 22:01 ID:???
>>197
母が熱心で困っていますさん。
道元と日蓮はおそらく直接の面識はないと思います。道元の活動の中心は畿内
にあって、日蓮が叡山へ遊学する時期あたりで、越前の山奥に身を引いてしま
います。逆に道元が鎌倉へ布教のために赴いた頃はまだ日蓮は畿内にとどまっ
ていたようです。日蓮の残した文章にも道元の名はないようです。日蓮の禅宗
批判で名前が挙がるのは、能忍、円爾、蘭渓といった人たちです。批判は教外
別伝、権門への接近、といった点があるようですが、教外別伝に慎重で権門と
の折り合いもうまくなかった道元と、もし面識があったらどのようであったか、
非常に面白いと思います。

215 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/10 22:11 ID:???
しかし、もしそうだとすれば、日蓮が「禅の別形態を発案しただけ」って話になるぞ。
ぱきり氏もこれでいいのか?>も舞いは全然答えてねえぜ。_ちゃん&蛙にモナジでええか?

つまり禅定に入る方法論として、黙って坐り呼吸に心を合わせるだけの方法じゃなくて
このマントラ(結局はマントラだということになるな、瞑想方法の一つとして主張する
のだとすればだ)を唱える瞑想方法が、釈迦の推奨の方法なんだから、喪舞いラは全員
この方法に限定してしか瞑想しちゃならんのだぞ、と言ったということ同値になるだろ。
どうだあ?なあ、日蓮宗のおっさん坊さん(かな?)、こう了解しろってことでいいん
だろな。

そうしないと、モ舞いがおれの3つのテーマで聞いていることに答えたつもりで聞いて
いいのかどうかを判断できんぞ。これでいいのかい?

しかしな、これでもわかるが、まるであんたら日蓮宗がらみの連中が「禅もカルトになる」
って説にこれでもかと取りつくのには理由があると思うね。それは、現実に1000万人の
カルト人口(創価学会というそれ)を生み出した元がほかならぬ、日蓮であり、道元では
なかったことを、どうしても受け入れたくないからだろ?どうかね(w。

わしが何で日蓮を否定するべきだ言うのかというなら、それは日蓮が元になって始めてこの
1000万人の創価学会はできたからさ。かつて日蓮がいて、ああやって題目行を世間に広めて
しまった責任はどうみても奴にあるといわねばならぬ。そしてそれがそれを唱えるとカンタン
に陥りやすいあの「生命力増大意識」おれ流にいえば「えらいもんになんた意識」「王の意識」
であり、ときに「集中力を増大させて試験勉強だの仕事のやる気だのに関係しやすい能動的
な意識」を増幅させる効果だけにもカンタンに繋がりやすい呪文・マントラとしての効果
だけを強調してカンタンにカルトを作れるおちゃらけをやらかしてくれたからだよ。禅は
どうやってもこうはならない、だから禅が現世利益で煽ったって同じことを実現できたはず
はないと言ってるわけだよ、それだけだが問題だったか?「ここでは」も舞いの杞憂は
あくまで杞憂w>蛙。ホントに別カルトが狙ってるってんならその時にキチント言って
くれやな(www。

216 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/10 22:32 ID:???
>>214 乾ちゃんその節はどうもですたでごわす。貴重なご意見どんもでごわす。
それにしても研究熱心には驚く次第、いつも悟立派ですた。今ちっとまだ終りませぬで
ちっと失礼仕りまするが、道元もまた釈迦恋は日蓮と変わらぬとも感じる次第で候ふでつたね。
--------------------(>>215続き)
「もしやるなら、そういう精神下に医学的な効果は確かにあるわけだが、そうならその『機械的
な効果』として存在しているものは宗教ではなくてちゃんと『科学として分析の俎上にのせて
正しく考察すべき』だ、『それを宗教的観念といっしょにしてごっちゃにしてしまえば、人の
精神を束縛し呪縛する方法論にカンタンに移行していく』、そして非常にいともカンタンに
そうなりやすい教義、それ自体に重大な問題がある、そういうことじゃねえのか?と盛れは
言ってるわけだよな。

だからこそ日本では現代という宗教未開拓の時代にあわせてカンタンに「創価学会」がその日蓮
の教説(実際に現証と称して病気が治る、ご利益がある、福運がある、罰もあると彼は言ってる
わけだから問題の根源だと指摘されて十分余りあるだろがw?)で、現実に驚きべきことに
1000万人も手下を作っていいようにしちまったわけじゃねえかよ。なあ、こら立派な「日蓮の教説
に立派に依拠した成果には違いない」んだよ。それが「唱えれば結果は同じものになる種類の」
宗教だからなんだと主張していることさ。禅はこうじゃないだろと言ってるんだよ。

だからマントラ呪文教であるには違いはないわけだとな。仮にだ、もしその時に「唱える
ときに持つべき意識の違いには注意しなければならない」というのであれば、それについて
は"イの一番に"その注意があるべきじゃねえのか?つまり日蓮自身がその瞑想方法の危険な
落とし穴について、禅で師匠が「それは魔境である!やり直してこい!!!」と言い放ち、
修行やり直しさせてきたの同じほど重要な注意になるべきだったわけだよな。

217 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/10 22:47 ID:???
それが無いならば「欠陥瞑想方法」としてしか題目行は成立しないことになる。その日蓮の
主張自体がそこへ持ってきてただちに「現証論+仏罰地獄行き論で輪を掛けて煽りに煽る教説」
になっている以上、もはや全くの欠陥教だったと言うことになるだろが。

では翻ってだ、「禅」とはそれほどの欠陥を有しているのか?どうだい?禅が人間を煽って
どんどんカルト信者を増やして手下化し、世間に大迷惑を掛けて日本を裏から牛耳る大集団で
政治権力も思いのままにしたんだろうかね?1000万人のカルト教をつくってからして中身の
ない「宣伝だけのセカイワーヘ運動(ノーヘルワーヘ賞くんろポッチイよお)」なんてやらかして
1000万人右往左往させてあげくには現実にやってきたことは言論弾圧だいやがらせでキンジョ
迷惑だストーカービラ撒きだ、YahooBBユーザー情報盗みだってな総スカン状態にしちまった
てなことがあったわけでしょうかい?

こら「全部日蓮教の欠陥の結果」だと言えるんじゃねえの?もしそれが「法華経の瞑想推奨に
反しない新瞑想法としての題目上げ」教だってんならだよ。それが呪いマントラにカンタンに
変貌する下地を日蓮自身が全然見てなかったてことであり、むしろその方向に流れることを
推奨していさえするかにも見られかねない彼の言動が根底だろ。そもそもそれが不完全瞑想法
の結果だったってことじゃねえんですかい?バランスを失った行け行けどんどん太鼓でどんどん
教に欠陥があるんじゃねんですかい?そういえば、あの釈尊会の教祖も金まみれの醜聞で世間
が今かまびすしいが、何かお騒がせなのはいつも日蓮系なのだぜ。この事実は重要だろが。

戦前のお騒がせも結局は日蓮系だったじゃないかい?石原莞爾の満州帝国暴走、北一騎だの、
あるいは日蓮主義の暴走も全部日蓮の末路の結果じゃないかい。どれもみんな不完全瞑想法
の結果、それがありとあらゆる不具合と崩壊の原因を作ったってわけだ。これらの大半が禅の
結果だったわけじゃ全然ねえんだぜ?わかる?ねえ。とにかくなここに至って見当違いの言い分
は全く話にならねえのよ。

218 :波木井坊竜尊@日蓮宗葵講@名前だけ仏所 ◆IByKs72gR2 :04/03/10 22:52 ID:Xnje6lqv
>>199
何言ってんだよ。法華経を見直そうというのは潮流だ。漢訳以前のサンスクリットから
考え直そうというのが今の考え。漢訳からナンチャラは意味がないっていってるんだよ。

>>203
内面を深く見つめることは大事だが、それでは現状変わらない。学会もそうだが、外へ外へと
拡大していくが日蓮系の特徴ですよ。

>>207
まあそうだよな。(苦笑)

ただこういうと誤解があるかもしれないが、私は念仏を全否定するつもりはない。宗祖日蓮大聖人も
千回題目唱えたら1回ぐらい唱えてもええ、ぐらいのことは言っている。当時の禅は不完全だったし、
禅は体制側にくっついていたから、なおさら批判の対象になった、とそういうことだと思う。

219 :Sb ◆SbSGI7AtEA :04/03/10 22:54 ID:md41DQYg
>>214 >乾さん
日蓮さんと道元さんが入れ違いってのは歴史の面白い点ですね
まぁ、名前ぐらいは聞き及んでいたのではないでしょうかね


220 :波木井坊竜尊@日蓮宗葵講@名前だけ仏所 ◆IByKs72gR2 :04/03/10 22:55 ID:Xnje6lqv
何回も言うけど、題目は呪文じゃないです。身・口・意で唱えるもので瞑想とは違う。

カルトが使う手法で、創価学会の場合は、選挙の時なんかに”題目闘争”と称して、
長時間を多人数、狭い部屋に閉じ込めて何時間も唱題させる。これは一種カルト的手法
ですよ。

他日蓮系はこういう唱題のさせ方はしないんですよ。

221 :春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y :04/03/10 23:23 ID:???
>>204 母が熱心で困ってますさん
気にしなさんな。一々自分の事だと思うこたない。

あっちのスレの世界氏と1氏のやりあいには、もう口挟まない事。
巻き添え食っても仕方ないからね。
まぁ目立つと色々言われるもんだよ。私みたいな糞コテなら気楽なもんだけどw

>>214 乾闥婆さん
「一谷入道御書」は単なる禅批判でしたか。
道元に対する批判としては当てはまっていたような気もするのですが、
記憶がうろ覚えな上、手元に資料がなくて確認出来ないんですよ…。

222 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/10 23:30 ID:???
>>220
くだらない事はいい。
貴様が今やるべき事はNT○の個人情報漏洩事件のその後を説明する事だ、ヴォケ。

223 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/10 23:31 ID:???
日蓮 「やあ道元禅師、お元気でしたか?叡山を去られてから大宋国に行かれ、
    身心脱落のご印下を受けられ、さぞかし大目的を果たされ感無量でございましょう。
    私めも禅師をお慕い申しております」
道元 「いやいや大したことはござらぬですわい。あんたも法華経にしっかり信心されて
    おられるようで結構ケッコウ、もうけっこう、いやいやあっはっはっは」
日蓮 「しかしそれにしても禅師、昨今の禅の世界は全くひどいものだとは思いなさりませぬか?
    わたくしは兼ねてよりこのウレウべき現状を打破したく、釈迦ご出世のご本懐に反した
    禅の行く末を大変案じておりまする。この上は身命を堵してでも腐った禅僧どもを
    一掃せねばならぬと考えておりまする。いかにお考えでおわしまするか?」
道元 「そなたは若いからのう、まあそうお怒りなさるな。あなたが怒って諸悪莫作の仏教から
    外れるようなことがあってはなりませぬぞ。我らはみなお釈迦様のお弟子、尊い仏の息子
    ですからね、道を間違ってはなりませぬ。単えに世も仏世界なることを悟りてその
    大道を行くが如しでなければなりませぬ。怒りで身を滅ぼすなどはあってはなりませぬ」

224 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/10 23:33 ID:???
(続き)
日蓮 「ありがたきお教え、大変感謝に耐えませぬ。かたじけのうございます。しかし
    わたくしは釈尊の御教えに反せず、この一大仏道の本道を切り開く決心をなし、新しく
    一宗を立ち上げたく存じます。できればご賛同のほどをお願いしたく・・・」
道元 「なんとそうですか、それは大変壮大な心意気ですなあ、いや悟立派ですぞ。
    してそのご宗旨の本旨をばお聞かせくださるかな、よろしければお聞きしたく存じまする」
日蓮 「釈尊ご一大ご出世の大本懐である妙法蓮華経に帰依させたまえ、との一念でこの御経の
    首題をば唱えさせ、日本国を一大仏国土にさせたまえ・・・。これは浄土教の観無量寿経
    で大乗経の首題をゲキの衆生に唱えさせることを説いておりまする。日本国の民ははゲキ
    の衆生なれど下生の民にはあらず、かの法然聖人はそこを誤まりました。私はこの妙法
    蓮華経の首題を南無阿弥陀仏の変わりに唱えさせまする。いかがでございましょうか!
    かの釈尊も大変喜ばれると確信申しておりまする」
道元 「そうか、それは良いかもしれぬな。ただしおまえに一言言っておかねばならぬことはだ、
    春田の蛙のごとき行を行とするではないぞ、これは最も重要な忠告じゃ。よいな」
この後、日蓮は結局は春田の蛙の題目行を唱えて一生を終ったのでありますた。失礼しますた(w。
これはここの春田の蛙氏ではないのであしからずであるw。スマンな。

>>223
しかしそれじゃ「法華経が瞑想(禅・定)を推奨していることに背反する」という指摘は
どうするんですか?統合的に無矛盾系で答えられたい。わかりませんぞ>はキイ氏殿

225 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/10 23:39 ID:???
>>224 訂正
あ、スマソですた、>>223>>220 にですた>はキイし殿、よろすくね。

226 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/10 23:39 ID:???

             /  ̄ ̄ ̄ ̄ \
             /            、
           /     , -- 、 , --、 ヽ
  )'ーーノ(    r -───〔  . 〕〔   .〕--ヽ  )'ーーノ( 
 / 釈  |   l 6.     `ー '(、,) ー'   ヽ / 釈  | 
 l   ・  i´  し'       ノトェェイヽ     l l   ・  i´
 |  尊  l   ト、        ヽ`ー'ノ     / |  遵  l 
 |  ・   |/   ヽ       '⌒ヽ    ノ |  ・   |
 | 会   |       \__ '、__,ノ_/   |  会   | 
 |   !!  |     /                |   !!  | 
ノー‐---、,|    /                ノー‐---、,| 
 /        / ノ⌒ヾ、  ヽ    ノハ,      |
,/      ,イーf'´ /´  \ | ,/´ |ヽl      |
     /-ト、| ┼―- 、_ヽメr' , -=l''"ハ    |  l
   ,/   | ヽ  \  _,ノーf' ´  ノノ  ヽ   | |
、_    _ ‐''l  `ー‐―''" ⌒'ー--‐'´`ヽ、_   _,ノ ノ
   ̄ ̄   |           /

227 :母が熱心で困ってます ◆1Cz5bN8eQk :04/03/10 23:43 ID:8u5lX7wm
>>214 乾闥婆さん
どうも、はじめまして。

>道元と日蓮はおそらく直接の面識はないと思います。
そうなのですか、確かに日蓮側で道元に触れたモノは読んだ事が
ありません、ただ前にどうも面識があるような話を聞いたような
記憶があったので、私の勘違いだったのかもしれません。


228 :母が熱心で困ってます ◆1Cz5bN8eQk :04/03/10 23:44 ID:8u5lX7wm
>>221 春田の蛙さん

どうも無沙汰です、レスありがとうございます。
しかしあなたが糞コテならば、私なんか屑コテですよw
(あれれ屑のほうがマシかな?)

229 :Sb ◆SbSGI7AtEA :04/03/10 23:45 ID:md41DQYg
>>207 >蛙さん
んー>>186
内観を禅と呼ぶのは
腹式呼吸を念仏と呼ぶのと同じなのですよ

>>206
は確かに考えさせられました
でも、それを自分で、その呪縛を自分で振りほどかなければならないのが
禅なのではないでしょうか

言葉にすると逃げていってしまうので、
的確な表現は出来ていないと思いますが、勘弁してください

230 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/11 00:08 ID:???
>>220 はきり氏、
それから、そういうことならことで、

>>216-217
>仮にだ、もしその時に「唱える
>ときに持つべき意識の違いには注意しなければならない」というのであれば、それについて
>は"イの一番に"その注意があるべきじゃねえのか?つまり日蓮自身がその瞑想方法の危険な
>落とし穴について、禅で師匠が「それは魔境である!やり直してこい!!!」と言い放ち、
>修行やり直しさせてきたの同じほど重要な注意になるべきだったわけだよな。
>それが無いならば「欠陥瞑想方法」としてしか題目行は成立しないことになる。その日蓮の
>主張自体がそこへ持ってきてただちに「現証論+仏罰地獄行き論で輪を掛けて煽りに煽る教説」
>になっている以上、もはや全くの欠陥教だったと言うことになるだろが。

こういうことになるわけでつよね。これを日蓮はしてないんじゃないの?だから
平気で創価学会みたいのができるわけですよ。それはいともカンタンに移行してしまう
意識ですよ。あのお題目唱えは、そのときの意識次第で集中力前頭葉血流促進モード
に入ると「自分はとても優れていてナンでもできる意識」モードに入り、その集中力
で成績も上がったり、現実に物事にプラス指向で臨めたりするメリットは確実に体験
できるわけだよな(といってもナムアミダブツでもあの唱え方でやって松果体方面から
の頭頂部からの影響力を遮断すればすぐにも移行していくのも経験可能だったがw、
現実に広まってるナムアミダブツはこんな唱え方しないからたぶんナムアミダブツで
これを感じた人はおそらくこれまではいなかっただろうけどね。しかしこれは結局、
そういう生理学的効果はお題目の専売特許じゃないってことだよ、これ唯一性の否定
の根拠にはなってるな)。

で、日蓮はこの創価学会に対して「非常に大きな責任があると言い得る程に」欠陥教
を生んだってことでいいよね。どうですか?>はきりさん

231 :波木井坊竜尊@日蓮宗葵講@名前だけ仏所 ◆IByKs72gR2 :04/03/11 00:11 ID:IbQypRpP
欠陥とは言えないんじゃないかな〜〜。学会が悪用しているだけだよ。
そういう批判は実は、昭和意30年代からずっと続いていて、君の言ってることは
決して新しいことじゃないんだよ〜ぉ。

232 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/11 00:14 ID:???
NTTから慰謝料はいくらもらったんだ?

233 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/11 00:25 ID:???
>>231
何年前から言われていることであれ、深く掘り下げる必要があると考えられるわけです。
ここのところは。

>欠陥とは言えないんじゃないかな〜〜。学会が悪用しているだけだよ。

現実に学会式のモチーフを持たせて宗教のしゅの字も知らない人間にいくらでも唱えさせ
ることができるわけですよね、つまりマントラになってしまっているわけですよ、その
時点でね。そしてそれは呼吸法としてのクンバカ(止息法)などと十分関係しているこの
唱え方は、すごくカンタンにできる(つまり日蓮が易行として誇り学会もそれとして
誇っているわけですね)行で(しかもすごく"力の出る"それとしてですね)カンタンに
広まり易いわけです。

禅みたいに坐るのは大変だとか、足が痛いとかもない、「だから優れている」、カンタン
インスタントは現代に合っていてこの上なく便利だろ、困ったときはすぐに題目、さあ題目、
ほら題目てな感じで煽るのはカンタン。そして日蓮自身がその功徳だ福運だ奇跡だ、どうだ
スゴイだろどうだ、どうだ、と誇っているではありませんか。

これは創価学会が煽っているのではなくて、明らかに日蓮が元々煽っているわけですよ。
あなたはこれに答えていないですよ。

234 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/11 01:14 ID:???
>>220
それに「身・口・意」だから「違う」といっても、それがホントだとしたら、これは
どうするんですかね?

>>220
しかしそれじゃ「法華経が瞑想(禅・定)を推奨していることに背反する」という指摘は
どうするんですか?統合的に無矛盾系で答えられたい。わかりませんぞ>はキイ氏殿

それから、実際には瞑想と言ってもね、瞑想ということ自体の意味がすでにあなたの言う
「身・口・意」そのものでもあるわけですよ。

瞑想が深まれば、それがこの「身・口・意」に反映することになる。つまりはそれが般若波羅密
に現れて「身・口・意」になり、結局は常時が瞑想の継続状態になる。もしその延長にある
と考えているのなら「題目行も瞑想の一種」だと言えるでしょ。

禅も禅の最中だけが禅ではなく、キンヒンも立禅でしょ。これも「身・口・意」と言えなく
もない。ならば、「身・口・意」だから「瞑想じゃない」あるいは「禅・定」じゃないとは
言えない。

235 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/11 01:26 ID:???
だからむしろそう考えて「題目行も禅の一種」としなければ、法華経の「瞑想(禅・定)推奨」
に背反したことを日蓮自身が言ったことになって返って困るわけでしょう。だからここは日蓮は
「禅、あるいは天台の止観、あるいは真言のアジカン瞑想などの改良、止揚をしたつもり」で
言い出した主張だったってことだと解釈するしかないんじゃないのですか?でそれが講じた末に
日蓮においては従来の禅や真言は「釈迦の本懐から外れてるから不完全」「末法ではこれだけに
帰依し、観無量寿経が言ってる通りに、我々ゲキの衆生はこの法華経の首題を唱える"だけに"
しなければならんのだ」「法華経の題目行だけがトランスに入れる有効な上薬なんだ」と「絶対
的なまでに強調」するに至った。

でその行は「簡易行」で「すぐに集中力モードに入れる」から「優れている」、これをやれ!やれ!
どうだ、どうだ、となったわけじゃないんですかね?これが日蓮の思考方法であって、結局この
一連の思考のフローが如実に現代の創価学会に現れているということじゃないのですか?つまり
日蓮の思考自体がカルトを指向しているのじゃないんですか?

「意識の持ち方を指導していない日蓮」が、彼自身が元々そのマントラ行としての結果が「良い」
ものをもたらす福運の仕業で功徳が高いからこれをやらねばならぬ、ゲキの人間の幸福のために
やらせるべきだと思考したんじゃないのですか?彼を良く受け取ればそう言うことでしょう。違い
ますか?

236 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/11 01:33 ID:???
ならばそれは瞑想法の一種として現実世界での善の源泉として考えていたわけであり、瞑想を止揚
せんとする意識の延長にあったのであるとすれば、結局はそこで「どんづまりにする」べき必然性
はないわけですよ。

さらに瞑想を科学し、あるいは不可知のハードウエアのフレームワークを決め付けで云々する非科学
に移行することなく、冷静に現代の瞑想法の発達あるいは悟りの在り方を「探求」するという指向
をすればよいだけではないのでしょうか?

そうすれば、もう宗教的な煽りもなく、どこか特定の方向に仕向けるでもない、しかし良く受け
取れば日蓮の目的意図にも反しないで、万事丸く収まる現代の瞑想と祈りの発達になるはずでしょう。
もう一宗一派の枠がどうのという時代じゃないんですよ。そこをトータルで宗教心理学的な探求と
いう形に舵を切りなおすべきときに来ているはずなんです。創価学会員の人々もそうした理解に
到達させることは可能なはずです。そのための道しるべを与えるべきです。その意味で書いてきた
わけです。

総合的にトータルでものごとを全面から考え、あらゆるものを理性の俎上に乗せてすべてを改善して
いくべき時代になっているはずです。これを言いたいわけですが。そこにしか宗教の止揚も、思想の
止揚も、世界の止揚もないでしょう。どうですか?

237 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/11 13:17 ID:3x4rvB0m
身・口・意は仏教の基本でつね

それぞれを強調したのが
身=禅
口=日蓮
意=浄土
ともいわれていますね。

でも創価は・・・

238 :母が熱心で困ってます ◆1Cz5bN8eQk :04/03/11 17:40 ID:KdjjDSpi
>>236
>もう一宗一派の枠がどうのという時代じゃないんですよ。そこをトータルで宗教心理学的な探求と
>いう形に舵を切りなおすべきときに来ているはずなんです。創価学会員の人々もそうした理解に
>到達させることは可能なはずです。そのための道しるべを与えるべきです。その意味で書いてきた
>わけです。
>
>総合的にトータルでものごとを全面から考え、あらゆるものを理性の俎上に乗せてすべてを改善して
>いくべき時代になっているはずです。これを言いたいわけですが。そこにしか宗教の止揚も、思想の
>止揚も、世界の止揚もないでしょう。どうですか?

仰ることはよく分かるし、大変もっともな主張ではあるのですが、今だに"破邪顕正の剣"や
"仏法は勝負、勝利こそが正義の証"などと本気で思い込んでいる宗門信徒や学会員に対して、
その事をどう伝えればいいのでしょうか、あなたの言う"道しるべを与える"という言葉は
具体的にはどうする事なんですか?
対立する宗教宗派を止揚の方向へ進めるには、まず宗派の違いを乗り超えて尊重し合う姿勢が
不可欠です、しかし排他的な教義を持つ教条主義の組織ではそれが非常に難しいのですよ。


239 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/11 18:34 ID:???
>あなたの言う"道しるべを与える"という言葉は
>具体的にはどうする事なんですか?
236じゃないけど。
“与えられた情報を鵜呑みにしない。また即座に否定しない。
大事な情報であれば、注意深くその真偽判別を行う。
(自分にとって重要な情報でなければ無視していい)
その上で間違いなく真実だと判断できれば受け入れれば良いし、
間違っていると判断したら捨て去れば良い。
そしてまた真偽判別を行った手段も真偽判別の対象にする事を
忘れない(無限背進にならないよう注意)。”

まとめるなら
『他人任せにせず自分の頭で考える、そして考える自分の頭そのものも疑ってかかる』
こんな感じ?
情報化社会を生き抜く為の汎用的な方法論に過ぎないけどね。
これを更にくだけた言い方するなら、かのひろゆきの名言
「うそをうそであると」
になるかな?

240 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/11 18:37 ID:???
>しかし排他的な教義を持つ教条主義の組織ではそれが非常に難しいのですよ
組織そのものを相手にする必要はないよ。
あなたが石山宗門や学会そのものを相手取るような大者であるなら
当然それを考える必要がでてくるだろうけどね。
平均的な日本人が考えなくてはならないのは
「組織に所属している知人」レベルの話じゃないかね?
なら個人レベルで話をすればいいよ。
的を絞るべきは「刷り込まれた排他的な教義」そのものだし、それなら
幾らでも攻撃できるだろう?

その相手が完全にマインドコントロールされているなら廃人になるまで
追い込め。そこまでするほどの相手じゃなければ無視して宜しい。

なんか問題あるのか?



241 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/11 18:45 ID:???
石山系教義への攻撃に使えるアイテムを一つ紹介。
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/itamandarasingi.html
関連事項
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/n_kusuyama_001.html

近日このサイトの主催者、犀角独歩氏がこれら:大御本尊に関する総まとめ
とも言える著書を刊行されます。興味を持たれる方は、このサイトをこまめに
巡回下さい。


242 :母が熱心で困ってます ◆1Cz5bN8eQk :04/03/11 18:49 ID:KdjjDSpi
>>239
『他人任せにせず自分の頭で考える、そして考える自分の頭そのものも疑ってかかる』
それを学会マンセ〜の母にさせることは、ほぼ不可能に近いのですが・・・・・

>>240
組織をどうこうしようなどと大それたことは考えてません、
しかし問題は、"自分の頭で一切考えない盲信の母"なんですよ、
母を無視や放置はできません。

243 :乾闥婆:04/03/11 19:15 ID:???
>>219
Sbさん
道元は洛外に興聖寺を建てて坐禅専修道場の経営に乗り出していますね。それ
ほど大きな勢力ではなかったでしょうし叡山の圧力もあったでしょう。道元自
身の寺院経営は失敗に終わって越前に移ってしまうのでしょうが、日蓮が上洛
した折りにその存在に気づいていたことはあるのかもしれませんね。尾張にい
た無住の『雑談集』に「一行の禅院」として話題に上がっているようです。た
だ親鸞・道元・日蓮といった各宗派の祖師たちは今でこそビッグ・ネームです
が、当時はそれほど大きな影響力を持つ名ではなかったように思います。日蓮
の批判の傾向として当時社会的に名声の高い僧があげられることを考えても、
道元はそこに引っかかってこなかったのでしょう。

>>221
春田の蛙さん。
「一谷入道御書」は禅宗批判に限定できませんし、むしろ後半はいつもの通り
の念仏批判に終始しているようです。ただ「今の世には法華経は・さる事にて・
おはすれども時によりて事ことなるなれば・山林に交わりて読誦すとも将又・
里に住して演説すとも・持戒にして行ずとも肘を焼いて供養すとも仏には・な
るべからず」といった文章には、山林に交わり、坐禅の他、晩年には法華経を
書写・読誦した道元を思わせなくもありませんが、とても道元に限定できるよ
うな文脈ではないと思います。

>>227
母が熱心で困っていますさん。
日蓮の畿内遊学ははっきりした内容が分からず、禅について誰に学んだのかも
よく分からないようです。日蓮が京に入ったのは1242年頃といわれています。
道元が入越する年が1243年半ば、両者が同じ時期に京周辺にいたのは長くて
一年ほどであったのではないかと思います。その意味では道元との面識があっ
たという可能性は皆無ではないのでしょうが、上洛した日蓮がまず目指すべき
は叡山であるでしょうし、その前に興聖寺を訪れて道元の教えを聞くというこ
とは考えにくいと思います。

244 :Sb ◆SbSGI7AtEA :04/03/11 19:27 ID:67Rgl6ES
>>242 >母が・・・さん
目を開こうとしない人の目を開こうとするのは
難しいですね、
でも、あなたが、目を開いて生きていけば
目を開いてくれるのではないでしょうか

四苦八苦から目を背けても、四苦八苦が消えるわけではない
四苦八苦を見つめて始めて、四苦八苦しながら生きていくことが出来る

のだと思います。

245 :母が熱心で困ってます ◆1Cz5bN8eQk :04/03/11 20:51 ID:KdjjDSpi
>>243 乾闥婆さん
>その意味では道元との面識があったという可能性は皆無ではないのでしょうが、
>上洛した日蓮がまず目指すべきは叡山であるでしょうし、その前に興聖寺を訪れて
>道元の教えを聞くということは考えにくいと思います。

なるほど・・・・・
私のうろ覚えでいい加減な発言に付き合って下さって恐縮です。
勉強になりました、ありがとうございましたm(__)m

246 :母が熱心で困ってます ◆1Cz5bN8eQk :04/03/11 20:52 ID:KdjjDSpi
>>244 Sbさん
激励ありがとうございます。
しかし、いつもクールなSbさんから優しい言葉をかけられると
ちょっと痺れますね(;´Д`)ハァハァ


247 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/11 22:08 ID:???
>>238
まだ終端していないとのことなので、ちょっとカンタンにレスしますが。

>仰ることはよく分かるし、大変もっともな主張ではあるのですが、今だに"破邪顕正の剣"や
>"仏法は勝負、勝利こそが正義の証"などと本気で思い込んでいる宗門信徒や学会員に対して、
>その事をどう伝えればいいのでしょうか、あなたの言う"道しるべを与える"という言葉は
>具体的にはどうする事なんですか?

仏教がなぜ勝負なのか、日蓮がどういう意味でそう言ったのかが重要であって、それは
「釈迦は本当はこう(法華経)いいたかったのだから、それに反したあなたがたの教えは
これこれこういう根拠でだめだ、だからこちらの言うとおりに改宗しろ」という意味だった
のですよね。

・ならば、その意味を明示し明確にして、創価学会が何をどういう意味で「勝負なのか」を
 はっきりと問いただすべきだと思われますね。それが日蓮の言ったことと違うのであれば
 それは日蓮を本仏と仰ぐ以上、矛盾するから棄却できるはず、となる。

 (ただ今の創価学会の会員の中には日蓮本仏論も否定して、日蓮は脱仏であり、その
 仏力は今の本仏である池田センセーに受け継がれている、だからもう日蓮にいちいち帰依
 することなく、池田センセーに帰依するのが正しい仏法だ、とか言う人もいるのでこれを
 こういう人に言ってもしょうがない。ここまで行くと、完全な池田教になるので日蓮の
 教えそのものからの脱出ではなく、池田教からの脱出が必要になる。それは相当むずかしい。
 そういう彼らは「池田教=本当の仏教」という曼荼羅に元に生きているので、もはや手が
 つけられなくなっている。もう助からない状態に近い。彼らに仏教の正論はこうだは通じず
 カルトの極限に行きついたという意味で救いようがない状態となっている。仏教論ではない
 次元で考えるべきか)

248 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/11 22:15 ID:???
>>238
>対立する宗教宗派を止揚の方向へ進めるには、まず宗派の違いを乗り超えて尊重し合う姿勢が
>不可欠です、しかし排他的な教義を持つ教条主義の組織ではそれが非常に難しいのですよ。

・ここでは他の宗教が手本になってまずすべての宗派を解消してしまい、創価学会が
 崩壊する道筋を先に示してしまうなども考えられる。

 指摘した「仏教は結局すべては釈迦の始めた瞑想(禅・定)の解釈とその
 発達の過程を示した」と考えれば、創価に言う前に既存の宗派が大同合意して
 先に宗派の解消ができるはずです。

 入り口の違いで先にあるものが結局は悟りと解脱の合意にあるのであるとどの
 宗・教も妥協できるのであれば、大同合意で「仏教」という一つの"宗派"に解消
 してしまうことは、それほど難しくないのではなかろうか。といえば理想主義に
 すぎておかしな話だと言われるかもしれないが、世にカルトの先例があるのは
 元を正せば既存の宗派の分かれ争いにも責任はあるわけで、それらが先に手本を
 しめして大道合意できればそれに越したことはない、むしろそうするべきでは
 ないか?そうすると返って面白いことが起こりそうではないか。

 その余勢を駆って、創価も解消させてしまう。会員自らがその指向になるように
 暗示的明示的にそれに合同するように意識の上から促すことが可能になるのでは
 ないか。これは「本当は」それほど困難とも思えないのだが。

249 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/11 22:28 ID:???
>>243
乾さん、しかしよく勉強してるね。あなたは集中力促進モードに入るために
お題目唱えて来なかったからあまり話が通じなかったのかもしれないけれど、
実際あなたはいつも集中力あるわけで、必要なかったのかもね。母さんも
スゴイけどな。それもお題目のおかげかなあ?
------
そこでですが、そうした行も含めて、題目の科学も、念仏の科学も、禅の科学も
すべて含めて、もっとさらにトータルな視点を含めて一切を宗教探求の科学という
合意の中で止揚していくわけですが、

・大同合意で大同「仏教」に合流できるのならば、そこでは釈迦が追求して
 菩提樹の切り株の上で体得した瞑想(禅・定)は、もっと現代の中で追求され
 そしてもっと理解され、その本質を冷静に追求し、探求してそれをもっと
 意味のあるものに止揚していくことが、大同「仏教」の意味にもなるはずで
 すから、そこで人々はそれまでの宗派の教説に制限されずに、自由にもっと
 瞑想(禅・定)を探求してよいとすべきことになるでしょう。

 その流れを創価学会の外で先に創っていくことがむしろ必要なのじゃないだろうか?
 それが世の中の大勢の流れとして認識されていくころには、創価学会のような集団は
 その流れの中で自然に解消していく(つまり会員自身が目覚めていく)のではない
 だろうか。

250 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/11 22:38 ID:???
これは、春田の蛙氏が私のことをTM瞑想の回し者などと誤解した発端になって
いるのかもしれないが、実際に今の日本の世の中で、現実に題目で集中力を出して
その信心が正当なんだと思う根拠にしてそれで試験に合格した、福運があった、
病気が治ったと考えて創価学会は現代の絶対宗教なんだ、それほど信じるべき
価値なんだと考えて1000万人が存在しているという現実をどう理解し、そして
それをどう処置するべきなのかという視点として、私はTMの例を出したまでに
すぎないのでしたが、そこを読めていないとあのようなお話になってしまうわけ
です。

ですから、現代でそれを奇跡として考えてそれを「宗教的奇跡の現れ」として
短絡させるのではないやり方、それを科学する方向もおそらくは必要だろうという
意味で申し上げたわけです。仮にそれが熱狂的なカルトを生んでしまうのなら、
静かに科学してそれが狂信に至らない方法論があるのなら、その方が現代にはふさ
わしいのではないか?または、それほどまでに現世利益ということの意味を考えたい
人々がいるのであれば、それをもっと掘り上げ、その意味のなんたるかをもっと徹底
して研究させる場を持たせるべきではないか、という意味があるのです。そうまで
しなければ、現代の1000万人の題目マントラ教の愛好者は決して自分の体験を相対化
できないだろうという意味なのです。よろしいでしょうか、そういう意味があるのです。

先に書いた「瞑想を推奨している」法華経に背反しないならば、この探求を彼らに
課するのは有意義なことであるはずです。

251 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/11 22:56 ID:???
これは別段TMに限った話ではなく、たとえば、題目による心の統一という状態がすべて
だと思ってしまった人に、その直後に「振動状態からぴたとしーんと静まった状態に入り、
そこで静かな複式呼吸の瞑想に5分だけでも入るというような、ちょっとした工夫だけで
も意識の持ち方というものは全然変わってくるということをも含んでいるわけです。

あるいは内分泌腺の科学はどうなっているのかという体内の働きについての科学者の研究
という側での探求も重要かもしれません。実際に題目のスゴイ効果などとして、顔つきが
変わって凛々しくなるとか、容貌がよくなったとかもしばしば言われますよね、あれはまるで
浄土教の仏様が「その徳を現わす何十何百の特徴がその容貌に表れていた」などとする諸法
実相の如くにも見えますね。しかしあれも実は内分泌腺の働き、神経の弛緩と緊張のバランス
変化によってもたらされた形質の変化でしょう。これも生理学になるわけで、瞑想と生理学は
切っても切り離せないものであろうと思われます。

かつては人類には宗教しかありませんでしたから、あらゆることは宗教の言葉で語られたの
でしたが、現代では科学という方法論が確立してきたわけです。そこでの物事の表現のされ方
はその真理性の正確な把握という人間としての本質に関わってくるはずです。ですから
いかなる宗教であってもそこに抵触するような思考自体が自ずから制限されなければならない
時代にななっていると考えざるをえないのです。科学は宗教を要らないものにするのでは
なく、その中で不用意に奇跡にされていた事の多くを「正しく解釈する手立てを提供するために」
必要になっているはずなのです。ここをあくまでも主張しているに過ぎないのですね。

これは禅の観念論と抵触しないので合えて私は書かせて頂いている次第であるにすぎません。
そこを誤解されないようにお願いしたいのですが。

252 :Sb ◆SbSGI7AtEA :04/03/12 09:30 ID:Me0exm1p
>>243 >乾さん
出会っていたら、面白かったでしょうね
日蓮さんの原理主義的な傾向も少しは薄らいだかもしれませんね
でも、道元さんも法華経禅などと呼ばれていましたからね


253 :波木井坊竜尊@日蓮宗葵講@名前だけ仏所 ◆IByKs72gR2 :04/03/12 22:09 ID:00mtxbr3
原理主義とは違うなァ。

254 :春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y :04/03/12 22:37 ID:???
>>252 sbさん
どうでしょう。方向性は正反対のようですが、
道元にこそ多分に原理主義で教条的なところがありますよ。
彼は多くの仏典をインド原典に遡って読破していますが、
単なるインドの社会風俗まで、仏法の作法として取り入れようとしました。

またその際、自身の好悪を優先した傾向もあります。
食事を手で食べるのはすでに廃れた風習だからと言いつつ、
口をすすぎ楊枝を使うのは、廃れた作法だから復活させたいと述べてます。

255 :春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y :04/03/12 22:39 ID:???
彼は師の如浄を尊敬していましたが、如浄の禅風を継いだというより、
自身の理想を如浄に当てはめて、自身の仏法を正当化していたようですね。

禅は始め独自の経典を持っていましたが、のちに教外別伝を唱えるようになります。
このために師資相承が重視されるようになり、
これが先師の語録や公案の尊重へと繋がりました。
道元もこれらは読破し好んで引用はしましたが、
同時に禅の教外別伝を批判して以下のように述べています。

『経巻は如来全身なり。
経巻を礼拝するは如来を礼拝したまえるなり。』

256 :春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y :04/03/12 22:48 ID:???
>>243 乾闥婆さん
そうでしたか。では私の記憶違いですね。
わざわざ調べて下さってありがとうございます。

>>253 波木井さん
指摘されたい事があるなら、一言レスで
いかにも「お前は分かってないんだよ」とやるのは感心しませんよ?
荒らし相手の時でしたら、必要な点だけ指摘して後は放置が正しいと私も思いますが。

257 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/12 22:50 ID:???
>>256
禿はかまってほしいだけ。無視無視。

258 :土田サポーター:04/03/12 22:53 ID:???
>253
死ねばいいのに。

259 :波木井坊竜尊@日蓮宗葵講@名前だけ仏所 ◆IByKs72gR2 :04/03/12 22:53 ID:8iZNhSf5
>>256
了解。

御祖様は教判して、法華経が最上王経だと判断しただけですよ。別に教条主義じゃない。
他の経典が優れていたらそちららを最上王経としただろう。

言いたいのはそれだけです。

260 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/12 22:57 ID:???
>>253 ハキイ氏
>原理主義とは違うなァ。

まずあなたはとにかく、>>234-236には同意されるのですか、違うのですか?ハッキイ
してください。法華経は瞑想を推奨していますよ。どうですか。瞑想を推奨しているだけ
であるのならば、それは確かに「原理主義にならない」かもしれませんね。日蓮は瞑想の
止揚のために題目行という方法論を唱えたのではありませんか?あなたの答えはYesと
いいながら矛盾が解消されていないんですが?これだけははっきりお答えになっておいて
ください。

日蓮のは、外へ外へだ、とかおっしゃるが、天理教のお神楽歌だの陽気踊りだのもみな
そんなものですが、それと同じですがなと言うことで、それなら瞑想の延長ではないと
いうようなことのおつもりなのでしょうか?それならそれでも、あなたはいいのかもしれ
ないですが、しかしそれではすでに何度も指摘した通りに、法華経の中味の主張と背反
します、そこを問うているわけです。これで矛盾なく答えるにはどう考えなければならない
でしょうか。こういうことを何度も何度もお聞きし回答を得ようとしていますが。

さてどうなのですか、ハキイ氏殿。

261 : :04/03/12 23:00 ID:???
>>196
>学会は知らない。やっていても漢訳でないと彼らの教義は崩壊しちゃう。
>ガッチガチだからだ。
>フレキシブルじゃない。だからサンスクリット原典は入れないだろう。

創価は、現に、サンスクリット原典を研究している(w
岩波文庫の法華経をベースに教学を構築したのも、
日蓮正宗の教学からすれば、本来ならおかしなこと。
創価は、もともといい加減なわけ。

それに創価の教学は、西洋哲学を引用して説明してある。
仏教の枠組みの中で説明するのが本筋なのに、
仏教とは根本的に思想的背景が異なる西洋哲学を用いるのは、
いい加減そのもの。

262 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/12 23:19 ID:???
春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y よ。
ズラ被りの妄想中年に、「さん」を付ける必要は無い。
奴の書き込みは、所詮、妄想だ。

263 : :04/03/12 23:20 ID:???
>>210
>同じ後世の大乗仏教の分派同士が、禅だ題目だ念仏だと
>本家ぶって競うのは、無宗教の人から見たらバカです。

確かに(w
でも名僧と呼ばれた僧侶達の説法によれば、
念仏も禅も、結局のところ同じなのだという境地に達する。
だから、本家ぶるのはないみたい。

264 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/12 23:22 ID:???
>>254
>口をすすぎ楊枝を使うのは、廃れた作法だから復活させたいと述べてます

まあ、廃れた作法だからというか、正法眼蔵随聞記では、確か彼は「食事して
口をすすがずものが挟まったままだと口が臭くて実に鼻持ちならない」と言った
らしく、「それで私は楊枝の使い方を教えてやっている次第である」みたいに
書かれているが。真意はそちらではないんですかね。

>道元にこそ多分に原理主義で教条的なところがあります

まあそうも見ることはできるでしょう。ですから前から書いているように、
また自分でも彼はあくまでも「釈迦に恋するほどに仰ぎ見て道を知らんとしなければ
ならぬ」という言い方をしているわけで、彼は「日蓮が天台の教学の影響で
法華経最勝だ」というようないかにも「機械的教条主義」のし方ではなく、
自分が得たと理解し得た悟りの意味を、その経文から学び得る意味が矛盾しない
範囲で彼なりの「禅的得悟の内容説明」の道具として利用できることを活用している
(それが当時の仏説である経文という認識においては可能であるからこそ)に過ぎない
と思われるわけです。

たとえば彼は「正法・像法・末法などという区分説などはただの方便にすぎない」
「いつであっても、誰であっても坐禅すれば悟りを得ることが可能である」「それに
よって身心脱落すべきである」と。これなどは経文奉り主義の日蓮とは大いに異なる
ところでしょう。さてどうでしょうか。>春田の蛙氏

265 : :04/03/12 23:23 ID:???
>>212
禅の「放下無」は、「無」に囚われる傾向を戒めるもの。
また公案は、最後に「無一物」と答えれば良いとされる傾向があり、
こうした形骸化を戒めている。
こうした形骸化した禅は、駄目な禅。
そしてその駄目な禅が、洗脳に利用されると言っている。
洗脳に用いるからこそ、駄目な禅なわけだが。

それから「内観法的」精神療法って何だよ。
常識と知ってるなら、そんなことは言わない(w

>ということは、「題目も一種の瞑想だ」という理解でいいってことか。
仏教の枠組みなのに、何故、こう理解するのか(w
例えば仏教の目的の一つは「成仏」であり、
「成仏」に至る方法として、あるいは「無一物」の境地に達する方法として、
念仏も禅も題目も同じということ。
もっとも「方法」として認識している以上は、「成仏」できないし、
「無一物」の境地にも達することはないが。

禅が「瞑想」ではないように、念仏も題目も「瞑想」ではない。

266 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/12 23:25 ID:dZfF5UXo
>でも名僧と呼ばれた僧侶達の説法によれば、
>念仏も禅も、結局のところ同じなのだという境地に達する。
そうなのかなぁ?
承陽大師(道元)は当時の日本仏教からは全く正反対の方向へ行こうと
していた、って思ってたけど。もっともその後の曹洞宗はまるっきり祖師の
考えを無視した方向に流れちゃったみたいだけどね。
(山口組系の袴谷憲昭著「本覚思想批判」より)
いや、よく判らんよ。私自身所詮はエピゴーネンだからね。
これが正しいって根拠はどこにもないわけだから。

267 :母が熱心で困ってます ◆1Cz5bN8eQk :04/03/12 23:25 ID:mAu3Uo1x
>>253 波木井さん

日蓮の教えには原理主義的な傾向はありますよ。
ただ彼自身は進歩的というか個性的というか、とにかく
自分流に天台の教えを捻じ曲げてしまってますが・・・w

268 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/12 23:30 ID:???
>267
お前さあ、前にも注意しただろ。
創価の犬である、ズラ被りホモに”さん”を付けるな。
お前の行為は、キチガイを付けあがらせるだけだ。

269 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/12 23:33 ID:???
>>265
お、さっそくレスどうもだが、

>>それから「内観法的」精神療法って何だよ。
>常識と知ってるなら、そんなことは言わない(w

正確にはこうノーテイションを振るところでしょうが、この前文は「〜ってなにさ、こんな
ものと禅思想そのものとを一列に並べるとは一体なんだ」という意味だが、これも意図的
に取ればそういう返答が返るのかもしれんな。まあ細かいことはいいわけだが、、

>禅の「放下無」は、「無」に囚われる傾向を戒めるもの。
>また公案は、最後に「無一物」と答えれば良いとされる傾向があり、
>こうした形骸化を戒めている。
>こうした形骸化した禅は、駄目な禅。

まあわかったさ、そのくらいのことならな。しかしそれはいかにも「世間知識レベル
の話なんでここで在り難く拝聴すべきほどには、全然卓見にはならんなと言ってるわけ
であるさな。(続く)

270 : :04/03/12 23:39 ID:???
>>215
まず禅も念仏も題目も、「瞑想」ではない。
駄目な禅・念仏・題目とは、言い換えれば、
「禅・念仏・題目=瞑想」とみなされたもの。
創価批判をしたいのはわかるが、だからといって、
日蓮宗を否定するのは乱暴すぎる。

創価の幸福製造機論は、勤行・題目によって功徳を積んで、
幸福になろうというもの。
仏教では、成仏しようと意識している限り成仏できないと解するから、
創価の功徳を積むための勤行・題目では、成仏できない。
創価の題目に対する姿勢が間違いというなら良い。
題目の効果として「生命力増大意識」を増幅させることを強調してるのは、
創価であって、日蓮ではないのだから(少なくとも日蓮宗ではない)。

>>216で言いたいのが、
「禅で功徳を積んで幸福になろう」とはならないのに対して、
「題目で功徳を積んで幸福になろう」となるならOK。
でも禅のカルト利用に危険性も認識しなくちゃ。

271 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/12 23:44 ID:???
>>269の続き)
>>ということは、「題目も一種の瞑想だ」という理解でいいってことか。
>仏教の枠組みなのに、何故、こう理解するのか(w
>例えば仏教の目的の一つは「成仏」であり、
>「成仏」に至る方法として、あるいは「無一物」の境地に達する方法として、
>念仏も禅も題目も同じということ。
>もっとも「方法」として認識している以上は、「成仏」できないし、
>「無一物」の境地にも達することはないが。
>
>禅が「瞑想」ではないように、念仏も題目も「瞑想」ではない。

だからね、岩波文庫のサンスクリットからの訳文には、漢訳の「禅・定」に
当たるものが「瞑想」となっているわけです。元々の「禅定」とはまさに
瞑想して心を落ちつけ何ものによっても揺らがない心の安定を得た状態という
ことでしたから、現代で言ういわゆるいうところの瞑想という言い方で想像
される種類の瞑想すべてを意味しているわけじゃないのです。私はまさにその
岩波の訳文から抜粋しているわけですからあなたの批判は意味が違っている
のです。

その成仏の方法論(という言い方はもちろんおかしなものでもあるが、しかし
釈迦がそうして「瞑想」して「禅定」を得たとしているそれであるので、言葉
上は方法論と記さざるを得ないというだけですよ)が「瞑想」であるという風に
法華経が述べているわけでしょう、それで瞑想するように推奨しているわけです。
ですから少なくとも法華経は成仏の方法論として瞑想を用いるという意味では
明らかに、「法華経に帰依する」=「瞑想を行なう」ことに同意する、でなければ
ならないはずでしょう、と申し上げているわけです。あれほど何度も書いている
のにも関わらず、何も読めていないのですか? ということですが。

272 : :04/03/12 23:52 ID:???
>>217
確かに日蓮系が戦前〜戦後にかけて色々と問題を起こしている。
血盟団事件、5.15事件、2.26事件。思想的中核には、
井上日召、北一輝、大川周明など、法華経信者だ。
しかし彼らは、僧侶の下で学び信仰したわけではない。
創価にしても、池田は総講頭になったとはいえ、
僧侶になったわけではなく、従って弟子を持ち指導することを
認められてはいない。創価は、師なき無道者の集団に過ぎない。

>>216
『日蓮自身がその瞑想方法の危険な落とし穴について、
禅で師匠が「それは魔境である!やり直してこい!!!」と言い放ち、
修行やり直しさせてきたの同じほど重要な注意になるべきだった』
と言っているように、君自身も、
師なき無道者が、危険な存在になると認めている。

だから師弟関係の中で、仏教の枠組みの中で、
法華経を正しく学び伝えてきた日蓮宗まで否定するのは間違いだ。
日本仏教は、釈尊以来師から弟子へと教えられたということでは、
仏教だと何度も書いている。
もっともインド仏教しか認めないというなら、仕方がないが。

273 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/12 23:58 ID:???
禅をやると右脳が活性化して頭が良くなります。
勉学の能率も上がります。
日蓮をやると目が血走って落ち着かなくなります。
勉学の能率も下がります。

274 :母が熱心で困ってます ◆1Cz5bN8eQk :04/03/13 00:01 ID:myLomp03
>>273
納得、でももっと早く教えてほしかったな
もう手遅れだヽ(`Д´)ノウワァァァン!

275 : :04/03/13 00:13 ID:???
参考にはなっても、全てを理解できることはできない。

親鸞にしたって、即身成仏(生前の成仏)できると言ってたのに、
弟子が、その教えを封印して、教団として主張しなかった。
親鸞の弟子は、即身成仏の意味を理解できなかったからか、
理解していても、誤解されれば危険だと考えたのだろう。
同じように日蓮の弟子も、日蓮の教えを取捨選択しただろうし、
その積み重ねによって日蓮宗がある。

ここで日蓮がこう言っていると幾ら言っても、
日蓮宗の僧にしてみれば、日蓮の個人的体験がなければ、
理解できない教えもあり、そうした教えは棚上げしている、
とさえ言えば済んでしまう。
あるいは仏教の枠組みから考えれば、日蓮の性格から出た言葉であり、
本来の意図は〜と、日蓮宗での解釈を述べてしまえば、それで良い。

276 : :04/03/13 00:14 ID:???
それから日蓮と日蓮宗を区別した方が良い。
日蓮と教団は全くの別物と考えたほうが良いってこと。
禅宗だって、公案は個人的体験に基づく言葉であって、
参考にはなっても、自分が同じ過程を辿ることはできないから、
全てを理解することはできない。
これと同じように、日蓮の言葉も、弟子にとっては、
参考にはなっても、全てを理解できることはできない。

親鸞にしたって、即身成仏(生前の成仏)できると言ってたのに、
弟子が、その教えを封印して、教団として主張しなかった。
親鸞の弟子は、即身成仏の意味を理解できなかったからか、
理解していても、誤解されれば危険だと考えたのだろう。
同じように日蓮の弟子も、日蓮の教えを取捨選択しただろうし、
その積み重ねによって日蓮宗がある。

ここで日蓮がこう言っていると幾ら言っても、
日蓮宗の僧にしてみれば、日蓮の個人的体験がなければ、
理解できない教えもあり、そうした教えは棚上げしている、
とさえ言えば済んでしまう。
あるいは仏教の枠組みから考えれば、日蓮の性格から出た言葉であり、
本来の意図は〜と、日蓮宗での解釈を述べてしまえば、それで良い。


277 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/13 00:15 ID:???
家の宗教、禅宗なんだけど禅なんかしたことないな。
何処かの宗教団体のお題目みたいに、親が強制的にオレに禅をやれって
いってくれてたら、もう少し頭良くなったかな?
どっちにしても、オレも手遅れだ。

278 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/13 00:17 ID:???
手遅れなどということはない、
今からやりなされや

279 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/13 00:24 ID:???
こちらは>>264の続きであるが、
>>255
>彼は師の如浄を尊敬していましたが、如浄の禅風を継いだというより、
>自身の理想を如浄に当てはめて、自身の仏法を正当化していたようですね。

「正当化」という言い方よりも、その師匠が垂範した禅から自分なりに得た得悟に
より、これが正しい釈迦の正法であると主張した」ということじゃないのですか。
もちろんそれは彼の仏教理解であるわけですが、それは非常に示唆に富んでいる
わけだからこそ、その価値を認める人々も少なからずいたし現代でもいるわけでした
ね。

>禅は始め独自の経典を持っていましたが、のちに教外別伝を唱えるようになります。
>このために師資相承が重視されるようになり、
>これが先師の語録や公案の尊重へと繋がりました。
>道元もこれらは読破し好んで引用はしましたが、
>同時に禅の教外別伝を批判して以下のように述べています。

まですから、>>264のように言えるわけです。経文は崇めるのではなく、それを
得悟の糧にする、公案の一種として珍重するという風に捉えていたもと私には
思えます。教外別伝と称して経文から学ばない禅者にはそのように諭したという
ように理解できます。

彼は「七歳の女児であっても正法を説く者ならば尊敬に値する、その教えをよく
聞くべきほどである」とも言っているほどで、法華経の狂信者なら女性蔑視に
さえなりかねないものが、そんなことを言っていなかったわけで、あくまでも
彼は「禅の真理を伝える道具としての経文(広い意味での公案として)を理解
しているとは言えませんか?私には彼の説法からはそのように受け取れるのですが。

280 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/13 00:44 ID:???
>>279の続き)
確かに「行仏威儀」ということで「行仏としての行儀」=「生活のマナー」という
ようなことも書いていますが、これも「仏であれば」それにふさわしい行儀を心得よ
という意味でした。「諸悪莫作」にふさわしい仏教でありなさい、ということもこれ
であり、これが原理主義であるとは到底思えないでしょう。

禅に作法があるのは、日蓮宗に作法があり、それが曼荼羅本尊に依拠するべきだと
いうのとやや似ているかもしれませんが、それは坐禅するという人間が従うべき
作法ということであり、全人類にそのまま従えといっている種類の原理主義である
わけではなく、日本の生活文化に影響したことはあってもその意味は「仏家の仏に
ふさわしいマナー」からも禅を学べということでしょう。便所をトウスと読んで
汚いと考えて返って不潔に粗末に扱うことのないようにするのは生活の知恵として
の作法でしょうね。こうした作法はむしろ清清しいものを感じるのではありません
か?

禅はこの清々しささえ特徴としていますよね。それを始めから「南無〜」という
意識から入らずに実現する方法論でしょう。そこには外部からの強制も恣意的な
祈りもない世界で、探求し自分で求めて公案の解決によって探すという方向からの
取り組みが禅でしょう。道元は公案を否定したのではなく、その乱用を戒めて
それによるやこ禅化を問題にしたのであり、やはり正統的仏教として認めざるを
得ないでしょう。つまり釈迦が生きていれば彼はこの道元をなかなかの悟りである
と誉めるところの悟りでしょう。諸悪莫作の教えとして釈迦は自分の正統として
この優秀な弟子を認めることでしょう。私はこのように考える次第ですね。

281 :春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y :04/03/13 00:45 ID:???
>>263
鈴木正三の「我は悟らぬ悟りが好きなり。法然などの念仏も悟らぬ悟りなり」や、
鈴木大拙の「念仏は一種の公案である」という指摘、
また隠元の伝えた楊岐派の臨済禅は、浄土的な念仏を併せて修する事から
念仏禅と呼ばれるなど、その類の例は枚挙に暇がないほどありますね。
ですが、一概に同一視出来ない点もあるんですよ。

ただ先のレスはそんな宗論をしたかったわけではなく、
単に「禅はカルトにならない」の大合唱があまりに可笑かったもので。(笑
正直、この反応のどこが禅の境地だろうと思いました。

282 :春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y :04/03/13 00:47 ID:???
あ、それから一連のご指摘は正論だと思います。
しかし浄土真宗についてなら、東西本願寺の確執や
浄土宗に対する意識などを指摘する方が、より適切でしょう。

親鸞の言説の中に即身成仏を説いたかに見える点があるのは、
彼が旧来仏教への理論武装として用意したと考えるべきです。

その証しとして、彼は主著である教行信証を積極的に公開はしませんでした。
秘密にした点を奥伝と考え、他の顕密仏教の先入観で
この点を見れば、誤解を生むでしょう。
他力浄土門には、奥深い秘密の教えはありません。

283 :春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y :04/03/13 01:03 ID:???
>>277さん
そんなわけないじゃない。
泰龍文彙や洞宗令聡といった近世の名僧を見てごらん。
希代の禅僧だけど、教導職の試験内容が覚えられずに、
何を聞かれても「存じません」で押し通したような人たちだよ?

道元一人についてちょっと聞きかじっただけで、
禅の全てを語るような人たちの言う事なんか、相手にしない。(笑)
親から信仰を強制されなかったなら、むしろ感謝しなくちゃね。

284 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/13 01:18 ID:???
>>281
だが元をだだせばだ、あなたが念仏を誹謗されたと考えてそれ以来ずっとひねくれた
態度でいるのが念仏の態度だというのなら、正直そんなものかなと思うだけじゃない
のか?www

禅は別に気取ってものをごとをうやむやにすることを宗旨としているのではない。
考え違いはそろそろやめにして反論をちゃんと聞いて素直な心で対応されることが
ただあなたのためだと思うだけであるが。どうですか?

それともいつまでもひねくれた態度で一生過ごされるのですか。念仏者はそれでも
ケッコウなんですかい?それならまるで禅とは同じじゃないでしょう。

285 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/13 01:20 ID:???
>>283
>道元一人についてちょっと聞きかじっただけで、
>禅の全てを語るような人たちの言う事なんか、相手にしない。(笑)

「聞きかじった」というのはあなたの決め付けでしょう。精神がすさんでいる
と感じますね。念仏はその程度なんですかい?ワライでしょう、それじゃね。

286 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/13 01:30 ID:???
>>283 (追加)
それに禅のすべてを語っているつもりなどさらさらないですよ。
それよりもあなたのプライドの方が問題大きいでしょ。それではいいかげん
念仏卒業したどうですかと言われませんか?w
---------------------------------------------------------------
>>270
>仏教では、成仏しようと意識している限り成仏できないと解するから、
>創価の功徳を積むための勤行・題目では、成仏できない。
それは尤もですね。然りと思います。しかしですね、

>題目の効果として「生命力増大意識」を増幅させることを強調してるのは、
>創価であって、日蓮ではないのだから(少なくとも日蓮宗ではない)。
ここがちょっと理解が難しいところで、禅ではそういう効果はでにくいです。
それは行自体が声をでかく出して「どかどかどんどん」とやることはありません。
それにはまあ体育会系の雰囲気ありますね。だからこういう創価学会風の理解が
起こりやすい、禅がやこ禅になるよりも格段になりやすい種類のものではないで
しょうか。創価学会員は必ず「やればスゴイことがわかる!」と強調します、と
いうことは「ただやってしまえばそれ(題目行)はすかさず創価学会の言う効果
効能を生むのだ」ということであり、それは少なくとも彼ら現役の人々には明らか
事態だったわけです。だからこそ「やればわかる」と強調することになるわけです。
これを可能にしたのはあくまでも「思想」ではなく、その行でしょう。ですから彼ら
はそれを誇り、それが故にこそ「創価学会が唯一の効果効能あらたかな仏法なのだ」
となったわけです、そして現実にそれで入信してしまう若い人々がたくさんいるわけ
ですね。ということはそれは「科学的な事実」であり、その原因はその題目行そのもの
にあると考えなければなりません。行ずるときの意識の持ち方次第で違ったものになる、
という方向付け以前に、宗教のしの字も知らない人々にはカンタンに効果が「出て」
しまう種類のものでしたから、そこが入り口になってしまえばその体験次第でカンタン
に創価学会の虜になってしまうのは火を見るよりも明らかです。

日蓮の教えの方が禅などよりも、はるかに明らかにカルトになりやすい性質があるのは
事実なのです。

287 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/13 01:47 ID:???
>>281
>鈴木大拙の「念仏は一種の公案である」という指摘、
>また隠元の伝えた楊岐派の臨済禅は、浄土的な念仏を併せて修する事から
>念仏禅と呼ばれるなど、その類の例は枚挙に暇がないほどありますね。
>ですが、一概に同一視出来ない点もあるんですよ。

こんなの初歩の初歩じゃないか?(プw
鈴木大拙なんてとうの昔に読んで禅の理解が深まったのに感謝しているし、念仏禅
だって道元の帰国あたり以降しばらくしてからは、中国ではこれが全盛になって最終的
にはほとんどこれだけになったのも知っているよ。リンザイ録も壁厳録も荘子も読んだ
ことはありますが。教行信証も多少は読みかじりはしましたし、浄土教のお経も読みま
したが。さあ、だから何なの?

あなたは自分だけがなんでも「読みかじって知っている気でいる」のが大問題の思い
込みだ。そんなところに念仏の精神があるってのなら非常にフシギな気がするね。
あなたのはインテリにありがちな「自分だけがたくさんあれこれ読んで精通している」
という誤解がある。

私が指摘したのは別段念仏をオトシメルようなことだったのかどうか?よく元を正して
検討して見られたいが?いかがですかね?プライドを捨てれ自由になりなされ。御年を
召そうがなんだろうが、ここはネットですから多少のプライドは捨ててください。
わからない奴だと思ったら、それなりに自分の意見をおっしゃればよろしいこと。
自分の思っている通りにいつもいつも相手が尊敬してくれると誤解しちゃいけません。

さてさてあなたの念仏は禅になっていますか?>春田の蛙氏さん

288 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/13 02:20 ID:???
>>276
>それから日蓮と日蓮宗を区別した方が良い。日蓮と教団は全くの別物と考えたほう
>が良いってこと。禅宗だって、公案は個人的体験に基づく言葉であって、参考には
>なっても、自分が同じ過程を辿ることはできないから、全てを理解することはできない。
>これと同じように、日蓮の言葉も、弟子にとっては、参考にはなっても、全てを理解
>できることはできない。
まこれはわからないではないです。

>同じように日蓮の弟子も、日蓮の教えを取捨選択しただろうし、その積み重ねによって
>日蓮宗がある。
確かにその意味はわかります。しかし問題は、

>ここで日蓮がこう言っていると幾ら言っても、日蓮宗の僧にしてみれば、
>日蓮の個人的体験がなければ、理解できない教えもあり、そうした教えは
>棚上げしている、とさえ言えば済んでしまう。

ですから、ここに日蓮宗の人が創価学会の人の精神や体験を自分自身として理解できず、
それをただ単に僧侶の指導もなく勝手にわあわあやっていればカルトになってしまうよ、
この題目ってのはそういうものなんだよ、と言ってしまえるようなものだとすれば、
それ自体がものすごく大問題なんです。

私が繰り返し述べていることに注意していもらいたいのは、体験してそれが本人あるいは
創価学会員にしかわからない「生命力増大意識」状態が、他人にはどうにもならない種類の
ものであるということであり、そうしてしまったのはその「行そのもの」が現実にそうした
効果効能を生むからです。それを日蓮宗の人が本当はわからないはずはないと考えます。
その意識を生むことが彼らにとっての仏界であり、それを論理の理解において覆せないのだ
としたら、題目行という方法論(この言葉には忍耐してください)自体に問題があるという
ことになるはずだと言っているのです。具体的には、題目行を行なうならば、そこに合わせて
禅「的」修業方法も合わせて行なうべきだったんじゃないか、それがより「瞑想を発達させる
方法論(←用語には忍耐要)」になるはずだということなのです。

289 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/13 02:51 ID:???
>>274 >母が熱心で困ってますさん

ですので、学識振りかざしてえらそうにするおじいさんだけじゃナンの解決にもならない
のは目に見えていますよもちろん。彼らはごたくを述べるが現実に対しては超然と諦める
だけです。頼りにならないことこの上ありません。つまり学識は創価学会員の中でも日蓮
の教義からの回復のためには使えても、仏教論では池田教信者は回復しないでしょう。
私は重要なヒントを出していたはずですね。教論では救えない「救いようがない人」は
では「どうするか」です。

そういう人々には「行には、行で」教えて上げられてはいかがでしょうか。

>>251にもまた書いていますように「やればわかる、だからやれ」という学会教には、それと
同じ論理で教えるべきでしょう。つまり彼らにも題目後の5分禅を「やらせる」のは彼ら
の論理なのですから、こちらの要求にも従わなければ彼らの論理矛盾になるはずです。
しかもこれが「現実に」心と体のバランスを回復させるのに最上の方法だと実感します。

私はこれで本当に「高速題目連続称揚による前頭葉血流促進モード+王者意識(生命力増大
意識)」からカンタンに回復することが体験できました。このときに起こった頭内の変化は
すでに>>96などにも記したとおりでしたが、これは>>91-95に書いたような、禅的悟りの
境地で感じる松果体からのサラーッと降ってくるような影響力ではなく、このカンタン5分
呼吸瞑想においてはむしろ、頭内の中心下方からじわあ〜んと湧いて全体に広がってくる
来る温感の感覚が特徴でした。これが溢れてくると、ゼントウヨウは血流集中がすぐに拡散
され、そして脳全体がじわああ〜んと染みとおるような弛緩の感覚が現れてくるでしょう。

これが心を穏やかにし、何もわあわあ騒いで創価学会の煽り教育にやられる必要などない
んだな、ああこれでとっても幸せな穏やかな感覚になれるんだな、と実感できるものになる
はずです。よろしければ、この方法をうまい言い方でお母さんにお諭しになってみてください。

290 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/13 03:11 ID:???
>>289(続き)
浄土教は下品下生の者には念仏を唱えさせ、そこまでひどくない者には経の首題を唱えて
聞かせろと書かれていますが、では法華経に帰依すると毎日宣言している上品上生の創価学会員
はどうすればよいのでしょうか?

それはそこで題目行で多少上品上生になったわけですから、そこで上品上生の衆生にふさわ
しい行が必要になります。上とは反対の論理になりますね。ですからそこの段階では、禅的
な指向や思考が必要になっているとも言えるでしょう。昔の経の論理を裏返せば、そうなる
でしょう、ですから念仏も境涯が進めば禅と一致するということになると、こういうことも
言えるでしょう。なかなかあのお経もよくできていますよ。日蓮も参照してお題目を唱えさ
せることを思いついたであろうあの観経はけっこう考えられているのかもしれませんね。
まあ始めにサンスクリットの訳を読んだときはあまりに作為的でとても信じるべき内容では
ないとも思ったのですが、論理としてはこのようにもなるはずですね。そうなっていないと
題目でも念仏でも救われていないということになるわけですからね。

ということでこの題目後の5分の呼吸瞑想を「やってみて」ください。そうすればわかります。
お題目のお蔭で頭も少ししびれた感覚が残っている間にすかさず行なうのが肝要です。この
マントラ行の後にこそこれは効果的です。元々瞑想屋さんの世界でも普通にマントラを唱えて
から瞑想に入るのは通常の段取りなのです。つまりこれは本来瞑想の方法論だったということ
なのですが、まあ体験科学ということでなら創価学会はこれを否定できないはずなのです。
もし瞑想と言う言葉が「アブナイ」ということなら、「いっしょに2〜3分だけこのままで
深呼吸してお休みしてみましょう」と言ってください、そして休みが必要なほどに「徹底的に
時間を掛けてお題目を気が済むまで唱えてから」やってみてください。効果は確実にテキメン
に出ることでしょう。他の学会員の方もこのし方でやってみてください。

291 :春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y :04/03/13 07:41 ID:???
うーん、読み返してみると、いくつか要らん部分があるな。昨夜の私のレス。

直接レスを差し上げた皆様、すみません。
ムカついたらメール欄にでも、蛙氏ねとか書いといて下さい。(笑)

エサ与えて、結果としてスレ荒らしに荷担しちゃイカンよな。反省。

292 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/13 11:27 ID:???
>>291
あなたはいい年をして「他人に誉められ」たくてここに来ているのか。まさかねw?
『』つけてここで他人から「あんたはナンでもいろいろと知っていてスゴイね」とか
言われたくてここで薀蓄されているわけじゃあるまい?

私がなぜ乾さんには誉めて、あなたはいちいち誉めないのかわからないなら、あんたも
ただの誉められたい人間の1人だ。乾さんは元々創価学会の人で家庭で創価学会だけ
だった世界の人がこれだけ外の世界のことを自分の力でどんどん知り吸収して正しいと
いうことはなんなのかを探求して歩いている。すばらしいよなあ実に。

だがあんたはその博識を誰に誉めてもらいたいのさ?あんたはもうすでに年の進み、
人から誉めてもらってあんたはえらいといわれて悦に入るべき人間じゃないな。あんたは
むしろ他人をその博識をわざわざひけらかしてそんな自慢に浸るようなことなぞせずに、
むしろ、創価学会の人(どの段階の人であれ)の脱会のためにうまく教導し、あるいは
妙案を提案して創価学会の思考から脱出する手伝いをするための手助けになることだけを
考えて行動すればいいと思うね。あんたはすでにナンでも知識じゃ知っていていちいちもう
他人から祭り上げられるべき必要性も一目置かれるために行動するべき必要性もないんだよ。
わかる?>春田の蛙氏

293 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/13 11:40 ID:???
>>291
それとスレ嵐というが、丁寧にいちいち回答しているのはあなたじゃないぜ。
あなたが少しでも具体的な解決、解放、改善のための提案を出せていればそれだけ
でいいことだろう。しかし自分ではナンの体験も経験のしないで(あるいはそうかも
ということだが)本の知識だけじゃ全然だめだぜ。相手は「自分の体験や経験から
入って池田氏の哲学とやらにやられて創価学会が最高だと考えるに至ってそこから
抜けられなくなり、そして池田センセーのために何でも(悪党でも「何」でも)する
のが「正しい」ことなんだとまで考えるに至った人間」たちなんだぜ。そこをあなたは
ただ博識をわあわあとひけらすだけで彼らの心の持ち方が一体変化するかね?そこを
考えるべきだよ。

たとえば、「念仏」がそういう題目信者を変えられる可能性はありますか?あなたがもし
そうだと思うのなら、そのために彼らの心に届くようにそれが言えてなけりゃね。

わたしはここではあんたからスレ嵐などとカンチガイされているということだが、あなたは
わたしのやっていることの"良いところ"がわかってないだけさ。これで結構彼らには
届くべきものが届いているのさ。そう思わなければ何もやってないはずだがどうですか。
>春田の蛙氏、ねえ。

294 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/13 12:08 ID:???
そこで、さてですが、題目は瞑想の一種ということでですが、

>>270 _さん
>仏教では、成仏しようと意識している限り成仏できないと解するから、
>創価の功徳を積むための勤行・題目では、成仏できない。
>創価の題目に対する姿勢が間違いというなら良い。
>題目の効果として「生命力増大意識」を増幅させることを強調してるのは、
>創価であって、日蓮ではないのだから(少なくとも日蓮宗ではない)。

ここで_さんが書いて下さっていたのは、現世利益を求めて念力モードで題目すると
「確かに確実にそうなる」ということをお認めになったとも取れますが、念力モード
にならないで「正しく」無心に唱えるとどうなるかということが必要ですよね。
(続く)

295 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/13 12:13 ID:???
(続き)
そこで、私の書いた、>>96や、

>>289
>私はこれで本当に「高速題目連続称揚による前頭葉血流促進モード+王者意識(生命力増大
>意識)」からカンタンに回復することが体験できました。このときに起こった頭内の変化は
>すでに>>96などにも記したとおりでしたが、これは>>91-95に書いたような、禅的悟りの
>境地で感じる松果体からのサラーッと降ってくるような影響力ではなく、このカンタン5分
>呼吸瞑想においてはむしろ、頭内の中心下方からじわあ〜んと湧いて全体に広がってくる
>来る温感の感覚が特徴でした。これが溢れてくると、ゼントウヨウは血流集中がすぐに拡散
>され、そして脳全体がじわああ〜んと染みとおるような弛緩の感覚が現れてくるでしょう。

などは、確かに昨日に再び確認してみましたところ、やはり、念力モードで題目したとき
には「効果がテキメンとは」現れませんでした。むしろ、_氏がおっしゃっているように
「無心に」唱えたときに確実に効果が現れるようです。

創価学会員の方におっしゃる場合には、この無心に唱える仕方で「徹底的に唱えた後で」
行なうと非常に効果があることになります。そのように導いてみてください。

そして題目は無心に唱えた場合、初期のころには、それまでそうした経験がなかったことと
してですが、頭の後ろ、後頭部側の方向からの放射感覚が起こりました。これはかなり清々しい
感覚でした。禅で金剛般若経の透関時に頭頂部からのさらーっとした放射感覚があったのと
同様ですが、しかし頭内の放射源の方向はこれと対照的で、題目の場合は後頭部方面から放射
でありました。私が題目も瞑想の一形態であると主張する根拠はこれでもあるわけでした。

296 :瞑想時の頭内感覚表:04/03/13 12:37 ID:???
題目が瞑想の段階の一つである、ということになれば、結局はそれが他の瞑想法とバランスして
用いられれば他教も理解できる糸口になるということになりますね。どうでしょうか。
ですから、ここに私なりに経験したことから瞑想曼荼羅にしておきましょう。

題目通常は主に脳下垂体が開発されるが、念力モードではなく「無心に」唱えれば、
    後頭部からの放射感覚が起こり、それが脳下垂体方面に降りかかるように体感される。
    それが前頭葉にもおよび頭全体がスカーッきれいになる感覚になる。
    一方、何か願いごとを念力的に意識して行なうと、前頭葉の血流が促進され集中力が
    上がり、何か自分がナンでもできるスゴイ人間になっていくように感じていく。

禅による悟りの際の感覚
    公案を解いたときや金剛般若経の透関時には、頭頂部方面、あるいは松果体方面から
    の降ってくる感覚が顕著となり、それが下方にさらーっと放射して全体を解放するのが
    感じられる。つまり禅的悟りの意味論上の意識の解放と頭内の体感は上の方からの下方
    全体への放射に対応することがわかる。

瞑想時 呼吸瞑想においては頭内の中心下方からじわあ〜んと湧いて全体に広がってくる来る
    温感的な感覚があり、これが横溢すると脳全体にこぼれてじわ〜んと染みとおるような
    弛緩の感覚が現れる

坐禅時 ナンの前ぶれもなく、突然ただ単に坐禅した時には特に顕著な体感は存在しない

念仏  私自身は、これを意味論として理解して精神の側から行なうことはできなかった。
    特殊な唱え方を考案し(既に記載済みのあの方法により)実際に行なってみたところ、
    頭の前方上方から非常に強い照射感覚、まぶしいときに頭内に感じたときのような
    強い感覚がばーんと現れた。そしてゆっくりと数回の唱えの後には、まるで阿弥陀仏が
    宇宙の神になって現れ始めるのではないかというような臨在の感覚に襲われて来た。
    しかし、このときに、上方からの照射感覚を意志的にさえぎるようにすると、題目で
    念力モードになった場合の前頭葉の集中モードが顕著になる方向に移行していった。

297 :瞑想時の頭内感覚表:04/03/13 12:54 ID:???
念仏は、春田の蛙氏も書いて折られる通り、最終的には禅に一致するというのは、
それによって自分を放り出す、阿弥陀仏にまかせてしまって捧げてしまう、という
時点で起こる変化だと理解されました。これはキリスト教の聖人がよく自分を神に
捧げてお任せし、聖化し清められるということをいっているのと全く同じことでしょう。
結局その時点では禅も同じになります、つまりキリスト教、念仏、禅が全部同じになる
のはその意識における自分の捧げ、あるいはお任せしてあらゆることに囚われない
意識になるということでしょう。

さて、題目者の場合、そこはどうなのでしょうか。私はこれを経験していませんが、
題目者はこのような意味論に回帰できるでしょうか。これは私の中ではまだ結論は
出ていません。

298 :瞑想時の頭内感覚表:04/03/13 12:56 ID:???
>>296に追記ですが、
さて、禅宗でも読経はしますから、これは一種のマントラ行になっているはずでした。
曹洞宗なんかでは陀羅尼も唱えますから、彼らも坐禅の準備として意識してはいない
までも、マントラ行はそれなりにしているということになるのだろうと思われます。

ですから、総合的に考えてみれば、瞑想とは人間のトータルなな発達のために必要と
なると考えられる一つの方法になるのだということでしょう。それら自体が互いに
わかれ荒らそう必要性は何もなく、それら与える一つ一つの効果効能をトータルで
捉えなおし、瞑想の科学として我々が思想の中で捉えなおしていくということが現代
では求められていくだろうということだと考えられるのではないか。

人間の総合科学の一つとして、瞑想を(生理学的研究も含めて)科学していく方向も
ぜひ必要とされていると考えられました。法華経も「瞑想せよ」と言っていますから、
創価学会員の方も現代的に脱皮した宗教を目指す以上はこの思想をさけてはいられない
はずなのです。

創価学会員の方、どうか「瞑想」を行なって考え方を広く持つころは何の恐れもなく
できるということを実感してみてほしいです。ではまた。

299 :瞑想時の頭内感覚表:04/03/13 18:41 ID:???
ここの書いてあることをプリントして、創価学会にばら撒いてください。そして座談会で
題目後の5分瞑想会を実施してください。母さん、この提案はどうですか。だめですか。
瞑想といわずに、

 お題目の功徳、ご本尊様の功徳の余韻を少しゆっくりと戴きましょう、
 ご本尊の前でしばし深呼吸でもしてからじっくり進んでいきましょう

とでも言ってみなさんを誘導していってみてください。どうでしょうか。そうすれば
きっと良い方向に創価学会も進んでいくことになるでしょう。池田教祖に絡めた煽り
に従っていくのがバカらしいことだと、心から感じられるようになっていくはずです。
やってみてください。創価学会はこれまで外にむかって「やればわかる」といい続けて
きたのです。あなたがたもやっていくべきです。よろしく頼みますね。

300 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/13 23:57 ID:???
>>296
カンタンに追加しますと、

>題目 通常は主に脳下垂体が開発されるが、念力モードではなく「無心に」唱えれば、
>    後頭部からの放射感覚が起こり、それが脳下垂体方面に降りかかるように体感される。
>    それが前頭葉にもおよび頭全体がスカーッきれいになる感覚になる。

さてこれについては、前々スレなどで書いた通り、この感覚は実は法華経題目の専売特許では
ありませんでした。これは実はこの題目と似たマントラでも同様に引き起こすことが
可能でした。そのれとして、「ビョンデンベンデンレンベンデンギョウ」「ビョンデンレンゲン
ベンデンデンギョウ」などがありました。これらは似た印象の語感を伴なうため、似た
生理学的な効果を生むのは容易に想像されましたが、現実にその通りになったのです。

また、念仏についてですが、今日たまたま読んだ吉川弘文館の歴史文化ライブラリー121
「読経の世界」なる本に興味深い記述があるのがわかりました。どうも私が考案した唱え方
はどうも時宗の別時念仏、別名「阿弥引き陀張り念仏」という唱え方にやや近いもの
と思われました(「アミを長く伸ばし、ダで高くなる」(p.86)とのこと)。時宗は一遍
の開いたもので躍り念仏などが有名とのことですが、あるいはこの唱え方などから現実的に
「アミダブツの力」なるものを瞑想的実感として受けていたのかもとも思いました。

301 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/14 00:00 ID:???
たとえばこの時宗のページなどには次のような記述もありました。

http://home.e-catv.ne.jp/miyoshik/hougon/hougon1.htm
> 時宗で信仰する仏は阿弥陀如来で、とくに「南無阿弥陀仏」の名号を本尊
>といたします。この名号をつねに口にとなえて仏と一 体になり、阿弥陀如来
>のはかり知れない智恵と、限りない生命をこの身にいただき、安らかで喜び
>にみちた毎日を送り、やがてはきよらかな仏の国(極楽浄土)へ生れることを
>願う教えであります

とあり、これは現実的なアミダウブツの力を体で体感している唱え方になっている
のかもとも読めました。それではまた。

302 :波木井坊竜尊@日蓮宗葵講@名前だけ仏所 ◆IByKs72gR2 :04/03/14 00:35 ID:k3IxBSfo
現実的じゃねえだろ。西方浄土という黄泉の国でだろ。(ゲラ)

303 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/14 00:38 ID:???
禿が住んでいるとは富士宮とは地獄だな。(禿)

304 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/14 11:50 ID:???
>>302
>現実的じゃねえ

やってみればわかる。念仏もちゃんと現世ご利益あるんだよ。病気も治るし、しかも
それがご臨在のアミダブツで体感できるからこそ、こうした表現もでてきたんだろう
と、体験者であるわたしは思う次第だな。

日蓮系は自分とこだけが「やればわかる」といえると思っているがとんだ勘違い。
むしろなんどもキ○ガイみたいにいつまでも唱え続けないと効果でないナンミョーホー
レンゲーキョーよりも、この唱え方のナムアミダブツなら数回時間をおいてゆっくり
唱えるだけで効果は抜群だしキティにもならないで済むよやっぱりアミダサマは昔の
人にとっては現実的な存在でもあったと感じるんだけどね。日蓮系はこのタイプの
ナムアミダブツならやれるでしょ、あんたらも気持ち入れ換えてやってみたらいい。

305 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/14 11:51 ID:???
一編上人は好きだな

306 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/14 11:59 ID:???
そうすりゃ他人の宗教の良さもわかるだろうよ。

日蓮の呪い、法華経の言ってることを知らなくてもパラノイアのように題目
唱えりゃいいなんてのは意味論としては無意味に近い。むしろその本当の効果
の意味がなんなのかが科学によって暴かれた方がいい。「現実には法華経に
逆らって瞑想(禅・定)を否定していながら」「タイトルだけとなえれば帰依
したことになるんだっ」なんてナンセンスを地で行ってるでしょ。その矛盾を
解消するためには、日蓮系はずべて禅に賛同し、自らも坐禅したり、禅の思想を
寺でも教えていくぐらいにまで変わらなきゃだめだね。そうしなければ法華経に
帰依したことにならないでしょうが。

307 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/14 12:09 ID:???
>>300
>「ビョンデンベンデンレンベンデンギョウ」「ビョンデンレンゲン
>ベンデンデンギョウ」などがありました。これらは似た印象の語感を伴なうため、似た
>生理学的な効果を生むのは容易に想像されましたが、現実にその通りになったのです。

結局ですね、お題目が「法華経の中味に違反して瞑想(禅・定)を否定しておき
ながらも、言葉の意味としての法華経には帰依していなくても、その発音だけ唱えれば
効果がある」んだというのは、この上の別マントラでもオンナジ効果があらわれるって
ことがまさにその本当の意味をちゃんと物語っているわけですよ。

つまりお題目の効果、効能は実は「法華経に帰依する」という意味論とは
全く無関係のマントラだってことをですよ。だから同じ効果が他のマントラ
でも同様に出るんです。ということはあんたがたのやってきたことは全部
擬似宗教だったってことですよ。お題目の効果効能を盾にして法華経の功徳
がどうのと本来は無関係の話をこじつけてきただけでしょ。そこが日蓮系の
宗教意味論としての本質的な欺瞞だと前から言ってるわけさ。だからそういう
本質的な欺瞞が源泉になって創価学会だの顕正会だのとかもろもろのカルト教
も生まれ得るわけだと、なんども言ってきたわけでしょ。どうなんですか?

308 :Sb ◆SbSGI7AtEA :04/03/15 10:23 ID:zjUBW6hJ
>>254 >かえるさん
そこが禅の面白いところで、日蓮さんが許せない点かもしれません
道元さんの禅は道元さんだけの禅で、彼が原理主義だからといって、
それを踏襲する必要がない

ありのままの自分になること、道元さんや栄西さんになるのではないのです。

功夫も禅、弓も禅、私にとってはスキーも禅

ありのままの自分を見つけられると、仏が見えてくる、全てが仏だと悟る
でも、修証一等、そこで終わるわけではないのです

309 :母が熱心で困ってます ◆1Cz5bN8eQk :04/03/15 10:44 ID:rU9dcAxb
>>308 Sbさん

ところで道元さん自身は、ありのままの自分になれていたのでしょうか?
人間のできてない私からみると無理してるとしか・・・・・
確かにストイックでカッコイイけど、方向が違うだけで日蓮以上に
真似のできない変わったお方に思えます。
(日蓮は酒を飲んだりしてましたが、道元は酒も女も断ってたんで
しょう、まあ出家の身だから当然かもしれませんが、堅すぎる)

310 :Sb ◆SbSGI7AtEA :04/03/15 10:44 ID:zjUBW6hJ
>>271
>だからね、岩波文庫のサンスクリットからの訳文には、漢訳の「禅・定」に
>当たるものが「瞑想」となっているわけです。元々の「禅定」とはまさに
>瞑想して心を落ちつけ何ものによっても揺らがない心の安定を得た状態という
>ことでしたから、現代で言ういわゆるいうところの瞑想という言い方で想像
>される種類の瞑想すべてを意味しているわけじゃないのです。私はまさにその
>岩波の訳文から抜粋しているわけですからあなたの批判は意味が違っている
>のです。
最悪の誤訳です。
禅定はメデュケーションではない
でも、その間違いがまかり通ってしまった
断言しますが

禅定は 瞑想では ない

さらに言えば、正反対のもの

私見ではありますが
瞑想などしてはいけない
そんなことするくらいなら、ただ坐れ、題目を唱えろ、念仏を唱えろ

瞑想は脳のマインドコントロールに掛かりやすくなる
脳のマインドコントロールからも開放され、
ありのままの自分になることが成仏なのではないのでしょうか

いつまでも、誤訳が生んだ間違いに、振り回されてはいけないんですよ

311 :Sb ◆SbSGI7AtEA :04/03/15 10:48 ID:zjUBW6hJ
>>309 >母が・・・さん
眼横鼻直
これ以上の悟りがありましょうか?

312 :波木井坊竜尊@日蓮宗葵講@名前だけ仏所 ◆IByKs72gR2 :04/03/15 10:50 ID:42nQNZZI
覚りね。

313 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/15 10:52 ID:???
sb=伊豆@東部=波動教=ハキリ誹謗中傷の一人

314 :波木井坊竜尊@日蓮宗葵講@名前だけ仏所 ◆IByKs72gR2 :04/03/15 10:53 ID:42nQNZZI
え?本当??

315 :母が熱心で困ってます ◆1Cz5bN8eQk :04/03/15 11:01 ID:???
>>311 Sbさん
うーん、当たり前のことをそのまま正しく認識できることは
素晴らしいのかもしれないけど、不自然というか極端というか
何というか、人間身がないのですよ、そこは気になりませんか?



316 :春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y :04/03/15 22:38 ID:???
>>308 sbさん
その通り。大正解です。

禅は言うなれば「世界でひとつだけの花」になる教えです。
だから祖を殺し仏を殺す。人真似は許されない。
禅を絶対視してカルトにならないとか、道元を神聖視するのは禅ではありません。

だから…曹洞禅の大御所とも言える、駒沢大学禅研究所所長さんの
言説を引用して、道元を批判して見せたわけです。
道元の法嗣にありながら、道元を批判して>>254-255のように述べる。
その自由さこそ、禅家の真骨頂と言えるでしょう。

317 :春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y :04/03/15 23:07 ID:???
>>309>>315 母が熱心で困ってますさん
どうしてそんな風に感じました?

鎌倉祖師方の中では希玄道元はずば抜けて評価が高いから、
宗教解説書に書いてあるから、博識そうなコテさんが言ってるから…
そう考えてたら、そんなこと書けませんよね。
誰からどう思われようと、自分で考えて感じた事を大切にされて下さい。

曹洞禅の鈴木正三は道元を評してこう言っています。
『道元和尚などを隙の明いた人のように思わるらん
いまだ仏境界にあらず』

さすがに心が自由です。自由は正解よりも大切です。

318 :母が熱心で困ってます ◆1Cz5bN8eQk :04/03/15 23:39 ID:rU9dcAxb
>>317 春田の蛙さん

レスどうもです。
>どうしてそんな風に感じました?

うーんそうですね、自分が道元を知ったのは高校生の時で、今よりも
ずーと本能に振り回されいた時期だったせいかもしれません、その時の
素直な気持ちは「一生童貞なんて冗談じゃない、いったい何の為に生まれ
てきたんだよ!」という感じでした。
そうそう、同時期に世界史で勉強したドイツの哲学者カントがやはりスゴイ
堅物でだったので、友人一緒に「人間は頭良すぎると変人になるんだね」と
物笑いのタネにしていました。(懐かしいな〜)

多分、私のようないい加減な人間は、1つのことを突き詰めていくのは
症に合わないのだと思います、ですから当時はそうゆう人が愚直に見えた
のでしょう(今は違いますよ)、今でもその印象を少しひきずっていて
"立派すぎて人間味がない"と感じてしまいますね。

あくまでバカな私の感想ですから、そうゆうつもりで受け取って下さい、
気を悪くされると困ります。

319 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/15 23:43 ID:???
>>316
>だから…曹洞禅の大御所とも言える、駒沢大学禅研究所所長さんの
>言説を引用して、道元を批判して見せたわけです。

蛙ちゃんよ、まさか「他人の言葉で道元を理解し」たつもりじゃねえよな。
まあ、引用というには(どこからどこまでが引用なのか)だいぶあいまいな
引用に見えるが。ま、博識を「見せる」たあいい度胸。

>道元の法嗣にありながら、道元を批判して>>254-255のように述べる。
>その自由さこそ、禅家の真骨頂と言えるでしょう。

だから初めから自由だって言ってんじゃねえのよ。

>『経巻は如来全身なり。
>経巻を礼拝するは如来を礼拝したまえるなり。』

これだってこれ自体公案としても受け取るのは自由なんだぜ。
経論師じゃない禅師としての経の礼拝とはそういうものだと盛れは取るな。
それを正当化とか言うのもあんたの自由だけどな。

320 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/15 23:50 ID:???
>>318
>気を悪くされると困ります

気を悪くしてひねくれるようじゃ仏教者じゃねえだろ。

ただ、真面目であっても愚直ならいいじゃないの。日蓮も愚直じゃねえの?
酒飲みだとしてもさ。まあ、酒飲んで坐禅は確かに無理だろうがな。
しかし酒飲んでなんみょうほうはでけるんだろ?>ハハさん(てモンナだとモモって
たがちゃがったのか?ワラ)ところで座談会で提案すたかね?キミ

321 :春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y :04/03/15 23:57 ID:???
>>318 母が熱心で困ってますさん
気なんか悪くするわけないじゃない。
私だってそう思ったもんw

私が言いたかったのは、私やあなたみたいに道元の事を評するのは自由って事です。
そして当の曹洞禅にも、自由に「道元のこの点は暖かみがない、ここは論理が矛盾してる」とか、
もっと過激に「こんなヤツは悟ってなんかいない」と考えを述べた人がいた事実です。

だから私もあなたも、別に禅をバカにした事にはなりません。
周りを気にせず、これからも自由に考えを述べて下さい。応援しています。

322 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/15 23:57 ID:???
>>310
あんたの禅の道取はそれで結構だと思うよ。なかなか正統の禅だよ。ほめて遣わそう。

だが、では言うとだが、当時釈迦が菩提樹の切り株の上で坐ったのは、坐禅だったか
それとも瞑想だったか。どうですか。

当時はバラモン経の時代で、瞑想という語が宗教的叙述の中では普通に用いられた
ではないか。「禅・定」自体の原義が「瞑想」によって得られるということでは
なかったんでしょうかね?どうですか。

323 :春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y :04/03/16 00:09 ID:???
あ、もしかして>>318は、『だから道元を好きな人も、皆さん気を悪くしないでね』って意味?

だったら私もお願いしとこう。
所詮私らみたいな糞コテと屑コテの言う事ですからw、
生暖かく見守ってやって下さい。> all

324 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/16 00:17 ID:???
>>323
別に嫌いでもいいけどさ。
ただ理解できないから嫌いになるってこともあるでしょ。そこを言ってるだけさ。

ハハさんも堅物に見えるってのも、要は禅を理解できないから「そんなもの」
「くだらん」ということになる。価値を理解できなければけなすだけになる。

宗教対立なんてのはそんなもんでしょ。だからそこに理解を求めて言い合いが必要
になる。それが昂じてコロし合いになる宗教はだめな宗教だが。禅はコロし合い
したことないとおれなんかは思うんだが、博識さんはなんか変わった歴史の事例に
薀蓄ありそうだからテキトーに言っといてくれや。(笑ひ)

325 :母が熱心で困ってます ◆1Cz5bN8eQk :04/03/16 00:24 ID:pgjBnmFc
>>321 春田の蛙さん
>周りを気にせず、これからも自由に考えを述べて下さい。応援しています。

どうも恐縮です、実は最近絡まれてばかりでウンザリなんですが
気にせずガンバリます。

>>323
>>あ、もしかして>>318は、『だから道元を好きな人も、皆さん気を悪くしないでね』って意味?
両方ですね、そもそもここはsbさんのスレだし。

326 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/16 00:25 ID:???
>>324
でな、そこで日蓮と創価の話だが、ハハさんが道元を理解できないからその
宗教が価値がないように見えるってのと、盛れが日蓮と創価がたぶんそら違う
んじゃねえの、って話してるのとは、おそらくは全然違う話だってことだと、
もれなんかは思うわけ。

ハハさんは禅が理解できない、だから禅には価値がない、道元なんてのも
堅物のキチガイじゃえねえの、ってな理解になっちまうんだろうが(これで
いいかどうかにもコメントな)、もれは日蓮も理解できるし、創価の心の持ち方
もビケダセンツェーマンセーの気持ちも全部わかる、わかった上で公平に判断
できてその上で、モ舞いラもっと心を入換えて広く仏教を知って勉強した方が
いいという「意見」を持つことができてる(つもりでいる)ってことで、ここは
違うだろ。あんたはソッカやめねえでる理由は何かあるわけか。やっぱビケダ
マンセーか。

327 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/16 00:27 ID:???
>>325
>最近絡まれてばかり

ってもれもか?もまいが絡んできたんだろ。「これはとても正論なんですが
云々、わたしの母はどうすりゃええの」ってよ。
な、座談会で言ってくれた?ねえ。

328 :母が熱心で困ってます ◆1Cz5bN8eQk :04/03/16 00:43 ID:pgjBnmFc
>>327
あなたのことではありません、いつも色々教えて頂いて
勉強になっています。
ただし座談会にはもう参加していないのですよ、母への説得の
ほうは時をみて試してみます。
返事が送れてスミマセン、あなたという方は私には難し過ぎて、
ちょっと対応に迷っていますた、失礼しました。

329 :母が熱心で困ってます ◆1Cz5bN8eQk :04/03/16 01:07 ID:pgjBnmFc
誤解されたくないのでハッキリ言っときますが・・・・

私は、禅や道元に価値が無いなどとは言ってないし、思っても
いません、自分が未熟でその価値を理解できなかった頃の話を
"当時の言葉"で書いただけですので。

330 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/16 01:29 ID:???
>>327-328
あっそ。そらすまん。いやもらもだいぶテケトーですけん。

てか、あんたも愚直でっせ。道元といい勝負かもですがな。

でもつらつら考えるに、創価もこの世にある意味はあったような気がするな。

ほんじゃまた。

331 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/16 08:54 ID:vTkDcglf
>316
会員の頭の中はソウカのお花畑だからな。(笑

あんまりゲロゲロ鳴いていると、
蛇に喰われるから退散退散

332 :Sb ◆SbSGI7AtEA :04/03/16 09:59 ID:2XiRmQgg
>>322
釈迦を踏襲するのも愚の骨頂

333 :Sb ◆SbSGI7AtEA :04/03/16 10:04 ID:2XiRmQgg
>>331
ははは、南泉斬猫みたいだ

『無門関』第十四則 南泉斬猫

南泉和尚、因東西両堂争猫児、泉乃提起云、
大衆道得即救、道不得即斬却也。
衆無対。泉遂斬之。
晩趙州外帰。泉挙似州。
州乃脱履安頭上而出。
泉云、子若在即救得猫児。
無門曰、且道、趙州頂草鞋意作麼生。
若向者裏下得一転語、便見南泉令不虚行。
其或未然、険。
頌曰
趙州若在 倒行此令
奪却刀子 南泉乞命



334 :Sb ◆SbSGI7AtEA :04/03/16 10:38 ID:2XiRmQgg
>>324
禅を理解するなんて書いている時点で、駄目だね
禅は理解するものじゃないよ
悟るものだよ

335 :Sb ◆SbSGI7AtEA :04/03/16 20:35 ID:HB/Z3Ymi
>>316 >かえるさん
やっぱり引っ掛けでしたか
ただ、禅がカルト化しないのは
あなたの言うとおり、>「世界でひとつだけの花」になる教え
つまりシステムなのです。
そのシステムを一番大切にしているのが禅宗だと思います。

すべてのマインドコントロールから開放するシステム
宗教から、集団から、家から、家族から、親から、自分から、脳から
ありのままの自分に、「世界でひとつだけの花」に、仏になるシステム
その方向から、外れるのは禅ではない
禅を絶対視するわけではなく
カルト化する方向に向いたとたんにそれは禅でなくなる

本来なら、全ての宗教が取り入れるべきシステムであり
禅を取り入れて、崩壊する宗教は駄目な宗教
禅を嫌う宗教家は似非宗教家、私見ですけどね

親鸞さんは禅宗ではないがその方向性は禅であると感じます
日蓮さんはどうでしょうか、皆さんはどう感じますでしょうか

336 :母が熱心で困ってます ◆1Cz5bN8eQk :04/03/16 22:24 ID:pgjBnmFc
>>335 Sbさん

日蓮はものすごく自分のスタイルにこだわっていた人です、だから彼自身は「世界でひとつだけの花」
になっていたと思います、しかし自分以外の人にも自分の価値観・方法論を押し付けた、その結果
弟子達は教条主義に陥ってしまった、つまり"世界でひとつだけの花になるシステム"のほうは
確立できなかったのではないでしょうか。

もし、あれだけの弾圧を受けても自分を曲げなかった日蓮が、「俺とって題目は最高なんだ、
これがあれば生きていける、お前らもそんな何か掴めよ、そうすれば一切皆苦の人生だって
なんとか乗り越えられる、現の俺はこうして生きているだろう」と弟子に言えていたら、
彼はそうとうカッコ良かったんですけどね。

だいたい"法華経のタイトルをただ唱えれば成仏できる"という発想は、かなり独創的ですよ
絶対視したり他人に押し付ける姿勢さえなければ、別に悪いもんじゃないです、実際に
少しは効果もあるわけですし。

日蓮系では日蓮は塚原三昧堂で悟ったと言われていますが、おそらく涅槃寂静の境地には至らな
かったのでしょう。(日蓮は涅槃経がけっこう好きみたいですけどw)


337 :春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y :04/03/16 22:24 ID:???
>>335 sbさん
> やっぱりひっかけでしたか
うん、ごめんね。

でも、あなたもよく禅の説明でこの論法を使うでしょ?
けれど禅に慣れてない人は、そんなレスに戸惑うだけなんですよ。
その辺りは、ちょっと解ってあげて下さい。

それからカルト云々以降の内容は、
あまりに歴史的事実を無視した、傲慢な私見です。
あなたの言うような禅家は少数だからこそ、後世に名僧、大居士と
称えられるのであり、それは他宗教も同じです。
自宗の美点と他宗の欠点だけを比較するのでは、カルトの手法と同じです。

338 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/16 22:42 ID:???
>>337
笑止、>自宗の美点と他宗の欠点

339 :春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y :04/03/16 22:57 ID:???
>>333
そんなの、漢文読めなきゃわからないじゃない。現代語で載せてやりなよ。

弟子たちが猫をめぐって争っていると、南泉が猫の首をつかんで言った。

仏道にかなう言葉を発すれば猫を助ける。
しかし出来なければ猫を斬る。

しかし弟子が答えなかったために、猫を斬った。

夕方、高弟の趙州が帰宅したので、お前ならどう答えたか南泉は訊いた。
趙州は履いていた草履を頭に乗せると、すっと部屋を出ていった。
趙州がいれば自分も猫を斬らずにすんだにと、南泉はとても残念がったそうである。

340 :波木井坊竜尊@日蓮宗葵講@名前だけ仏所 ◆IByKs72gR2 :04/03/16 23:01 ID:z0NtuTKG
ちょっと私は意見が違うんだな。
禅は自我が肥大する。これは以前に書いた。

自我が肥大し最終的には、あちらの世界に言ったきり帰ってこなくなる。
こういう人を白隠禅師は同僚や先輩・弟子をたくさん見て観法を導入したわけだが、
禅はあくまでも「個」の禅定だからだ。集団がカルト化しないかわりに個が自我に
埋没してしまう。

御祖様はそういう禅を天魔と呼んだわけですよ。

341 : ◆iq61PcZU/2 :04/03/16 23:04 ID:???
>340
キチガイの意見など聞いてない。
お前は前立腺でも肥大させてろ。

それで、ダイソーで100円ゲームの「(政界立志伝)政界すごろく」というPCゲーム
は、どうだったんだ?警察幾野も忘れて、何やってるんだ?
早く富士宮警察署刑事二課に自首しろよ。(激ハゲ

342 :Sb ◆SbSGI7AtEA :04/03/16 23:07 ID:HB/Z3Ymi
>>337 >かえるさん
使うね(w

カルト云々以降はちょっと補足がいりますね

私は禅宗が優れているといいたいのではないのです。
禅というシステムがそういうものであるとの説明です。

禅宗であっても、禅を絶対視したりすれば禅ではなくなる
野狐禅という奴です

宗教というものが、生きること、すなわち四苦八苦をどうするか
ということを目的とするのであるならば、そのシステムは有効である
これが私見です。

343 :波木井坊竜尊@日蓮宗葵講@名前だけ仏所 ◆IByKs72gR2 :04/03/16 23:09 ID:z0NtuTKG
この禅の個の禅定と解脱、そして悟りは、あくまでも「個」であり集団に還元されないの
ではないか。個の悟りはあくまでも本覚思想でいう十界論、二乗の人であり、如来に住する
人でないことは明らかである。

当時、在家仏教という言葉があったかどうかは定かではないが、出家していない人達の、
解脱と覚りへの道、そして成仏はもっと簡単で座禅などしなくても普通の生活と経済活動の
中でいたる易行化を模索したのが、唱題であったと私は思う。

禅は決して民衆に根ざしたといえるかどうか。もちろん禅を否定する気はもうとうない。
禅の心が深く日本人の日本の文化の根底にあるのは理化しているが大衆仏教という視点からすれば
禅は決して鎌倉時代に大衆化されてはいなかった。念仏と法華、大衆化へは、禅や苦行など
することなく易行化されたもののなかで大衆に広まっていく必要性があったわけですよ。



344 :波木井坊竜尊@日蓮宗葵講@名前だけ仏所 ◆IByKs72gR2 :04/03/16 23:13 ID:z0NtuTKG
だから私は白隠禅をもって禅は完成されたものだと思いますよ。それ以前と
それ以後は禅は明確に区分けされるべきものだと思う。

御祖様の批判がなかったら、禅のシステムは旧態化したまま、自我の肥大を招いた
人達の死かばねが累々と禅寺に積み重なっただけだと思う。

実際沼津の白隠禅寺にはあっちこっとに小山があり、自我が肥大化しそのまま”あちらの世界”
に行ったきり帰ってこなかった人達の塚がたくさんありますね。

ですから私は、白隠禅は御祖様の四箇格言をクリアできた唯一の”禅”だと評価しているわけです。
これは何回もいってきますね。ただ大衆化はまだできていませんけどね。

345 :母が熱心で困ってます ◆1Cz5bN8eQk :04/03/16 23:15 ID:pgjBnmFc
>>340 波木井さん

確かに日蓮は個々に悟ることを否定していた、ですから私が>>336
書いた彼の悟りとは"観心"のことです。
彼はその方法をたった一つだけとした(受持即観心ですね)、私としては
そこが納得いかないのです。

あなたの言う"個が自我に埋没する"というのはどうゆう意味なんでしょう?


346 :Sb ◆SbSGI7AtEA :04/03/16 23:17 ID:HB/Z3Ymi
>>336 >母が・・・さん
>絶対視したり他人に押し付ける姿勢さえなければ、
これが、その教えの全てを殺しているのだと思います。
法華経を誹謗している、貶めている
その効果をまったく反対の悪い方へ導きもする

この姿勢であるから、彼の悟りが魔境であると感じてしまうのです

347 : ◆iq61PcZU/2 :04/03/16 23:18 ID:???
>あなたの言う"個が自我に埋没する"というのはどうゆう意味なんでしょう?

そりゃ、妄想の中に入り込み、倒壊尼やさとりん、白川の事を想いながら、オナニー
することだよ。

348 :母が熱心で困ってます ◆1Cz5bN8eQk :04/03/16 23:31 ID:pgjBnmFc
>>346 Sbさん

確かに貶めていますね。
法華経そのものは独善的でも排他的でもありません、
しかしそのタイトルを連呼している人たちが"あれ"では
その内容も誤解を受けかねないw



349 :Sb ◆SbSGI7AtEA :04/03/16 23:33 ID:HB/Z3Ymi
>>345 >母が・・・さん
私のブラウザでは波木井氏はNGワードなので何を書いてるかわからないのですが
たぶん、彼の悟りの理解が(理解だから)脳の埒内で止まっているからだと思いますよ
悟ってないのに悟りを語っても、それが悟りな訳がないんです
唯、聞き及んだことを理解して書いているだけだと思います。

350 :Sb ◆SbSGI7AtEA :04/03/16 23:34 ID:HB/Z3Ymi
>>339 >かえるさん
>漢文読めなきゃわからないじゃない。現代語で載せてやりなよ。
だって、南泉漸猫の漢文って、かわいいじゃないですか
美しい、漢文ですよ

351 :波木井坊竜尊@日蓮宗葵講@名前だけ仏所 ◆IByKs72gR2 :04/03/16 23:40 ID:dBEMz+sB
私は禅も精神学もようわからないので間違っているのかもしれないが、

普通に禅をした時の意識レベル 末那識(マナシキ)
訓練者がいたる深い意識レベル 瞑想阿頼耶識(アラヤシキ)
如来・仏の意識レベル       阿摩羅識(アマラシキ)

といわれているようだ。通常人でも 末那識はいくが、禅の経験者でないと瞑想阿頼耶識(アラヤシキ)には
なかなかいかないと言われている。

この意識レベルまで達すると身体で感じる五感から離れて、あちらの世界(彼岸)の世界を
感じることができる言われている。この意識レベルを超えるとあちらの世界に埋没し、俗世の
苦しみ痛みの多き世界へ帰りたくなくなるといわれる。禅は一人では絶対やってはいけない、
師匠同伴でと言われるのは、禅の実行者が帰ってこなくなる可能性がありそうなったとき同伴の
師匠が弟子を娑婆世界の通常の感覚世界に連れ戻すことが必要だといわれる。ここで帰ってこなくなった
人間は、魂が抜けた状態になり死に到ると言われる。帰ってきても繰り返しこの精神世界を行き来
していると自らの体験から自我が肥大化し、とてつもなく自己主張が強くなったり、他人の言うことを
聞かなくなったりという性格上の変化が現れたりするんですよ。




352 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/16 23:42 ID:30qpqqLl
>唯、聞き及んだことを理解して書いているだけだと思います。
それをハキリは頭で理解して返してくるだけだ。
日蓮や法華経など、仏教全体から見れば、価値は無いのに。

353 : ◆V9NFYlHDBE :04/03/16 23:43 ID:???
まあ、ハキリの場合は、禅しなくても、普段から妄想の世界に入り込んで、
中年加齢臭を想像しながらヲナニーをしてるからな。
ま、インポだし心も体も醜いから女に相手にされないから、仕方ないけど、
他の人に迷惑ばかり掛けるのは、人間として最低だろう。
とても宗教を語る資格は無いな。

354 :波木井坊竜尊@日蓮宗葵講@名前だけ仏所 ◆IByKs72gR2 :04/03/16 23:45 ID:dBEMz+sB
それとこの如来・仏の意識レベル阿摩羅識(アマラシキ)は言った人はほとんどないんではないか。
如来・仏の住する精神世界レベルといわれている。オウムでいうと”ステージ”か。(藁)

あおくまでも「個」の精神世界での話なのでこれが他の人に広がるわけではない。
大衆化のための易行化、そして他者へあたえる影響はほとんどない。


355 :母が熱心で困ってます ◆1Cz5bN8eQk :04/03/16 23:46 ID:pgjBnmFc
>>351 波木井さん

なるほど・・・・
おそらくそれは魔境という段階だからではないでしょうかね、
ちょっと私も調べてみます、ご説明ありがとうございます。

356 :Sb ◆SbSGI7AtEA :04/03/16 23:49 ID:HB/Z3Ymi
>>339 >かえるさん、いや、皆さん
さて
あなたが、その言い争っていた僧侶ならどうしますか?

そして、南泉が猫を殺したことをどう感じますか?

なぜ、南泉は趙州が何も言わずに草履を頭に載せて出て行ったのに
切らずに済んだなどと言ったとおもいますか?

でも、書いちゃ駄目だよ

357 : ◆4PRDdoNSjw :04/03/16 23:51 ID:???
>355
お前、いい加減にしろよ。
今後はお前をハキリの仲間とみなす。

358 :春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y :04/03/17 00:00 ID:???
>>342 sbさん
あ、そういう意味なら解ります。

それを忘れれば寺院でも堕落する、カルトになる場合もある。
だから名僧と言われた人たちは、そんな場合寺院や禅宗自体さえ批判した。
そういう事ですね。了解しました。

正法に奇特なし――同じ意味の事は念仏でも言いますが、
それでも奇特が見たいのが人の性です。
人の性に罪はありませんが、そこにつけこんで嘘とごまかしで
奇特を演出するカルト宗教は、私は許せないと思います。

> 使うね(w
うん、お互いほどほどにしましょう。(笑)

359 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/17 00:01 ID:???
大衆化のための易行化を重視するのはどうかと思うが。
それに、他者へあたえる影響がほとんど無いというのは事実に反するね。
禅は偉大な影響力を持ってきたし、現にある。鈴木大拙はアメリカではポピュラーだし、禅に理解のある外人は多いよ。
大衆化、易行化の歴史的意義は認めるが、安易に易行化を求めるのは感心しない。

360 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/17 00:07 ID:???
>>母が熱心

というかお前自身が熱心じゃないの?

361 :波木井坊竜尊@日蓮宗葵講@名前だけ仏所 ◆IByKs72gR2 :04/03/17 00:08 ID:yYCP+EJn
>>359
集団として動かないんだよね。私の言葉が足りないので補足すると、法華仏教の
ような巨大な力となりにくい。私はそういうことを言ってるわけですよ。

362 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/17 00:10 ID:???
アホ。言葉が足りないとわかってる奴は、掲示板に書くな。ROMでもしてろ。


363 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/17 00:58 ID:vXgV6fui
>帰ってきても繰り返しこの精神世界を行き来
>していると自らの体験から自我が肥大化し、とてつもなく自己主張が強くなったり、他人の言うことを
>聞かなくなったりという性格上の変化が現れたりするんですよ。
人間の五臓六腑は感情に関係している。ヨガなど、内臓や内分泌を鍛える訓練を
すれば、感情に支配されなくなる。下痢状態の悪人が存在しないように、
悪人がヨガなどで元気になると、さらに悪意を増す(例オウム)。
そういう連中が瞑想をやりだすと、自我に飲み込まれる。

364 :Sb ◆SbSGI7AtEA :04/03/17 01:39 ID:TypOFuUQ
>>358 >かえるさん
私はここでは天魔です
日蓮さんの法を絶対と信じている人たちに
自分の仏法をぶつける天魔です
だからそれを使うのです

365 :母が熱心で困ってます ◆1Cz5bN8eQk :04/03/17 21:05 ID:Xod7D4ab
Sbさんへ

あのスレ(日顕の退座要求)もROMしてたんですか、恥ずかしいな・・・・

今あそこは身内の喧嘩状態(顕正会までいるしw)、とても外部の人には
見せられませんよ、みっともなくてね。
あなたに読まれていたとは顔から火のでる思いです、私の発言もそうだけど
特に蓮華さんの発言を読まれるのが情けなくてイヤだな、彼は昔(学生部くらい)の
私ソックリ、というか私そのものですよ。

これも日蓮のまいた種と言いたいところですが、人のせいにするのもなあ(トホホ

366 :Sb ◆SbSGI7AtEA :04/03/18 00:04 ID:ScQrRoo0
>>365 >母が・・・さん
非風非幡
のごとし


367 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/18 00:06 ID:95f970/4
イラク戦争時反対世論が実に9割、そして今度の選挙では、 民度の高い英断を
世界中に見せ付けたスペイン国民を称えて、 その素晴らしい国歌を堪能しましょう!
【国歌】___________________________
スペイン(ラテン系ののりがGOOD!)
http://www.st.rim.or.jp/~jr1maf/spain_forum/spain07.htm
イタリア(サッカーなどでファン多し、ラテン系)
http://www.diana.dti.ne.jp/~june1/etc/italy.mid
ロシア(最近、ソ連時代のものにメロディーだけ戻した、ファンが多い)
http://www.42ch.net/UploaderSmall/source/1079456310.mid
トルコ(なかなか迫力のある曲、威厳系メロディー。)
http://chiba.cool.ne.jp/angel07/clip/himno/euro/turkey.mid
シリア(誰にも知られていないが、威厳があって且つ旋律がグッド、国歌用メロディーとしてはNO.1?)
http://chiba.cool.ne.jp/angel07/clip/himno/asia/syria.mid
フランス(有名な ラ・マルセイエーズ)
http://chiba.cool.ne.jp/angel07/clip/himno/euro/france.mid
韓国(優しいメロディーでしゅ。隣の国と比べてくださいでしゅ。ループさせてみて!) 
http://www5d.biglobe.ne.jp/~sound/midi/korea.mid
イスラエル
国歌としては異色で物悲しく美しい短調の曲。上手いMIDIが見つからないので残念略。
_____________________________以上◎ベストセレクション
アメリカ、ニュージランド、コロンビア、インドなど                   
_____________________________以上○そこそこクラス
イラン、イラク、アフガン、北朝鮮、アルゼンチン、イギリス・・・・・
その他多くの国のは、下手な交響曲という感じで、メロディー的には、 
かわりばえがしないものが実に多い。
_____________________________以下、ξ糞レベルξ

日本(間延びした軍国系旋律のスキマから、軍靴の音がはっきり聞こえる)
http://www.worldfolksong.com/anthem/midi/anthem/japan1.mid
中国(これは聞くに耐えん。耳に残るオウムソング系)
http://www7.plala.or.jp/machikun/chinaa.mid

368 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/18 19:41 ID:???
>>361
ごく表面的な浅はかなモノの見方じゃないのか。
蝶の羽ばたきが、台風になるという例えもあるし。

369 :Sb偉そうだな、だが読めてっか?モマイ:04/03/18 19:54 ID:???
>>332
違うねキミ。文章は正しく読もうな、Sbよ。
俺の言ってることってなそんなことか?な?

ほけきょうに書いてあること自体の意味が何であるのかを問題にしているんだろが?

そこに書いてあることを知らず、また知ろうともせず、何がなんだかさっぱりわからない
そんな人間が、ひたすら「キエします」「キエします」「キエします」と
言い続け唱え続ける事にどういう意味があるのか?その仏教ってことの意味を
問うているわけだったよな。

書かれた時点ではな、おまえがそうやって誇ってやまない禅の思想が書かれたのかどうかだ。

370 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/18 21:25 ID:???
>>322 >>334
だから、モ舞いはまず「さとり」がどうのこうのという前に、なによりも今ここで
何を議論してるのかの「理解」が必要だったわけだ。w

371 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/18 21:29 ID:???
>>370
>モ舞いはまず

ハキリのこと言えない。これって半島の言葉!?

372 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/18 21:39 ID:???
もっと言えばこうなるぞ、Sb、も舞いは連中に禅のなんたるかを「悟る」
ように教唆している、言葉が気に要らなければ指南でもしているつもりなの
だろう。そしてそれを自分で体得して自分で掴め、とでもな。しかし連中から
言わせればこうなるな。

連中は、喪舞いが連中のやる通りの「方法」で「題目を唱えればモ舞いも生命力
が増大して」四苦八苦などと釈迦風味の迷い人生を歩く無駄が省けるものをと
モ舞いに言ってるんだが、モ舞いは知らんわけだろうな。だからモ舞いの言葉は
全然連中には届いちゃおらんのだぜ。モ舞いの禅は悉く馬鹿にされ、つまらん
無価値と笑い飛ばされているのが現実なんだぜ。モ舞いは知らぬが花ってところ。
悪いがそんなのが禅者ぶってどうして連中にその臭いも嗅がせられるんだや?

おれは前からそうやっていておったよな。創価学会の麻薬にやられた人間に
そんなモ舞いみたいな昔からやってきた方法であの強烈な麻薬効果が飛ぶもん
かい。と、おれは思っているわけさ。モ舞いは題目の効果を体験してからその
効果の何たるかを体で知って連中と同じ心持ちに1回でもなってから、禅を
教えてやるといいぜ。それでオ舞いは俺の言ってきたことの意味と価値を知る
ようになるだろう。それを言ってきたわけだが「理解」されてなかった、あるいは
悟ってももらってない。人間は自分の体験した範囲でしか「理解」できないから
だよ。モ舞い自身がその範疇から出ていないさ。そんなので、何が「悟り」かい。

373 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/18 21:59 ID:???
仮に禅者が「悟り」を体験せよ、「理解するんじゃなくてだ」と言うのなら、禅者が
「題目を唱えて人間革命しろ」と言ってくる創価学会の言うことも聞かなくちゃならん
のが筋になる。人に「悟れ」どうのこうのと言う以上、「モ舞いも体験しろ」と言って
来る相手の要求も聞くのが道理になるよな。人に体験しろと言ってる人間が、人の体験
しろは聞けないってのはおかしい。同じ要求を出すなら同じ要求は受けなければならない
わけで、それでやっと相手の心持ちがわかるってもの。

連中が故もなくただ言葉で操られて池田大作の言いなりになってるわけじゃない。連中
にはそれなりのモチベーションの基礎がまがりなりにもあるからこそ、創価学会はそれなり
に強固に保たれている。そこをそんなに簡単に禅が崩せると思うのなら、その結果を見せて
もらいたいもの。このままなら、ぬかに杭で終るだろう。

374 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/18 22:09 ID:???
Sbは「創価学会なんてカルトにはまるのは禅的悟りを知らないからだ」と言い、
だから「創価学会員に悟りを経験させてやりたい」と思っている。創価学会は
価値がない、そんなものめ、とこき下ろしている。そんな気持ちで連中に高飛車
に「まだ悟っていない」「だめだだめだ」「私は悟っているんだ」「おまえが
変わればいい」「おれは教えてやるんだ」と高慢になって連中が何を思っている
のかすら知ることもない。

そんなら創価も禅を馬鹿にしてこき下ろすのを認めるしかない。こうして宗教は
永遠に「理解」されることなく、またカルトも永遠に解消することもない。
そうだよな。今まさにその状況があるだけさ。

375 :Sb ◆SbSGI7AtEA :04/03/18 23:36 ID:ScQrRoo0
>>369
法華経に書いてあることなどどうでもいいではないか
月をさす指だといっているでしょ

生きていくことを問題としているのに、思想など問題ではないでしょ

376 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/18 23:54 ID:???
たとえば、創価学会の昔からある信心の契機というのには、難病に悩まされている人、
戦後の極貧で食うや食わずの人、とにかく痛さと苦しさにあえいでいる人が「とにかく
この苦しみから救われたい」と強く願って入った人が多くいたわけだ。

禅は残念ながらいかに悟ろうともこの苦しみを現実的に「麻酔薬を投与されたごとくには」
逆立ちしても救わないのが現実。あんたが四苦八苦は残るといい続けているのはまさにそれ
だが、この創価的信心というのはこの現実的な麻酔薬なのさ。だから人はそれを「効果効能
あらたかで現実的に助ける信心」だと感じてそれを支持することになるわけだ。

おれはそれをヨーガ効果だとしてその「宗教としても意味」に疑問を投げかけた。そして
現実に法華経の意味論とは無関係に題目マントラが存在可能であることも示してきたわけだが、
ソレ自体の効果効能そのものを否定したわけじゃない。それは時としてあの「三つ目が
とおる」のマンガのように、三つ目が目覚める突然超人のようになってとてつもない
能力を出してしまうようなことも起こる。これが現実的な薬物効果と考えてもいいほど
強烈な感覚を与える結果だった。これを俺は脳下垂体の役目と長所および欠点として
読解したがこの点はまだまだ一般科学になるには至っておらぬ部分だから良しとしよう。

377 :Sb ◆SbSGI7AtEA :04/03/18 23:59 ID:ScQrRoo0
だから、無門関から、いろいろ抜粋してるでしょ
あとはあなたがどうするか
私を非難するので終わるならそれでよし
そこから、自分の道を見つけたいならそれでよし
私が高いところに見えるのはなぜなの?
自分を下げる必要もなし
私はぶつけるだけ、それ以上のことは出来ませんよ

他是阿誰のごとし

378 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/18 23:59 ID:???
>>375
>法華経に書いてあることなどどうでもいい

おれの論点についてコメントしたのならその論理の流れが理解されていなければ
ならんはずとい申しておる。この論点においては、日蓮信者に対して「題目信仰の
意味」を問うているわけだ。>>369にはちゃんとそう書いてあるだろ。よく読め。

379 :Sb ◆SbSGI7AtEA :04/03/19 00:06 ID:qEIxN2LI
>>376
三つ目がとおるでもよいが、超人だとしても四苦八苦から逃れているかい
それも、どうでもいいこと

でも、ごめん、微妙に何言っているかわからない

380 :Sb ◆SbSGI7AtEA :04/03/19 00:09 ID:qEIxN2LI
>>378
だから、そもそもの否定だよ
題目信仰など、仏法ではないという意見を
高飛車だといわれれば、それまでなわけです
信仰は信仰でいいんだよ
でも仏法ではない
仏法はそもそも、信仰と関係あるのか
という疑問が今湧いたよ

381 :Sb ◆SbSGI7AtEA :04/03/19 00:09 ID:qEIxN2LI
で、今日は眠いからおしまい

382 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/19 00:17 ID:???
>>376の続き)
そういう現実的な効果効能がある場合、その効果効能を「宗教的真理」の発現として
捉えるべきなのかどうか、もしそうなのだとした場合にはその意味が他の宗教や宗派
が主張している「真理事項」との関係がどういうものになるのか、どちらも生きている
現実の人間に起こっている現実の事象である以上、その整合と統一的な解釈をどうする
のか、という根源的な問いに向わざるを得ない。

そうでなければ世界の根源は崩れてしまう。それが宗教における科学的観念とも言えよう。
宗教という人間に起こっている現実の事象をより統一的な読解の上にどう「理解」し、
「読解」する必要があるのか。そこに考えが至らなければ現代で宗教を云々する根底の
重要な視点が失われることになる。

その理解のための方向というものは一つではなくいくつかのテーマがあるだろう。その
一つとしてヨーガ的人間構造論としての理解、読解を試みる必要があるだろうと主張して
わけだったが、ここではより現実の問題として、人間が外的に薬物によらずに麻酔薬を
手に入れることが出来て、それを適宜使うことで現実に試験にも合格するほどの集中して
勉強もできまた病気も治りやすくなる、ということが現実に起きていて、それに頼ること
で現実的に利益を得ることができる構造が現実に人間にはあるということが看過し得ない
現実としてあり、それに目覚めてしまえば、禅の方法論などは「無価値に思う」ほどに
うまみのある「信心」になってしまう現実に対して何をするんですかという問いでもあった
わけだよな。そしてその麻酔薬が現実に人を痛みと苦しみから救う効果効能がある以上、
それを無価値として切り捨てることはできないということにもなるというのは、それなり
に尤もなことでもあるのさ。

383 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/19 00:25 ID:???
>試験にも合格するほどの集中して勉強もでき
>また病気も治りやすくなる、ということが現実に起きていて

なんの証拠も無い。妄言

384 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/19 00:35 ID:???
>>380
OK。
>だから、そもそもの否定だよ
>題目信仰など、仏法ではないという意見を
>高飛車だといわれれば、それまでなわけです
>信仰は信仰でいいんだよ
>でも仏法ではない
>仏法はそもそも、信仰と関係あるのか
>という疑問が今湧いたよ

これが重要な視点の一つだと思う。またいずれ議論することにしましょ、Sbさんな。

もれがここで言いたいことの一つは、人の精神の持ち方というものが、自分の得た経験
で構成されてしまわざるを得ない以上、そこではいろんな意識のあり方があり得るという
ことであり、その一つに創価学会的な意識の持ち方というものも含まれるし、それも
また理解できるってことでもある。

たとえば人が手術するとしたら、今麻酔しないで手術するのはほとんどない。痛みは
ない方がいいでしょ。それを750年も前の時代にそれを現実的に見つけたのが日蓮だった
という理解になることはできるかもしれない。それは「仏法」ではなかったが、そうだと
日蓮は自分の「理解」において経文をその題目の効果という視点でまとめて自分の宗教
に形成していろいろ書いたわけだった。それが本来の宗教にはなり得ないものであっても
現実に効果効能はあった。それを現代においてどう読解するのかさ。その試みが必要なんだ
という意見はあるということだよ。その気持ちの持ち方を経験しない者がそれと別の次元の
主張だけをしてもその人らには全然受け入れられる視点が全然できないって事で、これは
いままで議論したり接したことのある創価学会員の人の意識の持ち方から如実に知っている
ことでもあるわけ。てことでした。>>>379>>381

385 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/19 00:50 ID:???
>>383 補足しておくならば、だが、
体験できるからも前もやってみろ。それで試験でも合格する可能性は高くなるだろうよ。
少なくともそういう限定的な範囲の努力を効率的にさせる意識上の働きはある。これは
現実に経験できること。前頭葉の血流が促進され、物事を集中して考えられたり読み込ん
だりする能力が高まる。

病気も身近に顕著な事例を知っているわけじゃないが、内分泌腺の働きが活発になること
で免疫力が高まり、それで体の抵抗力が強くなって病気にくくなる効果や、現実にそうした
体に関わる効能ということでは比較的簡単に体験できると思うよ。こういう効果効能は簡単
に経験できる。

それはそれが機械的運動だからそうなるわけなんだが、そのこと自体が「宗教になる」と考えた
ところに日蓮の根本的な誤謬があり、そこから連綿と現代に至るまで続いた「宗教的観念」の
連鎖が、日本人の文化に影響を与え、また日本人の少なからぬ人間の無意識に影響し、それが
既成事実化した日蓮宗教を形成したわけで、まさに「集団として人間をどうこうする」
宗教にさえなったのかもしれぬ。しかし何度も言うように、それが「宗教」として存在可能な
だけの論理の必然性はどこにもない。それはすべて他のロジックで読解が可能であり、
その例としてこれまで示してきたに過ぎない。私は宗教としての日蓮も創価学会も認めないが、
それを宗教にしてしまう根源を見極める作業の必要性、それを含めた宗教すべての「統一的な
理解」という本来現代に課せられているであろう作業の必要性を認識するということである。

386 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/19 01:10 ID:???
>>385 補足の補足ですが、
>それが「宗教」として存在可能なだけの論理の必然性はどこにもない

というのは、現実に日蓮系の宗派はみんな少しずつ教義教学が違うだけでごまんと
大小存在してるわけだ。そのどれもが真理主張をしながらどれもそれなりに存在
できてきたのは、結局そのお題目マントラの効果だけは変わらなかったからだろう。
わずかに異なる主張をあれこれしながらも、結局はマントラとしての機械的称揚
行為によって得る頼れる体感がそれを支えてごまんとある日蓮系宗旨を生んだのだと
思う。しかしそれらの信者はすべてマントラの与える現実点な充足感や安心感、体感
によって元気を得たことで、それにまつわる宗教的思弁を鵜呑みにしてそれぞれの
系統が多数存在し続けるままになって今に至っているということだろう。

たくさんわかれ争ってもそれぞれが存在し続けられたということは、そのそれぞれの
真理主張自体がみな真理だったからではなく、どれも「必ずしもそうでなくてはならない
だけの必然性」をどれも有しておらず、それであっても良かったからこそ、これまで
そのように多数存在し続けてこれたのだとも言える。それらは弁証法的ロジックの必然性
によってそのうちのそれかに収束すべきものとならないからであり、それはそもそもが
日蓮の教義教学というものが元々必然性のない主張であったからだと考えられます。

まあ実はこれはほとんどの宗教においても同様ではあるのですが、日蓮の場合はあからさま
に機械運動ですのでこれが目立つことになるのでした。このような読解が現代ではいずれ
一般化するに違いないと私は思っています。ではまた。

387 :Sb ◆SbSGI7AtEA :04/03/19 08:58 ID:qEIxN2LI
>>384
私の仏法とは
人生に対する、対症療法ではない
人生そのものである

題目唱えたから、マントラ唱えたから、ヨーガしたから
解脱したから、悟ったから、仏とあったから
四苦八苦しなくなるわけじゃない

薬を飲んだからがんばれる、
題目唱えたからがんばれる
同じこと

そもそも、生きていくことをがんばる必要などない
そのままで生きていけばいい
生きていくってことは、そもそも命がけなんだから

388 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/19 09:57 ID:???
うっさいハナクソ

389 :Sb ◆SbSGI7AtEA :04/03/19 12:43 ID:qEIxN2LI
>>388
雲門、因みに僧問う、如何なるか是れ仏。門云く、乾屎けつ。

390 :乾闥婆:04/03/19 22:17 ID:???
>>387
Sbさん。
>私の仏法とは
人生に対する、対症療法ではない
人生そのものである

日蓮とはまさに人生そのものに法華経を見、法華経に人生を見た人ではないか
と思います。創価学会はどうなのか、置くとして、日蓮は仏法を生きたし、彼
の人生そのものは仏法であったといえることになりますでしょうか。

>そもそも、生きていくことをがんばる必要などない
そのままで生きていけばいい
生きていくってことは、そもそも命がけなんだから

命がけで生きてゆくということにおいて、頑張らなければならない局面だって
あるはずです。そのままで生きていて生きてゆけない局面だってあるはずです。
そのような生を主体的に引き受けてゆくという姿勢において、日蓮はまさにそ
う生きたといえるでしょうね。

>仏法はそもそも、信仰と関係あるのか
という疑問が今湧いたよ

何故でしょうか。例えば親鸞や道元は信仰と無関係でしょうか。それとも彼ら
も仏法とは無関係な人たちなのでしょうか。

391 :Sb ◆SbSGI7AtEA :04/03/19 22:37 ID:RQ5myGks
>>390 >乾さん
>日蓮は仏法を生きたし、彼
>の人生そのものは仏法であったといえることになりますでしょうか。
うん、誰の人生も仏道だと思うよ

>命がけで生きてゆくということにおいて、頑張らなければならない局面だって
>あるはずです。そのままで生きていて生きてゆけない局面だってあるはずです。
そもそも、そのままで命がけで生きているんです
そういう状態など当たり前に内包しているんです
生きていくということは、そもそも命がけ、頑張る以上に命がけ
日蓮さんの生き方が凄いとかじゃなくて、
そもそも、皆生きていくってことは凄いことなんです。
でも、当たり前に生きているんです。

>何故でしょうか。例えば親鸞や道元は信仰と無関係でしょうか。それとも彼ら
>も仏法とは無関係な人たちなのでしょうか。
うーん、乾さんも考えてみてください。
私にもよく分からないのです
あまねくもの全て仏、私も仏、あなたも仏
では、信仰対象は?
無関係であり、密接であり
これが言葉にすると逃げていくってやつです

392 :乾闥婆:04/03/20 08:15 ID:???
>>391
>そもそも、そのままで命がけで生きているんです
そういう状態など当たり前に内包しているんです

それは一つの言い方といえるでしょう。頑張らなければいけない局面や、その
ままでは生きていられないような局面が内包されているのであれば、つまり人
は頑張って生きたりそのままではない生き方を強いられたりする、ということ
になります。そのような姿こそが当たり前である、ということです。

>日蓮さんの生き方が凄いとかじゃなくて、

もちろんそんなことは言っておりませんが、誰も彼もが日蓮のような生き方を
するわけではないでしょう。おそらく日蓮の生き方を当たり前の生き方である
と考える人はほとんどいないと思いますが。偉いとかそういうことではなくて。
生きるということはとても固有な出来事です。逆に言えば当たり前の生き方な
んてどこにもないのではないでしょうか。

思うのですが、当たり前であることが仏法であるならば、仏法とは何もしなく
ていいもの、そのまま普通に生きていればすべて仏法ということになります。
それは鎌倉時代の各祖師が反発した本覚思想の姿ではないでしょうか。そうい
った姿に能動性や主体性を取り返すことこそが鎌倉仏教の意義ではなかったで
しょうか。ですから彼らは行を立てるのだと思います。坐禅、念仏、題目、彼
らはそれらに対する信念を持っていたはずです。それは信仰といってよいもの
だと思います。

393 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/20 09:23 ID:???
菩提心が前提に無い層化は、ブッダとは関係なさそうだ。
ねえ、乾さん。

394 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/20 12:59 ID:???
参考
「正法眼蔵」の参照ページ
http://www.shomonji.or.jp/soroku/genzou.htm

395 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/20 15:48 ID:???
>>392 394
山口組系の袴谷憲昭とはまるで正反対の意見だねぇ。
ま、どっちが正しいのか私には判らんけどね。


396 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/20 16:22 ID:???
>>393
彼らの菩提心=「最高の題目行によって宇宙の生命の力を実感させてやる」

これはいわば「創価流の神秘主義」で、宇宙には生命の源流である不可思議生命の
元があり、それがちょろちょろと流れ出てきて目に見える生命体がアメーバから
象や人間に至るまで生かしているという思想。その生命の力を「強力に湧き出させる
キーが秘法なる南無妙法蓮華経である」という神秘主義思想。

しかしいずれにしてもそれで「病気も平癒しやすくなり」「大事にならないで済む」
「うまく行けばすぐに平癒する」信心になるというもの。これは安心が内分泌系を活発化
して免疫系が有効に作用する状態になるということでもあるが、その詳細なメカニズムを
云々するのは科学になる。科学にしないで宗教にする指向が存在可能であった本質は、
そうして宗教にすることで人は無知のままで「恐怖の解決としてすぐにすがれる」構造が
取りやすく、それを「現実問題のとりあえずの解決」に結びつけやすくできたから。それが
人間にいつまで必要なのかはこれからの課題である。

397 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/20 16:36 ID:???
大白蓮華(2004/3月号p.63)
『この布教菩薩の振る舞いに照らすならば、妙法を受持していない人々の生命
にも「仏性あり」と信じていくことが大切です。また、人々の仏性を軽んじる
「悪」とは、断固として戦っていかなければならないのです』

これは「真理は我にあり、モ舞いは悪党である。法華経の真理は我々に受け継がれて
いて、モ舞いにではない。モ舞いはインチキ坊主であるに過ぎず、我々だけが
日蓮大聖人の正統なる血脈であるから、我々はも舞いら坊主どもを悉く叩き滅ぼす
必要があるのだ。これが正義である。」という創価学会には、一仏乗であるか、本当に
他人の仏性を信じているといえるのかどうか?これについても議論せられたい。
さていかがかの?創価の主張もこのようであるが、禅・念仏坊主の首を取れと
命じた日蓮ははたして真実の「不軽菩薩の行」を行じていたと言えるのかどうか?
さあ、この宗教の本質的命題について論じ、日蓮および創価学会が一仏乗の仏教と
言えるのかどうかを断じられたい。これは宗教というものの本質に関わることで
あろうが。

398 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/20 16:46 ID:???
>>397の問いへの答えが、「日蓮も創価学会もともに一仏乗ではなく、善悪
二法論者であり、ともに結局は悟りにはほど遠い思想であったと断ぜられる
と結論がでた場合、その原因は、結局日蓮も創価学会も、そのどちらもが、
要するに、>>396のごときオカルト風神秘主義に自らの根源思想を依拠せしめて
いるからだということになりはしないだろうか?

宇宙の生命の源があり、それが特定の呪文によってのみその力を汲み出して
使うことができるのだ、というような思想であれば、そもそも即刻現在が仏の
世界であることを悟る悟りとはほど遠いからであろう。

その「力を得る方法」とは、水道の蛇口をひねると水が出るタイプの信心であるから、
水を出す方法が蛇口をひねることであり、その簡単な方法を知っているか知らないか、
その方法でのみ水が飲めると信じている「信仰」となる。その場合、そのタイプの
「信仰」者とは、果たしてその論理の必然的帰結として「一仏乗」である「一切が仏世界」
であることの悟りに至れるのであろうか?さてこのように考えるが、皆様はどう考えるか。

399 :Sb ◆SbSGI7AtEA :04/03/24 10:05 ID:FGVmje/1
>>392
>つまり人は頑張って生きたりそのままではない生き方を強いられたりする、ということになります。
人生ってそんなもんなんじゃないの
四苦八苦しないですむ人生なんて無いでしょ
それが諦ではないのでしょうか、諦めではなくてですよ

>誰も彼もが日蓮のような生き方をするわけではないでしょう。
誰も日蓮さんの生き方など出来ないでしょ
誰も乾さんの生き方が出来ないのと同じですよ
当たり前に生きるとは、
自分の生き方は自分以外には出来ない
他人の生き方など自分は出来ない
固有な出来事が当たり前なのです
皆が同じ生き方をすることが異常なのです

>当たり前であることが仏法であるならば、仏法とは何もしなく
>ていいもの、そのまま普通に生きていればすべて仏法ということになります。
当たり前に生きることはとても難しいのではないでしょうか
ここで私が言いたい当たり前とは、本来の自分です
本格思想とはまったく正反対なのです
ただ、何もせずに生きていても当たり前には生きていけない
だから、修行がある
でも、当たり前に生きていくという悟りがなければ
そんな修行など無駄
だから
修証一等なのだと思います

400 :波木井坊竜尊@日蓮宗葵講@名前だけ仏所 ◆IByKs72gR2 :04/03/24 10:16 ID:aAhpQkDr
ま、当たり前のように見えて当たり前じゃないんだよな。(ひとりごと)

401 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/24 11:21 ID:???
>>399

修行とは?   具体的にどのようなものか聞きたいな。

それから、自分の生き方は自分以外にはできない←当たり前だよ。
どうも言ってることが抽象的で大作くさい。


402 :Sb ◆SbSGI7AtEA :04/03/24 11:40 ID:FGVmje/1
>>401
坐ればいいじゃん

当たり前だから、当たり前って書いてるんでしょ
でも、組織に指導された生き方だとか
ファッション雑誌そのままの格好がおしゃれだと思っているとか
ブランド物持っていないと不安だとか
それが当たり前になっている人はいっぱいいるよね
でもそれは当たり前の生き方ではないよね

403 :真似すんな!:04/03/24 12:26 ID:???
>>402
養老猛みたいなこと言ってるね。
見え見えだぞ。(w)

404 :母が熱心で困ってます ◆1Cz5bN8eQk :04/03/24 12:36 ID:lKEM1j07
ああなるほど、Sbさんの言う"あたり前"というのは"自分らしく"
というニュアンスだったのですか、納得しました。
それなら"当たり前"="何もしないそのまんま"ではありませんね
"自分らしく"ありつづける為には努力が必要ですから、それが修行
つまりあなたならば座禅という事ですか。

しかし、たいていの人は"ありがち"="当たり前"という認識であり、
その辺の誤解がこの議論を分かりにくくしている気がします。

Sbさんは時々、言葉にすると逃げると言いますが、私は逆です。
言葉にしないと消えてしまう、頭悪いからピッタリの表現は
絶対に見つからないけど、それでもなんとかその感情を言葉に
置き換えておく、そうせずにはいられない性質なんです。

405 :乾闥婆:04/03/24 14:43 ID:???
>>399
Sbさん。
>人生ってそんなもんなんじゃないの
四苦八苦しないですむ人生なんて無いでしょ

「人生ってそんなもんなんじゃないの」という文章は私の発言に対する同意文
でしょうか否定文でしょうか。どちらとも取れるのですが。
否定文であれば、頑張って生きたり、そのままではない生き方を強いられたり
することが、人生ではないとおっしゃっているのですか。そうではない人生と
いうものがなにか他にあるとでもおっしゃるのですか。それに私は「四苦八苦
しないですむ人生」なんて言っていないし、逆に四苦八苦するのが人生でしょ
う、と言っているのですが。

>誰も日蓮さんの生き方など出来ないでしょ
誰も乾さんの生き方が出来ないのと同じですよ

だから「生きるということはとても固有な出来事です」と私は言ったのです。

>固有な出来事が当たり前なのです

それは一種のレトリックです。実際は当たり前と言えないから固有なのです。

>皆が同じ生き方をすることが異常なのです

私は「生きるということはとても固有な出来事です」と言いました。だから人
は様々に頑張って生きたりそのままではない生き方を強いられたりするのです。
当たり前な生き方なんて幻想ではないでしょうか。

>当たり前に生きることはとても難しいのではないでしょうか

そうでしょうね。当たり前な生き方なんてなさそうですから。

406 :乾闥婆:04/03/24 14:44 ID:???
>>399(続き)
>ここで私が言いたい当たり前とは、本来の自分です
本格思想とはまったく正反対なのです

本覚思想とは本来の自分はそのままにして仏である、ということではないので
すか。Sbさんの言っていることは正反対ではなくて、ほぼその線に沿ってい
ると思われるのですが。

>ただ、何もせずに生きていても当たり前には生きていけない
だから、修行がある
でも、当たり前に生きていくという悟りがなければ
そんな修行など無駄
だから
修証一等なのだと思います

つまり人は修行という頑張りをするのでしょう。「そもそも、生きていくこと
をがんばる必要などない そのままで生きていけばいい 生きていくってこと
は、そもそも命がけなんだから」というSbさんの発言は違うと思うのですよ。
修証一如とは行と悟りが別々にあるのではなくて同時に現成するということで
しょう。「そのままで生きていけばいい」なんていうことではないでしょう。
道元にとって只管打坐の姿そのものが修証一如であるのでしょう。当たり前な
ことなどではなくて非常な覚悟のいることだと思います。それは日蓮が法華経
を身で読む生き方へ突き進んでゆくのと同じほどに、覚悟のいることではない
でしょうか。Sbさんは「当たり前」というレトリックに囚われすぎているの
だと思います。


407 :乾闥婆:04/03/24 15:02 ID:???
>>404
母が熱心で困ってますさん。

私も言葉に置き換えなければ落ち着かない方です。それは創価学会や日蓮の「正
義」を言葉で植え付けられてきたために、それを突き崩してゆくには同じ土俵
である言葉でやってゆくのが一番腑に落ちるからだと思います。それにここは
言葉だけで成り立っている世界ですから。

408 :母が熱心で困ってます ◆1Cz5bN8eQk :04/03/24 16:13 ID:lKEM1j07
>>406-407 乾闥婆さん

Sbさんの言う"本来の自分"って、当たり前に感じる(意識する)ことは難しい。
"本来の自分"って、見得や建前などの無駄を削って削って、磨いて磨いて、
やっといきつくものだと思う、そしてその削る行為、磨く行為が修行なんでしょう。

ただし間違えてはいけないのは、その修行だけですべての研磨が足りる訳では
ないということですね、人との触れ合いや摩擦も大事だし必要ですから。
きっとそれらのバランスなんでしょうね、"本来の自分"というのはけっして世界や
社会から独立して存在するものではありませんから。

私は修行というのは、梵我一如での我を見つめ・取り戻す行為だと思うんです、
一般の社会生活では他人からの評価など周りにばかり囚われがちになる、すると
だんだん自分を見失ってゆく、だからこそ禅や題目などの修行が必要なんだと思う。
そうゆう修行で(ちょっとだけ)自分を取り戻すことが出来るから、それが癒される
という感覚になるんじゃないかと思うんです、まったくの我見ですがね。

>>407
>私も言葉に置き換えなければ落ち着かない方です。

そう言って頂けると、気が楽になります。
"言葉にする"のは"心で感じる"のに比べて、ちょっとチープの感じがしてたのでw

409 :Sb ◆SbSGI7AtEA :04/03/24 16:41 ID:FGVmje/1
>>405 >乾さん
同意ですよ
人生ってそのようなものですからね

>そうでしょうね。当たり前な生き方なんてなさそうですから。
それじゃ駄目ですよ
諦めでしょ
幻想でもないです
だって、それが仏道ですもの

>本覚思想とは本来の自分はそのままにして仏である・・・
趙州狗子のごとしです

>つまり人は修行という頑張りをするのでしょう・・・
ありのままの自分であり続ける為
ありのままで生きていくこと、自分であり続けること
生きていくこと、そもそも命がけ

その正反対に感じるものを言葉ではないもので同じにしてみてください

410 :乾闥婆:04/03/24 23:08 ID:???
>>408
母が熱心で困ってますさん。

>"本来の自分"というのはけっして世界や社会から独立して存在するものではありませんから。

あなたはそれを分かっていらっしゃる。だとしたら「当たり前の本来の自分」
などということは幻想であることを直視すべきではないでしょうか。自分とい
うものが社会や世界から切り離されて存在するのでないのならば、人間は頑張
って生きたり、社会の枠組みに押し流されて生きたりするものです。それを頑
張らなくていい本来の自分というような幻想に人間をかどわかす言動に手を貸
すことをよしとすべきではないのではないでしょうか。

>私は修行というのは、梵我一如での我を見つめ・取り戻す行為だと思うんです、

梵我一如での我を見つめるとは、どのような内容でしょうか。私はそのような
我はないと思っています。見つめ取り戻す行為が、我というものが、縁起によ
って成り立つ実体のないものであるけれど、行為主体としての出発点として引
き受けてゆくべきである、といった意味内容であるならば、同意いたします。

>"言葉にする"のは"心で感じる"のに比べて、ちょっとチープの感じがしてたのでw

ぎりぎりまで言葉にする努力を失ってはいけないと思います。その果てに言葉
にならないものを感じるのであればいいのでしょうが。言葉にする努力をしな
いものは単に怠慢なのだと私は思っています。

411 :乾闥婆:04/03/24 23:12 ID:???
>>409
>諦めでしょ

諦めではありません。むしろ現実を直視した覚悟を促すべき要素としてその自
覚はとても大事であると思っています。「そのままで生きていればいい、当た
り前の、本来の自分」などという幻想を捨て去り現実と向き合って生きる契機
であることでしょう。私は頑張りもしないで当たり前の自分などと取り澄まし
ている人間が嫌いです。当たり前であることが困難であることであるならば、
ストレートに頑張ると言えばいいのです。

>趙州狗子のごとしです

答えになっていません。あなたは頑張って生きる必要はないといいました。そ
のままで生きていればいいといいました。そのことの本覚思想との類似を指摘
しました。それで犬には仏性があるのですか、ないのですか。どちらでもかま
いませんが、それで犬は頑張って生きているのですか、いないのですか。あな
たにそれが分かるのですか。あなたはそうやって直ぐ煙に巻く。「趙州狗子の
ごとしです」の意味内容をそれらを知らない人に対しても分かるように、私の
意見に反論なり、同意なりを示しつつ、説明して下さい。

>その正反対に感じるものを言葉ではないもので同じにしてみてください

意味がわかりません。分かるように言って下さい。言えないのなら黙って下さ
い。それで「そのままで生きていけばいい」のであるならばなぜ修行する必要
があるのですか? 「ありのままの自分」ということと修行はどのような関係
になるのでしょうか? 命がけであるにもかかわらず、当たり前であるとはど
ういうことでしょうか? あなたは癌にかかって命がけで闘病して死期を迎え
ている人間に、当たり前だよ、とでも言うのでしょうか。自爆テロで死んでゆ
く人間に対して、当たり前だよ、と言うのでしょうか。最愛の妻を失って泣き
崩れる男に、人間なんだから死ぬのは当たり前だよ、と言い放つのでしょうか。
当たり前に生きるってなんですか? それぞれの人間が生きる固有の生を「当
たり前」などという言葉で括らないで下さい。

412 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/24 23:46 ID:???
自己の固有性と他者との同質性てのは深遠な問題だと思う。
およそ求道者というものはそれで悩むのだろう。

413 :母が熱心で困ってます ◆1Cz5bN8eQk :04/03/25 00:04 ID:XN/BcraR
>>410 乾闥婆さん
>「当たり前の本来の自分」などということは幻想であることを
>直視すべきではないでしょうか。

ここは意味がよく分からないのですか、"本来の自分"という表現が不適切と
いう事ですか、では裸の自分、或いは自分という存在と言うべきでしょうか?

>梵我一如での我を見つめるとは、どのような内容でしょうか。私はそのような
>我はないと思っています。

それはけっして環境から切り離した自分ということではなく、宇宙の中に
ある自分という存在という意味です。

通常の社会生活で私が意識している自分(我)とは、自分と世界の境界線
あたりだけなのです、私の表面(年齢・性別・学歴・職業・財産など)が
他人からどう見られ評価されているか、その狭い部分だけに意識が偏って
いる感じなんです、マンガに包帯をまいた透明人間というのがありますが、
あの包帯がちょうど、上に書いた私の表面にあたります。

ですから普段は私という存在が宇宙と共に"在る"という大前提は意識できず、
包帯を巻いた透明人間のような心もとない気持なのです、つまり自分を
見失うとはこの状態です。
しかし唱題によって得られるあの落ち着きは、世界が"あり"そこに私と
いう実体が"ある"という、一体感と充実感なんだと思うのです、それが
私が使った自分を取り戻すという表現です。

414 :母が熱心で困ってます ◆1Cz5bN8eQk :04/03/25 00:20 ID:XN/BcraR
乾闥婆さん

>>413は上手く伝わっていないかもしれません、まあそれでも精一杯は
言葉にしてみました、我に実体がないといする縁起観というのは私には
理解ができない、私は我(自分)は"ある"という前提で書いています。

415 :Sb ◆SbSGI7AtEA :04/03/25 01:24 ID:KcmTFSr8
>>411 >乾さん
私は、頑張るという事自体を否定しているわけではありませんよ
生きていく中での局面として頑張る必要など当たり前にありますよ
でも、
生きていくことはすでに命がけなのだから、がんばるも何も無い
はじめからストレートに、頑張る以上に命がけといっているのです

>意味がわかりません。・・・
それは自分で見つけなければならないのではないのですか?
それを見つけるのが仏道なのではないのですか?
私の説明でわかって終わりでいいのですか?
それじゃあ、学会の教学止まりですよ
乾さんが感じた矛盾の中に答えはありますよ

趙州狗子
逃げてませんよ、真っ向からぶつけてます
煙にも巻いていませんよ、
でも、煙が見えるのだとしても、その煙を払えるのはあなただけです
仏性も、生きることも、頑張ることも、当たり前なこともみな同じでしょう

416 :Sb ◆SbSGI7AtEA :04/03/25 01:34 ID:KcmTFSr8
>>413 >母が・・・さん
>宇宙の中に
学界的な表現ですね
世界の中に、のほうがいいと思います、が
その世界という奴も、所詮脳が作り出しているもの
それ以前に色即是空ですよ


417 :母が熱心で困ってます ◆1Cz5bN8eQk :04/03/25 11:56 ID:XN/BcraR
>>416 Sbさん

>学界的な表現ですね
>世界の中に、のほうがいいと思います、が

アハハ恥ずかしいな、私の世界観の基礎は池田先生の
あのインチキくさい宇宙生命論(プ)ですからね、自分なりに
再構築しているつもりでも、所々に学会の色が残ってるの
でしょうね(^^;

>その世界という奴も、所詮脳が作り出しているもの
>それ以前に色即是空ですよ

そうなのかもしれないですが、あくまで時間という連続の中での
変化でしょう、だから刹那を切り取って実体と呼ぶ事は出来ると思うのです
仮にそう呼ぶのでもいい、そうしないと話にならない・・・・

418 :Sb ◆SbSGI7AtEA :04/03/25 14:24 ID:ZkLEiKNI
>>417 >母が・・・さん
>そうなのかもしれないですが・・・
空即是色でもあります
どちらが正しいということはないし、どちらも正しい
そんで、矛盾もしていない

419 : :04/03/25 22:48 ID:???
>>282
>しかし浄土真宗についてなら、東西本願寺の確執や
>浄土宗に対する意識などを指摘する方が、より適切でしょう。

このあたりは詳しくないので。得手不得手は勘弁を。

で、親鸞の方は、親鸞の弟子たちが公開しなかったとの説がありますが?
というより、この説で親鸞の「即身成仏」を知ったわけで。
また奥伝ではなく、一般人には誤解されると危険という意味で、
隠蔽したものだと。
空海が108の煩悩を全てやり尽す修行を唱えていても、
高野山は、公開しませんでしたし。

420 : :04/03/25 23:03 ID:???
>>271
禅と瞑想は違うで終わり。
>>301で、Sbさんが解説してるし。

>>288
創価は、師の資格を有する者がいないので、仏教ではないで、終わり。
君自身も、師の有無の問題に言及しているから。

>>294
何が言いたいのかさっぱりわからない(w
仏教の目指す境地は、君の言う境地とは異なるわけ。
君が瞑想=脳性理学的な変化を体験することを目的としているのに対して、
仏教は、そんなものを目指さない。

>>340
日蓮が禅天魔と呼んだ理由は、推測できるだけ。
ただ日蓮は、当時の禅が駄目だったと認識していたのは確かだから、
白隠禅こそ真の禅と考える説もあり。
もっとも禅宗の側からすれば、別の立場を主張するけど。

421 : :04/03/25 23:23 ID:???
創価に対する考えを改めて述べておく(誤解されてる節もあるから)。
師弟関係によって脈々と伝えられてきた日本仏教を支持する立場から、
師弟関係のない、つまり日蓮正宗から師の資格を認められたものが
いない創価は、日本仏教の流れを汲むとはいえない。
したがって創価は、日本仏教の僧である日蓮の流れを汲むとは言えず、
日本仏教とも日蓮とも無関係である。
また戦前の血盟団や青年将校のように、日蓮の教えを誤読して、
教義に基づくがゆえに事件を引き起こす危険性を秘めている。

創価は、創価独自の宗教であって、仏教ではない。
創価が日蓮を掲げていても、それは仏教の枠組みの中で、
理解されるものではないのだから、
創価の創価の掲げる題目などの効果は、
日蓮の述べた題目の意味とは無縁のものであり、
創価の身勝手な解釈によるものに過ぎない。

最後に、禅に関心を持ったのなら、禅寺に行け。
ここで禅の何たるかを知ろうとするな。
法華経なら、日蓮宗の寺に行け。
寺が嫌なら、大学に潜り込んで、講義を受けろ。
といっても大抵は、どこかの僧が講義してるけど(w

422 :乾闥婆:04/03/25 23:32 ID:???
>>413
母が熱心で困ってますさん。

頑張らなくてもいい、本来の自分、ありのままの自分などというものに囚われ
て、努力を怠ったり、世間と正面から向き合う誠実さを失ったりしてはいけな
い、ということを言いたかったのです。Sbさんの発言にはそのような事態を
招きかねない危うさを感じます。現にSbさんは議論をする上で必要な説明を
放棄しています。あれが禅的な態度であるならば、私は禅を軽蔑します。しか
し道元を読んでもあのような悟り済ました傲慢な態度は感じられませんので、
Sbさんに特有な性向であるのでしょう。

>宇宙の中にある自分という存在

それはSbさんが指摘しているように、とても創価学会的な感じ方だと思いま
す。あなたはそれをひどく卑下しているようですが、そんなにひどい感じ方で
しょうか。仏教という枠組みで考えるとはみ出してしまうかもしれませんが、
それはそれでいいのではいないでしょうか。

>ですから普段は私という存在が宇宙と共に"在る"という大前提は意識できず、
包帯を巻いた透明人間のような心もとない気持なのです、つまり自分を
見失うとはこの状態です。

そのような心もとない不安定な自分こそ自分であるのだ、と引き受けて主体的
に生きてゆくことこそ、仏教であるのだと思っています。

>私は我(自分)は"ある"という前提で書いています。

私も我はあると思っていますよ。ただ固定不変な実体ではないというだけで。

423 :乾闥婆:04/03/25 23:34 ID:???
>>415
Sbさん。
>私は、頑張るという事自体を否定しているわけではありませんよ
生きていく中での局面として頑張る必要など当たり前にありますよ
でも、
生きていくことはすでに命がけなのだから、がんばるも何も無い
はじめからストレートに、頑張る以上に命がけといっているのです

ちょっと苦しいですね。詭弁のように聞こえます。つまり人間は頑張って生き
るわけですね。仏道修行に励んだりしてしまうわけですね。

>それは自分で見つけなければならないのではないのですか?

あなたは私にクイズでも出しているのですか? 人と話をするときは人が理解
できるように話をするべきです。

>それを見つけるのが仏道なのではないのですか?

あなたの頓知につきあって答えを探すことが仏道ですか?

424 :乾闥婆:04/03/25 23:36 ID:???
>>415(続き)
>私の説明でわかって終わりでいいのですか?

いいえ。ちゃんと分かるように話をしてくれましたら、そこから始まりです。
私はそれに反論したり、同意をしたり、考えをめぐらすことでしょう。あなた
と私はまだスタートさえしていないのです。

>それじゃあ、学会の教学止まりですよ

学会の教学へは反論できますからね。あなたは学会の教学以前ですよ。

>乾さんが感じた矛盾の中に答えはありますよ

なんの答えですか? 私の求めているものはあなたが私と言論において向き合
ってくれることです。

>でも、煙が見えるのだとしても、その煙を払えるのはあなただけです

自分の発言に対する説明放棄ですか。

>仏性も、生きることも、頑張ることも、当たり前なこともみな同じでしょう

あなたのそういう態度が嫌いなんです。「当たり前」といえば済むと思っている。一種の思考放棄でしょうか。

425 :世界人口を100%とすると、学会員は0%です。:04/03/25 23:53 ID:???

外に基準を求めても仕方がないよ。それは既製服だ。

 人生は、オーダーメイドだ。自由なんだよ。

  各人が、自分の宗教の教祖であって欲しい。


426 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/26 00:22 ID:tpn6NbFX
>>423 >乾さん
頑張るに拘りますねぇ
がんばるの原語は「我を張る」
私が言っているのは命がけ
生きるということが命がけであると悟ることも仏道でしょうね

私は、わかることを書いているわけではないですからね
わからないこと、解らないこと、分からないこと、判らないこともあるでしょう

悟れれば仏道でしょうね

教学以前ですよ、そもそも生きていることなんか、教える、学ぶ以前ですから

んー、でも水掛け論になってきた、悪かった、説明する努力をしてみます。
でも、週明けね、またスキーに行きますので


427 :母が熱心で困ってます ◆1Cz5bN8eQk :04/03/26 00:47 ID:3CA/hrqk
>>422 乾闥婆さん
レスありがとうございます。

>Sbさんの発言にはそのような事態を招きかねない危うさを感じます。

でもそれはSbさんの持ち味でもあります、切れすぎるナイフみたいな感じかな。
ハンドルがないというか、どこを持てばいいのか分からないような楽しさかあります、
(まさか20台じゃないよね?とかって思ったりしてね)、もちろん色々と教えて頂いて、本当に
勉強にもなっていますし、なによりSbさんの言葉はとても魅力的です。

>とても創価学会的な感じ方だと思います。あなたはそれをひどく卑下しているようですが・・・

卑下しているという程ではありませんが、20才過ぎまでどっぷりと学会に嵌ってましたからね
そこから抜け出そうもがき始めた時点から人生の最スタートをきったよう感があります、
ですから今がやっと10才位の小学生ということになり、妙なハンデを負ってるような意識は
持っています。

>私も我はあると思っていますよ。ただ固定不変な実体ではないというだけで。

それはもちろんです、諸行無常ですからね。

428 :Sb ◆SbSGI7AtEA :04/03/26 09:43 ID:sRpJiEhc
>>426
ハンドル書いてないけど、私です。

429 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/26 20:38 ID:DiWWPLHA
>>425
いいこといった。
これからはそれをそこらじゅうに貼ってくれ

430 :世界人口を100%とすると、学会員は0%です。:04/03/26 20:59 ID:???

>>429・・・こんな感じでしょうか?

「外に基準を求めても仕方がないよ。それは既製服だ。

  人生は、オーダーメイドだ。自由なんだよ。

   各人が、自分の宗教の教祖であって欲しい。」


431 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/27 08:56 ID:???
>>430
いいんだけどさ。
凶悪犯罪者やレイプ常習犯にもそれを言えるか?


432 :春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y :04/03/28 14:27 ID:nr8OFMTn
>>351
ちょっとレスが返せる雰囲気ではなかったので、今更レスですみません。

もし禅に問題点があるとしても、意識レベルがどうのと言った
オカルトな事より、もっと現実的で単純な面が大きいと思います。

一例を挙げれば、無門関や碧巌録といった公案です。
これが単なる知的ゲームとなり、著語(ちゃくご)や下語(あぎょ)に工夫を凝らして、
いかにも深そうでいて実質の伴わない、うわべの言葉作りに腐心する風潮がありました。
そのためのマニュアル――行券(あんけん)と言います――まで売り買いされていたようです。

こうした堕落に対し、公案を切り捨てて、誰でも分かる日常語で禅を説いたのが盤珪永琢です。

禅に限らず、仏教では自分とは何か、人生とは、道とは…といった疑問は大事なテーマでしょう。
これを疑団と言いますが、こうした疑問や悩みを呼び起こし、
それを打破する事が修行になりますから、
とにかくどうであれ疑団を起こせと教えます。
この疑団を、課題として修行者に与えるのが公案と考えれば、分かり易いでしょう。

このやり方を盤珪は、疑団のない者にまで疑団を背負わせて、
仏心を疑団にすりかえてしまう誤りだと否定します。
例えば>>339の公案、どういう事かとあれこれ考えている内に、
犠牲になった猫の命の重さが、頭から薄れている瞬間があるでしょう?

人間の心には、思索が現実の痛みや重みを凌駕してしまう罠がある。
それで気の利いた答えを見い出しても、それはただの言葉遊びであって、むしろ仏からはほど遠い。

仏心が疑団にすりかわり、さらに本人は何かを掴んだと思ってるだけに、
返って修行前よりタチが悪い訳です。
さらに言うなら、カルトの信者に現実と教義の逆転が起きるのも、これと原理は同じです。

433 :春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y :04/03/28 14:30 ID:nr8OFMTn
盤珪はこの点を打破し、仏になろうと工夫するより仏のままでいるのが近道だと言いました。
もちろん盤珪の言葉の背景には、先に示した禅の堕落があります。

盤珪自身、壮絶な修行を自らに課した大禅師です。
盤珪と、続く白隠慧鶴によって日本の禅が出来上がったと言われるくらいですから。

ところが盤珪の指導は、後に「なにもしなくてもそのままで仏」との誤った風潮を招きます。
これを黙照禅と言い、この風潮を徹底批判して公案を真摯な求道に引き戻すため、
公案を整理し再組織して、自ら新たな公案も作ったのが白隠です。

ドラマなどにもよく引用され、今日では公案の代表ともなっている
「隻手の公案」も、白隠の作ったものです。
従って、大河ドラマ「独眼竜政宗」で、政宗の師である虎哉禅師が
隻手の公案を示す場面は、歴史考証的にはおかしい事になります。盤珪も白隠も、江戸時代に生まれた人ですから。

盤珪と白隠の関係は、ある一面で法然と日蓮に似ているかも知れません。
盤珪が古反故と呼んで捨てた公案を、公案を捨てて何が禅かと批判した白隠。
彼は黙照禅を用いるのは盲人の僧であり、みなごろしにすると言って激しく非難しています。

しかし盤珪は、なにも修行もせず仏であると居直れとは指導していません。
法然も、日蓮が言うように他宗をないがしろにはしていません。

しかし後の時代、念仏が流行となると、
法華堂などが次々と阿弥陀堂に建て替わる風潮が広まりました。
恐らくはこうした風潮が、日蓮が肌で感じた謗法の実際です。

これは全て法然のせいであると日蓮は非難しました。
法然が念仏を掲げ、他の修行を捨てたからであると。
阿弥陀堂の方が布施が集まり易いとの寺院の計算や、
そもそもどうして当時、他の信仰が薄れてしまったのか、
そこにこそ批判の目は向けるべきなのですが。

434 :春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y :04/03/28 14:30 ID:nr8OFMTn
この事を黙照禅の問題と比較すれば、
禅の堕落の原因を盤珪に求めるのは、間違いである事が分かります。
このような風潮は、何も禅だけではありません。
念仏にも同じ誤解が生まれ、
「煩悩具足の身をもて、すでにさとりをひらくといふこと、この条もてのほかのこと」
と、歎異抄で徹底批判されています。

何もしなくても仏(神の子、宇宙生命etc)だから偉い、それを知ってる俺は凄い…
こんな分かったつもりの勘違い、生悟りは宗教宗派を問わず陥りがちな罠で、
けして禅だけの問題とは言えません。
そもそも盤珪が批判した公案をもて遊ぶ風潮も、これと同じ種類の勘違いです。
白隠の手法を表面だけ利用した禅の堕落も、後には現れます。

ただ、教外別伝を唱え不立文字を掲げる禅の場合は、
これが見抜きにくく、本人も気付きづらい場合はあるでしょう。
さらに、それを取り繕い分かったふりをするための、
ノウハウの蓄積が先に示した通り存在します。

この事は、もちろん当の禅宗が一番承知しています。
だからこそ、禅ではよく「本物の師家を見分けるのが、一番大切かつ困難な事だ」と忠告されますし、
他宗からは「禅の生半可が一番タチが悪い」と批判されるのだと思います。
落語の演目「蒟蒻問答」も、こうした傾向への批判から生まれたものと言えるでしょう。

435 :てか:04/03/28 23:06 ID:???
>>421 _(アンダーバー)へ
>師弟関係によって脈々と伝えられてきた日本仏教を支持する立場から、
>師弟関係のない、つまり日蓮正宗から師の資格を認められたものが
>いない創価は、日本仏教の流れを汲むとはいえない。

だがこれには問題もあるのも事実。

そもそも日蓮は「天台真言宗」という僧侶集団として名を連ねていたということは
「天台真言宗」の宗旨を標榜する限りにおいては「仏教僧侶」であっただけで、その
認可をもらっていない勝手な宗旨「日蓮教」を立てた時点では「仏教僧侶」でなく
なったんじゃねえの?とも言えるだろ。この論法じゃあよ。どうだあ?

ま、創価にそれを適用するなら、創価よりの正宗僧侶がいるわけだし、創価は創価認可の
寺を持ってるってことはそれで創価が「伝統仏教」ですてな論法も使えてしまうことにも
なるしな。いずれそんな表皮な話で持ってこられたもなあ(苦笑だろ)。

436 :世界人口を100%とすると学会員は0%です。:04/03/28 23:17 ID:???
>>431
>凶悪犯罪者やレイプ常習犯にもそれを言えるか?<

近代心理学の間違いは、
 「病理」に焦点をあてて人間を解析したことから来る、と言われています。
   極端な例を恐れるあまり、外に規範を求めるようではいけません。

池田小学校の生徒を襲った犯人の部屋には本尊がありました。
 「だから、本尊が原因だ」という結論は、間違いだと思いませんか?

同様に、なにか事件があったからといって、
 「規制の宗教に入らず、自分の勝手な思想を作り上げたからだ」という結論も間違いです。

既製服(既成宗教)を着なければだめ、という結論では、人生はあまりに寂しすぎます。
 人生はオーダーメイド、ですよ。答えは自分の外には、ありません。


437 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/29 11:29 ID:???
>>436
それ、質問に答えてないしw
>>431の質問で聞かれている事は極めてシンプル。
社会生活を営むにあたって約束事(この国は法治国家だから法による制約だな)
を守れない人種に対しても「人生は、オーダーメイドだ。自由なんだよ。 各人が、
自分の宗教の教祖であれ」 と、言えるのか?言えないのか?という事だけだ。

言 え る の か ?


438 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/29 11:42 ID:???
追記
もし言えたなら、認めよう。
『あなたは立派なあなた教の教祖であり教徒である』
と。
だがその瞬間、あなたはあなた教を他人に布教している事になる。
私はあなたの主張が気に入らないわけではない。というより多元主義
には元より同意するところもある(かなりひねくりまわしたが)。
が、それを他人に押し付けようとした時には、創価と同じ過ちを犯して
いる事に気付いて欲しい。


439 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/29 12:15 ID:???
服がオーダーメイドだけだと、かえって不自由だろ?

440 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/29 13:11 ID:???
>>439
オーダーメイドとつるし、どっちを選ぶかも本人の選択によるのなら
特に問題はないね
無理やり似合いもしない既製品を着させられるのはちとごめんこうむるが・・・

つるしだとある程度型の決まったものしか存在しないが、
オーダーメイドだと、どんな服を作るのか?まで自分で
選択できる(その結果何かを踏み外したとしてもだ)

私は選択の自由を薦めよう
今着用している既製品に本当に愛着があるのなら、着続けていればいい
それも自由だ
ただし疑問が少しでも湧いたのなら別の既製品やオーダーメイドに色目を
使ってもいい
それだって自由な筈だ

今着用しているオーダーメイドに疑問が湧いたのなら、別のオーダーを試してみてもいい
それも自由だ
ただしオーダーメイドに疲れたらちょっと楽な既製品を着てみてもいい
それだって自由な筈だ

人間よ、自由であれかし
Let it be!

441 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/29 13:15 ID:???
追加
勿論私の書いている事に耳を貸さない“自由”も尊長しよう
書くまでもない事だが念の為

442 :春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y :04/03/29 15:21 ID:QaWDLwlE
>>419 _さん
あの時は、いささかレスが乱暴でした。すみません。

まず、_さんのレスの主旨は、開祖の考えや言動が、
即、その後の宗派の思想・信仰とは限らないという指摘だったでしょう?
それは全くその通りです。

親鸞が、いかに法然に忠実な教えだと主張していても、
浄土宗と浄土真宗は違いますし、対抗意識さえ持っています。
親鸞は教団意識を戒めたのに、真宗諸宗派同士にはやはりそれがある。
私もその一派の門徒として、肌でそれを感じます。

ですから_さんの御指摘には、この点を挙げる方がふさわしいと思いました。
そもそも親鸞には、独立開宗の意図さえなかった訳ですから、
浄土真宗の存在自体が、御指摘の例とも言えます。

ただ、即身成仏が親鸞の真意であって、後の門流がそれを隠したというのは、違うと思います。
具体的な資料の提示を頂かないと、こちらも断言は出来ませんが、
確かに秘事法門にそれはあるし、私の知る範囲でもそう受け取れる言説はあります。
誤解を招く恐れから公開されなかったとの御説明はその通りでしょうが、
開祖の思想から弟子や教団が独立した例としては不適切です。

443 :春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y :04/03/29 15:22 ID:QaWDLwlE
この点は、他力浄土門の教え自体を御理解頂かないと、
到底納得出来ないと思いますが…
理屈をすっとばして分かり易く言うなら、以下のようになります。

『ただナムナム言うだけで悟りが開けるわけないじゃないか。
魔法の呪文じゃあるまいし。』

だってそうでしょう?
もしナムナム言うだけで悟れるなら、こんな楽な事はありません。
しかし、それなら念仏が仏教最勝の法であって、
他の修行なんてやるだけ馬鹿らしい事になります。
念仏だけがあれば良く、仏教は念仏の元に統合されるべきです。

しかし、そうではない。念仏は他力なのです。
ただナムナム言う事を修行だなどと、おこがましいにも程がある。
これが法然以来の、他力浄土門の考え方です。

とは言え、ならそうして悟りさえ放棄するのは、
禅の一切を捨て尽す『放下著』に通じるのではないか?
多分こういう視点から、「念仏は一種の公案」とか「悟らぬ悟り」
といった指摘が、禅の側からなされるのだと思います。

この点は、私は禅者の心境は分からないので、判断は付きません。
個人的には、違うのではないかという感じを持っていますが、
これは私見ですので差し控えます。

444 :春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y :04/03/29 15:22 ID:QaWDLwlE
それから師資相承の血脈という観点から仏教の正当性を言うなら、
残念ながら私たち他力浄土門は、法然までしか遡れません。
その点からは、私たちは正当と言えないでしょう。

法然は確かに比叡山で師に付き学びました。
しかし彼は「衣食・生活の全てでお世話になり感謝しているが、
仏教については一切師から学んだ覚えはない」と断言しています。

事実、彼の選択本願念仏集に天台教学の影響が薄い点は、多く指摘されています。
独自の教学だったからこそ、教理面からの批判が相次いだのではないでしょうか。

師と口論になった際、「仏典をよくお読みになってないから分からないのでしょう」
と反論したり、師が過去の高僧の説を論拠として持ち出すと、
「先に生まれた方というだけでしょう」と平然と述べた話も伝えられています。
…まぁ、昔の偉い人が言ったから正しいって理屈は、確かにおかしいんですが。
法然は温厚な人物と言われていますが、
権威に関しては何とも思わない人だったようです。これは親鸞も同様ですね。

法然が主張した師資相承は、「夢の中で受けた」というものですから、
これを認めれば何でもありです。(笑)

445 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/29 20:31 ID:???
結局いろいろな宗教からの寄せ集め&その場の思いつき。
全てを取り払うと、残るのは欲望のみ。

446 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/30 20:41 ID:q8eFLoLV
まず、聞きたい
諦とは?
私にはこの言葉を伝えるすべがない
悟とは?
この言葉も伝えるすべがない


447 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/01 16:24 ID:???
>>446
あんたSb?

448 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/01 17:49 ID:???
>>446
で、なんでもかんでも「言葉に出来ない」扱いして、さも神秘的な虚飾を
纏わせ、言葉を軽視する一方になった思想を本覚思想と定義して
袴谷が嫌悪してたな。

449 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/02 12:23 ID:???
袴谷って誰?

450 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/02 12:38 ID:???
袴谷憲昭か?

451 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/02 14:55 ID:???
>>450
yes

452 :Sb ◆SbSGI7AtEA :04/04/02 15:38 ID:WSaslw5H
>>447
そうです、またハンドル入れるの忘れました
ではよろしく

453 :Sb ◆SbSGI7AtEA :04/04/02 15:52 ID:WSaslw5H
>>448
何でもかんでも言葉に出来ないとはしていないよ
言葉に出来ないことは神秘でもなんでもない
ひとつの言葉には正反対の意味を内包することが難しいのです
また、訳するときにその言葉がなければ、訳として伝わらない

で、諦とは何なのでしょうか?
知るでは納得が出来ません
諦めるは間違いだと思います。

454 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/02 16:06 ID:???
>>453
>>446の話を「何でもかんでも言葉に出来ない」とも言ってないよ
本覚思想の定義の話でしょ>>448
山口組系袴谷憲昭のね


455 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/02 17:10 ID:???
>>454
山口組って、あの暴力団の?

456 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/02 18:25 ID:???
>>455
ちゃうw

457 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/06 15:38 ID:???
>>446,453
宗教板の仏教@質問箱にいる机龍之介に質問してみなよw
まさか、机龍之介=Sb じゃないよね?

458 :Sb ◆SbSGI7AtEA :04/04/08 10:43 ID:AJCCgKbj
>>457
机さんね
よく話すよ
でも、君ぜんぜん意味がわかってないよね

459 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/08 11:51 ID:???
>>458
わかんないね。
で、あんたはどれだけわかってる?
優越感にひたって、そうやって人を見下していればいいよ。

460 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/08 12:23 ID:???
「あんたは判ってない」
このフレーズを発する人こそ実は「何も判っていない」人間である。
(カルト宗教にはまっている人間が良く使うな)
悲しいアイロニーだねぃ。
いや、傍から見てる分にはファルス(喜劇)だけどね。


461 :Sb ◆SbSGI7AtEA :04/04/08 13:19 ID:FSzY1ztp
>>459,460
こっちの質問の意味がわかってないってことですよ
見下すも何も、趣旨を理解して書き込んでいない
机さんに私が聞いてどうするというのだ

見当違いな書き込みのほうがよほどお笑いですよ

で、どう答えるの?

462 :459:04/04/08 13:42 ID:???
>>461
質問の趣旨を理解できないと認めている俺に、「で、どう答えるの?」って聞いて、どうするというのだ?
見当違いだなw。

463 :Sb ◆SbSGI7AtEA :04/04/08 15:43 ID:AJCCgKbj
>>462 >>459さん
じゃ、何でここに書き込むの?

まっ、いいや
あなたは「諦」をどう解釈しているの?


464 :459:04/04/08 16:46 ID:???
>>463
>あなたは「諦」をどう解釈しているの?
だから、質問の趣旨すら理解できない俺に聞いてどうするの?
禅をやると人を見下すほか、しつこくもなるようだな…。
俺は「諦」も「悟」もさっぱりわからん。
そればかりか、あんたのレスもほとんど理解できない。

これからここに書き込むやつには、あなたは「諦」をどう解釈しているの?と必ず聞けよw

465 :Sb ◆SbSGI7AtEA :04/04/08 17:57 ID:AJCCgKbj
>>464 >>459さん
せっかく来たんだから考えてみなよ
これも何かの縁だ


466 : :04/04/13 23:08 ID:???
>>442
>即身成仏が親鸞の真意であって、後の門流がそれを隠した

近代以降の研究者が、その説を唱えている。
私が知ったのが、その研究だったのでそれ以外の説を知らない。
浄土宗や浄土真宗の方が違うというなら、少数派の説なのかと。

467 : :04/04/13 23:15 ID:???
>>444
>師資相承の血脈という観点から仏教の正当性を言うなら、
>残念ながら私たち他力浄土門は、法然までしか遡れません。

禅では師化の資格を有した僧が、弟子を持つことが許される。
この弟子を持つことが許されたという意味では、
たとえ師と考えが違っても、師資相承の血脈があると言えると思う。
これと同じで法然も、天台で学び僧になったのであり、
弟子を持つことを許されたという意味で、
師資相承の血脈があると言えると思う。
剣道で免許皆伝を得た後は、自分で研鑚していくわけだが、
師に学んだことより、自分で研鑚して得たことが本当の強さになる。
同じように法然は、僧侶として一人前になった後で、
自分で更なる境地に辿り着いたってことなんじゃないかと。
で、師資相承を「夢の中で受けた」という発言になったんじゃないかと。

形式を強調するなら、弟子を持つことを許された一人前の僧侶だけが、
師の教えに反する資格があるんだと思う。
この意味では、浄土宗も真宗も釈尊まで遡れるのでは?

468 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/13 23:56 ID:???
>>467
その理論から池田大作が「どの僧の免許も受けていないから」「その配下の創価学会
という組織は仏教組織ではない」となり、根拠は「血脈」であるということですね。

で池田は「血脈」を「勝手に唱えられる血脈」を主張したということですね。

逆にいうと、もし僧侶から免許を受けた者が、そのあとでどんな「信仰内容」を
唱えようともそれはすべて「血脈が許す」と言えるんでしょうか?むずかしいんでは?

逆に、免許を得ていないものでも「論理的に信仰内容自体の非仏教性を指摘できる」
とすれば、「その内容自体によって非仏教である」とするべきじゃないの?


469 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/14 00:04 ID:???
今月号の「大100レンゲ」に「本覚」の字が出てたが、このスレで乾さんが
書いていたそれと関連があるかな。

因みに道元は本覚だから修行しないでいいという指向を批判したのではなくて、
「悉有仏性で元々仏であるとしたら」、それなら「修行する意味がないのじゃ
ないか」という「疑問」だっただけで、これがその後の道元の悟りの前段に
なっているってことだと思うよ。

つまり道元は批判したというよりも、そういう論理矛盾に気がついた、そこで
仏道というものの真意はなんなのか、という探求をはじめたってことだろうね。
そこでそれがのちに「悉有仏性で元々仏であるとしたら」ではなく、「悉有仏性
で元々全部が仏であると悟る」ことが悟りでありそのときに「仏性が具足する」
という一見トリッキーな真実に気がついた、ってことでしょ。これが禅的、道元
的悟りだったんだよね。

470 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/14 01:41 ID:???
道元がバラモン的霊知主義をハン道話で排したのは、釈迦がバラモン教の
アートマンも梵天も排除したことと同じだと思うんだが。

要は即非の論理であり、アートマンを求めている間はアートマンには到達も
しなければ掴むこともできないと。梵天を意識してそれに近づこうとして努力
しているうちはそれに入ることはできないと。

魔術ではなく、魔法でもなく、悟りとしてそこに到達する、いや「それになる」
ことが本来のそれらの概念であったのが、一度「有」としてそれらを「意識」した
瞬間にそれらは目指したものでなくなる、即非の論理、天邪鬼の法則。これを
知って釈迦も道元も「常住ならぬアートマン」の否定となり、それらを捨てた
ときにその元々の意味目的が実は達成されることを本当は言っているということ
でもあるでしょう。つまりそれは瞑想を完成させるための方便であるとも言えるし、
逆にいえばその方が利に適っていた。仏教がバラモン的有を捨てた本当の意味は
「常住について論ずる」ことを止めて「常住となる」ことを実現するためだった
といえると思う。

471 :お邪魔します復活!! ◆nH2G.RjIE2 :04/04/15 03:31 ID:nHuKTSJU
学会は「無我」とか「空」の考えを無視しているんじゃないか。この考えを
無視して仏教の教えは成り立たないと思うが。学会員が「空」について話し
ているは、少なくともこの2CHでは見たことがない。

472 :お邪魔します復活!! ◆nH2G.RjIE2 :04/04/15 11:17 ID:k7j8YwKZ
 もう少し説明すると、歴史上の釈尊の説いた教えというのは「無我」と「縁起」
なんだよね。これは仏教を勉強すれば必ず出てくる。つまり我々の存在は他のモノ
に依存して成り立っており、単独で存在できないと言うことさ。これを学会員は理
解出来ていない。学会の主張している「唯一正しい仏法」なるモノは、他の多くの
宗派、仏説との比較の上で成り立っていて「絶対的に正しい教え」ではないと言う
こと。

 このように歴史上の釈尊の説いた教えは、何ものにも依存しないで存在している
モノはない。この世にお互いに依存しあって存在しており、その依存しているモノ
が変われば当然変化し、過去、現在、未来において絶対的に変わらないと言うモノ
はない、と言うこと。このことに気が付かず、未来永劫変化しないモノにこだわる
ことが苦しみの素である。

 「我、思う。故に我あり」
と言う言葉がある。ところが釈尊の主張したのは
 「我、思わなければ、我はない」
「我」というのは、「思う」と言う行為に依存して、存在していると言うこと。
「思う」と言う行為無くして「我」は存在しない。これを「無我」と言い、「我」
は「思う」と言う行為に縁して存在できているというわけ。
このことがわかるかな?、学会員諸君。ではまた。

473 :波木井坊竜尊@日蓮宗葵講@名前だけ仏所 ◆IByKs72gR2 :04/04/15 11:20 ID:sfMrVZV4
>>472

実存主義的なものの見方しているようじゃまだ仏法は理解できんよ。

474 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/15 15:15 ID:???
>>472

>その一つに、「依正不二」という原理があります。
>手みじかに言えば、「正報」とは我々の自己自身を、「依報」とは我々を取り巻く環境を意味しております。
>そして、我々自身と環境とは、常に一体にして不二であり、互いに影響し合い、相互浸透し合いながら調和をたもっていくというのが、仏教の基本的な考え方であります。
(アテネオ・デ・サタンデールでの池田名誉会長の記念講演)

475 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/15 15:40 ID:???
>>472

>色心不二とは色法(物質・肉体面の働き)と心法(心の働き)が別々のものとしてとらえられるが、(而二)、一念三千の法理から見れば、生命それ自体において両者が一体であること(不二)をいいます。
>仏教でも爾前権教は、とくに華厳経に特徴的なように「唯心」論を説きました。それに対して法華経は、十如是によって色心が不二であることを説いたのです。
>日蓮大聖人は「色心不二なるを一極と云うなり」と仰せです。色心不二は生命の根源の在り方を示しています。
(「教学の基礎」聖教新聞社P186-187)

476 :お邪魔します復活!! ◆nH2G.RjIE2 :04/04/15 17:21 ID:azb1bJTq
>>474 >>475さんへ
やっぱり全然理解していないね。

>「正報」とは我々の自己自身を、「依報」とは我々を取り巻く環境を意味しております。

歴史上の釈尊は、我々自己自身も、我々を取り巻く環境もその実体は存在しないと言っているの。
存在していないモノを「正報」と言ったり「依報」と言ったりしているのは、我々の分別の働きに
依っているのよ。つまり我々の分別の働きによって「正報」「依報」が成立しているわけ。これを
「縁起」で成り立っていると言い、そのモノ自身は何等実体を持たないから「空(無我)」である
という。

始めから何等実体を持たないモノは、離れることもないし、一つになることもない。これ分かる?。



477 :Sb ◆SbSGI7AtEA :04/04/15 18:04 ID:b5XZPPtn
>>476 >お邪魔しますさん
おかえりぃ

彼らは大聖人君と池田君の言ったことが悟りで
それを覚えればそれで完了だと教わっているんだから

教わって、覚えて、わかれば、それでいい
わけないんだけどね

教わらなくても、覚えなくても、わからなくても
はじめから仏性なんてもんは備わっている
「空」であるし「無我」

478 :乾闥婆:04/04/15 23:38 ID:???
>>476
お邪魔しますさん。
>歴史上の釈尊は、我々自己自身も、我々を取り巻く環境もその実体は存在しないと言っているの。

「歴史上の釈尊」とは誰ですか?「歴史上の釈尊」が具体的にそのことについ
て、どのように語っているのか教えて下さい。

>存在していないモノを「正報」と言ったり「依報」と言ったりしているのは、我々の分別の働きに依っているのよ。

物事を語るとは便宜的に名を付けなければ語り得ないわけでしょう。分別の働
きを失ってはなにも語り得ないのであって、だったらあなたもまたなにも語ら
ずに沈黙しているべきではないのですか?

>つまり我々の分別の働きによって「正報」「依報」が成立しているわけ。

当たり前ですよね。それらは言葉なんですから。

>これを「縁起」で成り立っていると言い、そのモノ自身は何等実体を持たないから「空(無我)」であるという。

上記の文章>>472がそうではないといっているのでしょうか。

>始めから何等実体を持たないモノは、離れることもないし、一つになることもない。これ分かる?。

「正報」「依報」も固定的実体ではないし、そのことを「不二」として相互依
存の形に理解したのでしょう。あなたの批判は的外れではないですか? 言葉
によって語り得ぬと思うことならば、黙っていてはいかがでしょうか?

479 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/16 00:02 ID:???
>>476
「 やっぱり全然理解していないね」って言うのは、
おれはわかってる、ってことを前提とする言葉だ。
っていうことは、これはすでに空がわかってないってことを
露呈してることになるんだよね。

480 :Sb ◆SbSGI7AtEA :04/04/16 09:03 ID:1Xrw/2PD
>>478 >乾さん
語り得ないから、数多くの書があるんじゃないでしょうかね
伝えることが重要なのではなく
そもそも、そうであることを悟ることに意味があるのではないでしょうかね

非風非幡

481 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/16 13:20 ID:???
>はじめから仏性なんてもんは備わっている
ププ

482 :Sb ◆SbSGI7AtEA :04/04/16 13:38 ID:1Xrw/2PD
>>481
趙州狗子
趙州和尚因みに僧問う、狗子に還って仏性有りや。州云く有。 
趙州和尚因みに僧問う、狗子に還って仏性有りや。州云く無。 


483 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/16 14:26 ID:???
>>482
そなわ・る【備わる・具わる】ソナハル
1. 物が足らぬところなくそろい整う。
2. その人が自分のものとして持っている。身についている。
3. その地位にある。列する。

484 :お邪魔します復活!! ◆nH2G.RjIE2 :04/04/16 16:54 ID:tZVt3jk9
Sbさん乾さんも久しぶり。仕事先が変わって引っ越したら電話局か
らかなり遠くなって今まで使っていたADSLが使えなくなってしまっ
た。インターネットもやはり環境に依存するモノだなと改めて認識
させられてしまいました。

 乾さんもいろいろ聞いてきたけど、いっぺんに答えられるもので
もないから少しずつやって行くね。

 最初に「正報」、「依報」のことからやりますか。
ところで乾さんは「依報」である環境を離れて「正報」である自己が
存在できると考えている?。普通の人はそんなことは考えていないと
言うか、わざわざ自己と自己を取り巻く環境を別々に分けて考えなが
ら生きていないよ。そんなもの意識しないで毎日生活している。この
頃は地球温暖化や二酸化炭素の増加問題で少しは環境というものを意
識しているけどね。


485 :お邪魔します復活!! ◆nH2G.RjIE2 :04/04/16 16:56 ID:tZVt3jk9
 もともと自己と環境とは分けられないモノなんだよ。このことは分
かって貰いたい。意識するしないと関わらず、「オギャー」と生まれ
てから死ぬまで日々実践しているんだよ。

 ところが「正報」と言う言葉を使って、「依報」と呼ばれる環境か
ら独立し存在している自己があると思わせる。そして、「依正不二」
等と言って、我々自身と環境とは、常に一体にして不二であり、互い
に影響し合い、相互浸透し合いながら調和をたもっていくと言って、
仏教は凄い教えだと思わせている。

      「アホか」

 そんなもの改めて言われなくとも、誰でも毎日やっているわ。
創価学会の教えというのは、そんなものさ。


486 :お邪魔します復活!! ◆nH2G.RjIE2 :04/04/16 17:04 ID:tZVt3jk9
 Sbさん、なんでこう「有る、無し」にこだわるんだろうね。
どっちか一方の極に偏らなければ理解できないのかな。中道の教えを理
解して貰うのも難しそう。

487 :Sb ◆SbSGI7AtEA :04/04/16 17:20 ID:QnW6VdSR
>>483
で、なにがいいたいの?
そうだよ、備わるはそういう意味で使ったんだよ

488 :Sb ◆SbSGI7AtEA :04/04/16 17:46 ID:QnW6VdSR
>>486 >お邪魔しますさん
安定しないんでしょうね、どっちかに偏ってないと
でも、それではバランスは取れない
多極的なものは難しいから、一極からしか見ようとしない
学校教育で、教わって、覚えて、わかれば、それでいい
で来てしまっているから、それを踏襲する宗教を受け入れてしまう
議会制民主主義の多数決の正しさを持ち込むから
多数が支持していれば正しいと勘違いしてしまう
まだまだいろいろあるけど、今日はこれまで、
これからまたスキーです


489 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/16 18:43 ID:???
仏性がはじめから「有る」と偏るな。

490 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/16 19:05 ID:???
>>486
「中道の教えを理解して貰うのも難しそう」って言うのは、
おれはわかってる、ってことを前提とする言葉だ。
っていうことは、これはすでに空がわかってないってことを
露呈してることになるんだよね。

491 :乾闥婆:04/04/17 00:50 ID:???
>>484
お邪魔しますさん。
>普通の人はそんなことは考えていないと言うか、わざわざ自己と自己を取り巻く環境を別々に分けて考えながら生きていないよ。

ではなぜ人は物事がうまくいかなかったりしたときに環境のせいにしたりする
のでしょうか。逆にうまくいっているときは環境のお陰であったりすることを
うっかり忘れて自分の力を誇ったりもする。そのような人間は普通によく存在
すると思いますが。

>もともと自己と環境とは分けられないモノなんだよ。このことは分かって貰いたい。

当たり前ですね。私の文章をちゃんと読んでいますか。

>意識するしないと関わらず、「オギャー」と生まれてから死ぬまで日々実践しているんだよ。

成長し世に揉まれるにしたがって、そのように素直に考えられない状況に巻き
込まれてしまうという話を前提としているのですよ。生まれたままの姿で人間
があり続けるわけではないでしょう。

492 :乾闥婆:04/04/17 00:51 ID:???
>>484(続き)
>ところが「正報」と言う言葉を使って、「依報」と呼ばれる環境から独立し存在している自己があると思わせる。

話が逆でしょう。そのように考えてしまう人間に対して、そうではないという
ことを伝えるための過程としてそのような説明があるわけでしょう。主旨はそ
れらが別々にある、などということにあるのではなくて、それらは別々にある
のではないということでしょう。私の文章をちゃんと読んでもらえますか。

>「アホか」

しょうがない人ですね。

>そんなもの改めて言われなくとも、誰でも毎日やっているわ。

やっていませんよ。多くの人間は自分を取り巻く環境に何らかの不満を持って
いるものです。

493 :乾闥婆:04/04/17 00:52 ID:???
>>480
Sbさん。
>語り得ないから、数多くの書があるんじゃないでしょうかね

だとしたらもう少し言語を尊重してもらいたいものですね。まるで「我々の分
別の働きに依っている」言語など役に立たないとでも言っているように聞こえ
ますがね。お邪魔しますさんは。

>伝えることが重要なのではなく
そもそも、そうであることを悟ることに意味があるのではないでしょうかね

伝える努力もしないで、なんの悟りですかね。ただの怠慢か、ただの勘違いの
怖れがありますね。言葉で伝えられもしないことを、悟りだ、悟りだ、という
のであれば、創価学会員が「この信心はやってみなければわからない」と言っ
ているのと同じですね。悟ってみればわかるっていうことですか? 学会のい
う体験を積んでみればわかるといようなもののようですね。

494 :お邪魔します復活!! ◆nH2G.RjIE2 :04/04/17 04:00 ID:93ow6blQ
乾さん分かっているじゃない。
>まるで「我々の分別の働きに依っている」言語など役に立たないとでも言っているように聞こえ
ますがね。お邪魔しますさんは。

言っているように聞こえるのじゃなくて、そう言っているよ。仏教を理解するのに一番の障害が、
個々の分別による言葉なんだよ。

495 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/17 04:08 ID:???
>>494
ププ

496 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/17 04:36 ID:???
信じてやってみないと解らないからいつまでも解らないまま。

497 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/17 04:52 ID:???
>>494
言葉を否定するのなら、もう書き込むな ボケ!!

498 :Sb ◆SbSGI7AtEA :04/04/17 06:36 ID:4FcORa3m
>>493 >>乾さん
その通りなのです
どちらかが重要なのではなく、どちらも大切なのです。
でも、どっちも無意味でもあるのでしょう
全てに於いてそうなのだと思うのです

499 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/17 07:34 ID:???
名無し=Sb

500 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/17 09:34 ID:???
>>486 こんなんどうですか?
中道について(般若心経より)

「空」と言われる生命システムに捉われない意識そのものと
生命システムであるボクたちが捉えてる現象の世界「色」
この二つは同じものだと言う(色即是空)。

そして表現を反転させて、目の前に現れている現象世界「色」と
「空」は同じだと言う(空即是色)。

つまり、これは最初から、「空と色」「色と空」というものを、
中心点でとらえているわけです。

どこに修行の中心点を合わせればいいかという問いに、
「空と色の中心点、真ん中を狙え」と言っているんですね。

501 :波木井坊竜尊@日蓮宗葵講@名前だけ仏所 ◆IByKs72gR2 :04/04/17 09:56 ID:8YuHtoVM
般若の空観は法華の二乗空より低い教え。

502 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/17 09:59 ID:???
>501
ほうほう、では御教示くだされ>竜尊者

503 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/17 13:36 ID:???
>>500
プ
「中心点」と「真ん中」にワラタ

504 :乾闥婆:04/04/17 23:08 ID:???
>>494
お邪魔しますさん。
>仏教を理解するのに一番の障害が、個々の分別による言葉なんだよ。

それでは仏教の話をするのに今後一切言葉を用いないで下さい。

505 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/18 05:13 ID:???
>>501
> 般若の空観は法華の二乗空より低い教え。

優劣など、実体のないものだろ?
どちらかがなければ、成立しない。
だから、優劣に執着するな。
「空」とはそういうことだと思うが、あんた、僧侶のくせして
その「空」に優劣をつけるんだから、すごいよな〜。

506 :Sb ◆SbSGI7AtEA :04/04/18 07:20 ID:1A1rcNhz
>>504 >>乾さん
言葉が重要であればあるほど
その正反対へのベクトル、
つまり、言葉の限界を意識する必要があると思います。
もとは空なのですから

507 :Sb ◆SbSGI7AtEA :04/04/18 07:30 ID:1A1rcNhz
空に優劣をつけるあたりに
日蓮系の限界があるのかな
法華経に絶対性を持たせると云う愚行の成果なのかな
まぁ、何にしても馬鹿げている

508 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/18 07:34 ID:???
>>507
言葉のみに捕らわれて、現実の世界に足をつけて生きない人も馬鹿げてる
とは、おもいませんか?

509 :波木井坊竜尊@日蓮宗葵講@名前だけ仏所 ◆IByKs72gR2 :04/04/18 08:40 ID:qcNBxX8J
前から言ってるように般若の空はフラットな空。法華の空は二乗の空。
般若は形而上学的説き方をしている。

経典の成立史を知ってるのかねえ。

510 :乾闥婆:04/04/18 09:12 ID:???
>>506
Sbさん。
>つまり、言葉の限界を意識する必要があると思います。

それを私が意識していないとでもお思いですか?

511 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/18 11:05 ID:???
>法華の空は二乗の空。
創価の「空」なのかな。

六波羅蜜の一つ、布施波羅蜜では布施行の実践は慈悲を根幹とします。
しかも、布施は空観(一切の存在は固定的・実体的な本性を有しない)に
基づく実践であるとし、三輪清浄の布施が強調されますね。

これは、布施する人も布施を受ける人も布施物自体も、すべてこの三者は
布施の善行を誇らずとらわれず、空・無所得にして清浄であるべきだとする。

では、創価の場合はどうか、、、
古い話しでは日蓮正宗の本堂騒ぎ(池田会長と大本堂?なる写真集まで作成、取り壊せば騒ぎたてる)
その頃から現在に至るまで会員の財務を私物化し色々なところにばら撒き顕彰をねだり
その結果得たことを機関紙で毎日のように宣伝等等。

創価の何処いら辺が「空」なんでしょうね。┐(´∇`)┌

512 :お邪魔します復活!! ◆nH2G.RjIE2 :04/04/18 14:21 ID:3Lqs7O68
>伝える努力もしないで、なんの悟りですかね。

じゃ少し伝える努力をしようかな。

ここに歩いている太郎さんという人が居るとしよう。
もちろん太郎さんは
太郎が歩く。
以外にも
太郎が走る。
太郎が働く。
太郎が歌う。
太郎が考える。
・・・・・
等、いろいろな行為を行う。
そして私たちはいろいろな行為を行う「太郎」と言う人物が居ると考える。これが分別された言葉による実体視と言うことなんだよ。このことはもう少し先に進んでから、もう一度説明するね。

今度は、「歩く」と言う行為を考えてみよう。
太郎が歩く。
以外にも
花子が歩く。
犬が歩く。
アシモが歩く。
・・・・
等、いろいろなモノが歩くことにより「歩く」と言う動作が有ると考えてしまう。これも同じく「歩く」と言う動作を実体視するという。


513 :お邪魔します復活!! ◆nH2G.RjIE2 :04/04/18 14:25 ID:3Lqs7O68
もう一度実際に歩いている太郎さんを見てみよう。現実に歩いている太郎さんを、言葉と同じように「太
郎」と「歩く」に分けられるかな。「歩いている太郎」は、歩くという動作を離れて「太郎」は存在してい
ないし、歩くという行為は行為を行うモノである太郎無くしては「歩く」と言う行為が行われる事は出来な
い。つまり「太郎」の存在は「歩く」と言う動作に依存して成立し、「歩く」と言う動作は「太郎」が居る
ことにより行われ得ると言うことなんだ。このようにお互いに依存することを「相依性」と言い「縁起」の
考えの基本になっている。また今まで書いてきたように、何ものにも依存しないで存在する「太郎」と言う
モノはない。これを「無我」と言う。何ものにも依存しないで存在する「太郎」は居ないけれども、現実に
歩くことを始めいろいろな行為を行っている(行為に依存し、行為を行っている主体としての)「太郎」は、
存在する。「太郎」の存在は、「有る」とも言えない、「無い」とも言えない。「有る」「無い」どちらか
一方に偏らない事を「中道」と言う。

 仏教で説いている「無我」の教えも、「縁起」の教えも、「中道」の教えも同じ事を指している。

 今までは、「太郎」と言う架空の人物を主人公にして話してきたから、少しはわかりやすくなっているけど、
「太郎」を「私」「自分」「我」「自己」等に置き換えても、素直に読めるかな。


「実体の信仰のなかで最も厄介なのが自我という実体の信仰である。「わたしは実体観に陥るほど素朴ではない」
と反論する人ですら、自我の観念にはとらわれる。ひとは「わたし」という言葉を使ううちに、わたしという不変
の存在(いわゆる魂)があると思い込み、これによって不要の苦を招き、自分の死を理解しがたいものにしてしま
う。」

(定方晟 「空と無我」P78 講談社現代新書)



514 :お邪魔します復活!! ◆nH2G.RjIE2 :04/04/18 20:31 ID:3Lqs7O68
大宇宙をマクロコスモスというのに対し、私たちの生命をミクロコスモスと呼ぶ。生命そのものが小宇宙なのだ。

 宇宙と生命の法に合致して生きること。それは多様なものとの調和であることを日蓮大聖人の仏法は教えている。

創価学会の公式ページ、ヒロインネットより
http://www.sokagakkai.or.jp/member/heroine/kibou/door/d14.html

これと

>>474の、「依正不二」

>>475の、「色心不二」
といい、創価学会は二つのモノが一つになることが、仏法であると考えているのかな。
バラモン教の「梵我一如」に似ているな。

515 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/18 21:51 ID:???
>>509
> 般若は形而上学的説き方をしている。
説き方で、「空」の優劣をつけてるんだ…。

> 経典の成立史を知ってるのかねえ。
成立の時間的関係性でも「空」の優劣をつけてるんだ…。
あんた、やっぱりただもんじゃないなw

516 :乾闥婆:04/04/18 23:40 ID:???
>>512
お邪魔しますさん。
>じゃ少し伝える努力をしようかな。

やっと改心なさいましたか。これからは言葉を使って伝えようとする努力を怠
ってはいけませんよ。それをしたくないのでしたら黙っていればいいのですか
らね。

太郎さんの説明はよいと思います。

講談社現代新書からの引用は、「アホか」と吐き捨て、「そんなもの改めて言わ
れなくとも、誰でも毎日やっているわ」と豪語したあなたの発言と齟齬を来し
ていませんでしょうか。ことはそれほど簡単ではないということでしょう。

517 :乾闥婆:04/04/18 23:41 ID:???
>>514
「依正不二」「色心不二」はともに「二つのモノが一つになること」ではない
ことは説明したと思いますが。念のため辞書の定義を引用しましょうか。

「色心不二」・・・事物ないし身体(色)と心とが不二・一体であることをい
う。仏教の基本的考えかたからすると、事物ないし身体にしても、心にしても、
それぞれ独立・固定の実体(我)をもって無関係に存在しているのではなく、
無我・空のもとで、関係し合って不二であるとされる。(「岩波仏教辞典」)

「依正不二」については、対象が身体ではなく衆生の生きる環境世界となるの
で、ますます持ってあなたのいうほど単純ではないこととなりますでしょう。

あなたは「普通の人はそんなことは考えていないと言うか、わざわざ自己と自
己を取り巻く環境を別々に分けて考えながら生きていないよ」といいましたが、
本当にそうでしょうか。私が>>491-492で触れたような人間の日常的な自身
を取り巻く生活環境への不満やそこからの疎外感を、あなたはないとでもいう
のでしょうか。それらの外部環境への人間の主体的な自己投企を、その自覚を
「依正不二」とはいいあらわしているのだと思うのですが。

宇宙だとか生命だとか、創価学会特有の説明法は嫌いですので、生理的に受け
付けませんが、「多様なものとの調和」というのは、別に「多様なもの」がそ
れぞれに固定的な実体であるといっているわけではないのでしょうね。創価学
会を擁護するつもりもありませんが。

518 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/19 01:07 ID:2t3LhDc+
http://www4.diary.ne.jp/user/435841/
公明党=オウム真理党
創価学会=カルト

519 :お邪魔します復活!! ◆nH2G.RjIE2 :04/04/19 01:28 ID:Co0jFSUs
やっぱり少し違うんだな。「依正不二」とう言葉において「依報」と「正報」に
分けた時点で分別が働いて居ることを私は伝えようとしているんだよ。そして自分
と環境とが違うモノであるという分別された考えから、自分の生活環境に不満を持
ったり、疎外感を持ったりする様になるんだ。

 「歩く太郎」で実際は「歩く」と「太郎」に分けられないように、自分と、今自
分が生きている環境、「正報」と「依報」は分けられないんだよ。「正報」と言い
「依報」と言うのは、言葉の上の概念に過ぎず、その言葉の意味するモノは、何等
実体を持たない。人は、自分が生きている環境を離れて(引っ越しすれば環境が変
わるという問題ではないよ)生存することは出来ないし、自分の生きている環境も、
その人の感覚や意識に依って認識されている事なんだよ。
 
 普通、人はモノを考えるのに言葉を使って考える。その言葉の多くは、実際の世界を
細かく分ける(一つの言葉の意味するところは、他のモノとは違うと分別する)事によ
って出来ている。だから自然と世の中を分別して見てしまう。


520 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/19 01:42 ID:7tfLnEpi
〜〜〜池田先生に抱かれたいのは当然です〜〜〜

尊敬する男性に愛されたいっていうのあ、若い女性として当然のことではないでしょうか?
それにもかかわらず、愛し合った数十年後に、レイプだとか行って訴えるの信平は信じられません。
もしかしたら、実際には、池田先生と抱かれていない可能性だって大きいですよね。
そもそも、池田先生に内心であこがれている女子は多いはずです。
したがって、池田先生が女性で苦労することは、そもそもありませんし
無理やり池田先生から迫るようなことは無いと考えるのは自然ではないでしょうか?

尊敬する男性に対して一方的に恋愛感情を抱いた女性が、
振り向いてもらえないから、狂言訴訟を起こしたと見るのが自然です。

これは、男性の人たちにとっても、重大な事件なのではないでしょうか?
一方的に片思い的に、恋愛感情を寄せてきた女性が、性的関係も無いのにもかかわらず、「あった」と言い張り
しかも、そのうえ、強引にやられた!というのです。

これって、アイドル・歌手・バンドなどの追っかけの女の子が、一方的にスター的男性に恋愛感情を寄せて、エッチなことを想像しているうちに
現実と妄想との区別がつかなくなったような事件なんじゃないですかね?
ジャニーズにあこがれる女子が、エッチな妄想小説を掲載しているHPとかありますよね。
バカ女信平がやったのは、そういう感じの訴訟なんですよ。

私が、池田先生に誘われたら・・・・もちろん「はい!」とOKしたいです。あなただって、尊敬する異性から誘われたら、OKする場合だってあるでしょう?
あの当時の信平さんは、熱心な学会員だったんですよね?

こんな訴訟を容認していたら、上司とOLとの恋愛は全部セクハラになってしまいますよ!
学会員ではない男性のひとも、信平を批判するべきだと思いますね。



521 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/19 01:49 ID:RcFaPLuV
仏陀の教えとは違うと言うよりま逆でしょう。
やっぱ、戦争に賛成しちゃいかんよ。戦争に。

でもマジで、何で反対しないんだろう?戦争だよ?ひところしじゃん。
支持しちゃまずくない?ひところし。

522 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/19 02:34 ID:LkkKutip
悪魔の教え
池田大作


523 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/19 03:34 ID:???
>>487
>で、なにがいいたいの?

「 趙州和尚因みに僧問う、狗子に還って仏性有りや。州云く無」に該当する言葉が、
>>477にない。

524 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/19 13:26 ID:???
>>お邪魔しますさん
あなたは空を理解しているのですか?

525 :Sb ◆SbSGI7AtEA :04/04/19 15:13 ID:jHC5FQWK
>>523
あるよ
おんなじことだよ

526 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/19 15:33 ID:???
>>525
ないよ。
おなじことなら、>>482
>趙州和尚因みに僧問う、狗子に還って仏性有りや。州云く有。
だけでいいじゃん。

527 :お邪魔します復活!! ◆nH2G.RjIE2 :04/04/19 16:54 ID:2zior3Ek
>>524
「空」を完全に理解しているわけではないよ。ただ言葉に頼らない思考方法が出来るようになっただけだよ。


528 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/19 17:23 ID:???
>>527
空の観点から、「言葉に頼らない思考方法が出来る」人が、自分で「言葉に頼らない思考方法が出来る」と言いますか?
そして「言葉に頼らない思考方法が出来る」ということは、「言葉に頼らない思考方法が出来ない」ということではありませんか?

529 :Sb ◆SbSGI7AtEA :04/04/19 18:00 ID:jHC5FQWK
>>526
試されてるのかな
あるもないも同じことだよ
私のあるはあるということに拘っているわけではないよ
ただ、あるだけだよ
だから、無

530 :Sb ◆SbSGI7AtEA :04/04/19 18:12 ID:jHC5FQWK
>>510 >>乾さん
それはお互い様
同じものを反対から表現しているだけなんじゃないかな
乾さんがそっち側にいるから、私は安心してこっち側にいられる
こっちの見方をぶつけられる
そういうわけで、説明の努力はお任せします(おいおい)



531 :Sb ◆SbSGI7AtEA :04/04/19 18:21 ID:jHC5FQWK
>>528
ていうか、空は解けられるものなのですかね
言葉には頼れない思考ってのもあるんじゃないのかな
それを行うには言葉には頼らない思考方法を使わなきゃなんないよね

532 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/19 20:08 ID:???
>>529
試したよ。
あんたがどれくらい自我に執着してるかってことを。
「 趙州和尚因みに僧問う、狗子に還って仏性有りや。州云く無」に該当する言葉を、
>>477に書きもらした、と素直に認めればいいだろ。
あんた以外の人は、あんたの「ある」の定義なんて知らないし、どーでもいいよ。
要するに、あんた負けず嫌いでプライドが高いんだね。

533 :Sb ◆SbSGI7AtEA :04/04/19 23:21 ID:WZKdZj2S
>>532
自我に執着していない人間なんていないでしょ
私もあなたもね

>>477に書き漏らしたねぇ、てか、おんなじこと書いてんだけどね

でも、「あんた以外の人は、あんたの「ある」の定義なんて知らないし、どーでもいいよ。」
て云うのは良いよね、あるということはどうでもいいこと、だから、無

で、何が気に入らないの?

534 :波木井坊竜尊@日蓮宗葵講@名前だけ仏所 ◆IByKs72gR2 :04/04/19 23:26 ID:hP3c2wxl
執着してもいいんだよ。全部肯定。

535 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/19 23:33 ID:???
>>534
      ____
    ヽ|・∀・|ノ アレ
    |____|
     | |
           ==流れ

536 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/19 23:39 ID:???
>>534
それが貴様が他人様のティムポに執着する理由付けか

537 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/19 23:41 ID:???
>>536

       __ 
      |・∀・|ノ  よい
     ./|__┐
       /  調子
    """"""""""""""
         .__
       ((ヽ|・∀・|ノ  しょっと
         |__| )) 
          | |
          調子
    """""""""""""""""

538 :波木井坊竜尊@日蓮宗葵講@名前だけ仏所 ◆IByKs72gR2 :04/04/20 00:28 ID:7fDX2c4h
はい。荒らしは迷惑。嫌がらせはやめていただきたい。

539 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/20 00:33 ID:DlsB85VN
今日、筑紫は良いことを言った。
心して聞いたか? 創価公明の人非人ども。
しかし、アメリカの国務長官より・・・・・  まさに鬼畜。

540 :波木井坊竜尊@日蓮宗葵講@名前だけ仏所 ◆IByKs72gR2 :04/04/20 00:34 ID:rmh57aFN
筑紫なんか見て世論でいるようじゃ床屋談義の域をでてないな。

541 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/20 00:39 ID:???
>>533
> 自我に執着していない人間なんていないでしょ
> 私もあなたもね
そうそう、俺もあんたも自我に執着してるね。
禅をやってもやらなくても、言葉にたよらない思考をしてもしなくても、
自我に執着していることは同じ。
禅や言葉にたよらない思考がなんぼのもんですか?

>> >>477に書き漏らしたねぇ、てか、おんなじこと書いてんだけどね
「てか、おんなじこと書いてんだけどね 」が余計だよ。
そうとうプライドが高いことだけは確かだなw

> でも、「あんた以外の人は、あんたの「ある」の定義なんて知らないし、どーでもいいよ。」
> て云うのは良いよね、あるということはどうでもいいこと、だから、無
勝手に話しを摺り替えるなよw
みんなが共通に認識している定義で言葉を使わないと、コミュニケーションがとれないだろ。

> で、何が気に入らないの?
あんたの偉そうなところ。

>>540
さっさと般若の「空」と法華の「空」の優劣を説明せんか!!
ボケッ!!
アホな俺にもわかるようにお願いします。

542 :波木井坊竜尊@日蓮宗葵講@名前だけ仏所 ◆IByKs72gR2 :04/04/20 00:48 ID:ejXJsnwS
>>539
>>575
>人非人

これは明らかに差別用語。筑紫が聞いたら激怒しますね。
こういう差別主義者、偽善者がもっともらしいこと言っても誰も
信用しないんだよ。


543 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/20 00:57 ID:???
( ^∀^)ハッハッハ!
ただの無職の引き篭もり中年のくせに、「筑紫が・・・」だってよ!
いかにも筑紫てつやと知り合いのような書き込みしても、おまえがただのキチガイだと
いうことは、みんな知ってるよ。
そうやって、いかにも自分が偉そうな書き込みは、いい加減やめるんだな。
みっともないぞ。近所のガキに虐められてるような中年は、失せな。

544 :Sb ◆SbSGI7AtEA :04/04/20 02:15 ID:+6en3Rg5
>>541
何ぼのものかって?
無だよ、もとより無

>>「てか、おんなじこと書いてんだけどね 」が余計だよ。
書き漏らしたと思ったのはあなただよね
私は書き漏らしたわけではない
私が書いたものをあなたがどう思おうとあなたの勝手だけど、
その勝手で、決め付けないでね
だから余計ではないよ、私はね
あなたには余計なのかもしれないけどね

>>みんなが共通に認識している定義で言葉を使わないと、コミュニケーションがとれないだろ。
個々で認識しているものが違うものをどのような手段で伝えますか?

>>あんたの偉そうなところ。
あなたも結構偉そうですね

545 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/20 02:20 ID:???
>>542
人非人は差別用語じゃないだろ?

546 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/20 02:32 ID:???
人非人
下記のサイトより引用。
ttp://www.geocities.co.jp/Bookend-Akiko/1373/ko-jien05/page7.html

人非人(にんぴにん) 1.人道(じんどう)に反する行ないをする者。人情や恩義を弁(わきま)えない者。
酷い仕打ちや悪事をする者を罵(ののし)る呼び方。 類:●人でなし●忘恩の徒 2.人の数に入らない者。
人でありながら人として認められない者。 用例:平家−一「此一門にあらざらむ人は皆人非人なるべし」 
3.仏教用語。@緊那羅(きんなら)の別名。 参考:緊那羅 仏法守護の八部衆の一つ。歌舞を以って
帝釈天に仕える者。人頭鳥身、或いは馬首人身で、鼓(つづみ)を打つ姿、笛を吹く姿、琵琶を持って歌舞する
姿などで表現された。 A人と、人でない者。比丘(びく)・比丘尼など四衆は人で、天・竜などは非人とされる。
参考:比丘 出家して具足戒を受けた男子。転じて、一般に僧のことを指す。


547 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/20 02:49 ID:wwBx/ekd
今夜はハキリの勝ちだな。筑紫で十分。
テレ朝系ブサヨが何言っても説得力無し!

548 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/20 02:51 ID:???
>>547
今夜も、だよ(w
ハキリの逃げ足の速さには、誰も勝てない(藁

549 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/20 04:28 ID:???
>>544
な〜んだ、「>>477に書き漏らしたね」って認めたわけじゃないんだ…。
まぎらわしいよ。
わかりにくい文章ばっかり書いて、そしてあんたにしかわからない言葉つかって、
その挙げ句に「勝手に決めつけるな」か…w
実は、俺は前に「あんたのレスもほとんど理解できない」って書いた >>459です。

> 個々で認識しているものが違うものをどのような手段で伝えますか?
あんたが共通の認識のない定義の言葉を使う以上、「決めつけるな」というのは酷じゃない?
>>482 の言葉が、なぜ対になっているのかよく考えてみてよ。
すくなくとも、>>482 の言葉はあんたの言葉よりも理解できる。

> あなたも結構偉そうですね
そうだね、ごめんなさい。

ところで、あんたの言う「無」ってなによ?
ま、いいや。
たぶん、俺はあんたの言葉では理解できないだろう。
おそらく、>>482にでてくる「無」とは違うのだろうね。

550 :お邪魔します復活!! ◆nH2G.RjIE2 :04/04/20 09:44 ID:wribNc48
言葉に依存しない思考方法って、みんな普通にやっていることなんだけどな〜。
私はそれに気が付いて、意識しているだけだよ。Sbさんに聞いてみれば。言葉では理論が破綻している話や、ぶっ飛んでいる話を一杯持っているから。

551 :Sb ◆SbSGI7AtEA :04/04/20 12:24 ID:S1P4R5/k
>>549 >>459さん
>>俺は前に「あんたのレスもほとんど理解できない」って書いた >>459
じゃあ、これからは459さんでいくね

私は、このスレでは、わかるを前提と出来ないことを話すことがおおいのです
だから、理解する方向では向きが違う、「わからない」でいいのです
では、どうすればいいのか
私の経験からは、悟るしかない、としか言えない
諦は、わかることが出来ない、理解でいいものでもない、悟るしかない
無も、仏性も、生きることも、そして、悟り自体もです

でもね、悟らせることなど出来ない、
わかるように書く、理解できるように書くことが出来ても
悟らせるように書くことなど出来ない
伝達によっておこるものではなく
すでに悟っていることを悟るだけだからだとおもいます。

552 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/20 14:05 ID:???
>>550
ボケッ!!
全然答えになってな〜い。
とりあえず、まぬけな答えをどうもありがとう。
「言葉に頼らない思考方法が出来る」人が、自分で「言葉に頼らない思考方法が出来る」とは言わないよ。
なぜなら「言葉に頼らない思考方法が出来る」ことなどないから。
だからこそ、「言葉に頼らない思考方法が出来る」人と言われるんだろ。
「空」の考え方を無視するなよ。
>>471で偉そうなことを言っているわりには、たいしたことないですね。
ま、俺もたいしたことないけど…。

>>551
> でもね、悟らせることなど出来ない、
> わかるように書く、理解できるように書くことが出来ても
> 悟らせるように書くことなど出来ない
なにも悟らせてくれとまでは言ってないよ。
でも、わかるように、理解できるように書いてほしいね。
少なくとも、その努力はしてよ。
>>487では、「備わる」を一般的な意味で使ってると言ってるのに、>>529でそれを翻して「私のある」
はなんて急に定義を変更すると、話しが通じないのは当然だろ。

553 :Sb ◆SbSGI7AtEA :04/04/20 16:44 ID:S1P4R5/k
>>552 >>459さん
悟らせることは出来ないって書いたでしょ
わかるように書いたら違うものになる
違うものでは、意味が無いでしょ
あなたは私の考えが知りたいのでしょ
それはわかるものではないのです
わかる方法で伝えようとすれば違うものになる

三座説法
仰山和尚、夢に弥勒の所に往いて、第三座に安ぜらるるを見る。
一尊者有り、白槌して云く、「今日第三座の説法に当たる」。
山乃ち起って白槌して云く、「摩訶衍の法は、四句を離れ百非を絶す。諦聴、諦聴」。

554 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/20 18:06 ID:CwWerBkz
外道のたぐひとなるといふは、西天竺國に外道あり、先尼となづく。かれが見處のいはくは、大道はわれらがいまの身にあり、そのていたらくは、たやすくしりぬべし。いはゆる苦樂をわきまへ、冷煖を自知し、痛癢を了知す。萬物にさへられず、諸境にかかはれず。
物は去來し境は生滅すれども、靈知はつねにありて不變なり。この靈知、ひろく周遍せり。凡聖含靈の隔異なし。そ
のなかに、しばらく妄法の空花ありといへども、一念相應の知慧あらはれぬれば、物も亡じ、境も滅しぬれば、靈知
本性ひとり了了として鎭常なり。たとひ身相はやぶれぬれども、靈知はやぶれずしていづるなり。たとへば人舍の失
火にやくるに、舍主いでてさるがごとし。昭昭靈靈としてある、これを覺者知者の性といふ。これをほとけともいひ、さ
とりとも稱ず。自他おなじく具足し、迷悟ともに通達せり。萬法諸境ともかくもあれ、靈知は境とともならず、物とおなじ
からず、歴劫に常住なり。いま現在せる諸境も、靈知の所在によらば、眞實といひぬべし。本性より縁起せるゆゑに
は實法なり。たとひしかありとも、靈知のごとくに常住ならず、存沒するがゆゑに。明暗にかかはれず、靈知するがゆ
ゑに。これを靈知といふ。また眞我と稱じ、覺元といひ、本性と稱ず。かくのごとくの本性をさとるを常住にかへりぬる
といひ、歸眞の大士といふ。これよりのちは、さらに生死に流轉せず、不生不滅の性海に證入するなり。このほかは
眞實にあらず。この性あらはさざるほど、三界六道は競起するといふなり、これすなはち先尼外道が見なり。 
                                                                            
                                                       「即心是佛」〜『正法眼蔵』


555 :乾闥婆:04/04/20 22:01 ID:???
>>519
お邪魔しますさん。
本当に私の文章をちゃんと読めているのですか?

>「依正不二」とう言葉において「依報」と「正報」に分けた時点で分別が働いて居ることを私は伝えようとしているんだよ。

そうではなくて、「依正不二」とは「依報」と「正報」に別れた認識を持つ多
くの衆生にそうではないといっているのであって、つまり「依正不二」とはあ
なたのいっていることと同じなのですよ。あなたが説明している内容がそのま
ま「依正不二」なのです。

>「歩く太郎」で実際は「歩く」と「太郎」に分けられないように、自分と、今自
分が生きている環境、「正報」と「依報」は分けられないんだよ。「正報」と言い
「依報」と言うのは、言葉の上の概念に過ぎず、その言葉の意味するモノは、何等
実体を持たない。人は、自分が生きている環境を離れて(引っ越しすれば環境が変
わるという問題ではないよ)生存することは出来ないし、自分の生きている環境も、
その人の感覚や意識に依って認識されている事なんだよ。

そのあなたの説明が「依正不二」なのであって、つまりあなたは「依正不二」
の説明を持って「依正不二」を批判するという矛盾を犯しているのです。

>>527
>「空」を完全に理解しているわけではないよ。ただ言葉に頼らない思考方法が出来るようになっただけだよ。

それを思考とはいわないのではないでしょうか。

556 :乾闥婆:04/04/20 22:02 ID:???
>>530
Sbさん。
>それはお互い様
同じものを反対から表現しているだけなんじゃないかな

それは違うでしょう。私は言葉の限界を意識することと言葉で説明する努力を
怠ることは別問題だと言いたいのだし、あなたのような態度を傲慢であり怠慢
であると言ってきたわけです。言語の反対側にいて言語の世界を軽蔑したり見
下げるような態度をとるあなたに、だったら黙っていればいいし、黙っていら
れないのなら、きちんと言葉で説明して欲しい、と言ってきたのです。

557 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/20 23:06 ID:???
乾さん

>それでは仏教の話をするのに今後一切言葉を用いないで下さい。

禅の世界ではこう言います。

「言葉を使うというのは、実は言葉を使わないことだ。だからこそ、
 言葉を使う、というのである」

これが金剛般若経であり、まあ禅なんですね。言葉を使うというのは言葉を使う
ということではないのです。わかりましたか。これが悟りなのです。はい

558 :乾闥婆:04/04/20 23:21 ID:???
>>557
では問題なしですね。じゃんじゃん言葉を使って下さい。

559 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/20 23:22 ID:???
また逆も言えるわけですね。

「言葉を使わないというのは、実は言葉を使うということである。
 だからこそ、 言葉を使わないというのである」

これでどうですか。道元の悟りも似たようなものです。つまりそれが>>469-470なん
ですな。なかなか面白いでしょう禅は。つまりこれが無我とも空ともいう仏教なん
ですな。釈迦はそれをこういう言い方で説明したが、禅はそれでも伝わらないと考え
てこういうトリッキーな方法論を用いたのでしょう。そしてそれを気づかせるために
坐禅という便宜の方法論を取ったということです。もちろんその姿勢以外でも答えを
得ることはでき、キンヒンでも落ち葉掃除でも東司掃除でも構わないわけです。

いやあ、ホントに、「ホントの仏教」っていいですね。

560 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/20 23:39 ID:???
で、創価学会的思考、あるいは日蓮的思考というのは、こうした悟りの指向では
なく、あくまでも「魔術的なそれ」です。つまり方法論がヨーガの一部として絶対
的な束縛となっているそれであり、悟らせることにはなんら関心はないそれであり、
その「行法がもたらす雫、滴りのような効果」あるいはさらに「湧水のように染み
でてくる何か」が「悟りではなくて、体の感覚として少しずつ、あるいはどんどんと、
あるいはじんじんと感じることで得られる安心や強くなったような感覚」としての
「仏界」というような概念を想定してそれを「感じることでセンスや感覚、体調、
意識の感覚が変わること」が主張されているわけですね。

このことが彼らの「人間革命」とやらであり、「唯一の人間の救い」なのだという
主張でした。

しかしこれではっきりしたように、これは当然ながら悟りでもなければ仏教でもない
という確定的な根拠となるでしょうね。どうでしょうか。



561 :乾闥婆:04/04/20 23:41 ID:???
>>559
ということは言葉を使ってもいいわけでしょう。言葉を使って仏教を語ること
もまた仏教であるわけです。あなたの論法からいえば。ところが禅かぶれな人
たちは言葉で語る仏教を軽蔑し、見下す。そして自分たちだけが真の悟りを知
っているとのたまう。まるで創価学会員のようですね。その傲慢さがそっくり
です。「ホントの仏教」なんていってしまう時点で、「正法」を振り回す創価学
会と同じに見えます。私はどちらも軽蔑します。道元を引き合いに出している
ようですが、彼はちゃんと言葉を尽くしますでしょう。『正法眼蔵』は読んで
いて非常に面白いですよ。悟られた状態というものは言葉で説明できるもので
はありません。それは日蓮とて同じこと。それでもちゃんと言葉で語るのです
よ。悟った状態そのものは語りえぬとも、彼らは言葉を尽くす努力を怠りなど
しませんよ。

562 :乾闥婆:04/04/20 23:44 ID:???
というか、あなた、ブツ理さんですか。
的を外してしまいましたね。
>>561 はSbさん、および、お邪魔しますさんへ向けたものです。

563 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/20 23:49 ID:???
ですからそれは必然的に呪術教となり、念力教となるわけです。つまりあくまでも
日蓮教は真言宗の変形であると主張したわけでした。いろいろと理屈をつけて
法華の行者としているものの、やっていることは真言の行にすぎません。
そして真言の行とはすなわちヨーガであり、ヨーガはすなわちバラモン教の行法
であり、すなわち「梵我一如への方法論」であるにすぎません。

すなわち真言すなわちヨーガ自体が仏教ではなく、そこにバラモン教への回帰が
すでにあったわけで、中国で禅流とヨーガ流(法華教至上の天台教による止観流も
当然含まれるが)の分岐が起こった時点で、正当派仏教(釈迦単伝の悟り)と
バラモン教的行法に回帰した魔術教的(偽)仏教に分離したという解読が正当では
ないでしょうか。

そこに浄土教への分岐も起きたわけですが、結局この三分岐ですべてを語ることが
できるのではないですか。しかし前にも述べたように、浄土教のナムアミダブツは
結局は禅と意識の上では合流することになり、結局真言と法華だけがバラモン教の
遺物にしがみついていままでずっとやってきた、その仇花が創価学会という現代の
信仰宗教となった。と、こういうことでしょう。

564 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/20 23:53 ID:???
>>562
まあそのというかです。どうもでした。ではまた。

565 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/21 00:08 ID:???
で、ちょっと追加するとですが、、ではこの魔術的な効能というものが「ない」
というのかといえば、そうは言っていませんで、そういうことはあってもよい。

また同じ人間であれば、たとえば性器をまさぐれば気持ち良くなるのも同じであれば
傷をつければ痛いのも同じように、どこかのボタンを押せば機械で出来ている身体の
反応は誰でもほぼ同じです。ナンミョーホーレンゲーキョーで気持ち良くなったり、
体の痛いのがあるいは納まったりするのも実は奇跡ではありませんね。それはどこかの
ボタンを押してそれに関係する機能が働いたということでしかありません。

ですから創価学会のよいうような効果効能はあるし、それを仏教の枠内で論じる必要性
はないということです。それは生理学であり、内分泌学であり、ヨーガ的精神身体医学
であるということでした。ですのでそれは仏教の悟りと関連づけて説こうとするのは
いわば詐欺のようなものです。その効果を医学的効果として言うのは何ら問題ありません。
しかしそれを「あたかも宗教のようにして」語るのは正しくないでしょう。

これも従来からの主張の通りです。効果はあります。しかしそれは宗教にはしてはなら
ないものでしょう。そこから誤謬が生まれ、カルトが発生していく詐欺的行為となると
いうことなのです。以上、ではまた。

566 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/21 00:49 ID:???
仏教用語だけ、禁止にしようよ

567 :お邪魔します復活!! ◆nH2G.RjIE2 :04/04/21 04:16 ID:UnHqsv2c
 サッカーで小野は中田とちらっと目を合わせただけで、どこにボールを蹴るか分かるという。
これなんか禅の蓮華微笑と同じではないかい。芸術家は絵や彫刻で、人に何かを伝えようとする。
音楽家は楽器を演奏して、人々の感情を揺り動かす。母親は赤ちゃんの泣き声の調子で、子供が
何をして貰いたいか分かるという。言葉を使わなくでも、何かを伝えることは出来ると思わないか。

 犬に仏性が有るか無いかは、「有る」とか「無い」とか考えること自体が、間違った道を歩いて
いることを気づかせようとしていると、私は解釈しているけどね。Sbさんいう「無」と誰かの考
えている「無」が違う等と言うのは、道を間違えていることに気が付いていないと言うことだよ。

 「空」も同じ。般若経で説く「空」と法華経で説いている「空」が違うというのもやはり変な方向
に向かっていると言うことさ。

 私にすれば、ガンダムとザクのどちらが強いか言っている様なモノで、どうでもいいやと思うけど、
こだわる人はこだわるんだろうね〜。


568 :Sb ◆SbSGI7AtEA :04/04/21 09:44 ID:x9F0tloY
>>561 >>乾さん
そりゃ、言葉だけで伝えようとするなら、軽蔑しますよ
だって、生きていくことの中では言葉ではどうにも伝えられないことなどいくらでもあるんですから
それを無理に言葉で伝えれば違うものになる
違うものを伝えるのは間違いでしょ
言葉を尽くすのに努力が要るように
言葉を突き放すには覚悟が要るのですよ

私が、言葉を尽くす努力をしていないように見えるように
私から見ると、乾さんは言葉に依存しているように見えていた
でも違うよね

続けたいところですが、仕事なので、またあとで
つぎは
>>言葉で語る仏教を軽蔑し、見下す。そして自分たちだけが真の悟りを知っているとのたまう。
にたいして

569 :乾闥婆:04/04/21 09:50 ID:???
>>567
お邪魔しますさん。
>言葉を使わなくでも、何かを伝えることは出来ると思わないか。

思わないなどと私は言っておりません。しかし私とあなたの関係は小野と中田
の関係ではないし、あなたはこの掲示板上では偉大な技巧を備えた音楽家でも
芸術家でもないし(音楽も絵画も充分に「言語」であると私は思いますが)、
あなたは赤ちゃんではない。私が問題としているのはあなたの倫理観です。赤
ちゃんは言葉を習得できていないのですが、あなたは習得できている。あなた
は語らなくてもいいと言った甘えを排すべきではありませんか。私とあなたは
小野でも中田でもない。言葉を使わなくてもわかってもらえるなどと言う甘い
考えを排すべきではないですか。

>犬に仏性が有るか無いかは、「有る」とか「無い」とか考えること自体が、間違った道を歩いて
いることを気づかせようとしていると、私は解釈しているけどね。

私は「有る」とか「無い」とかそんなことを問題としたことはありませんが。

>般若経で説く「空」と法華経で説いている「空」が違うというのもやはり変な方向
に向かっていると言うことさ。

空の概念に歴史上の変遷があるのは事実でしょう。もっともそこに価値判断を
介入させるつもりはありませんが。

>私にすれば、ガンダムとザクのどちらが強いか言っている様なモノで、どうでもいいやと思うけど、
こだわる人はこだわるんだろうね〜。

私もどうでもいいですが、こだわる人とは誰ですか? 波木井さん? あなた
は時々誰に向かってレスをしているのかわからなくなりますね。

570 :乾闥婆:04/04/21 10:05 ID:???
>>568
Sbさん。
了解です。しかし一点だけ。
>私から見ると、乾さんは言葉に依存しているように見えていた

人間の思考というものは言語に依存しているものだと思います。言語から独立
して自立的に存在する「人間の思考」というものを認め得るでしょうか。それ
ではまるでアートマンではないでしょうか。人間の思考は言語に依存している、
そして言語は固定的実体ではない、だから人間の思考、ひいては人間存在もま
た実体視できない、それを縁起とも空ともいうのではないでしょうか。

571 :お邪魔します復活!! ◆nH2G.RjIE2 :04/04/21 10:46 ID:PuPsTunq
乾さん、頼むから元に戻らないで。そして少し外に出て、人々がどういうとこ
ろで、歩いたり、話したり、食べたり、飲んだりしているか見て(本当は「観」
の字を使いたいけど)みて。

 映画「マトリックス」では、私たちが生活しているのはコンピューターでプロ
グラミングされた世界で、真の世界は別になっている設定だけど、私が話してい
るのは、その逆の話をしているの。私たちが今、ここで生活している世界が、真
の世界で、「空」だ「仏性」だ「依正不二」だ等と議論しているのは、全てガン
ダムと同じ仮の世界の話なんだよ。もう一度良く「歩いている人」を観察してご
らん。「心」分かれていないだろ。地球環境から離れていないだろ。無駄な言葉
の分析はもう辞めて、世の中をもう一度よく観察して見ようよ。

 私もSbさんも、この世界を何とかして伝えようとしているんだよ。その言葉
尻を捉えて、ああだ、こうだ、言っているのはあなた達なんだよ。

      またなんか言われるな、キット。

572 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/21 11:17 ID:???
>>553
単に、あなたは表現力や文章力がないだけ。
それだけのことです。

言葉の定義を勝手に変更し、自分に表現力や文章力がないのを棚にあげ、
その挙げ句「勝手に決めつけるな」というのは、人間性の面から見ても、
あまり感心できることではありませんね。
また、それを認めようともしないし…。
自分という思いが強いのだろうね。

>>567
>Sbさんいう「無」と誰かの考 えている「無」が違う等と言うのは、
>道を間違えていることに気が付いていないと言うことだよ。
違うと言っているのは、Sbさんのほうだがな…。

>>Sbさん
あなた、お邪魔しますさんに「道を間違えてる」と言われてますよwww

573 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/21 11:54 ID:???
>>572
なぜ?そこまで親切にするの?

>自分という思いが強いのだろうね。
それだけ弱いということでは?

574 :Sb ◆SbSGI7AtEA :04/04/21 14:50 ID:NQHJo0dA
>>570 >>乾さん
ほら、出来てるじゃないですか
>>それを縁起とも空ともいうのではないでしょうか。
その縁起だとか空って奴は言葉に依存していては
捉えられないでしょ
縁起、空はそういうものと諦すればいいのです

あー
言葉に依らずに知るのが悟りなのかもしれませんね
それもひとつの表現でしかないのですけどね

575 :Sb ◆SbSGI7AtEA :04/04/21 14:57 ID:NQHJo0dA
>>572
表現力がないのは確かだね
不徳の致すところです

でもさ、ひとつわからない
あなたは何を目的として書いているの?
ただ私を非難するだけ?

576 :お邪魔します復活!! ◆nH2G.RjIE2 :04/04/21 16:28 ID:F5evWTiF
>>571続き
 ちょっと言葉が足りないから、誤解を与える可能性が有るから書くけど、乾さん「無」
だけで無く「有」も考えて。

 「不死」を得られたと説いた釈迦も、最後は食中毒で死んだんだからね。


577 :乾闥婆:04/04/21 19:38 ID:???
>>571
お邪魔しますさん。
>乾さん、頼むから元に戻らないで。

元ってどこですか? あなたが倫理的に話してくれればいいだけのことです。

>もう一度良く「歩いている人」を観察してご
らん。「心」分かれていないだろ。地球環境から離れていないだろ。無駄な言葉
の分析はもう辞めて、世の中をもう一度よく観察して見ようよ。

お気楽な人ですね。では心の病を抱えている人は「いない」とでも言うのです
か? 環境破壊は起こって「いない」とでも言うのですか? 社会から疎外さ
れている人は「いない」とでも言うのですか? 「世の中をもう一度よく観察
して見」て下さい。あなたが思い描いているほどこの世の中は単純ではないし、
人間が生きるということも簡単ではないことがわかるでしょう。

>私もSbさんも、この世界を何とかして伝えようとしているんだよ。その言葉
尻を捉えて、ああだ、こうだ、言っているのはあなた達なんだよ。

まず、言葉を持って懸命に語ろうとしている人たちを「わかっちゃいない」と
いわんばかりに見下すことをやめて下さい。そしてそれらの人たちを見下して
自分だけが悟っているかのような言動を行うことを慎んで下さい。あなたのよ
うな態度では何も伝えられませんよ。言葉に誠実に向かいあって下さい。

>またなんか言われるな、キット。

あなたが沈黙するか態度を改めるまでは言い続けます。

578 :乾闥婆:04/04/21 19:39 ID:???
>>576
>乾さん「無」だけで無く「有」も考えて。

あのう、そもそも私は「無」など考えていませんが。「<空>とは有でもなく無
でもなく、しかも有であり無である」(岩波仏教辞典)でしょう。何をいまさ
ら言っているのですか。

>「不死」を得られたと説いた釈迦も、最後は食中毒で死んだんだからね。

ほう、それはそれは。

579 :乾闥婆:04/04/21 19:48 ID:???
>>574
Sbさん。
>ほら、出来てるじゃないですか

あなたは私を馬鹿にしているのですか? まあ、いいでしょう。ということは
人間の思考は言語を離れてはないということでよろしいですね。といいますか、
言語がない世界であれば縁起も空もそもそも捉える必要がないのです。言語が
ない世界を前提とするならば、仏教も必要ないでしょう。ところが人間は言語
を有し、言語によって社会を形作ってきたわけでしょう。縁起も空もそのよう
な前提となる社会があり、そこに生きる人間があってはじめて意味があるので
しょう。「その縁起だとか空って奴は言葉に依存していては捉えられないでし
ょ」ではなくて、そもそも縁起も空も言語ある世界を前提としているのではな
いですか? あなたのいうように言葉に依存しない「空」を想定するというこ
とは、「空」の実体視に繋がりませんか? 空といえども関係性の中で読み解
かれるべきではないのですか? 空というのは言語の限界の果てに立ち現れて
いる状態なのであって、言語なくしては立ち現れようがないのではないです
か? 仮としての言葉なくして空を知ることなどできるでしょうか。

580 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/21 20:22 ID:???
>>573
> なぜ?そこまで親切にするの?
別に親切にしてないよ。

>それだけ弱いということでは?
どうかな?
本人に聞いてみよう。
どうですか?>Sbさん

>>575
創価学会が嫌いでここに来てる。
あなたにレスしたのは、学会員に感じる嫌悪感と同じものをあなたに感じたから。
悟りなどに興味はない。

581 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/21 22:42 ID:???
再スタートをきったコミック誌に連載のマンガに興味深いものがあった。
ソウカに対する嫌悪感とはこのマンガに描かれている
母親の描写に対する感情に似ている。

582 :今井 英二:04/04/21 22:54 ID:R5/FjKNU
ブッタを汚すな邪教が!

583 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/21 23:22 ID:???
ブッタじゃなくブッダ

584 :Sb ◆SbSGI7AtEA :04/04/22 02:45 ID:2CAHFiG/
>>579 >>乾さん
馬鹿になどしてるわけないじゃないですか

世界は言語によって存在しているわけではないですよね
社会を構成するファクターのひとつです

空は実態視さえもできないのではないでしょうか
説明することができないのです。

>>空というのは言語の限界の果てに立ち現れている状態なのであって、
限界の果てにあるとわかっているのでしょう
表現できてこそ言葉です
言葉の限界の果ては思考での不確定原理が働いてしまう
どんなことが書かれていても、主体は読む側だけ
読む側によって変わってしまう

空は表現できないものに便宜的に被せている語に過ぎません
言葉によって知った空は空のすべてなのでしょうか
密教的な方法を使うなら、曼荼羅を言葉で表現できましょうか



585 :Sb ◆SbSGI7AtEA :04/04/22 02:53 ID:2CAHFiG/
>>568 つづき
>>言葉で語る仏教を軽蔑し、見下す。そして自分たちだけが真の悟りを知っているとのたまう。
言葉だけで語れば片手落ち、言葉で語れないものもあっての仏教
言葉で語れないものを軽蔑しているのでは?

己の悟りは己のもの、己のなかでは真の悟り
あなたの悟りはあなたのもの、あなたのなかでは真の悟り
どちらも真、優劣などなし

586 :乾闥婆:04/04/23 00:24 ID:???
>>584
Sbさん。
>馬鹿になどしてるわけないじゃないですか

自覚がないのですか。自分だけが真理を知っていて私たちにその正解を教えて
やっている、そういった匂いがしています。

>世界は言語によって存在しているわけではないですよね
社会を構成するファクターのひとつです

人間が形成する社会という世界はほぼ言語によって成立しているでしょう。
「社会を構成するファクターのひとつ」どころではなく社会そのものでしょう。
言語がない状態を想像してみて下さい。人間の文明・社会はそもそもありえた
でしょうか。

>空は実態視さえもできないのではないでしょうか
説明することができないのです。

そうであるならば空といえどもやはり関係性の中で捉えるべきではないでしょ
うか。空といえども我々の日常的な言語活動と無縁にあるわけではないのでし
ょう。無縁であるならば、我々の関係性を超越した存在、つまり縁起を離れた
実体としての存在形態を認めることになりはしませんか。関係性の中にあるの
か、関係を超越したところにあるのか、関係を超越しているというならば、そ
の有りようはどのように我々に明らかになるのか、ならないのならどうして空
性などということが言えるのか、結局言葉で語れない超越的存在を認めてしま
うというところに落ちてくるのではないですか? 私はあくまで関係性の中で
読み解くべきことであると考えます。

587 :乾闥婆:04/04/23 00:26 ID:???
>>584(続き)
>空は表現できないものに便宜的に被せている語に過ぎません

言葉というものはそういうものですからね。そしてそのような仮としての言語
を駆使することによって人間は認識を深めてゆくのですね。

>言葉によって知った空は空のすべてなのでしょうか

空の一部であったり空のすべてであったりするものを私は空に想定しません。

>密教的な方法を使うなら、曼荼羅を言葉で表現できましょうか

曼荼羅は「言語」でしょう。日蓮の曼荼羅はまさに文字曼荼羅であるし、胎臓
界曼荼羅や金剛曼荼羅もまた、図像という記号であらわされているのですから、
「言語」といってよいでしょう。

588 :乾闥婆:04/04/23 00:27 ID:???
>>585
>言葉で語れないものを軽蔑しているのでは?

「言葉で語れないもの」をどのように軽蔑していいのかさっぱりわかりません。
私が軽蔑しているのは、あなたの態度です。自分だけが仏教の真理を知ってお
り、言葉で仏教を語り合っている人たちを軽蔑し、その内容を問い詰めると言
葉では言い表せないといい、だったら黙っていれば、といっても、人を見下す
言葉だけは慎もうともしない。そのようなあなたの態度を軽蔑しているのです。

>己の悟りは己のもの、己のなかでは真の悟り
あなたの悟りはあなたのもの、あなたのなかでは真の悟り
どちらも真、優劣などなし

でしたら言葉で仏教を語ることに対する軽蔑をやめて頂けますか。

589 :乾闥婆:04/04/23 00:34 ID:???
>>587
胎臓界曼荼羅 × → 胎蔵曼荼羅 ○
金剛曼荼羅 × → 金剛界曼荼羅 ○

590 :Sb ◆SbSGI7AtEA :04/04/23 01:55 ID:vN/OOA+Z
>>586 >>乾さん
>>自覚がないのですか。
乾さんの考えが合っていると思ったから書いたのです。
あなたも正解を持っていると思ったから書いたのです。

>>人間が形成する社会という世界はほぼ言語によって成立しているでしょう。
匂い、音、香り、色、触
の音の一部でしかないのではないですか?
確かに、非常に重要なものです
でも、匂い、音、香り、色、触を正確に伝えることはできません

>>そうであるならば空といえどもやはり・・・
色即是空 空即是色 色不異空 空不異色
でいいではないですか
超越的でないし、超越している、でいいではないですか
関係がないし、関係している、でいいではないですか

591 :Sb ◆SbSGI7AtEA :04/04/23 01:57 ID:vN/OOA+Z
>>587 >>乾さん
仮の語であって、そのものの説明とはなっていないでは
共通の意味を捉えることはできませんよね

>>空の一部であったり空のすべてであったりするものを私は空に想定しません。
共通の意味を捉えていないのですから、
受け取ったほうが、一部を空と想定することもありますよね
また、言葉の限界の果てなのですから
一部しか伝えることはできてませんよね

>>曼荼羅は「言語」でしょう。・・・
いくらなんでも乱暴すぎますよ
言葉としてならないから、五感で感じるために曼荼羅はあるのですから


592 :Sb ◆SbSGI7AtEA :04/04/23 02:22 ID:vN/OOA+Z
>>588 >>乾さん
私は自分の仏法の真理は知っていますが、
それが遍く真理だとは思っていません。

言葉だけで仏教を語るということには軽蔑しますが
言葉で仏教を語ることは軽蔑していません。

593 :お邪魔します復活!! ◆nH2G.RjIE2 :04/04/23 11:24 ID:DP0Stk12
 乾さん
>人間の思考は言語に依存している、
そして言語は固定的実体ではない、だから人間の思考、ひいては人間存在もま
た実体視できない、それを縁起とも空ともいうのではないでしょうか。
 
 せっかくここまで来たのに、もったいない。「有」を考えてと言うのは、この世
に有るモノはすべて「縁起」の法に依っていることだよ。

>では心の病を抱えている人は「いない」とでも言うのです
か? 環境破壊は起こって「いない」とでも言うのですか? 社会から疎外さ
れている人は「いない」とでも言うのですか?

 心の病、環境破壊、社会からの疎外等、全てのモノそれ自体で自立しているので
は無く、それを作り出している要素の集まりなんだよ。だから、モノを構成している要素、要因を変えることが出来れば、その要素、要因で出来ているモノも変わる
と言うことさ。このことを正しく見るためには、自分と言うモノから離れることが必要なんだよ。

 それから言葉で全てを言い表せるとは、考えないこと。中村元さんや紀野一義さんによると、「色 受 想 行 識」の「行」にあたる日本語(やまとことば)は、無いと言っている。



594 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/23 12:45 ID:pRWEZBPw
創価学会では曼荼羅を五感で感じるために君煮が推奨されている。
池田大作先生は実践の第一人者。

595 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/23 18:20 ID:???
>>593
これほど、性格のいやらしい人は見たことがない。
いいがかりも入ってるし…。

596 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/23 20:14 ID:???
>>595
>見たことがない。
それはすごいね。

ところであなたは何が気になっているの?
私にはあなたが親切すぎるようにしか見えないんです。
悟りに興味がないのでしょ?
何が知りたくてこのスレにカキコしているの?
よかったら教えてください。

597 :乾闥婆:04/04/23 21:42 ID:???
>>590
Sbさん。
>匂い、音、香り、色、触
の音の一部でしかないのではないですか?

言葉は概念です。

>でも、匂い、音、香り、色、触を正確に伝えることはできません

言語による分節化作業がなければそれらの概念自体が成立しません。概念はな
くとも「そのもの」はあるとあなたは言いそうですが、概念化されず、分節化
されない「そのもの」は人間の認識外の事象であり、人間社会を構成する要素
とはならないでしょう。

>色即是空 空即是色 色不異空 空不異色
でいいではないですか

もちろんそれでいいのです。しかしあなたの態度を見ていると「色即是空」ば
かりで「空即是色」が落ちているように見えるのです。だから空を超越的に捉
えているように見えるし、実体視もしているように見えるのです。

598 :乾闥婆:04/04/23 21:46 ID:???
>>591
>仮の語であって、そのものの説明とはなっていないでは
共通の意味を捉えることはできませんよね

説明とは仮(け)としての語による以外ないでしょう。語によらない「説明」
などありますか? 第一「そのもの」など説明する必要はないのですよ。「そ
のもの」があるなどという考え方こそ空に反しませんか? 言語がはらむ多義
性は当たり前の話であり、それらを駆使して間主観的に共通認識を探ってゆく
以外に、「共通の意味」を捉える可能性などないでしょう。

>共通の意味を捉えていないのですから、
受け取ったほうが、一部を空と想定することもありますよね
また、言葉の限界の果てなのですから
一部しか伝えることはできてませんよね

空に一部であるとか全体であるとかを想定するあなたの態度が、よくわかりま
せん。空とは全体像があったり一部の部分があったりするものではないでしょ
う。そういう言い方をするから空を実体視しているのだろう、と私は指摘した
のです。

>いくらなんでも乱暴すぎますよ
言葉としてならないから、五感で感じるために曼荼羅はあるのですから

あなたがそう感じるのは言語というものをなめているからです。言語は記号で
す。曼荼羅もまた表象機能を持った記号でしょう。それぞれの経典の図像化で
あるのでしょう。日蓮の曼荼羅に向かいあったことはありますか? それは法
華経という言語世界への参入です。

599 :波木井坊竜尊@日蓮宗葵講@名前だけ仏所 ◆IByKs72gR2 :04/04/23 21:46 ID:oi23jLyi
空は空だよ。(藁)

まだ実存主義的に見ちゃう奴がいるからなぁ。

600 :乾闥婆:04/04/23 21:47 ID:???
>>592
>言葉だけで仏教を語るということには軽蔑しますが
言葉で仏教を語ることは軽蔑していません。

わかりました。ではその<言葉>を信じましょう。

601 :乾闥婆:04/04/23 21:48 ID:???
>>593
お邪魔しますさん。
>せっかくここまで来たのに、もったいない。

なにを言っているのかわかりません。何がもったいないのですか。

>「有」を考えてと言うのは、この世に有るモノはすべて「縁起」の法に依っていることだよ。

私がいつそうではないと言いましたか?

>心の病、環境破壊、社会からの疎外等、全てのモノそれ自体で自立しているのでは無く、それを作り出している要素の集まりなんだよ。

私がいつそうではないと言いましたか?

>だから、モノを構成している要素、要因を変えることが出来れば、その要素、要因で出来ているモノも変わると言うことさ。

それはそれは、よかったですね。

>このことを正しく見るためには、自分と言うモノから離れることが必要なんだよ。

それはそれは。では、どうぞ、そうして下さい。

>それから言葉で全てを言い表せるとは、考えないこと。

考えていませんが。いつ考えていると言いましたか?

>中村元さんや紀野一義さんによると、「色 受 想 行 識」の「行」にあたる日本語(やまとことば)は、無いと言っている。

それはそれは。

602 :Sb ◆SbSGI7AtEA :04/04/23 23:07 ID:vN/OOA+Z
>>598 >>乾さん
>>そのもの」があるなどという考え方こそ空に反しませんか?
言葉というのは「そのもの」を共通認識するために
説明が付随する冠を「そのもの」に当てはめて始めて作用するのではないでしょうか
だから、言葉にしてしまうと、空は空に反してしまう

「空」を言葉だけで扱おうとすると、
空の一部しか伝えられないし、伝わらない
それは私が想定するという問題ではなく
言葉で「空」を安易に扱うとそうなってしまう、
と思うのです
そして、「空」などは一部分では「空」足りえず
まったく違うものが伝わってしまう

言葉にすると逃げてしまうということなのです

じゃあ、どうするか、それが難しいのです

>>それぞれの経典の図像化であるのでしょう。
それは大きな間違いです
経典では表現できない教えそのものです
それは日蓮さんの教えですか?

603 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/24 00:04 ID:???
>>596
>ところであなたは何が気になっているの?
不誠実な人を見ると、ついがまんができなくなるんです。

>私にはあなたが親切すぎるようにしか見えないんです。
それ皮肉ですよねw?

>悟りに興味がないのでしょ?
そもそも悟りがどういうものかまるでわからないので、興味もありません。

>何が知りたくてこのスレにカキコしているの?
Sbさんには学会員と同じような高圧的なものを強く感じましたね。
折伏と同じ、親切の押し売りのような感じ。
そして、お邪魔しますさんには、「創価学会を攻撃するのなら、仏教の教えにのっとって
もっと 理論的に攻撃しろ、ボケッ!!」と思いました。
そうじゃないと、学会員と同レベルに成り下がってしまう。
ま、もともとお邪魔しますさんは、仏教の初心者である俺から見てもかなり低レベルですが…。
また、おふたりは人を見下しているようなことろがあったから、それもがまんできませんでしたね。
これでは一般的な学会員と一緒です。
要するに、やるなら筋を通せということが言いたかったんです。
だから、書いたんですよ。
がまんできず熱くなり、汚い言葉を使う俺自身が一番仏教徒失格なんでしょうけど…。

604 :乾闥婆:04/04/24 00:34 ID:???
>>602
Sbさん。
>言葉というのは「そのもの」を共通認識するために
説明が付随する冠を「そのもの」に当てはめて始めて作用するのではないでしょうか

逆だと思います。言葉による分節化があってはじめて、ものは認識される客体
となれるのではないでしょうか。分節化がなされる前の事象というものは、そ
もそも「そのもの」として特定できる概念が形成されていないと思います。

>だから、言葉にしてしまうと、空は空に反してしまう

そこが違うと思うのです。それでは空というものが自立的に存在してしまいま
す。そうではなくてあくまで関係性の中でしか空とは浮かび上がってこないの
だと思うのです。言語を突き詰めたときにでてくる限界、そこにしか立ち現れ
ないと思うのです。私は学者ではありませんので、うまく説明できないのです
が、龍樹が『中論』で行っている作業などを想定して言っているつもりです。

>そして、「空」などは一部分では「空」足りえず
まったく違うものが伝わってしまう

というよりも、空に一部だとかすべてだとかはないのではないですか。言葉が
<空>「そのもの」を表現できないのは当たり前ですが、それは言葉が<甘い
>「そのもの」や<赤い>「そのもの」を表現できないのと同じことでしょう。
それらはそもそも概念であるのですから。そういう言い方をすれば言葉は何も
表現できないことになります。しかし言葉は多くのことを実際は表現し、それ
によって我々は会話もし社会は形成され生活していけるのです。

605 :乾闥婆:04/04/24 00:35 ID:???
>>602(続き)
>言葉にすると逃げてしまうということなのです

それは「そのもの」を表現しようとするからです。そのような「そのもの」は
ないと思った方がよいのです。諸関係の中において認識されるべきだし、そこ
では言葉が重要な役割を演ずるのだと思います。

>それは大きな間違いです
経典では表現できない教えそのものです
それは日蓮さんの教えですか?

確かに経典の表現とは違う表現でしょうが、経典に基づいた表現であることは
間違いないでしょう。日蓮の曼荼羅はどう見ても法華経の中心的な舞台である
虚空会の儀式です。日蓮自身は曼荼羅本尊をもっと主体的に情熱的に語ります
が、それは彼が法華経を身を以て生きたという深い自覚に根ざして顕わしたも
のだからでしょう。彼の曼荼羅は彼の命、その信仰、そのもの、であるのだと
思います。そういう意味では確かに記号であると言ってしまうのは、信仰の部
分を捨象してしまう嫌いがありますね。撤回しましょう。

606 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/24 07:57 ID:???
>>603
>それ皮肉ですよねw?
違います。皮肉で言ったんじゃないけど、
#なんて言ったらいいのかわからないゴメン。

レスをありがとうございました。

607 :お邪魔します復活!! ◆nH2G.RjIE2 :04/04/24 09:58 ID:6AbyP1Uv
>>603さんへ

>お邪魔しますさんには、「創価学会を攻撃するのなら、仏教の教えにのっとって
もっと 理論的に攻撃しろ、ボケッ!!」と思いました。

 学会に対しては、教えの内容で一応仏教の形を取っているが、
「学会の教えが唯一正しい仏法である」
と主張し、その考えを「絶対正しい」として他宗を攻撃し、他人に対ししつこく押し
付けている。

 釈迦の教えは万物は縁起の法により成立しており、それ自体で独立して存在して
いるモノは無いと言うこと。

 「学会の絶対正しい」と主張している根拠は、天台の五時八経、五重の相対、三
証、四重荒廃、五重三段、宗教の五綱、等がある。逆に言えば、これらの理論な
しに、「学会の教えの正しさ」は成立しない。他のモノとの相対的な比較により、
自宗がすぐれていると主張するのは構わない。ただし「唯一」とか「絶対」とか付
けて押し付けてくることに、私は嫌悪感を抱いている。またそのような主張をする
学会に対して、仏教の根本教義である「縁起」を理解しておらず、そのような教えは
いくら仏教用語を使用し、仏典の一つである「法華経」を根本としていても、仏教の
一派としては、認めたくない。

 これが私の主張です。



608 :Sb ◆SbSGI7AtEA :04/04/24 12:02 ID:SNG4XyEs
>>604 >>乾さん
>>逆だと思います。・・・
そうですかねぇ、んー、言葉がなくても、認識はしているんじゃないでしょうか
だけど、他人と共通認識するために言葉というものは用いられるのだと思いますよ

>>そこが違うと思うのです・・・
空は自立的に存在してないし、そういうものではないのですが
言葉として用いると、存在しているかのようになってしまうのです
そして、そのまま用いれば、違うものを扱うことになる
それを避ける為に、言葉から離れるということも必要となると思うのです。

>>というよりも、空に一部・・・
ないのですよ、だから、言葉を安易に用いれないのです
それに「空」は五感でも捉える事は出来ないですよね
でも、そもそも世界は「空」であり「色」である

>>諸関係の中において・・・
関係性を突き放すのも方法のひとつだと思います。

曼荼羅は記号としてとらえるにはあまりにも情報が多すぎる
日蓮さんの曼荼羅は見たことありませんが
東寺の両界曼荼羅は見ましたよ
世界そのものでしたね

んー、やっぱり、書くことをはじかれます
自分から出てくるものは一部でしかない
独り言です

609 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/24 20:52 ID:3D21QHCA
The Buddhist Scholars Information Network (H-Buddhism)
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610 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/24 23:22 ID:???



611 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/25 09:08 ID:???
つまらんツッコみですまねっす。
>>608 Sbさん
>曼荼羅は記号としてとらえるにはあまりにも情報が多すぎる
>日蓮さんの曼荼羅は見たことありませんが
>東寺の両界曼荼羅は見ましたよ
>世界そのものでしたね
密教の曼荼羅はそれで良いと思うんだけどね。元々古ヴェーダ神話に
出てくる神々のパンテオンだからさ。でもって儀式につかうアイテムでも
あるわけで、それを見ている人がその世界に没入する為のきっかけに
なればそれでいい(とオレは思う)。

けど蓮師の描いた曼荼羅は。。。。どう言うんだろうなぁ?
富士門系の教義じゃああれ自体が伏し拝む対象になっちゃってるしなぁ。
同列に語って良い物なのかどうか?
富士大石寺に至っちゃ、それを殆ど人目に晒さず、たまーーーーに公開して
客寄せ興行の一つと割り切ってるような感があるし。
学会が配布してるアレは幸福製造装置だっけな?

#スレと無関係な話でそーりー。続けて下さい。


612 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/25 12:39 ID:???
「創価学会の自分とこ優越性主張」ってのは、「おれんところはお題目で人間を解放
して新しくすばらしい人間にする力があるところだ」てな言い方でされる場合もある。
これは「仏教」用語なしに「一般理論」として自分のところが「すばらしいんだ」→
「だから絶対なんだ」て主張だね。

だが「すばらしい」→「だから絶対なんだ」→「おれの言うとおりにしないとひどい目
に遭うんだぞ」→「仏罰だ」→「言うことを聞くか?」→「よおしそれならも舞いは
これから俺の言うとおりにやって他人を連れて来い」→「そうすればモマいには福運が
ある」→「このサイクルを回せばそれが正義だ」→「さあこれで俺の天下だわ」(ビケダ)
となるのが創価学会だった。

これにすがると時として願いがかなうことがあると思い込むことはできる。
そうすると人は幸せになると思い込むことが幸せなのだと思い込むことになる。
すると人は確かに幸せになることがある。で、それで世の中が悪くなることもある。

ということだな。

613 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/25 12:46 ID:???
自分の願望がかなうということが悪いことだとは必ずしも言えない。
それが正義であることがしばしばある。悪党は悪党だといわなければなら
ないことも多いのも事実。

3人も閣僚が年金を払わないで年金法案を通そうとしているのは明らかに追求
されなければならない。公明党は自民党のこの不始末に責任がある。

正義を振りかざすのなら正義を実行しろ。閣僚辞任を勧告しろ。やれるもんなら
やってみろ。

614 :乾闥婆:04/04/25 19:16 ID:???
>>608
Sbさん。
>言葉がなくても、認識はしているんじゃないでしょうか

言葉とは物事にただ名札を張るだけのものではないでしょう。例えば赤いリン
ゴがあるとしましょう。リンゴという名を奪いその属性を奪ったとしましょう。
人間は赤くて丸いものと認識するでしょう。次に赤いという名とその属性を奪
ったとしましょう。人間は丸いものと認識するでしょう。では丸いという名と
属性を奪ったとしましょう。人間は何を認識しますでしょうか? 言葉とはた
だの名札ではないのです。名とその属性とはセットなのです。

>言葉として用いると、存在しているかのようになってしまうのです

語は仮(け)です。そのことを知らずに用いればあたかも言葉ですべてが説明
できるかのような錯覚に陥るでしょう。そのことを知っていればよいのです。

>ないのですよ、だから、言葉を安易に用いれないのです

安易に用いろとはいいません。しかし言葉では語れない何か、という存在を認
めてしまう危険性は避けなければならないと考えます。

>関係性を突き放すのも方法のひとつだと思います。

それを私は超越的存在を認めてしまいかねない態度ではないかといったのです。
関係性の外に何かがあっては縁起の理法に反しませんか。

>世界そのものでしたね

私は以前「言語とは世界だ」と極論してみました。私の言語に対する態度から
いえばやはり曼荼羅は言語です。それは言語に対する態度の、あなたと私の違
いなのでしょう。

615 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/25 21:21 ID:???
>>614
あのブツ理だけどさ。乾さん、あんたがSbの嫌らしいところは認めるさ。あいつは
ちょっと鼻持ちならんところがあるのは確か。ここでは他にねこちゃんも言ってた
でしょ。おりゃもあいつにはちゃんんと「モ舞いはここで禅問答をやるなよ」「モ舞い
が威張ってるだけにか映らんのだぜ」「ええかげんにしろやこら」ちゅうて聡して
やったことも1回や2回じゃない。

確かに春田の蛙はんも言うておったようにだ、禅者はこういう手合いになるとただ
厄介もんてだけにはなる。そら鼻持ちならんもんだな。だからいくらか言うてやったら
少し塩らしくしておったこともあったよな。モ舞いの「禅悟り気取りなんぞ創価学会員
の題目狂いから言わせれば"なんの役にもたたん力のないものだよ""無意味な悟りなんか
に用はない"と言われて馬鹿にされておわりになるようなもんにしか映らんだろ、そんな
やり方で創価学会員に何かインパクトのある内容が伝わるのか?と言ったときだが、
覚えているよな>なSb。

創価学会員におまえが正論だと思っているその禅気取りは通じんだろうよ。イまでもナ。
乾さんはもう言葉の本来の意味では創価学会員ではないわけだからこれは乾さんに関して
言ってることじゃないが、こういう言葉で何かを伝えるべきネットの環境で禅問答には
あくまでも限界があるってことは少しは頭の片隅に置いてからものを言えよ>Sb。



616 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/25 21:34 ID:???
池田大作の威張っているところは「おれは人間革命を指揮したんだ」「これで大勢の
人間が革命できたんだ」「これはおれがやったんだ」「だからおれはえらいんだ」て
ないいかたなんだが、人間革命ってことに奴と創価学会の価値基準がある。

ここにメスを入れた議論をしてみろや>ここの住人どもよ。

人間革命は是か非か。また人間革命とは何か?その創価学会流のそれとは何か?
創価学会流でな人間革命とは何か?そういうものがあるのならそれについても
語ってみろ。他の宗教での人間革命ってのがあるのならそれはどういうものになる
のか?それともこれは創価学会だけの専売特許なのか?だから創価学会の人間革命
ってもんは本当には「すばらしい(?)ものなのか、それとも全然そうじゃないと
いえる」のかどうかについても語ってみろ。連中は生き生きとなってこころが意気
揚々となるどうにも幸せな雰囲気になるすばらしいもんだと主張してやまないぞ。

そういう連中からすると禅はあまり魅力など全然ないということにもなりそうだぞ。
さあどうする、禅よ。なんとかいってみろ。>禅(ておれは別に創価じゃないがな)
話を変えてやらないとこの不毛なやり取りが収束しそうもないからな。創価学会員に
届く話題にしろや>Sb、乾さん、モ邪魔します、な。

617 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/25 21:36 ID:???
>>616 おっと訂正すまそ。
>創価学会流でな人間革命  ×
>創価学会流でない人間革命 ○


618 :お邪魔します復活!! ◆nH2G.RjIE2 :04/04/26 01:45 ID:jVs+U9Yg
Sbさん、結局「色 受 想 行 識」、「無明 行 識 名色 ..... 」の「識」の
所で行き詰まってしました。「識」に至る前の状態を、どう説明すれば分かってもらえ
るのだろう。

 私は世の中の混乱の素は「識」に有ると思っている。そして学会は「識」にこだわり
過ぎているから、いろいろ問題を起こしていると見ているが。

わたしのさとったこの真理は深遠で、見難く、難解で、‥‥思考の域を越えていて、微妙で、賢
   者のみよく知るところである。‥‥‥わたしが教えを説いたとしても、もし他の人々が理解して
   くれなければ、わたしには疲労があるだけである。わたしにはわずらいがあるだけである。
   (相応部6・1、南伝12・)



619 :お邪魔します復活!! ◆nH2G.RjIE2 :04/04/26 10:06 ID:tDT2peTb
>>614
>リンゴという名を奪いその属性を奪ったとしましょう。
人間は赤くて丸いものと認識するでしょう。次に赤いという名とその属性を奪
ったとしましょう。人間は丸いものと認識するでしょう。では丸いという名と
属性を奪ったとしましょう。人間は何を認識しますでしょうか? 言葉とはた
だの名札ではないのです。名とその属性とはセットなのです。

自分で言葉とは記号であると言っていなかったっけ。リンゴは自分がリンゴとか
丸いとか赤いとは言っていないよ。属性が有るとも言っていない。

 ただあるだけ。

それにいろいろなモノをくっつけているのは、人間の勝手さなんだよ。

「依正不二」と言いながら
>では心の病を抱えている人は「いない」とでも言うのです
か? 環境破壊は起こって「いない」とでも言うのですか? 社会から疎外さ
れている人は「いない」とでも言うのですか?

と言うように、自分と外界とを分けていないか?。

620 :乾闥婆:04/04/26 20:24 ID:???
>>619
お邪魔しますさん。
>自分で言葉とは記号であると言っていなかったっけ。

はあ? 記号には属性がないとでも? それに記号は言葉の上位概念でしょう。

>リンゴは自分がリンゴとか丸いとか赤いとは言っていないよ。属性が有るとも言っていない。

当たり前でしょう? リンゴは言語を有していますか?

>それにいろいろなモノをくっつけているのは、人間の勝手さなんだよ。

人間の認識の話をしているのでしょう。勝手であるとか勝手でないとかの話は
何もしていませんが。

>と言うように、自分と外界とを分けていないか?。

また同じ説明をしなければいけないのですか? 以前の私が書いた文章をもう
一度読み直して下さい。

ブツ理さん。Sbさんはまだ話ができますよ。このお邪魔しますさんの方が重
症だと思いますがね。

621 :Sb ◆SbSGI7AtEA :04/04/27 17:40 ID:QCPXUgC/
>>615
私がやっているのはひとつの方法だよ
当てはまる人もいるだろうし、そうでない人もいるだろう
脳の作用がもたらすものと、仏教とはあんまり関係がないと思うよ
ま、自由だけどね

622 :Sb ◆SbSGI7AtEA :04/04/27 18:40 ID:QCPXUgC/
>>614 >>乾さん
記憶は全て言葉として記憶されているんでしょうかね
わたしは、たぶん、ああいう形で、ああいう色で、ああいう味で、
ああいう食感で、ああいう匂いで、ああいう触感で、ああいう音がするし
ああなっている
とああいうものを認識し記憶しているのだと思います。
自分の中では、全てああいうでも区別はついているのだと思います
でも、それじゃ人に伝えられない
だから、言葉を使う、そんで、便利だから、記憶にも言葉を用いる
なのだと思います。

>>語は仮(け)です。・・・
私もそう思います。

>>しかし言葉では語れない・・・
あるのですから、認めてもいいと思うのですが
つまり、それが、何か特別なもので、絶対なものと勘違いしてしまう人がいるので
気をつけなければいけないのでしょうか
わからないものをオカルト化するのは・・・
オカルトは隠されたものって意味だから・・・
オカルトは今ほとんどの人が持っている認識でのオカルトと採られてしまうから
語らないほうが良いというわけでしょうか

>>私は以前「言語とは世界だ」と・・・
そうだと思います。
で、それでいいのだと思います。


623 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/28 20:25 ID:???
基本からよろ。

624 :お邪魔します復活!! ◆nH2G.RjIE2 :04/04/30 05:09 ID:cFwTuPM1
 キリスト教やイスラム教などにおいては 「神」と言う絶対者を立て、
その絶対者の決めた戒律を守ることが「救われる」事の前提になっている。
 仏教においては全ては変化し消滅するモノであるので西洋の「神」に
あたる絶対者的な存在を立て、それに頼ることで「救われる」と言う考え
は採らない。

 学会の教えによると、日蓮が仏教に入ってから持った疑問の一つに

大聖人が次のような疑問を抱かれていたからであると諸御書から推定できます。
 「承久の乱」(1221年)で、朝廷側が天台真言の秘法によって勝利を祈っ
たにもかかわらず、惨敗したのはなぜか」「仏教は釈尊一仏が説いた教えである
のに、なぜ各宗派に分かれて争うのか」「自分の父母等も信ずる念仏の行者が臨
終(りんじゅう)の時に狂乱、悪相の姿を現ずるのはなぜか」
 要するに民衆を救い、社会の安定を実現するために、仏法は本当に力を発揮で
きるのかという疑問であり、民衆と社会を救う智者になりたいというのが、幼少
の大聖人の願いだったのです。そこで大聖人は、仏法を究(きわ)めるために出
家を決意します。
17歳のころに「一切経を見候いしかば八宗並びに一切経の勝劣粗是(ほぼこれ)
を知りぬ」(同893ページ)とも述べられているように、一切経の勝劣を知りう
る智慧、すなわち、全仏法の根底と言うべき仏の悟りの法である「妙法」の智慧を
得られたのです。
 

625 :お邪魔します復活!! ◆nH2G.RjIE2 :04/04/30 05:10 ID:cFwTuPM1
前の文は創価学会のホームページから持ってきました。私が創価学会に
対してどうしても納得のいかない点は

一切経の勝劣を知りうる智慧、すなわち、全仏法の根底と言うべき仏の悟りの法である「妙法」の智慧を得られたのです。

「一切経の勝劣を知りうる智慧」が仏の「悟り」か?。
「無我(空)」とは、何事、何ものにおいても常に変化し、恒常不変な
モノは無いと言うことだし、「縁起」とはお互いにモノは依存し合うこ
とにより存在することだし、「中道」とは一方に偏らない(勝劣等、白
黒をはっきりつけない、つまり分別しない)事だと思うが。

 学会の教えは「妙法」とに依り分別され、「勝れた」た経典に頼ること
で「救われる」と言う考えではないのか。これでは一番上に上げたキリス
ト教の「聖書」、イスラム教の「コーラン」の教えを守るという考えと一
緒ではないか。

626 :お邪魔します復活!! ◆nH2G.RjIE2 :04/04/30 05:20 ID:cFwTuPM1
 この様な一神教的な考えによる「救い」とは、絶対者の教えと一体になる
ことです。学会員にとっては、法華経の学会的解釈と一体となって実践する
ことが「救い」になる。たとえそれがどのような解釈であっても。

627 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/30 05:41 ID:???
なるほど。
学会の現状は、法華経を解釈してくれる人(=絶対者的な存在)を立てて、
師弟不二とか言ってその人に頼ることで「救われる」となるわけですね。
それじゃあ結局、イスラムやキリストの一神教と構図は一緒じゃん。


628 :正統な正信会:04/04/30 14:48 ID:tTRWwO1y
池田氏との師弟不二が学会で日顕氏と師弟不二が阿部宗門派。浅井氏とが顕正会で、規模は小さくなって住職と師弟を結ぶのが正信会。これを本来の大聖人様との正しい師弟に戻そうというのが私たち本流です。
http://www.buppou.com

629 :乾闥婆:04/04/30 21:11 ID:???
>>622
Sbさん。
>記憶は全て言葉として記憶されているんでしょうかね

言葉とその属性とは分離不可能であるということをいいたいのですが、水掛け
論になりそうなのでもうやめます。ただ、ソシュール言語学の入門書などを読
んでみられることをお勧めします。

>あるのですから、認めてもいいと思うのですが

縁起・空を強調されるのであるならば、語り得ぬなにかの実在を認めてしまう
ことは論理矛盾ではないかといいたかっただけです。私自身はむしろ空の延長
としての仏性論などに親しみを覚えるので、あまりこだわりません。

それではまた。

630 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/30 22:41 ID:???
>>624
>>625
>>626
>「勝れた」た経典に頼ることで「救われる」と言う考えではないのか。

おっしゃる意味での”頼る”って考え自体が、大聖人の仏法にはない。
五重の相対ってやつを見ると

”頼る”のは、外道だそうで・・・・
もう少し広範囲に”頼る”を考えてみても、せいぜい権大乗経まで
存在しない仏”たとえば阿弥陀如来”を信奉するから広く言えば ”頼る” かな

大聖人の仏法は、引き出す、思い出す、知恵を出す。うまくいえないけど
自分の力を高めるってことそのための方法が・・・・・・・・・ってことだと思うけど


どう?



631 : :04/04/30 23:50 ID:???
>>435
見落としていた。すまん。>>467と、下を。

>>468
仏教は、厳格ではない宗派もあるから一概には言えないと思う。
むしろ禅の師化などの「弟子を指導する資格」としての僧の資格は、
仏教の枠組みを逸脱しない保障と考えた方が理解しやすいかもしれない。
仏教の基本的思考を身に付けているということで、
独自の経典解釈と言えども、仏教の枠組みを逸脱しないのだから、
その意味では、確かに仏教だろう。
禅では、師を批判するのは当たり前といえば当たり前なんで。

それに資格を得た後で「どんな信仰を唱えても」と言っても、
それは、まず有り得ないでしょう。
一応、覚ったことになっているので。

>池田は「血脈」を「勝手に唱えられる血脈」を主張したということですね

池田は、仏教ではないよ。
上記の意味において、池田は麻原同様に、勝手に言っているだけだから。
自分独自の解釈が許されるのは、僧の資格を持つものだけだ。

632 : :04/05/01 00:11 ID:???
>>616
「創価の体験談=人間革命の結果」だが、
そうすると人間革命=現世利益となる。
しかし仏教は、現世利益の実現なんてのとは無関係。
別に言い方をすれば、人間革命は、覚り・成仏ではない。

創価は、仏教を装った自己開発セミナーだよ。
既に法華経の解釈そのものが、私的解釈に陥っているから。
本部の指導者レベルでも、西洋哲学を引用して解説してるくらい。
末端レベルはされに悲惨で、自分でもわかっていないのに、
わかった振りをして教えなければならない。
だから教学試験を通じて、マニュアルを叩き込んでいる。

633 : :04/05/01 00:33 ID:???
>>625
勝劣というのは、日蓮宗では、法華経が最重要な教えであって、
他は、比較して重要ではないという程度。
語弊を恐れずに言えば、釈尊は、例え話を多く交えて説き、
最後に法華経で、例え話を最小限に抑えて説いた。
つまり法華経は、無駄な例え話が最も少なく、
哲学的思考で説かれた核となる経であるから重要だということ。
こんな感じで理解されている。

>一切経の勝劣を知りうる智慧、すなわち、全仏法の根底と言うべき
>仏の悟りの法である「妙法」の智慧を得られたのです。

天台教学を学び、天台教学こそが正しいのだと確信したというだけ。
哲学的素養があれば、凡夫でも理解できる程度のもの。
良し悪しの問題ではなく、天台教学って凄いってことだから。
悟りは、この先にある。
創価が特殊で、底が浅いことの証拠の一つだろうね。
何故なら、創価では、天台教学を日蓮流に解釈することが、
覚ること、成仏すること、ということだから。

634 :お邪魔します復活!! ◆nH2G.RjIE2 :04/05/01 18:17 ID:TpWvquKS
>>630さんへ
大聖人の仏法は、引き出す、思い出す、知恵を出す。うまくいえないけど
自分の力を高めるってことそのための方法が・・・・・・・・・ってことだと思うけど

学会ではこのことを「湧現」と言う言葉で説明しています。

大聖人は、法華経に説かれている通りに、数々の大難を受け、そのすべてに耐え抜き、
民衆救済の振る舞いに徹し抜かれた勝利の姿をもって、一人の人間が、生命に本来そな
わる仏界の偉大な力を湧現できることを、証明されたのです。
凡夫がそのまま仏になる――これこそが、法華経の核心であり、魂です。

「湧現」させる方法は

御本尊を信じ南無妙法蓮華経と唱えるならば、仏界たる御本尊を縁として、我ら凡夫の
生命にも仏界が湧現する。仏界が湧現すれば生命力は強くなり、また諸天善神はその人
を守護するようになる。

御本尊に祈ることで、悩みや目標に立ち向かう勇気や知恵を自分の中からわき立たせ、
自分を変革させるのです。


でもただお題目をあげるだけでなく、祈りをかなえるためには次のことを必要としています。

祈りを叶えるためには、「信心したから何とかなる」といった甘えの気持ちを排し、
まず、自らの置かれた状況を正しく認識し、その状況を打開するために最善の工夫と
最大の努力を重ねていくことが必要です。
 御本尊への真剣な祈りとともに、だれよりも工夫し、努力していこうという主体的
な姿勢があってこそ、厳しい状況を切り開く生命力と仏の智慧がわき、願いが叶って
いくのです。

これだったら、別に御本尊に向かってお題目をあげなくても良いと思うが。やっぱり
御本尊に頼らなくてはダメなのかしら。

635 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/01 19:05 ID:JiqY+v2Y
>>634

ありがとう、毎度おなじみの創価教学。>634

ちょっと聞きますが、ショテンゼンジンてなによ?






636 :お邪魔します復活!! ◆nH2G.RjIE2 :04/05/03 08:28 ID:lE9dYw28
>ちょっと聞きますが、ショテンゼンジンてなによ?
一応御本尊に書かれている梵天、帝釈、日天、月天、明星天、天照大神、
八幡大菩薩などだろうとおもいます。学会側の説明によると


「諸天善神」とは、法華経の行者を守護する善神のことです。民衆、国土を
守り、福をもたらす宇宙の働きをいいます。法華経ではこの諸天善神が法華
経の行者を守護することを誓っているのです。
 したがって、正法を実践していくと諸天善神の加護があり、守られていく
のです。
 しかし、これらは何か具体的な姿をもった存在かといえば、そうではなく、
正法を実践して、広布に励む人々を守る、自然、外界等の一切の働きです。友
人や同志が助けになってくれる場合も、その一つです。
 御書には「信心が強くなることによって諸天善神の守りも強くなるのです」
(1186ページ、趣意)と仰せのように、諸天の働きといっても私たちの信
心の強弱によるのです。

ここに書かれているように
「これらは何か具体的な姿をもった存在かといえば、そうではなく、
正法を実践して、広布に励む人々を守る、自然、外界等の一切の働きです」
なら良いのですが。


637 :お邪魔します復活!! ◆nH2G.RjIE2 :04/05/03 08:29 ID:lE9dYw28
別の説明によると

勤行・唱題は、小宇宙である自分自身を、大宇宙の根本のリズムに合致させてゆ
く崇高な儀式である。
御本尊へ合掌(がっしょう)し、勤行・唱題する。その声は、すべての仏・菩薩、
諸天善神(しょてんぜんじん)のもとに届いている。
そして、目には見えないが、全宇宙の仏・菩薩、諸天善神が、その人を守り囲んで
いく。その"真ん中"に自分がいることになる。
東天(とうてん)に向かって、諸天善神の代表である大日天(だいにってん)にあ
いさつし、諸天に法味(ほうみ)を捧げる。
その後、御本尊に向かうと、全宇宙の諸天善神が一斉に、自分と一緒に御本尊に向か
って合掌し、自分が願った通りに、諸天が動いていく。
題目をあげるということが、どれほど、すごいことか。すべての仏・菩薩、諸天が味
方になるのである。
だから人類を救う力がある。救う使命がある。
(1999年7月3日、7・3記念本部幹部会のスピーチから)

ここではまえに書かれているのとは反対に、実在している様な印象を受ける。
さらに疑問点をさあげると、
「自分が願った通りに、諸天が動いていく。」
神様は自分の願い通りに動かせる存在なのか。創価学会は神をも動かす力を持っているのか。

梵天、帝釈はもともとバラモン教の神様だから釈迦が知っていても不思議はないが、
天照大神、八幡大菩薩となると大和朝廷が生まれる遙か以前にインドに生まれた釈迦
が知っていたかどうか。


638 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/03 10:07 ID:???
>>637
>自分が願った通りに、諸天が動いていく

いいねえ。思ったとおりに女をGETして舐めまわす。いいねえ。
池田先生にならないとできないが。プッ

それにしてもできたらいいね。あやかりたい。

639 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/03 10:18 ID:???
ところでいまでも本部の庶務課の第一秘書はいまでも池田のお手つきなんかな。
お手つきのお下げ渡しで、ほとんどの幹部や副会長どもが嫁にもらったとのこと
だ。いや池田先生ともなるとやりたい放題、ダイ題目の力なんだな。いやあ
現世ご利益でやりたい放題かあ。いやあ、、うらやましいねえ。

それでやり過ぎて信平さんに訴えられてこらコマッタと!それでええい、いいや、
信平の方に在らぬ罪をおっかぶせて悪者にしておけばいいんだ。てなことだった。
してもいない借金を学会員を使って貸したことにして返していないとニセの
借用書をかかせてとんでもない悪質攻撃、自分のた思い通りのためなら信平さん
を悪党にしておけばいいのだ。いやあ悪知恵で動く学会員がいるからいいよね。

まさに「自分が願った通りに、諸天が動いていく」んだね。学会ってのは
結局思ったとおりに動かせる権力の池田先生が「思ったとおりに使う」から
「ショテンゼンシン」がやってくれるという信心を池田先生が持てるって
ことを言ってるわけだね。 ププププププ(それにしてもうらやましい、
すきなだけ舐めれるとは。うらやましい池田センセーですね。池田センセー
自体はとてもキモチワルイが。げげげげげ)

640 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/03 10:33 ID:???
>>637
>勤行・唱題は、小宇宙である自分自身を、大宇宙の根本のリズムに合致させてゆ
>く崇高な儀式である。

こう言うということは、それがヨーガの一部ではない、もっと自分の体の中の変化
だけに留まらない外界への働きがこのマントラにあるといういい方をする、というこの事
が「宗教」になる根拠なんだという言い方だね。創価学会や日蓮はそういうことがある
ことが自分たちがヨーガではなくて「宗教」にできる根拠なんだと主張しているという
ことのように見えるね。

だがどうなんだろうか、ヨーガをしても外界との関係が変わらないだろうか。つまり
題目に限らず、どんなマントラであれ自分が変われば外界との関係も変化し、変化した
自分にふさわしい外界に近づいていくよね。これはニューエイジでは「似た者は集まる」
とか「類は友を呼ぶの法則」とか言ってるね。仏教は「縁」とも言うのだろうし、
キリスト教では神の摂理と呼ぶ。これらは全部同じことだね。つまり創価学会が言ってる
ことは「マントラ三昧になれば自分の体と心が変化し、それによってふさわしい外界との
関係も変化し、変化した心と体によく合った外界と接触したりそこに住むようになる」
ということ、そしてそれによって「いままでよりも幸せに感じる」ようにもなることがある、
という風に冷静に一般化することが可能になるということだろう。このように創価学会が
特別な団体組織だということじゃなくて、それは単に一般化原理を自分たちのマントラだけ
特別であるように宣伝しているだけということである。

641 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/03 10:49 ID:???
それで、宣伝によって「特別のスゴイものなんだ」と信じ込むこと自体がまた心の
集中を促すように働き、自分たちの団体が特別なものであるとの信仰によりますます
自分たちへの肯定的信念を固めていく。それによって念の塊のようなものができるように
なる。これを一昔前に流行したユングの心理学でいえば、それが集団の集合的無意識の
ようなものであり、そのように少なくない人々の心に深くそうした信念を植え付けること
で集団としてのエネルギー、パワーが生まれるかもしれないことは確かに想像できる。

つまり、それらは結局は人間が「そう信じることで生まれるパワーであり、その集団化に
よって増幅される念力が集中して拠りあわさって醸成される文化的、信念的、無意識的な
パワーである」ということだろう。つまりそれは「信じている対象やその信仰内容が『正しい』
からそうした力が生まれるということではない。そうではなく「そうだと信じる信念の
集合や集中が力を持つ」ということであるに過ぎまい。つまりイワしの頭も信心からという
のはこのことを言っている。

そしてそれを「政治的活動での勝ち負け」に持ち込んで恒常化する方法を適用したのが
池田大作の方法であった。これにより創価学会へのこうした念の集中を現実への欲望の
実現過程として手下の目の前に置かせ、それによって「信念を強固に保つことを煽り続ける
ことを可能にした」のであった。これが「政教一致」による自らの存在の正当化として
働き、手下にその信念をいつまでも持続させることを可能にし、あかたも自らが宗教として
正当であるからその信念に報いがあるかのように思わせることができた。これが創価学会の
使っている詐欺マジックである。

642 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/03 11:05 ID:???
つまり、煽り、信心信念を強くするお話ができればこっちのもの、というのが「池田大作の
信念」である。

そのサイクルが団体の仕事として持続することができれば、それが「宗教」となる、
という信念である。一切の宣伝はそれをサイクルとして回し続けるための「お話」
であり、それらは結局すべてが「神話」の方法論である。法華経の方法論も要する
に「神話」の方法論を踏襲しているだけである。神話である証拠に「諸天善神」も
出てくるのであり、アマテラスオオミカミも日蓮にとっては神話の延長であったから
こそ使うことができたに過ぎまい。法華経と神話はこのように元々深く相姦している
から、むしろそうなるのは運命であり当然であった。

つまり、神話は自分たちの存在の正当化、あたかも「この世が出きる前から予言されて
いた正しい団体組織である」かのように思い込ませることにも使われてきた「神話」の
方法論を持ち出すことで、ますますその団体組織へのアプリオリな肯定意識を持たせよう
と画策することになるのである。これが戦前の日本帝国主義の根底を支えたのと全く同じ
ように、同様の神話である法華経に依拠して自らを正当化し存在を誇示しようとする日蓮
と創価学会も、そのアプリオリな正当性ではなくあくまでも自転車操業的正統性への信念
の連鎖的サイクルを全会員をして維持することによってはじめてその存在を世界に継続
させることができているのである。その信念の根底はあくまでも神話に拠って立っている
のである。

643 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/03 11:17 ID:???
正に「真」を外し、「利」を埋め込んだ「利善美」の信仰はこうした行き方のすべて
を支えている。そしてその体現としてのこうした哲学(集めて信じ込ませればこれが
すべてになるの法則のこと)が創価学会という団体のすべてであると言える。

 正しくなくとも、正しいと信じれば「正しいこと」になる
 真実ではなくても、真実だと信じれば「真実だということ」になる
 こうすれば幸せになと信じてしまえば、インチキであってもいずれは幸せに
 なっていくものさ、それが要するに世界というもの

これが池田大作の信念であり信心であり、要は日蓮信心のなれの果てということである。

以上ではまた。

644 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/03 22:41 ID:???
age

645 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/03 22:50 ID:???
>>637
>だから人類を救う力がある

だから馬鹿になる、じゃないのか?(ヒヒ

646 :お邪魔します復活!! ◆nH2G.RjIE2 :04/05/05 03:12 ID:1KCSKarP
聖教新聞掲載日:2003年11月30日 日曜日

■御書:千日尼御前御返事
(御書1316ページ3行目〜8行目)

の解説の中にこの様に述べられています。

法華経(御本尊)への供養の功徳は、計り知れない福運となることを明かされています。
 そして、法華経を信じることで、いかなる罪業も消すことができるだけでなく、無量の福徳へと転じることができると仰せです。


647 :世界人口を100%とすると、学会員は0%です。:04/05/05 03:37 ID:???
>>646
御書自体が、この板では批判の対象になっているので、
 御書を根拠に、何を説いても、効果はないでしょう。
 
  日蓮は病死しましたが、これは「無量の福運」と、どうつながりますか?
   (同時代の親鸞は90まで活躍しました)

   また、甲子園予選で創価高校は脱落しましたが、これは「無量の福運」とどうつながりますか?


648 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/05 11:31 ID:???
>>646
>法華経(御本尊)への供養の功徳は、計り知れない福運となることを明かされています。
>そして、法華経を信じることで、いかなる罪業も消すことができるだけでなく、無量の福徳へと転じることができると仰せです。

 正しくなくとも、正しいと信じれば「正しいこと」になる
 真実ではなくても、真実だと信じれば「真実だということ」になる
 こうすれば幸せになと信じてしまえば、インチキであってもいずれは幸せに
 なっていくものさ、それが要するに世界というもの

これが池田大作の信念であり信心であり、要は日蓮信心のなれの果てということである。

だから、創価学会に入れば悪党していても「ソンシ=イケダ」のいいなりでやってるから
「おれはセーギだ」だから「何をやってもいいのだ」、嫌がらせの悪党三昧も当然やるべき。
というこれがソーカガッカッガイという団体組織の裏の教えですね

(まさに〜 だな

649 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/05 11:33 ID:???
========================
================================================
創価学会員が奇妙な「哲学」を披瀝しています。
硯学の皆さん、この男の曲学を正してあげてください……。
                ↓
大切な想いをあなたに伝えたい/創価・公明@2ちゃんねる
http://society.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1083426009/

>名前:希水 ◆O5iHeCraTI 投稿日:04/05/02 01:36 ???
>現在の私たちには「知識」と「知恵」の調和こそ急務です。
>その知恵の源泉こそ妙法であり、この情報化社会という
>荒海も信心という無量無辺の知恵の舵で……

>第一に大切な点は「全体性」もしくは「連関性」です。

>深層心理学や生態学の成果が明らかにしているように
>人間と人間、人間と自然・宇宙との関係を追っていけば
>つながりは無限に広がってゆくでしょう。
>小宇宙(ミクロ・コスモス)と大宇宙(マクロ・コスモス)とは……
========================
================================================

650 :質問者 ◆z0C7mxqtu2 :04/05/06 02:23 ID:???
あのー、よく言われる
法華経はブッ「ダ」が死んだ後に成立したお経だから無価値、
みたいな論調、あれが不思議でならない。
宗教は開祖が死んだ後、思想的に発展、進歩したらいけないのですか?
すると何ですか?キリスト教もイスラム教も原理主義のみOKで
他は無価値なんでしょうか?

651 :Sb ◆SbSGI7AtEA :04/05/06 10:27 ID:???
>>647 >>世界・・・さん
お邪魔しますさんは、情報を提示しているだけだよ
対象となるものを提示してくれるので、とてもありがたいのです。

652 :Sb ◆SbSGI7AtEA :04/05/06 17:36 ID:???
>>650 >>質問者さん
無価値というのではないですね
法華経を信奉する人たちは、
法華経は仏陀が一番最後に説いた教えで、
仏陀の教えの真髄であると信じている
しかしながら、その成立は仏陀の死後である
この現実をどうしますか?というだけです。
法華経はそれなりに価値のあるものだと思いますよ
しかし、仏教の教えに絶対性などはないですから
唯一だとか、そういったものはいかがなものかとは思いますけどね


653 :お邪魔します復活!! ◆nH2G.RjIE2 :04/05/08 18:22 ID:qh4ie92e
 法華経は般若心経と並んで日本で普及している経典で日蓮系の宗派だけでなく多くの宗
派で採用している。般若が「空」を説くのなら法華経は「行(色受想行識の行)」を説く
経典だと思っている。ただ原始(根本)仏教でブッダの説いた仏説に比べると、変化してい
ることは確かです。仏教の歴史はブッダのといた教えから離れたり、戻ったりして続いて来
たと思っています。私個人としては、初期の神秘性を除いた人間くさいブッダの方が好きで
すけどね。

 問題は、日蓮が天台大師智の五時八教の教判を採用して、法華経が釈迦の本当の教えを
述べた経典であるとしていることです。学会はこの説を採用して、法華経だけが釈迦の真実
の教えであり、他の経典はこの教えに導くための、仮の教えであるとしていることです。

 天台智の居た時代は今から1500年前でありその説を採用した日蓮も700年前の人間
です。学会の主張しているこの教判は、現代の仏教史では、まるっきり間違っている考えであ
ることが証明されています。しかし学会はどこをどうこじつけているのか、学会の正しさは科
学的に証明されているとして、法華経絶対を唱え他の宗派を非難し続けております。

654 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/08 21:24 ID:???
>>653
間違っていることが、現代の仏教史で証明されているなら、
ここで、その証明を出せば、この板は、終了!!!!!!!!

よろしくお願いいたします。


655 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/09 10:33 ID:???
>>653
> 天台智の居た時代は今から1500年前でありその説を採用した日蓮も700年前の人間
>です。学会の主張しているこの教判は、現代の仏教史では、まるっきり間違っている考えであ
>ることが証明されています。しかし学会はどこをどうこじつけているのか、学会の正しさは科
>学的に証明されているとして、法華経絶対を唱え他の宗派を非難し続けております。

だから、それがあんたがわざわざ間違いみたいにのっけたこれだろ?(ゲラ

>>646
>法華経(御本尊)への供養の功徳は、計り知れない福運となることを明かされています。
>そして、法華経を信じることで、いかなる罪業も消すことができるだけでなく、無量の
>福徳へと転じることができると仰せです。

要するに”「福徳がある」=「幸せな気分になる」「カネが儲かる」「願いがかなう」
から”→ ”法華経には絶対性が在る”という主張が創価学会というカルトの信念である。

逆にいえば、”「福徳がある」=「幸せな気分になる」「カネが儲かる」「願いがかなう」
ならば”→ ”何にでも絶対性が在ることになる”ということだから、そうなると法華経で
なくても構わない。つまり「福運(ワラ)」の有り無しが、「絶対性の有り無しの判断基準」
なのだという主張が創価学会の主張だ。

みんな、こんな創価学会をぜひとも笑ってやってくれ。 「福運(ワラ)」

656 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/09 10:39 ID:???
>>638-639
はとても参考になるが、

>>640-643
も非常に鋭い意見だったね。

それにしてもうらやますい>好きなだけ女が手に入るとは>ショテンゼンシンの働き
なんですねえ。いやあうらやますい(ほほほほ)。

657 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/09 10:43 ID:???
>>655
>法華経(御本尊)への供養の功徳は、計り知れない福運となることを明かされています。
>そして、法華経を信じることで、いかなる罪業も消すことができるだけでなく、無量の福徳へと転じることができると仰せです。

 正しくなくとも、正しいと信じれば「正しいこと」になる
 真実ではなくても、真実だと信じれば「真実だということ」になる
 こうすれば幸せになと信じてしまえば、インチキであってもいずれは幸せに
 なっていくものさ、それが要するに世界というもの

これが池田大作の信念であり信心であり、要は日蓮信心のなれの果てということである。

だから、創価学会に入れば悪党していても「ソンシ=イケダ」のいいなりでやってるから
「おれはセーギだ」だから「何をやってもいいのだ」、嫌がらせの悪党三昧も当然やるべき。
というこれがソーカガッカッガイという団体組織の裏の教えですね

(まさに〜 だな

658 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/09 10:55 ID:???
事例1

現役の創価学会信者(信心歴20年以上)
創価学会は内部の批判者を尾行し、素行調査をしている。

Q 創価学会が、創価学会を批判する信者の素行調査をしているのは、事実か?
A それは、事実だ。私も指示で行ったことがある。
  とは言っても、ただ尾行してどのような人間と接触しているか確認するだけだ。
  学会を批判するのだから、その程度は当然だろう。
  一般の大手民間企業でも、素行の怪しい社員を興信所などに依頼して、
  素行調査をしているじゃないか。(略)

Q 尾行は一人でするのか?
A 一人の場合もあるし、複数の場合もある。

Q 尾行で得た情報は、どうなるのか?
A 幹部に報告している。それ以降の詳しいいきさつは解らない。

Q 幹部というと、具体的には。
A 学会幹部だ。これ以上は答えられない。

Q 何のために尾行するのか。
A 学会を誹謗中傷する人間を放っておくわけにはいかないだろう。
  学会がいかに世界平和のために活動しているか、
  またいかに多くの人の幸福を願い活動しているか、
  世間に正しく認識されなければならないのに、
  根拠の無い誹謗中傷を流す輩を放っておくことはできないだろう。

Q いつごろから、このような活動をしているのか?
A 私個人に、尾行等の指示がきたのは、10年程前からだ。それ以前にそのような話は聞いていない。


659 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/09 10:58 ID:???
物事は「真実であるかどうか」、「科学的で合理的かどうか」、「論理的に
物事が結びつくかどうか」、「物事をどう見るのが正しいのか」ということが
個人の「福運」がどうかなどというレベルの話とアプリオリにリンクしている
かのごとく信じるというのが創価学会という信念である。

だが、りんごが落ちるのは個人の「福運」とは無関係な科学的事実である。
そしてその現象を完全に支配しているのは重力の法則であり、それを見ている
個人の「福運」などとは全く関係のない法則である。

この世がもし「個人」の福運で支配されている法則があってその影響で
「明日からはりんごは上に飛んでいくようになるのです」ともしガッコウで
教えるような国になったらどうなるでしょうか?それはまるで北朝鮮の金総書記
バンザイのために学校で「キムジョンイルの不思議な数字666」を教える
”特異”科目のようだ(あーぁー。ところでこの話は知っていますか?マジで
連中はこういう教育をやっている。内心、学生は先生をアフォだと思っている
のだろうか。思っていてほしいがワラ)。

創価学会の主張の行きつくところは、要はこのように「科学の否定」であり、
「念力で世界をどうにでもできるようになる」→「それができるのはこの法華経
のヒトラーである池田大作センセーだけだ」というような主張にもなるに違いない。
個人崇拝が結局は目的なのであり、すでにそれは「永遠の指導者である」という
「綱領」が「承認」されていることから明らか。肝心なことは「どこでいつこの
反科学にメスを入れるのか」ということである。

660 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/09 11:30 ID:???
あるとき、異教徒が集まって、怪談や王族のうわさ話などの雑談に耽(ふけ)っていた。
釈尊の弟子、アーナンダが通りかかると、異教徒たちはおしゃべりをやめた。
ひとりがアーナンダに近づくと、まじめな顔をして「あなたの師(釈尊)の教えを聴(き)きたい」と請うた。
アーナンダは言った。


 「師は、真理を得ることができない四種の似非(えせ)宗教者がいる、と常々語っています。
 一番目は、『私はすべてを知っている』とうぬぼれ、犬にかまれても、『私はかねてから、
 こういう目に遭(あ)わねばならない運命であると予言していた。その予言どおりになった。
 すごいものだろう』と負け惜しみを言う人。
 第二は、その宗教の伝統をそのまま鵜呑(うの)みにする人。長年、習慣となった伝統を検討せずに、
 そのまま信じ込むのです。
 第三は、理論や理屈を玩(もてあそ)ぶ人。もちろん、その理論が正しい場合もあれば、そうでない
 場合もあります。それを謙虚に検討せずに、そのまま信じ込むのです。
 四番目は、何か質問されたとき『そうであるとも言えるし、そうでないとも言える』などと、曖昧(あいまい)
 な態度ではぐらかす人です。
 これに対し、真の宗教者は、振る舞いを律し、虚言を捨て、真実を語り、信頼され、人を中傷せず、
 愛情に満ちた、人の心に響く言葉を語る人、そのような人こそが、真の宗教者なのです」



661 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/10 01:41 ID:???
>>643
まさに、

 不正があっても、正しいと信じれば「正しいこと」になる

これが創価学会の信念。不正を積み重ねてついに信平氏に罪をおっかぶせて自分の
安泰を図った池田大作。いやーひどい。

おぞましい。あー、いやいや。おぞましい限り。

662 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/10 21:35 ID:???
>>660
まさに !

663 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/11 00:04 ID:???
だが、「人を中傷せず」とか言わせておいてさ、その後で他人を中傷の嵐において
(てか手下を使ってメチャクチャに中傷させて、が正解だが)徹底的にイヤガラセ
しまクリの池田クンなんかがこういうことを言って防戦張りっぱなしでいるってのが
真実なんだろ?(ゲキャワラ)

664 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/15 21:28 ID:???
(ゲキャワラ)

ははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは



665 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/16 02:31 ID:akvivwFd
つーかそもそも「仏教」って「悟り」をひらいて何もエゴを求めない、煩悩のない
ことを目指したゴーダマシッタルダが祖なんでしょ。
層かって「幸せになる」だとか、「病気がなおる」とか、「願いがかなう」とか
言ってるから「仏教」じゃないよね。煩悩とエゴの固まりだよね。
まぁこの点に関しては他の仏教系新興宗教や祈願を売り物にしてる寺も同じかも
しれないけど。



666 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/16 14:12 ID:???
スッタニパータを読むと、仏陀の思想は明らかに禅思想に極めて近いと言い得ると思う。
禅はやはり原始仏教でその思想的根源があり、ブッダの思想は明らかに呪文頼みの創価学会
をその根本において完全に否定しているのは間違いない。

一方、「間違いなく呪文教であるところの創価学会」も(何もしらないくせに)「ブッダ」
を「完全否定」などしているアリ様であるが。(ケワラ)

「”釈迦仏法”などはもはやなんら力のないものだ」(ケワラワラ)

これを創価学会員の友人から耳にタコができるほど何度も聞かされたものだが、
彼はいまごろ「自民党といっしょに政権に在りつくためだけにに建前で釈迦仏教を
肯定している創価学会」を「きたない奴ラ」だと勘付いているだろうか。(ワラ)

667 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/16 20:12 ID:TjmQjFsG
創価の皆さんが苦手な事。

一、眼施(がんせ)。優しいまなざし。
二、和顔悦色施(わげんえつじきせ)。にこやかな笑顔。
三、言辞施(ごんじせ)。心のこもった真実なる言葉。
四、身施。見返りを求めないお手伝い。
五、心施。思いやりのある心づかい。
六、床坐施(しょうざせ)。席をゆずる。
七、房舎施(ぼうしゃせ)。旅人や困っている人に一夜の宿を貸す。

668 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/17 00:31 ID:???
>>665
それは、小乗経の教えです。
大乗仏教での釈尊とは、別人です。

>>666

釈迦仏教自体に力ないのは、おっしゃるとおり。
言葉どうりにお釈迦になりました。



669 :Sb ◆SbSGI7AtEA :04/05/17 13:02 ID:+7LVVhdH
>>668
じゃあ、大乗の釈迦ってのはどんな奴なんだ?

666さんは釈迦仏教に力がないとは書いてないのでは
逆にそんな馬鹿なことを言っている馬鹿な学会員を笑っているように見受けられますが

学会法に力があるとは思えませんけど(藁)

670 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/18 06:49 ID:a8EX9tBP
>>666>>669
小乗仏教の教えの基本は、煩悩を滅していくこと。(荒行ってのが多いと思うけど、出家者だけが、悟れる)
大乗仏教に入り、いろいろな人が成仏していくようになる。
また、現世の利益や極楽思想の元になる仏が出てくるようになる。

釈迦仏法が現在力がないのは、いわゆる末法思想ってやつで
すくなくても、日本の仏教(特に鎌倉仏教)は、同じ考え方をとる。

浄土宗で、釈迦でなく、阿弥陀如来 真言では、大日如来など、お話の中の如来(仏の意)を
信仰するようになったのも、釈迦に力がないとの認識の現れ

これは、別に学会が発明したわけではないと思うが、いかが???


671 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/18 06:54 ID:???
ここで一句

ブッダより ブタを信心 カルト狂

672 :Sb ◆SbSGI7AtEA :04/05/18 13:41 ID:db4t2/HL
>>670
仏教ってのはさぁ、結局どう生きてくかってことなんじゃないのかな
その上で阿弥陀、観音、大日、その他を見る
根本は釈迦の示したものなんだと思うよ
釈迦に力がないなんて考えているのは層化だけだよ
仏教はあくまで釈迦
でも自分
釈迦から離れるなら、仏教を捨てればいい
捨てられないってのは釈迦の力を認めているってことなんじゃないの?

で、仏ってなんなのさ?

即心即佛
馬祖、因大梅問、如何是佛。祖云、即心是佛。
非心非佛
馬祖、因僧問、如何是佛。祖曰、非心非佛。

673 :670:04/05/18 21:36 ID:???
>>672
釈迦から離れる??
違う!!離れるわけではない。
釈迦の仏法自体に力がなくなるのは、釈迦自身の予言(無量義経)

そこで、新しい末法の仏が出現する。これも釈迦の予言(法華経)
当然、末法の仏は釈迦の予言によって証明され、かえって釈迦も末法の仏の出現によって
証明される。



674 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/19 09:41 ID:???
>釈迦の仏法自体に力がなくなるのは、釈迦自身の予言(無量義経)
無量義経は法華経を補完するために後に作られたもの。

>そこで、新しい末法の仏が出現する。これも釈迦の予言(法華経)
大乗系の派閥の中で法華グループ(?)が自分たちを正当化する
ためにムリヤリ作った経典。



675 :Sb ◆SbSGI7AtEA :04/05/19 12:16 ID:TkwYGafJ
>>673 >>673さん
それは後出しじゃんけんだよ
今、私が、新しい経典を書くとするよ
そこに、法華経はもう効力が無いと釈迦は予言していた
と、記す
そうすれば、法華経は効力を無くすの?
そんなわけないよね

いわしてもらえばさぁ

経典なんかは、月をさす指でしかないんだよ

その月を目指しなさいってのが釈迦の教えで
根本は変わらないの
でも、人の数だけ、それ以上に指はあるの、法華経なんかそのひとつに過ぎないの

676 :673:04/05/20 06:32 ID:???


>>674

あなたのおっしゃりたいのは、
無量義経は、釈尊の言葉ではないといいたいのですね?
あとから弟子たちが、釈尊の教えを曲げて勝手に作った経典だと。。
だから、意味ないってことですね
↑一応確認ですが


>>675

禅宗ですか?
経典を馬鹿にするまさに、天魔の教えですね
経典を尊重しなくて、釈迦仏法は成り立たない。
まさに、自分勝手に教えを立てる
仏教とは、別物の宗教とは、禅宗のこと!!!

677 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/20 08:48 ID:???
>>676
寝言は寝てるときに言うもんだ

678 :Sb ◆SbSGI7AtEA :04/05/20 14:42 ID:21+5W/CJ
>>676 >>673さん
経典を馬鹿になどしてはいないよ
ただ依存するのはいけないんだよ
それこそ仏道から離れる
原理主義への道は絶たなければならない
経典に書いてあることを、はいそうですか、と丸覚えして何の仏道だよ

日蓮さんが書いたことを元に禅を批判したって、批判になりゃしないよ
まず、学会を離れて、禅をとことんまで突き詰めて、それから批判しな
禅は悟ることも無しに批判できるようなものじゃないよ

679 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/20 21:59 ID:???
>>678
禅は仏法ではない。釈尊の言っていることを信じないなら
釈尊のはじめた仏法であるはずがないから

そんな誰にでもわかることを、禅を極めなければわからないなんて
はあ??????

言ってる意味がわからん>>678は、日本語理解できるのか?

禅宗の信じる経典ってなんかありましたか??


680 :Sb ◆SbSGI7AtEA :04/05/20 23:05 ID:jvQ8yBqt
>>679
自分が生きていくのに、他人のレールの上などは歩けないのだよ
自分の人生ってのは、自分のレールがあるだけ
釈迦のレールも日蓮のレールも池田のレールも他人のレールだよ
お前はいったい誰なんだ?釈迦か?日蓮か?池田か?
違うだろ、お前はお前、お前の人生はお前以外には歩けない
それが生きるってことだろ、それが仏道だよ、人任せにするのが学会の教えか

他是阿誰
東山演師祖日く、釈迦弥勒は猶ほ是れ他の奴。且く道へ、他は是れ阿誰ぞ。

さぁ、誰だよ

681 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/21 08:42 ID:LBoUUdMe
>>679
そりゃ禅は釈尊の「言った」事ではないだろう。
釈尊が言葉で表せない物を伝えた。と言ってるのだから。
禅について無知過ぎやしませんか?

682 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/22 15:40 ID:???
>>679
>禅宗の信じる経典ってなんかありましたか??
法華経

683 :Sb ◆SbSGI7AtEA :04/05/22 16:50 ID:+oYwdqqy
>>682
その他いろいろ

684 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/22 18:04 ID:???
>>680
レールってどういう意味で使ってますか?
あなたの言う意味(解釈が違っていたらごめん)なら

あらゆる宗教は、レールってことですが????

大聖人様は、桜梅桃李を教えてくださっておりますが
その考えからは、想像できない解釈ですね。



685 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/22 18:06 ID:???
>>684
それってブッダと関係あんの?

686 :Sb ◆SbSGI7AtEA :04/05/22 22:09 ID:GBpLLJmG
>>684
自分が自分で生きるってことだよ
自分の人生ってことだよ
桜梅桃李がどうだってのよ
大聖人を踏襲するなよ
お前はお前だろ
学会法なお前にはわからないだろうけど
本当の仏法ってのはそういうことなんだよ
学会を捨ててみな

687 : :04/05/22 23:59 ID:???
>>684
禅の悟りってのは、一人一人別なの。
公案が、所詮、個人体験に過ぎないって言われるのもこれが理由。

日蓮だって絶対自力と言い、自分の力でしか成仏できないと言っている。
これはつまるところ、日蓮もまた自分の道を歩むことでしか、
成仏できないと言っているんだよ。
幾ら勤行・唱題をしても、1日で成仏できる奴から、
100年かけてようやく成仏できる奴もいる。
創価学会流に言えば、宿業転換か?
仏教の目的は成仏することであって、勤行・唱題をすることではない。
勤行・唱題なんてのは、成仏するための手段に過ぎない。
信徒として勤行・唱題をしたところで、己が堕落すれば意味がない。
創価学会流に言えば、五老僧がそれに当たるのか?
ま、今の創価学会員は、皆、創価学会員であることに満足して、
堕落するだけだから、まさにこれだが(w

で、「大聖人様は、桜梅桃李を教えてくださっております」って、
まさに一人一人違うから、一人一人成仏する過程も違うんだろ(w

688 :質問者 ◆f9eK8.nVNM :04/05/23 02:18 ID:???
法華経がブッ「ダ」の死後随分経ってから成立したのに、創価は
釈迦の教えの神髄、みたいなことを言ってる。
それを責めてる人がいますが、日蓮の生きてる時代にそれは確認できないでしょう?
で、創価は日蓮の言うことに間違いがある、
なんて間違っても言ってはいけない団体なんだから、そこを責めてもしょうがない気が
するのですが…。

689 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/23 12:22 ID:???
禅は結局、自分の悟りを仏の悟りと称する自分マンセー主義ってことか。
それなら麻原もブッダと言えるかもな。

690 :Sb ◆SbSGI7AtEA :04/05/23 18:18 ID:ul9XWQ4l
>>689
あなたが悟りを得てそう判断したならそうなのでしょうね

天上天下唯我独尊をどう解釈するか

さぁ、どうします?

691 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/23 21:24 ID:???
>>688
それは、日蓮宗すべてでしょ。。。
もちろん天台宗も・・・

法華経第一は、もともと天台
日蓮大聖人と受け継がれて来てますから

そんなこと知らない学会員なんてほとんどいない。

成立が、死後ってことは、ほとんどすべての経典に言えること
釈迦は、経典を書いてない。

これも常識!!仏法を少しでも学ぶ人なら誰でも知っている。

へたな知ったかぶりはやめたら???

692 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/23 23:45 ID:???
「天上天下…」の言葉は、初期の Pali 経典には無くて、
何世紀か後で成立したお経に書かれた伝説物語として出てくるものです。

693 :Sb ◆SbSGI7AtEA :04/05/24 12:16 ID:8vGOHeS5
>>692
いや、だから、その言葉の意をあなたがどう仏法として捉えるかなんだよ
どう悟るかなんだと思うけどね
経典を読んで、わかりました、それじゃ経典はただの御伽噺だよ
そこから釈迦の教えをどう悟るか、公案も一緒
天上天下唯我独尊という言葉も、法華経もね

また戻るけど

で、どうします?

694 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/24 18:15 ID:???
>>693
と言うことは、sbさんは経典が釈迦の直言でなくても仏の教えと認めるスタンスなわけね。
なら仏教は釈迦一人のものではないわけだ。
だったら天上天下唯我独尊、んなこたぁ無い。と言える。


695 :Sb ◆SbSGI7AtEA :04/05/24 23:16 ID:MiuhcMVI
>>694
そう悟ったの?
私は関係ないんだよ
あなたがどう悟るかなんよ
私の悟りはあなたにはどうでもいいんだもの
で、それでいいの?

天上天下唯我独尊

どう、受け取るのさ

696 : :04/05/25 00:32 ID:???
>>689
過程だろーが(w
じゃあ、創価学会員様は、皆、日蓮と同じ体験をし、
同じ過程を経て、成仏するわけだな?
どこにそんな奴がいるんだよ。
それなら創価学会員は、皆、成仏できないってことでいいんだな(w

697 : :04/05/25 00:35 ID:???
>>689
ついでに言っておくと、禅では、自分が悟ったと思っただけでは駄目。
師化の資格をもった僧侶(普通は、自分の師)が、
自分が悟りを開いたかどうかを認定する。
麻原のように、自分勝手に決めやしないんだよ。

698 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/25 01:12 ID:???
はあ?695と697は矛盾してないの?
697は悟りを規定する他人がいると言ってるけれど。
だったら悟りには基準があるということじゃないの。
それはやっぱり禅という仏教の一派のレールの上の教義じゃないの。

699 :Sb ◆SbSGI7AtEA :04/05/25 01:23 ID:e9Zk0m/S
>>69

趙州因に僧問ふ、如何なるか是れ祖師西来の意。州云く、庭前の柏樹子。


700 :Sb ◆SbSGI7AtEA :04/05/25 01:24 ID:e9Zk0m/S
>>698
馬祖、因に大梅問う、如何なるか是れ仏。祖云く、即心是仏。
馬祖、因に僧問う、如何なるか是れ仏。祖云く、非心非仏。

701 : :04/05/25 23:29 ID:???
>>698
いや矛盾しない。
私が悟りを開いたと考えてとして、
私が、麻原のような狂人か、最澄・日蓮のような僧侶なのかを、
私自身が決定できるのか?
できるとしてしまえば、たくさんの麻原が生産されてしまうぞ。

で、悟る過程が異なれば、悟りの心境を表す言葉も異なる。
師は、弟子の発する言葉が悟りから出た言葉かどうかを、判断するんだよ。

702 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/26 01:22 ID:???
>>701
という「仏教の一派」なんだろう?

703 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/26 17:01 ID:2tJnxtGG
>>702
その理屈で言えば、日蓮だってただの「一派」だろう?
そのただの一派が他を天魔だのなんだのって言う権利があんのかっつーの。
少なくとも禅は日蓮の事を批判してねーだろが。

704 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/26 17:08 ID:???
>>703
だったら「一派」どうしってことだよな。
批判も共感も各々していいわけだろ?
で、日蓮は仏教ってことでいいのか?
まさか禅だけが仏教なんて言わないよな?

705 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/26 17:35 ID:2tJnxtGG
>>704
日蓮は一派なんじゃねーかとオレは思うぞ。層化は違うと思うがな。
もちろん禅だけが仏教じゃねーよ。数あるなかでオレが選んだのは禅だったけどな。

>批判も共感も各々していいわけだろ?
>>695をよく読んで考えろ。

706 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/26 21:56 ID:???
言っとくが、麻原もインドあたりで行者に認可を受けたらしいぞ。

707 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/26 22:27 ID:???
で、学会の教えはブッタと関係あんのかい?

708 : :04/05/26 23:09 ID:???
>>704
日蓮ではなく、日蓮宗が仏教の一派だな。

>>707
仏教の宗派ってのは、悟る方法が異なるだけってのはOK?
で、悟りを開いたがゆえに、今までの方法に疑問を抱き、
自ら論じ、実践することで、宗派ができていく。
弟子がいなきゃ、ただの異端者よ。

牧口・戸田・池田と誰一人として悟りを開いていない。
牢獄で生命論を悟った戸田でさえ、日蓮正宗の日達に何も言われていない。
芭蕉が悟りを開いたなと、僧侶に言われたのとは大違いだ。
創価の指導者に、悟りを開いた奴は誰一人としていないわけで、
創価の教学は、自ずから仏の境地からかけ離れたものとなるのは必然。
現に、法華経を、ウパニシャッド哲学や西洋哲学などで説明し、
仏教を仏教の枠組みの中で理解することを放棄してしまった。
この時点で、ブッダとは無関係の仏教的新興宗教と言える。

709 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/26 23:38 ID:???
仏教自体に党派性や外道からの影響は全く無いのかね?

710 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/27 03:49 ID:???
で、学会の教えはブッタと関係あんのかい?

711 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/27 21:22 ID:???
日本仏教は全部、ブッダと関係が無いとも言えるw

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